怒る
ディアンの妻が王子に託されて三週間は過ぎていた。
最初の三日間はディアンとその妻の事が頭から離れなかったが政務室の机の前に座れば各研究機関からの陳情書や軍部の報告書が山積みで他人の妻の心配は王子の心の片隅に追いやられていた。
特に今日は軍の通信部からの報告書はなぜか王子の怒りに触れたようで、低い書類の山の方へ一枚の紙を投げ入れると、いらいらした様子で政務室正面の通路を挟んだ部屋に居る書記官たちの部屋へ通じる通話ボタンを押して大声で怒鳴っている。
「産業大臣を呼べ、ヌーラだ。何? なぜそんなところへ行ったんだ。クスロを呼べ。開発状況を聞きたいと言え。そうだ。そうだ!」
恐る恐る小声になる書記官の耳にこれでもかとばかりに王子は用件を告げて机の上の書類を睨みつけている。
十五分ほど経つと車が急停車する音が聞こえ緑色のボタンが点滅した、タクト棒で叩くように押し、返事を待った。王子の耳に丁寧な召使の声が聞こえた。
「王子。クスロ様がおいでになりました」
最後まで言わせずに王子は怒鳴った。
「謁見室に通せ」
召使は畏れおののき、
「かしこまりました」と短く切って通話ボタンを切った。
鼻息荒くふんと唸らせると王子は乱暴に扉を開けて謁見室への通路を走り、一段高い位置にある椅子に座りこんだ。謁見室の下手には呼び出されたクスロが静かに立っている。
「クスロ。なぜヌーラは連絡も取れぬコンネルに出掛けたのだ。今はアイリ高地で仕事をしているのではないのか。」王子は顎をあげて近づいても良いという意思表示をした。
今は近くに寄れという言葉さえかけたくない気分なのである。
これが年に一度の癇癪玉の爆発か、と内心父親に聞かされていた事を思い出してクスロは足音を立てずに玉座に近寄り自分の声の届く範囲を考慮して立ち止った。
深く一礼をして視線を王子の座る椅子の足の前部分に固定させる。
「説明させていただけるのなら。アイリ高地での開発はもう着手しています。ヌーラ殿はコンネルにて土壌検査の指揮を取っておいでです。コンネルはご存知のように古い昔は都だった記録ある場所ですが今では広大な密林に飲み込まれています。以前でしたら考古学者や発掘者を大勢送り込むのが常套手段でしょうが。アイリ高原の開発に成功すれば次に必要な場所はコンネルになると率先してヌーラ殿が機材を背負って出かけられたのです。トリガ菌の研究は間違いなくやっていると思いますよ。必要な研究資料はコンピューターに入っていますから。三日に一度はメインコンピユーターにアクセスすると言っていました。今日は初日ですのでまだ結果は送信されていないのでしょう。」
これ以上の説明はないとばかりにクスロの顔は自身に満ちていたがノーラはそれを無視した。
「私はヌーラと同じようにトリガ菌の研究者だと思っていたのだがな。彼は今日から土壌検査に取り掛かったのなら昨日までの成果の送信を怠っているのはなぜだ。我々はチームで戦っているのだぞ」
怒っている目を見ないようにクスロは目をしばたたかせた。まともに王子の怒りを受け止められる者はいない。
「すぐに中継所を調べるように手配しましょう。彼がそんな手抜きをするとは思えません」
落ち着いて丁寧に受け答えることだけに気を払い、王子の気分が少しでも和らいでくれるのを願った。
「そうしてくれ。クスロ。ヌーラがコンネルに行くのを前もって知っていたのならなぜわしに言わなかったのか。何度も言うようだが英雄気取りで一人でコンネルへ行くなどもってのほかだ。事前に知っていればわしらも研究所の皆も行かぬという者は一人もおらなんだわ。これからはトリガ菌に関することはわしの耳に直接入れてくれ。いいな」
腸が煮えくり返っているとあからさまに王子は態度に現して示した。
「かしこまりました」
話が終わったのだと思うとクスロは安心した。
聞いた話によると延々とこの宇宙でのベルカル人を取り巻く環境を説明された大臣も多いと聞く。自国の事で手一杯なのに出掛ける事もない宇宙の話などクスロに関心はない。
「下がっていい」どすの利いた声が退出を許した。
クスロが部屋を出ると入れ替わりに、次の来訪者が待っている事を召使は告げた。
微動も動かずに王子は答える。
「五分待て、気を静める。わしはどうしてこうも今日はいらいらしておるのだ。良い会おう。入れてくれ」
誰に向って発して良いか分からない怒りに王子自身も戸惑っている。
静かになった謁見室に召使が厳かに来訪者の名前を告げた
「左大臣クスタ様でございます。」
間髪をいれずに召使は即答した。
自分の役目は来訪者の名前を告げる事であると言わんばかりに召使は一歩下がると王子の返事を緊張して待った。
王子は忘れていた預かり物のことを思い出した。間違いなくクスタの用件はその事だ。
「会う約束などしておらんぞ。ディアンの妻籠のことかな。通せ」
召使は一礼をして下がるとまもなく灰色の毛並みのクスタが姿を見せた。
「突然押し掛けて来て申し訳ない。是非とも王子の許可を得たいと思いまして参上しました」
すれ違った息子の顔色を見て、まずい日に、しかも突然やって来てしまったとクスタは思ったがクスタにとって時間のロスは許されないと覚悟を決めているが、一目で王子の機嫌が悪いと分かる内心困っていた。
「ディアンの妻は順調な回復ぶりのようじゃな。婦長と仲が良いと報告を見たよ。流石はディアンの見染めた人物よ我らの姿に嫌悪感を抱かぬとは。歩行練習は始めているのか」
クスタの灰色の姿を目の端に入れて窓に揺れるカーテンを見ている。
「そのようでございます。我らの骨も彼らの骨も折れた直後から回復に向かおうと結合が始まりますじゃ傷ついた筋組織も順調に復元されています」
どの言葉を選べば今の王子を刺激することなく話を進める事が出来るのか内心渦巻く期待と不安で胸が痛くなってきた。
そんなクスタの様子に気が付かず怒りの矛先を下げる事だけに王子は集中していた。
「そうか。それはよかった」
出来るだけ平たんな声音を意識して返事をする。今朝からかなりの人数の側近の者たちに当たり散らかしてしまった。それも王子の個人的な怒りで。
「その……患者の事でございますが、患者のサンプルを機械にかけてみました。手順をこれまでと同じように踏んで解析しベルカル人の遺伝子とかけ合わせたところ」
複雑な数値をクスタは思い浮かべたがそれらは喉の奥に押し込めて、大事な部分を強調して行った。
「かの患者はその昔にトリガ菌に似た菌と戦った跡があります。その痕跡はわずかですが遺伝子記録に残っていました」
顔色が変わるのを期待したがさほど王子を喜ばせるほどの言葉ではなかったとクスタはがっかりした。
「ほう、久しぶりの朗報だな」
クスタを気づかって言葉は和らいだが、すぐに宇宙議会場でベルカル人の代弁をディアンが勤めていると考えると腸が煮えるように熱くなる。あの議場で各星の代表者等と大事な基本立法に関りたい思いが募って来ている。




