始まりの予感
二十年の月日が流れ国々が警戒を緩めた頃、彼女は動き出した。
それは満天の星が輝く夜だった。
虫も、獣も、人間さえ眠りにつく程の暗闇が広がる中、一つだけ真逆の色があった。
星はあれど月はなく、一切の明かりも無いはずの森の中に一点だけ、白い影がある。その中心に立つのは一人の少女だ。
白い髪、白い肌、白い服、そして──白い、翼。
暗闇の中でもその姿が確認できるのは、おそらく少女が薄く発光しているからだろう。
淡い光に包まれた姿は神秘の一言に限る。
まだ幼さを残す顔は一切の感情を窺うことができない。
少女が見つめる先にあるのは一軒のログハウスだった。
二人暮らしに適した程の大きさで、建築してからそこそこの年月が経っているのがわかる。
少女は満足したのか、足元に置いていた荷物を拾い上げると肩に担いだ。
そして、少女の手の内に小さな光が生まれた。赤く、ゆらゆらと揺らめくそれは間違いなく炎であった。
少女はそっとその光をログハウスへと投げる。
空中に赤く孤を描きながら、それはログハウスの入口付近に落ちる。
次の瞬間、小さかった炎が急激に膨れ上がり、ログハウスを包み込む。パチパチと木材が燃える音と、周囲を真っ赤に染める光が少女を照らす。
「──いってきます。それから、さようなら」
少女は、青空の様に曇りのない瞳を一瞬細め、すぐに振り返り歩き始めた。
二十年を過ごした我が家が真っ赤な炎に包まれるのを背後に、少女は森の闇に消えていく。
その姿を見守るかの様に、炎は静かに燃え続けた。
◇◇◇◇◇◇
──いいかい、私達の可愛い子。振り返らず、町まで走りなさい。
──母さんと父さんは?
──私達は一緒にはいけないの。だけど、せめてお前だけは……。
──いや!!私を一人にしないで!!
──お願い、私達の分まで生きて……リリィ。
──母さん、父さん!!いやああああぁぁぁ!!
「────っ!?」
息の詰まる様な寝苦しさに、彼女は思わず飛び起きた。
乱れた息を整えながら窓の外を見れば、うっすらと明るくなり始めていた。
ふぅ、と息を吐き、ベッドに倒れ込むと自身がかなりの寝汗をかいている事に気がついた。
このままでは眠れない、と少女は起き上がり、浴室への扉を開く。そして、徐に服を脱ぎ捨てると蛇口を捻る。
冷たい水のシャワーが頭上から降り注ぎ、身体を冷やしていく感覚に彼女は一瞬だけ身体を震わせた。
「はぁ……」
少女は小さく息を吐いて目の前にある鏡を見つめる。そこには、長い黒髪の隙間から碧い瞳を覗かせた少女の姿が映る。
少女の身体にはあちこちに傷痕があった。小さなものから大きなもの、薄いものやはっきりと判るほど深いものまで様々だ。
少女は腹部にある一番古く、深い傷痕に触れた。途端に思い出す先程の夢。
思わず、少女は浴室の壁を殴った。自らの拳の痛みなど気にもせず、ただ歯を食いしばって怒りに燃える瞳を細める。
「父さん、母さん……」
少女の呟いた一言は誰に聞かれることもなく、ただ浴室に虚しく響いた。
リリィ・クレセインは苛立っていた。
久しぶりに部屋の掃除を行い、武器や魔導書を整理を行っているうちに今朝の夢を思い出し、自身の現在の状態を改めて再認識させられたからだ。
彼女は幼い頃、近くの森で両親を亡くして以来、頻繁にその森に出かけては傷だらけで帰ってくるという生活を続けていた。
両親を殺した元凶に、復讐する為に。
そのために、彼女は必死に強さを求めた。武器を習い、魔導書を読みあさって魔術を習得した。
それでも、まだ両親の仇はとれていない。
「……っ!!」
リリィは舌打ちしながら立ち上がると、徐に靴を履いて外に出た。
昔から、ストレスが溜まったら街中に買物をしに行くのが彼女の気分転換の方法だった。
ガチャリ、とドアの開く音と太陽の光が部屋の中へと入り込む。
リリィは一度だけ家の中を振り返ると、ドアを閉める。
微かな金属音だけが誰もいない家に響いた。
街中を歩きながら、リリィは暗くなる気持ちを拭う様に深呼吸をしながら空を見上げた。
いつまでも苛立ったままでいる訳にもいかない。
そう思いつつ、彼女はギルドを目指して歩みを進めた。
──境目の街・ガラミア
この街は五つある大陸の中で最も巨大な大陸の東の端にある街だった。
東端といっても大陸の端っこという意味ではなく、これから東には巨大な森が広がっており、その先には街が存在していないからである。
この森は未開の土地で危険な生物も多い。だからその生物が溢れ出るのを防ぐ為に作られた砦を中心に作られた街だ。
街の中にはギルドがあり、森の探索から増えた魔物の討伐、未開の森の開拓等の依頼が張り出され、腕に自信のある冒険者達が集まる場所でもあった。
リリィはそうした冒険者達から見ても珍しい部類に入る少女であった。
男が大半の冒険者の中で、まだ少女と言える年代の女性がギルドを訪れるのは珍しいのである。
更に、リリィは冒険者だがこの街から出たことはない。あくまでギルドの依頼を受ける為に冒険者になっただけなのだ。
そんな経緯があってか、リリィは街では割と顔が知られていた。特に冒険者達からは美少女のリリィの評判は高い。
中にはちょっかいを出す様な者もいるが、全てリリィ本人が返り討ちにしていた。
それでも、この街に来たばかりの冒険者はリリィの評判を聞きどのようなものかと確かめにくるのであった。
「………」
目の前に立つ男達を見ながら、リリィはまたか、と溜め息をついた。
「おぅ、お嬢ちゃんが噂の『炎姫』かい?」
リリィは男達の言葉を無視してギルドへと足を向ける。
その肩を男の一人が掴んだ。
「おい、人の話は──」
「うるさい」
次の瞬間には男は地面に叩き付けられていた。
驚愕に目を開く男の横をリリィは服をはたきながら再び歩き出す。
なんて事はない。ただ魔力を叩き付けただけ。
魔術を使う人間にとってそう難しいことではない。
そのまま歩くリリィを一瞬のうちに無数の糸が搦め捕る。
「───っ」
「気に入った」
糸で身動きができないリリィは首だけで振り返る。
男達の中から一人の白いスーツ姿の男が姿を現した。
帽子を深く被っており、その顔は見えないが口元は薄く笑みを作っていた。
他の男達と違い体格は細く、明らかに場違いな印象を受ける。
「いやいや、中々に度胸がある少女だ。断然我々の仲間に加えたいですねぇ」
男の手元にキラリと光る糸が繋がっているのが見えた。どうやらこの男が糸使いらしい。
ニヤニヤと笑う男をリリィは興味なさそうに見る。
「興味ないわ。他をあたってちょうだい」
ゆらり、と陽炎がリリィの身体から現れる。
周囲の温度が一気に上昇した。
スーツ姿の男がほぅ、と更に口元を歪める。
突如としてリリィが炎に包まれた。
赤い炎は彼女に絡み付いていた糸を焼き尽くすと、彼女の周囲に集まりいくつもの塊を作り出す。
「なるほど、二つ名の通り……炎の魔術ですか」
リリィは完全に振り返ると、相変わらず興味なさそうな目で男を見ていた。
男は帽子を被り直すと何度か頷く。
「やはり、私は貴女が欲しいですねぇ。私はシーザと申します。どうです、私達の仲間になりませんか?」
「興味ないわ」
いい加減しつこいと思っていたリリィは更に周囲の炎に力を込める。
炎の玉が一回り大きくなり、シーザの帽子の下にある鋭い目が薄く開いた。
「仕方ありませんね、今までのように力ずくで奪いますかねぇ。……ククク」
その顔に何を感じたのか、リリィは初めて表情を変えた。
その顔に浮かんでいたのは──怒りだ。
「あんた、今なら見逃してあげる。目の前から消えなさい。今、私……苛々してるの」
「ククク、その余裕がいつまで続きますかねぇ……」
シーザの手元の糸がキラリと光る。
リリィも炎の狙いをシーザへとつけた。
周りで様子を見ていた人々が次々と避難し始めた。
この街ではこうしたいざこざは何度も起きていた。
冒険者が街中で喧嘩するのは決して珍しいことではない。
出店を構えていた者は急いで店の前に防御の魔術を発動させて身を守る準備に入った。
周りの人々も自分の周囲に防御の魔術を展開する。
最初に動いたのはシーザだった。
指に付けられた指輪から伸びた糸が無数に別れてリリィへと迫る。
リリィも炎をシーザへと一斉に撃ち出す。
──その時
「ままぁ……」
小さな声が聞こえた。
「──っ!?」
丁度二人の間に位置する場所に一人の幼い子供が歩み出たのである。
泣きながらよろよろと歩く姿を見ると、先程の騒ぎの際に母親とはぐれてしまったらしい。
リリィは思わず炎の軌道をずらした。炎は空へと向かい、空中で霧散する。
だが、シーザの糸は止まらなかった。
目の前にいる子供など眼中にないとばかりに糸を操り鞭の様に振るった。
たまたま風で飛ばされてきた落ち葉が糸に触れた瞬間、抵抗も音もなく縦に裂けた。
恐らく、人体などあっさり切断できるのだろう。
「やめ──」
思わず叫びそうになったリリィの横を茶色い風が駆け抜けた。
一瞬の出来事に呆気にとられる。
茶色の風はよく見ればローブを羽織った人間らしい。
フードを被っているので顔は判らないが体格は小さく、少年少女程度の体格しかない。
その人物は子供を抱え込むと、迫る糸を素手で掴み取った。
「──なに!?」
シーザは驚愕に目を見開いた。
人体どころか鉄すらも切断する糸を魔力で操る術を、目の前の小柄な人物は平然と素手で掴んでみせた。
今まで経験したことがない事で呆然としていたが、周囲のざわめきで我に返る。
どうやら街の警備隊が近くまで来ているようだ。
「──チッ、仕方ありませんね。皆さん、行きますよ。
リリィさん、この話はまた別の機会に……」
糸を回収し、シーザは他の男達と共に人混みの中に消えていった。
それを無言で見送り、リリィはローブ姿の人物へと視線を向ける。
ローブ姿の人物は抱き抱えていた子供を立たせると、そっと頭を撫でる。
ポケットを漁り、中から飴玉を取り出すと子供へと手渡す。
子供はたちまち笑顔になり、慌てて駆け寄った母親に連れられて去っていった。
立ち上がったローブ姿の人物を少し強い風が撫で、フードが落ちる。
風に流され、長い髪が広がった。
──白。
一切の曇りもない真っ白で長い白髪。
振り返った顔は芸術品かと思う程整っており、感情のない無表情は人形の少女と言われても納得できるだろう。
少女の蒼い瞳とリリィの碧の瞳が交差した。
暫し無言で向かい合い、少女は徐にフードを被り直す。
そのままリリィの目の前へと歩いてくると、二回りは小さい身長の少女はリリィを見上げながら呟いた。
「貴女は、私と似てるわ」
「……?」
透き通る声は幼いが、自分よりも遥かに大人らしい落ち着きがあった。
呟きの内容が理解できず、首を傾げるリリィへと少女は続けて呟いた。
「大切なものを奪われて、そして……それを取り戻せないと判っていて探してる」
「───」
少女の言葉に、リリィはただ言葉を失うのだった。