10 天気予報よりも軽く
「もういいって、え、まだおとーさん出てきてないけど?」
「え、妊娠発覚してからの今で終わりじゃないの?」
「うん、親兄姉三人死んだでしょ? 一人一人が残したお金はたいした額じゃなくても三人分だとまとまったいい額になったの。そうしたら、顔も覚えていない父親と名乗るおとーさんがどこからともなく現れて、十八歳になる前だった私を引き取るって言い出して、行くとこないし、仕方ないから高校やめてついて行くことにしたの」
男は祈るように女を見た。「そして金を全部持っていなくなった」と言わないでほしいと縋るように見たが、女の言葉は予想を遥かに上回っていた。
「そして案の定有り金持って逃げたんだけど、自分の借金のカタに私を売ったらしく、怖いお兄さんたちに拉致されて裏動画に顔出しで出るか内蔵を売るか迫られていたところで、そこのグループが警察に摘発されて私は保護されたってワケ」
男はもはやただ息をしている置物と化した。
「そこで妊娠が発覚して、しかも三つ子で」
「みつご」
大きい腹だとは思っていたが、初めて知った情報を男はただオウム返しした。
「産んでも育てられないなら堕ろすかって聞かれたけれど、……独りぼっちになっちゃったから、私は産みたかった。産んですぐ養子に出す手もあるって役所の人から言われてるけど、何年かかっても、ちゃんと働いて、全員一緒にいられるようにしたいと思っている所存であります」
警察に保護された女は、福祉の手が入ったことでありとあらゆる制度を使って生活を整え、出産に備えていた。十代の母体と多胎妊娠であることから、管理入院後に帝王切開で出産し、子どもたちは退院後に乳児院に入ることになっている。まずもって産む。そして就職して経済的に自立することが女の目標となった。
「天涯孤独になって十年以上カモられて重病になっちゃったおにーさん程じゃないにしろ、私だってまあまあ不憫だったでしょ?」
「あほか。お前と……お前のお姉さんがぶっちぎりで優勝だわ。その他諸々は地獄に落ちろ、マジで落ちろ。どんな状況であれ未成年に手を出して妊娠させたのを覚えてない上に過保護な周りがよってたかって保身のためにお前を放り出すなんて人間様のすることじゃねえよ。胸糞わりぃ。地獄に落ちろ」
無表情で言い切った男に女が吹いた。
「口悪っ!! しかも二回言った! 別に私はそんなこと望んでないよ? 地獄に落ちるべき人は、もう本当に落ちてるだろうし。おねーちゃんだけはさ、実は死んだっていう実感がないんだよね。どこか遠く……もう何のしがらみのない所まで流されていって幸せになっている気がしているんだよ。なんかのラノベみたく流れ着いた先ですんだもったあったあげくデロッデロに溺愛されて幸せに生きるってヤツ」
涙を拭って女が笑った。
遺体が上がっていない姉。本当は生きていてどこかで幸せになっていることを、女は結構本気で夢見ていた。現実逃避なのは分かっているが、それでも、女は姉の幸せを今も心底願っていた。
「なんていうか、さっきおにーさんがカモってきてた二人に対して、ざまぁよりも無関係になりたいって言ってたじゃん? お人好しだなーって思うけど、その気持ち少し分かるよ。もう一緒にはいられないけど、いられないんだけど……一緒にいた時間は確かにあったから、これからは関係ないところでちゃんと勝手に生きればいいって、私もそう思うから」
ぷにぷにの小さな手と温もり。
一緒に囲んだ食卓。
うまいうまいと平らげられる料理。
暖かな布団。
おはようとおやすみなさいと。
おかえりとただいまと。
いただきますとごちそうさまと。
二年間という時間は、確かに今も女の心を温かく満たしていた。
どっちがお人好しだよ。
機能不全の家の中で放置されて暴力を見せられながら育って、そこから逃れられた後も自分の居場所のためにいいように家事と育児をさせられて、いくら顔が良くても無理矢理押し倒されたのに覚えられていなくてストーカー扱いされて追い出され、最愛の姉は死に、自分は売られたあげくに無一文でひとり子どもを産もうとしているのに。
なんで笑って言うんだよ。
心の中で毒づいた男だが、女の言葉を認めたくはないが静かに同意した。
確かに、孤独にのまれそうな時に温もりをくれたのはあの二人なのだ。
今となっては相容れることはない戦いの最中にいるが、二人がけじめをつけた後まで不幸になれとは男も思っていなかった。
その後はもう知らない。
自分の知らないところで勝手に生きていけばいい。本当にその通りだと思っていた。
自分と気持ちを同じくするその言葉を聞いて、男は弁護士に言われていた手っ取り早いトラブル解決方法を実行することに決めた。
目の前の女を巻き込むことを迷っていたが、これから男が女に頼むことなど、茨の道を裸足でスキップさせられてきた女にとっては大したことないと笑ってくれるに違いないと、男はそう思った。
そうして、内心の緊張は隠してまるで天気の話でもするかのように男は言ったのである。
「なあ、俺と籍入れてくれねぇか?」
真顔になった女は、男を見つめた。どうやら本気らしいと男の目から読み取ると、いたずらを仕掛けた子どものように笑った。
「まあいいけど? それでおにーさんの方がなんとかなるなら?」
男は女に焦がれて伴侶にと望んだわけではない。
そんなことは女にも分かっている。男にもメリットがあって、男が女にもメリットを与えてくれようとしていると女は素直に理解して、明日は雨予報みたいよぐらいの軽さで返事をした。
二人が出会って二ヶ月後のことだった。




