銀色に鈍く光る箱
そして、ペンギンは二人に出会った。
長い旅の果てだった。
南極から、はるばる東京までやって来たペンギンは、辺りで一番高いビルの屋上でその男女に会った。
ペンギンは勇気を出して話しかけた。
「こっ、こんにちは」
彼と彼女は、突然現れたその奇妙な珍客を見て、目を大きく見開いた。
ペンギンはその視線にたじろぎながらも、尋ねた。
「あの、この周りで、人が一番集まるところはどこですか?」
ペンギンの甲高い声に、さっきまで固まっていた彼女はにっこり微笑んだ。
「日本語、お上手ですね」
「えっ、あっ、ありがとうございます」
ペンギンは顔を赤くした。このペンギンは仲間の中では一番の秀才で、語学が特に堪能だった。そのため、この重大な任務を任されたのだが、本人は自分がそんな大層なものだとはとても思えないので、誉められると逆に恐縮してしまう。
「ここからでしたら……ほら、あそこに公園が見えるでしょ? 今日はあそこでイベントが行われてますから、たくさん人が集まってますよ」
屋上から彼女が指差す方を見る。
ペンギンの視力はよくないが、今回の任務に際して、特別に支給されたコンタクトレンズによって、はっきりと物が見えた。
なるほど、公園に人がぎゅうぎゅう詰めになっている。
あそこが、いいだろう。
ペンギンはうなずくと、二人にペコリと頭を下げた。
「ありがとうございました。さっそく、行ってみたいと思います」
ペンギンが立ち去ろうとすると、彼女は「待って」と、声をかけた。
「その箱、きれいですね」
彼女はペンギンが大事に抱えている箱を指して言った。
ペンギンは嬉しくなった。再び二人に向き直ると、それを掲げるようにして見せた。
二人は興味深そうにまじまじと見つめる。
銀色に鈍く光る箱。
小さなそれは、完璧に密封されていて、手順を踏まないと開かないようになっている。
ペンギンたちの叡知を結集して産み出した――全ての生き物の希望。
「中に、何が入ってるの?」
彼女の問いに、ペンギンは胸を張って答えた。
「ウイルスです。あなたたちがまだ知らない、人間だけを殺すウイルスです」
言った後、ペンギンは(しまった)と思った。
人間の恐ろしさは、あれほど抗議を受けて知っていたのに、簡単に秘密をばらしてしまった。
しかし、二人の反応は今まで聞いていた話と全く異なっていた。
彼女は顔色を少しも変えることなく、彼もちらりと彼女の顔を見たがそれだけだった。
ペンギンはほっとした。そして、人間を少しだけ見直した。
感情に任せて行動する生き物だと聞いていたが、何だ、意外と話がわかる相手じゃないか。
「どうして、そんなものをここに?」
そう涼やかに尋ねてくる彼女なら、わかってくれるかもしれないと、ペンギンは全てを話すことにした。
「……ご存じでしょうが。南極の氷は年々溶けて、様々な生物の命を脅かしています。しかも、南極だけでなく、世界中のあちこちでもそれに類する問題が……。私たちはそれが人間の活動が原因であることを、ちゃんと知っています」
「悪いな。人間も色々考えてはいるんだけど」
初めて、彼が口を開いた。ペンギンは深々と頭を下げる。
「もちろん、それもわかっています。ですが――もう遅いのです。このままじゃ、みんな、みんな死んでしまうのです」
「だから、人間を滅ぼそうと?」
ペンギンは彼女の言葉を、涙が出そうな想いで、首を振って否定した。
「いいえ。私たちは、ただ仲良くしていきたいだけなのです。ですが、あなたたちは増えすぎた。……理科の教科書で、食物連鎖のピラミッドを見たことはありませんか?」
二人がうなずいたのを見て、ペンギンは続けた。
「あなたたちは、その頂点にいる。それ自体は、なんの問題もない。しかし、その土台となっている生物よりも、あなたたちの数が釣り合いのとれないほど多く、もう、私たちは支えきれないのです」
ペンギンは箱を抱き締めた。銀色に鈍く光る箱。その冷たさを、抱えて。
「これは、溶けた永久凍土の中から見つかりました。あなたたちを、全員は殺せないと思いますが、少しは――バランスが取れる程度には数が減るのではないかと期待しています。今度こそ、仲良く生きていけると、心から……」
ペンギンは声をつまらせた。
胸がいっぱいになって、もう何も言えなかった。
そんなペンギンに、彼女は優しく言った。
「これから私と彼は、ここから飛び降りて――死ぬの」
ペンギンは驚いて顔をあげた。
彼は何かを言おうとしたようだったが、結局黙って彼女の言葉を待つ。
彼女は聖母のような微笑みで「自殺よ」と呟いた。
「わたしたちだけじゃない。毎年、この国では三万人もの人が死を選ぶ。バランスを取りたいと思ってね。これを全世界と考えると、どれだけの人数になると思う?」
ペンギンは数字が苦手だった。でも、それが途方もない数だとはよくわかった。
「一度にたくさん死んだら、混乱が起きて大変だから少しずつ死んでるの。私たちも、あなたたちと仲良くしていきたいと思ってるわ」
とうとう、ペンギンの目から涙がポロリとこぼれた。銀色に鈍く光る箱に滴が落ちた。
「ごめんね。もうちょっと、待ってくれるかしら?」
ペンギンは何度もうなずいた。
涙を流れるままにして思った。
この人たちとなら――きっと。
「嘘つきだな」
ペンギンが屋上から去った後。
手のひらにのせた箱を、指で撫でる彼女に、彼は言った。
「俺に死ぬつもりはない。おまえに、あるとしても」
彼の刺すような視線を、柔和な微笑みで彼女は受け止める。
「私は人間がどうなっても構わない。私みたいな嫌な人間は、死ぬべきだとも思う。でも――あなたには、生きていてほしい」
銀色に鈍く光る箱。
それを彼女は、そっとポケットにしまった。
初めての投稿でした。
数ヶ月前に書いたものです。
稚拙な部分が多々ありますが、感想お願いします。