EX04 足跡をたどる勇者
ヴァルゴアン王国。
大陸東方に位置し、海に面した温暖な気候を有する王政国家である。国土は狭く、経済力も決して豊かなものではない。隣の大国、オーラキア帝国とは比べるべくもないが、その気候環境、過去一度も戦地となったことのない土地柄からか、国民の多くは比較的気性が穏やかであるとされる。
またその国内の都市についても、現在においても旧き良き街並みを残すことから一部で観光地としても人気のある都市クレイダール、大陸東部における港湾機能を一手に引き受け、オーラキア帝国との通路ともなっている港町ガルト、など小国ながら特色ある都市を数々有する。
しかし。
今、このヴァルゴアン王国はとある危機に直面していた。
約半年前に起きた、港町ガルトの壊滅事件。世にガルト事件とも呼ばれているが、1つの都市が魔物の襲撃を受けて一夜のうちに壊滅したという事件は、ヴァルゴアン王国内だけでなく、世界中に衝撃を与えた。ここ数十年、いや百年単位で振り返っても、そのような出来事は起こっていなかったのだから。
噂話程度にしか認識されていなかった魔王復活という凶事を、世界中に突きつけることになる端緒ともなるものであった。
――タカオ・アサクラは、行方不明だ。
その言葉を聞いたとき、私は失望感をおさえられなかった。
苦労して手に入れた情報だった。タカオ・アサクラ――朝倉君が、ヴァルゴアン王国の王都サンエストルの傭兵ギルドに所属していたという事実。突如として、このファンタジーそのものの世界へと召喚されてしまった私たちにとって、たったそれだけの情報を手に入れるのも一苦労だった。
私――今村響子は、本来この世界の人間ではない。
この世界にはもはや当たり前のように存在している魔法――《勇者召喚》によって召喚された、極々普通の高校生だ。
断じて、勇者なんて呼ばれる人種じゃ、ない。
それでも、周囲の状況は、勝手に私を――正確には私たちを、勇者であると認定してしまった。
私たちを召喚した、オーラキア帝国、皇帝エドワード・ウィリアムズ。
彼は非常に良くしてくれたと思う。なんといっても世界屈指の大国の最高権力者だ、右も左も分からない異世界に戸惑う私たちに対して、ありとあらゆる面から支援してくれた。ただある2つの点において――すなわち、勇者の任務を放棄するという点と、私たちを元の世界に還すという点においてだけは、決して叶えてはくれなかったが。
この異世界に関する知識のあらゆることを知ることができたし、魔物と闘うための術も――勇者としての役割を果たすためには当然なのだろうが――教えられた。
勇者として、手塩をかけて養成されたと、言ってもいい。
私たちも、不本意ではあったが、状況を受け入れるしかなかった。――というより、状況に流されるしかなかった。
それでも、召喚されてから一週間と経ないうちに、私は勇者養成教育ともいうべきものを積極的に受け入れることにした。
なぜならば――少なくとも私には――この世界での目的ができたからだ。
それは決して、魔王討伐なんてものじゃ、ない。
☆ ☆ ☆
小高い丘の上にある、ほんの小さな家だった。
まるで他人を遠ざけているかのようにポツンと立つその家。景観だけは抜群らしく、玄関先からは王都サンエストルを一望することができる。周囲は鮮やかな緑が映える草原が広がり、見上げれば青空が広がる。
彼が――朝倉君が住んでいたという家を、私は1人、訪れていた。
上野君と美里にはサンエストルで買出しなどをお願いしている。これまでの旅路で食料等不足しつつある。路銀は十分にあるが、まだまだ先は長いので準備は万全にする必要があった。
その傍らで申し訳ないとは思ったけれども、私はここを訪れていた。
サンエストルまでの道すがら偶然にも救出することになったギルドの事務員、ライド・アルムという男。彼から、ここに朝倉君が住んでいたと聞いた。
今は空き家になっているというから来ることにほとんど意味はないことは分かっていたけれども、それでも、どうしても私は、彼が住んでいたという場所を訪れてみたかった。
誰もいないことは分かっているけれども、私は木製のドアをノックした。当然、返答はない。
多少の失望感を感じつつも扉を押し開けると、陽光が窓から差し込む部屋があった。
「タカ君らしい……かな」
質素、というよりは、全体的にモノがなかった。ベッドにテーブルに、洋服棚に……。夜に帰って寝るためだけの部屋、といった感じだ。
部屋の中を歩くと埃が舞い上がり、長期間、誰もこの家に入っていないことをうかがわせる。
やはり、朝倉君はこの家にはずっと戻っていないようだ……。
ふぅ、とため息ひとつ、私はベッドの上に座った。
「いつになったら会えるんだろうね……」
ここに来て、朝倉君に出会うための手がかりはほぼ尽きたと言ってもよかった。これから先、どうやって彼の足跡を辿ればいいんだろう。
今でもふと思い出すのは、この異世界に召喚されて直後のことだ。オーラキア帝国皇城内での、あの一瞬の出来事。
あれは確かに、間違いなく――朝倉君だった。
結局現在でも、あの日、あの時、あの場所で、いったい何が起こっていたのか、分かっていない。
異世界に慣れてきて落ち着いてきた頃に、何度か皇帝エドワードや宰相に尋ねたことはあったけれども、誰一人として教えてはくれなかった。
勇者様たちには関わりのないことです……と。
知る必要のないことだ、と言わんばかりに。
となれば、こちらで推測するしかない。あの急速に張り詰めた状況、断片的な会話から推し量れることは、なにか。
分かっているのは、朝倉君が何者かを追跡していったということ、『クリス』という名前の人間が拉致されたということ、そして朝倉君は傭兵になっているらしいということだ。
あの日、オーラキアの皇城内で何かが起こり、『クリス』が拉致され、傭兵の朝倉君が単身追跡した……。
だが、疑問点はいくらでも湧き出てくる。
何故、朝倉君があの時皇城にいたのか――もっと正確に言えば、皇帝エドワードとどのようにして関わったのか。拉致されたという『クリス』とは何者か。拉致した犯人は誰か。その後、この事件はどうなったのか。そして、朝倉君はどうしたのか。
何故、この事件について、誰も私たちに教えてくれなかったのか。朝倉君について、『クリス』について、何者であるのかさえ堅く口を閉ざしてしまうのか。
そして、根本的な疑問が1つ……。
どうして、朝倉君がこの世界にいるの?
これが、どうしても分からない。《勇者召喚》によって召喚されたことは考えられない。《勇者召喚》によって召喚されたのは、私――今村響子であり、英嶋美郷であり、上野雄介なのだ。そして、《勇者召喚》は今代においてはオーラキア帝国の宮廷魔術師のみが、それも生涯一度のみ使える魔法――そう教えられている。
では、朝倉君は……?
考えはじめれば、分からないことだらけだ。
だからこそ、私たちは真実を確かめなければならない。そのために――他にもきっかけはあったとはいえ――私たちは、オーラキア帝国を"脱走″したのだから。
必ず、朝倉君に会う。会って真実を確かめる。
そして――還るんだ。4人一緒に……私たちの、元の世界へ。必ず。
名残おしくはあったが、私は朝倉君の家をあとにすることにした。ここで待っていれば朝倉君が帰ってくるような、そんな気もしたけれど……。
きっと、街で買い出しをお願いしている上野君や美郷を待たせてしまっている。
悪いことをしたかな、と街に戻って2人に謝ろうと考え、扉を開けた――その時だった。
「動くな」
その言葉が聞こえた刹那、私は冷たい何かが首筋に押し当てられるのを感じた。
全身の筋肉が硬直し、自然とすべての動作が停止する。そして反射的に目線を下におろすと、黒光りする鉄製と思しきなにか――黒い大剣だ――が視界に映った。
「動けば――このまま首を刎ねる」
私は指一本動かすことができなくなっていた。
視線を下から横に動かせば、大剣を構えた壮年の大男がいた。眼光鋭く、溢れんばかりの殺気とともに私を睨み付ける。
この男が何者なのかは分からない。だが――動けない。
私がこの男の言葉に逆らって何か不審な動きを見せれば、この男は即時に、言葉通りに私の首を刎ねるだろう。
そうこの数瞬に確信させうるほどの迫力が、この男にはあった。
「まず、質問に答えろ。――ここで何をしていた」
一も二もない。私は逡巡することなくその質問に応えた。
「朝倉君に、会えるかと、思って……」
「……アサクラクン、だと……?」
わずかに男の殺気が薄まり、剣が震えたような気がした。
「……次だ。アサクラクン、とは誰だ。貴様との関係は?」
「朝倉、隆雄、君です。彼と私は幼馴染で……本当です!」
当初は驚愕が先立って自覚していなかったが、少しずつ、死の恐怖が全身を駆け回りはじめた。
この危機を脱する手は、ある。あの"力"を使えば、この男を怯ませることぐらいはできるはずだ。
だが、それだけだ。
そのまま戦闘に持ち込むにせよ、逃亡するにせよ、この男に太刀打ちできるとは思えない。それが、分
かる。
例えるならば――オーラキア帝国の三大騎士団、《白の騎士団》、《紅の騎士団》、《蒼の騎士団》の団長。彼らとほぼ同等の、底知れぬ実力をこの男からも感じ取れるのだから。
勝ち目は、万に一つも、ない。
「――これが最後の質問だ。貴様の生まれは、どこだ。"正直に"、"正確に″、答えろ」
その質問に正直に応えることは、少々躊躇われた。正確に回答したところで、相手が理解できるとは思えない。それに、質問の意図するところもよく分からない。
だが、今の私はただ従うしかない。
「……日本――地球の、日本という国です」
「ッ!! ……そうか、やはり。"そういうことなんだな"」
男の表情が何故か驚愕に染まった直後、急速に殺気が薄れていった。同時に、大剣もまた、私の首筋から離れていく。
……助かった、ということなのだろうか。
「――すまない、楽にしてくれ。どうやら私の早とちりだったようだ」
男は剣を納め、軽く頭を下げた。
早とちりもなにも――と怒るよりも先に、腰が抜けた。地面に崩れるように座り込み、いつのまにか全身から吹き出ている冷や汗を自覚する。
「早とちり、ですか……?」
「いや、すまなかった。誰も訪れるはずのない彼の家に客が来ているというんでな、もしや《焔》ではないかと思って過剰に警戒してしまったようだ」
立ち上がろうとする私に、男は優しく手をかしてくれた。よく見れば、男は全身黒尽くめの服装だった。黒のロングコートに黒のズボン、おまけに黒の剣と、よほど黒い装飾にこだわりがあるらしい。
灰色交じりの髪に、皺の見え隠れする顔。その柔和な表情は、殺気に満ち溢れた先ほどとは打って変わり、見る者を安心させる雰囲気があった。
男は自らをユリウス・アイスラーと名乗ると、再び神妙な顔つきに戻る。
「改めて、聞かせてくれ。……君は、もしかして」
「はい?」
「もしかして――……君が、今村響子さん、なのか?」
何故か、朝倉君へと続く道筋に少しだけ光がさしたような気がした――。