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勇者進化論  作者: 虎次郎
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第10話 仮勇者の失言




オーラキア帝国の帝都オーケルンは、世界最大の都市であると同時に、世界でもっとも美しい景観を持つ都市でもある。


幻想的な美しささえ持つこの都市は、著名な建築家たちによる完全な都市計画に基づき、民家1つ1つに至るまで、その景観を損なわぬように整備されている。道路も綺麗に舗装され、南北を貫く大通りは街灯1つとっても建築家達のこだわりが垣間見える。


この白亜の街並みには感嘆をもらさずにはいられなかった。






「……凄い」


「帝都オーケルン、まさに世界の中心。世界に都市は数あれど、この帝都ほど美しいところは他にないだろうな」



人通りは非常に多く、通りに面したカフェやレストランは満員のようだった。人々を見れば、他の都市とは異なり、どことなく気品のようなものが感じられる。地図のようなものを持って歩いている人々は、どことなく観光客のように見えた。何か行事があるわけでもなかろうに、この帝都を見物するためだけに訪れる――なるほど、それも分かるような気がした。


完全に都市としてのレベルが違う。それだけ、帝都オーケルンは訪れる者を魅了するのだ。



「それで、だ。クリスはどこに連れて行けばいいんだ? まさかこのまま皇城に行くというわけじゃないだろ」


「ああ、そのことだが……ちょっとこの時間帯はまずいな。一晩宿泊して、明日の朝一で動こう。まぁ……“野郎”は今でも帝都で働いているはずだからな。ちょっと確認してくる」



ゲオルグ先生は若干言葉を濁すようにして答える。勝手知ったる帝都と言わんばかりに、有名らしいカフェを指定すると、そこで待っていてくれと言ってさっさと歩いていってしまった。



「本当に大丈夫なんだろうな……」



俺の横に立って帝都の景観を眺めている彼女――クリスティアナ・バーグマンは、もしかしたらいずれここの統治者になるかもしれない女性、帝位第一継承権者なのだ。そんな彼女が暗殺者集団《焔》に狙われているのだから、早急に帝国に保護を求める必要がある。


だが、それにあたって問題がある。――どうやって、彼女の身の証を立てるかということだ。


彼女の父親であり、現皇帝エドワードの伯父でもあるクレメンス・バーグマンが健在ならば、まだ話は違っていたのだろう。しかし、彼は《焔》の暗殺者の手にかかり、亡き者にされてしまった。クリスティアナはまだ幼い頃にクレメンスに連れられて帝国を出たから、どうやって彼女の身の証を立てるかということがどうしても問題になる。例えば、母親がいればまだいいのだろうが、生憎と彼女の母親はクリスティアナを産んでまもなく他界している。


何ら事情を知らぬ者から見て、傭兵2人組に連れられてやってきた女性を帝位第一継承権者だと言って、はたして誰が信用してくれるのだろう。



「……そう、難しく考えることはないんじゃないかしら」



腕を組んで悩んでいたせいだろうか、クリスティアナが揶揄するような瞳で話しかけてきた。



「考えもするさ。馬鹿正直に真正面から行ったとして、誰が信用してくれる? “クリス”のことは帝国に記録として残っているだろうさ。だが、貴女は父親に連れられて帝国を出て以来、一度も帝国に戻っていないんだぞ。誰が、貴女がクリスであると証明してくれるんだ」


「だから、大丈夫よ」



さも自信ありげに言う彼女だが、はたしてどこにそんな根拠があるというのか。


……こういう場合、偽者だって疑われて、最悪投獄されたりするのが通例だろ。なんていうか、ファンタジー的に考えて。



思わず溜息をついてしまった俺に、クリスティアナはどこか含むもののある微笑とともに、艶のある視線を投げかけてきた。



「それよりも――貴方は他に心配しなければならないことがあるんじゃないかしら? “タカオさん”?」


「……分かったよ。とにかく、そのカフェに行ってみよう」











ゲオルグ先生の指定したカフェは、帝都中央広場にほど近いところにあった。通りに面した壁がすべてガラス張りの、人目が気になるタイプには実に入りにくい店だ。こんな洒落た店、王都サンエストルにはなかったし、まして元の世界にいた頃でも入ったことはない。


店内に入ると、店員と客の視線が俺に集中する。その視線には、何故か敵意と嫉妬が含まれているように思われた。


思っていたことだが、クリスティアナがどうしても目立っている気がする。以前までは男装に近い服装をしていたからまだよかったものの、蒸気機関車での一件以来、どういう心変わりか女性らしい服装をするようになってしまった。男装していてもその整った容姿は目立つと言うのに、こうなってしまっては注目されることこのうえない。そんな美女を連れて歩けば、どうしても俺にまで視線が集まるのは仕方がないが、どうにも居心地がよろしくないのである。


おまけに、どうもクリスティアナの俺に対する態度が出会った頃と比べてかなり柔らかになっている気がして――……。


…………


……



やめた。こういうのは、大抵が勘違いだからな。



店内壁際の丸テーブルの席に腰を下ろすと、俺はコーヒーを、クリスティアナは紅茶を頼んだ。相当気取った――もとい、洒落た店のようで、紅茶の種類はかなり豊富だ。


やがて運ばれてきたコーヒーを一口飲むと、ようやく落ち着いた感じがした。


思えば、《勇者召喚》が近日行われると、あの《黒い牙》の謎の女性に教えられてからというもの、気がはやって仕方がなかった。情報が正しいとすれば、《勇者召喚》が行われるのは明後日の夕方である。


待ち遠しい、といえば待ち遠しいのだろう。


なにせ元いた世界の住人が、この異世界にやってくるのかもしれないのだ。ひょっとしたら――と考え出すと、いろいろ期待せずにはいられない。




「――羨ましいわね」


「……へ?」



たぶん、相当間抜けな声を出していたのだろう。思考に没頭していた俺を引き起こしたクリスティアナは、胡乱げな瞳でこちらを見ていた。



「……上の空、ね。まだ考え込んでいるのかしら?」


「いや、今は別のことをだな……コホン、なんでもない。で、何が羨ましいんだ」



咳払いを1つ、聞き返した俺に、クリスティアナは何気なくガラスの壁の外にある通りへと目を向けた。つられて視線を向けると、そこにあるのは、帝都の住人の喧噪だ。日暮れも近いというのに、その勢いはますます増しているようにも感じられた。


住人の服装だけ見ても、王都サンエストルとはえらく異なる。サンエストルの住人はまさにファンタジーのイメージ通りの格好をしていたが、この帝都では俺のよく知る、元いた世界に近いような感じだ。背広スーツのビジネスマンらしき男が忙しなく行き交い、このカフェの真正面にあるブティックでは、着飾ったマネキン人形が並び、その奥では数人の若い女性がショッピングを楽しんでいる。


ここが異世界なのだという感覚を、失いそうになってしまうほどだ。



「――羨ましいわ」



クリスティアナが溜息まじりに同じ台詞を繰り返したのを聞いて、俺は視線を戻した。その青色の瞳には、若干の羨望と哀しみがある。なにが、とは聞かない。だが、このまま何も喋らずにいるということも、人生経験少ない俺にはできなかった。



「……サンエストルでのことか?」


「――それでも、私も人並みの生活をしていたから。父も、私の本来の立場については気にせず、好きにさせてくれた。仲のいい友達だっていた――」



躊躇いがちに話すクリスティアナに、俺は今更ながらに愕然とした。



クリスティアナは、出会った時はまるで氷のように冷たい雰囲気をまとっており、精神的に不安定な様子はまったく見られなかった。だからこそ、俺も――ひょっとしたらゲオルグ先生もだが――忘れがちになっていたのだろう。《焔》に狙われ、魔物も活性化している時期に、帝都まで護衛しなければならないという危機感・焦燥感も先立っていたのかもしれない。



そう、これは当然のことだ。


彼女にだって、サンエストルでの暮らしがあって、築き上げてきた人間関係が、友人達がいたはずだ。それを、あまりにも理不尽な横暴によって、ほんの一瞬で失うことになってしまった。



アイスラー騎士団長によれば、彼女の父、クレメンス・バーグマンは惨殺されていたのだという。それが《焔》のやり方なのか、それとも暗殺を依頼した人物の意図によるものなのかは分からない。いずれにせよ、クレメンスは――四肢を分断され、臓物を撒き散らし、原形を留めぬほどに“破壊”された血の海の中で、発見されたのだ。それを、クリスティアナは不幸なことに目撃している。


もし、俺がそのような事態に遭遇したとして――朝は元気でいたはずの両親が、帰宅してみれば目を背けるほどに無惨な姿で、“肉塊”に変わっていたとして――はたして、まともでいられるだろうか……?


少なくとも、俺は無理だろう。考えるだけでも胸糞悪くなる。自棄になるか、自閉するか……いずれにせよ、刹那的・破滅的な行動に身を窶すことになるのではなかろうか。


とすれば、出会った当初のクリスティアナの状態は――……。



質問したことを後悔する思いが、そのまま表情に表れてしまったのだろう。クリスティアナはわずかに相好を崩して、口を開く。



「あまり、気にしてくれなくていいわ。……もう、自分の中では決着をつけたことだから」


「そう、か……」



その後に口にしたコーヒーからは、あまり香りが感じられなかった――。

























帝都オーケルンの中心。白亜の皇城は、オーラキア帝国の威信を体現しているかのように堂々とそびえ立っていた。


完全に計算し尽されたその設計は白亜の街並みと見事に調和している。形自体は、それほど大きなものではない。だが、その水晶細工のような美しさには、感嘆の溜息を漏らさずにはいられないほどだ。荘厳華麗なその威容は、俺の中にあるファンタジーの城のイメージをさらに超越していた。



俺達は、そんな城の内部の一室にいた。


窓の外には、これまた見事に整備された前庭が広がっている。陽光に照らされた緑が煌く様は、壮観そのものだ。端の方には、この城を訪れる者達の馬車が数台ほど停まっている。


何故か、急にファンタジーの世界に入り込んでしまった――今までも十分ファンタジーだったのだが――ような気がしてしまう。


若干眩暈を覚えつつ、俺はある男とテーブルで話しこむゲオルグ先生に視線を向けた。



「まったく……今更ひょっこり現れるとはな。お前はいつも突然だ」


「そう怒るなよ。帝都で頼れる奴といえば、お前ぐらいしか思い当たらなかったんだ」



ゲオルグ先生と向かって話すのは、白色の制服を着た壮年の男だった。彫りの深い顔立ちに、短い銀色の髪。すらりとした長身痩躯の男は、顔を顰めて憮然とした様子でゲオルグ先生を睨んでいた。



カフェで少々気まずい思いをすることとなったあの後、俺達は戻ってきたゲオルグ先生に連れられて皇城へと入った。いきなり入城することができただけでも驚きなのだが、挙句部屋を与えられて宿泊することになったのだから信じられない。


それもこれも、ゲオルグ先生がこの男――帝国近衛騎士のザック・ミラーと古い知り合いであったことによる。どうやらこのザックという男、近衛騎士でも相当の役職にあるらしく、ここまで手配してくれたらしい。



「あまり気安く考えてくれるなよ。お前と馬鹿ばかりやっていた昔ならともかく、今の俺には近衛騎士という立場があるんだ。今回のことだって、相当無理を言って捻じ込んだんだぞ? ただでさえ貴族の出じゃないからって、いろいろと8貴族に睨まれやすいんだ」


「分かってるよ、ザック。お前がこの10年、死に物狂いで努力したってことぐらいな。お前は帝国の栄えある近衛騎士様で、対して俺はしがない傭兵だ」



苦労や苦悩を声に乗せるようにして話すザックに、ゲオルグ先生は自嘲気味に応じた。どういう関係なのかはまだ訊いていないが、会話から察するにそれなりに親しい間柄のようだ。



「まぁ、いいさ。後でたっぷりと愚痴を聞かせてやるな。それはともかく、だ。……彼女が、そうなのか?」



そう言ってザックが視線を向けた先には、ベッドの端に腰掛けるクリスティアナがいた。どうやら事情は既にゲオルグ先生から聞いているらしい。あからさまに疑惑の視線を向けるザックだったが、クリスティアナはそんな視線をあの怜悧な瞳で受けていた。


緊張しているからだろうか、クリスティアナは入城してからというもの急に無口になってしまっていた。



「今でも信じられんよ、俺は。いや、ゲオルグが遥々帝都まで来て俺に会いに来るんだ。つまらない嘘ではないことぐらい分かるんだが……クレメンス様の娘――陛下の従姉妹だと……」



むぅ、と唸るザック。



「失礼します」



静かに扉が叩かれたかと思うと、返事を待つことなく扉が開かれた。入ってきたのは、やや緊張した面持ちの栗色の髪の女性騎士だ。俺と同年代ぐらいだろうか。



「ミラー隊長、謁見許可が出ました。執務室までお願いします」


「分かった。下がっていいぞ」



ザックが答えると、女性騎士は恭しく敬礼して退室した。隊長と呼んだということは、やはりこのザックという男は相当の地位にいるようだ。


それにしても……謁見?



「と、いうわけだ。陛下をあまりお待たせするわけにもいかん。早速向かうぞ」


「よしきた。それじゃあ頼むぞ、タカオ。失礼のないようにな」



「……は?」



早々と事を進めていく2人に若干遅れてしまった俺は、当惑の声を漏らした。



「ちょっと待ってくれ、先生。何が頼むで、何が失礼のないように、なんだ? さっぱり意味が分からないんだが……」


「決まってるだろ。これから皇帝陛下と謁見するんだよ。謁見するのは、クリスティアナとお前だけだ。俺はこの部屋で待っているからな」



事も無げに言ってのけるゲオルグ先生に、俺は唖然とした。











城内は外見に負けず劣らず荘厳だった。通路の床はどうやら大理石らしい、そんな床を歩くのは初めての体験だ。天井は高く、上方の取り窓は採光用となっているようで、そこから差し込む光が通路を明るく照らしている。


前を歩くザックに続いて、クリスティアナと共に歩く。時折すれ違う貴族や文官らしき人々から、好奇の視線を向けられるのを感じた。どちらかといえば、クリスティアナに向けられる視線がほとんどだ。そのうえ、わりと年配の人間からは好奇というよりは驚愕と当惑の視線を向けれているように見える。はて、何がそんなに彼らを注目せしめるのか。



やがて通されたのは、ソファがいくつか並べられた広間だった。それでも、ホテルのロビーほどの大きさがあるだろう。どうやら、ここが待合室のようなものらしく、正面の両開きの扉の横にはカウンターも設置されている。


ザックがカウンターの女性に何やら話すと、俺とクリスティアナは促されるままにソファに腰を下ろすこととなった。



「……アサクラ君、でよかったかな? 大変だろう、ゲオルグの気まぐれの相手をするのは」


「いえ――そうでもないです、が」



俺の横に同じく腰を下ろしたザックは、親しげな声で話しかけてきた。俺がゲオルグ先生の教えを受けてきたことも、どうやら聞いているらしい。



「ゲオルグとは故郷が同じで、幼馴染なんだ。共に帝国の騎士として、切磋琢磨した仲だったんだが……奴は《白竜戦争》の直後に、帝国の騎士を辞めてしまってね。騎士としての仕事に嫌気が差したのか、それともあの凄惨な戦争に思うところでもあったのか……帝国すら飛び出して、流浪の旅に出てしまった。奴とはそれっきりで、風の噂に傭兵になったことは聞いていたんだが……昨日になって突然会いに来るんだからな。随分とたまげたよ」



ザックは過去を懐かしむように表情を和らげて虚空を見つめていた。……それにしても、ゲオルグ先生が帝国の騎士だったというのは初耳だ。思い起こしてみれば、ゲオルグ先生の過去についてはあまり訊かなかったような気もする。


まぁ、それはお互い様というものか。俺も、ゲオルグ先生には過去のことは殆ど話していない。……というより、違う世界から来ましたなんて、正直に話すわけにはいかない。



「今回のことにしてもな、奴はばつが悪くて陛下に顔を見せられないのさ。10年前は陛下もまだ皇太子で、わりと気安く俺達のような下級騎士にも声をかけてくださっていたからな。俺もゲオルグも、当時から顔を覚えられて親しくさせていただいたものだ。……それが、事情があるとはいえ挨拶もなしに出奔したとあっては、な」



成程、ゲオルグ先生の先程の態度はそういうわけか。



「ところで、本当に大丈夫なのか? 君達を疑うわけじゃないが、ゲオルグの奴は自信たっぷりだったからね。とにかく陛下に謁見さえすれば、クリスティアナ・バーグマンの身の証を立てられる、と豪語してな。俺も迫力負けしてしまったんだが」


「いや、それについては……」



なんとも答えようがない俺は、助けを求めるようにクリスティアナに視線を向ける。


やはり大したものだ。これから一国の統治者に謁見するというのに、緊張1つ見せない彼女の様子に、俺はある意味感服した。彼女はわずかに口の端を上げ、大丈夫だと一言応じる。



「昨日から言っているでしょう。そう、難しく考えることはないって」



(だから、その根拠を教えて欲しいんだがな……)



さすがにザックの前で口に出して言うわけにも行かず、俺は歯痒さと、これからどうなるのかという不安と緊張で、息苦しさすら感じてきていた。


だが、時間は緊張している時こそ、ゆっくりと、しかし恐ろしく速く流れるもの。


正面の両開きの扉が開いたかと思うと、中から制服を着た近衛騎士が1人出てきて、入室を許可する。


俺は胸に溜まった緊張を少しでも吐き出そうと努力して大きく深呼吸すると、ザックに続いて立ち上がった。少し遅れて、クリスティアナが立ち上がる。改めてザックの後に続き、俺達は皇帝の執務室へと足を踏み入れた。



待合室も広かったが、執務室は更に広かった。床一面に絨毯が敷き詰められており、部屋の左右には近衛騎士と思しき面々が直立不動で整列していた。それを目にしてしまった瞬間、俺はさらに緊張の度合いを高めた。……心臓を吐き出しそうだ。


執務室の正面奥では、壁一面がガラスとなっていた。そこからは帝都オーケルンの美しい街並みがまさに一望できる。その前に、大きな黒塗りの机が1つあり、右側に老年の男が控えていた。そして机の向こう側には、金髪の男が1人、座っている。



オーラキア帝国皇帝、エドワード・ウィリアムズその人だ。



ザックの背後で、近衛騎士達の列の間を通り抜ける俺達を、皇帝が柔らかな眼差しで一瞥する。


艶やかな金髪に、穏やかな顔つき。28歳という年齢で広大な帝国を統治する支配者にしては、幼さの垣間見える顔立ちであったが、溢れ出るような高貴さと気品がそれを打ち消している。生まれの良さというのは、こういうことをいうのだろう。どことなく垂れ目な感のある柔和な目つきのせいか、それほど威圧感は感じない。だが、その透き通るような青い瞳は、まるで映す者すべてを見透かすような、不思議な輝きがあった。


皇帝の正面まで進み出たザックは、肩膝をついて腰を落とした。俺とクリスティアナはそれを前にしても直立不動で茫然としていた。



「突然の謁見、お許しください、陛下」


「気にするな、ザック。どうせ暇な身だ」



人懐こい笑みを浮かべ、エドワードはゆっくりと立ち上がった。身にまとった煌びやかな服も加わり、その動きは非常に洗練されたものに見える。恐れ入ります、とザックが立ち上がる。



「それで、どういった用件なんだ。近衛騎士団長の君がこうして無理に謁見をねじ込んできたんだ。余程のことなんだろう? その後ろの2人が関係しているのかい?」


「はぁ、それが……なんと申しましょうか……」



ザックが言い淀むと、エドワードは怪訝な顔をした。俺はといえば、もはや背中が冷や汗だらけでじっとりと濡れており、卒倒寸前だ。ふと横を見れば、平常どおりのクリスティアナの表情。――ああ羨ましい、どうしてそんなに冷静でいられるんだ。


場の雰囲気に耐えられず――いや、単にこれ以上緊張に耐えられなくなっただけなのだが――俺は1歩進み出た。ザックがいいのか、と視線を投げてくる。



「頼めるか、アサクラ君……?」


「ええ。……皇帝陛下、初めてお目にかかります。ヴァルゴアン王国王都サンエストルの傭兵、タカオ・アサクラと申します」



ザックの見様見真似で敬礼すると、エドワードはほぅと息を漏らした。



「タカオ・アサクラ……ヴァルゴアンでは珍しい名前だね」


「恐れ入ります」



ひとまず、拙い敬語ながら挨拶は無事に終わったことに少し気が抜ける。――思えば、それがいけなかったのだ。


エドワードが俺からクリスティアナへと視線を向けるのにつられるようにして、言葉が勝手に口をついて出る。



「そして、彼女は――クリスティアナ・バーグマン。陛下の従姉妹です―――………!!?」



(……しまったッ!?)



口から出てきたのは、前置きもへったくれもない、あまりにも直球ど真ん中の牽制もなにもあったものじゃない、単純明快快刀乱麻の言葉だった。……もう駄目だ……自分でも何を言っているのか分からん。



執務室が一気にざわめき始めた。全身から冷汗を流し始めた俺を尻目に、エドワードは顎に手を這わせると、目つきを若干鋭くしてクリスティアナを見つめる。対して、早々と秘密を暴露された――いや、暴露したのは俺なのだが――クリスティアナはといえば、実に堂々とした、どこかエドワードにも似ている威厳をある姿でその視線を受け止めている。



「……まさか、クレメンス叔父貴の――?」



思い当たるところがあったのか、やがてクリスティアナの父の名を口にするエドワード。彼女はそれには何の言葉も返さず、上着のポケットから何かを取り出した。


それは、金色の懐中時計だ。蓋を開けて、エドワードに差し出す。



「父の、形見よ」


「……!! エドガー、見てみろ」



その懐中時計を見るなり表情を豹変させたエドワードは、クリスティアナから奪い取るようにして時計を手に取ると、先程まで唯一表情を変えずに黒塗りの机の横に佇んでいた老年の男を呼び寄せる。顔が笑い皺で埋もれた、温厚を絵に描いたような老人だ。


しかし、その老人――エドガーはただ首を縦に振るだけでその場を動こうとしなかった。



「陛下、もはや間違いありません。……これ、ミラー騎士団長。人払いをなさい。陛下と私、それにそこの2人、そして貴方以外の者を、全てこの部屋から出すのです。ここから先の話は、一介の近衛騎士が聞いてよい話ではありません」


「は――はッ!」



エドガーはしわがれた声で一息に指示すると、これまで事態の推移をただ見守るだけだったザックがハッとしたように動き出した。続く指示に、近衛騎士達が整列して執務室から退室していく。


残されたのは、懐中時計を見つめて悲しげな顔をするエドワードと、皺だらけの顔ゆえに表情の読めないエドガー、無言で佇むクリスティアナに、これから何が起こるのかと事態についていけない俺とザックだ。


一挙に覇気を失った様子のエドワードは、力なく机の端に腰掛ける。



「そうか、形見か……叔父貴は、死んだのか……」









もはや隠すことはなにもない。俺は今回の一件について最初から話した。


ただし、《焔》の雇い主が何者であるかについては意図的に伏せた。キルクハイム王国のリベルト王子と断言してしまうのは些か憚られたからだ。証拠はないし、あるいはまったく別の人物がクレメンスとクリスティアナの命を狙っている可能性もある。事が国家的対立に発展しかねない以上、予断でものをいうのは控えることとした。


全てを話しきった後、エドワードの口から漏れたのは力のない吐息だった。



「……クリスティアナ、私のことを覚えている――はずが、ないだろうな。最後に会ったのは、お前がまだ2つか3つの頃だった。……お前は、母親に実によく似ている。まるでシンシアの生き写しだ。そして、この懐中時計……これは昔、先代の皇帝が叔父貴に……すなわち、帝国を旅立つお前の父親に譲ったものなのだ」



郷愁と落胆、それに悲哀に満ちた表情を見せるエドワードは、囁くように言った。カチャカチャと懐中時計の蓋を開けたり閉じたり、その音を頼りに昔を思い出しているかのようだ。



「ふむん……過去にも、帝国を出奔なされたクレメンス様のご子息だのご令嬢だのを連れてきて、権力の中枢に入り込もうとした恥知らずが何人もおりました」



エドガーが禿げた頭を撫でつけながら、若干声のトーンを落として言う。


クリスティアナは、クレメンスが帝国を出奔して事実上帝位継承権を放棄した時点で、唯一の帝位継承者である。そんな彼女が帝国に不在と知れれば、偽者をうち立てて、あわよくば帝国の中枢に食い込もうと、あるいは取り入ろうとする者が現れるのは、ある種当然のことといえるだろう。



「まぁ、そんな彼らのいずれもが、間抜けな嘘しか並べ立てられず、皇帝陛下の従姉妹を騙った罪に問われたわけではありますが」



ほっほ、とエドガーは温厚そうな笑い声の中にも、底冷えするような声色で言った。……偽のクリスティアナを騙った者達はその後どうなったのか……まぁ、語るに及ぶまい。


まるで孫でも見るかのような柔らかな目で、クリスティアナに視線を向ける。



「やはり今回も、先例に則り、貴女が本物であるということを確かめるべきなのでしょうが……先に、確たる証拠を出されてしまったようで。何より、貴女のその母親そっくりの容姿、そして父親そっくりの雰囲気……いやはや、あのクレメンス様とシンシア様に再会したような気分でございます。まさにお二方の忘れ形見。認めないわけにはいかぬでしょうな」


「では……!」



「ああ。タカオ・アサクラといったな。よくぞ、我が従姉妹を帝国まで連れてきてくれた。心から、礼を言う。そして、帝国皇帝としてお前を称えよう。よくぞ、《焔》の襲撃に耐え切った」



エドワードのその労いの言葉こそがまさに、王都サンエストルより続いた護衛任務達成の瞬間だった。


良かった、と無事に依頼を達成できたことに対する安堵の吐息をつく。これまでも苦労した任務は多々あったが、ここまで達成感のあるものはそうはない。



「エドガー、クリスティアナにひとまず部屋を用意してやれ。今後のことを、彼女には決めてもらわねばならん」


「御意に」



恭しく頭を上げると、エドガーはゆっくりとした足取りで執務室から出て行った。



それを見計らったかのように、クリスティアナが俺に歩み寄ってくる。



「――だから、言ったでしょう? そんなに心配しなくても大丈夫だと」


「……まったく貴女という人は……。懐中時計なんて証を持っていたなんで、初めて知った。ゲオルグ先生は知っていたのか?」



コクリ、と何らの衒いもなく頷くクリスティアナ。……ちくしょうッ、それじゃあ悩んでいたのは俺1人だけかッ!!



「父から教わったことよ。切り札は最後の最後まで取っておけ、とね」



あっけらかんと言ってのけるクリスティアナに、俺は呆然とした。



(くそ……剣技のことといい、人騒がせな父娘だ!)









何はともあれ――《勇者召喚》は、明日だ。





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