世界一のホットケーキ
社内報に、橘くんの好物は「ホットケーキ」と書いてあった。
四つも年下の人。でもさりげなく助けてくれる優しさにわたしは心惹かれてる。
来週、外勤の予定が入った。橘くんと二人きり。場所を調べていたら、近くに「世界一のホットケーキ」を謳う店があることを知った。
これはチャンス? ここなら、彼も一緒に行ってくれるんじゃない?
でも予約サイトにも、空きがない。何度もアクセスして、やっとキャンセル待ちの枠を見つけた。でも確保できたのは十七時半。早すぎるかもしれない。
「あの店、ディナーでも予約が取れなくて」
給湯室で同僚に愚痴る。
「あそこ美味しいよね。ホットケーキ、好きだっけ? そんなに予約取りたいくらい?」
「う、うん! すごく好きなの」
ちょっと慌てちゃった。
当日、仕事はなんとか片付いた。17時少し過ぎ。間に合う。
「あのさ」
駅へ向かう途中、勇気を振り絞って声をかける。
「この近くに、ホットケーキで有名な店があるんだけど、行ってみない? ゆっくりできそうだし」
彼は一瞬、腕時計に目をやって考える感じになった。あ……それ、ダメなやつ。
「あー、うん。でも、軽くカフェでも寄らない? 喉乾いたし」
迷った末の返事に、すっと心臓が冷える。やんわり断られた。橘くん、優しいから気を遣ってる。こんな年上じゃ迷惑だよね。
チェーン店のカフェに入った。もしかしたら、喉を潤した後にホットケーキの店に行ってくれるかもしれない。
「橘くん、ホットケーキ好きって社内報にあったから。……食べる?」
最後の望みをかけて聞いた。声、うわずってないよね。
「ううん、食べない」
メニューを見ながら、彼はあっさり首を振った。
化粧室に立って、予約をキャンセルした。電話口で「承知いたしました」と言われたとき、涙が出そうになった。
テーブルに戻ると、彼はまた時計を見ていた。
ぎこちなく笑って、コーヒーを飲み干す。
「じゃあ、そろそろ」
カフェを出た。
あの店の前を通る。見るのがしんどい。
「ちょっと、いい?」
彼が不意に、店の扉を開けた。
「予約していた橘です」
店員が笑顔で案内する。
「給湯室で、君が行きたがってるの、聞こえちゃって。電話しまくって予約とった」
彼は少し照れたように笑った。
「連れてきたいと思って」
言葉も出ないで立ち尽くすわたしに、彼は真面目な顔で続ける。
「一緒にどうかな? もっと二人で話したいから」
「世界一のホットケーキ」の看板が、温かい照明の下で揺れていた。




