第8話 逃亡する仮勇者
魔物について知られていることは、実際のところあまり多くない。
闇から生まれてきた存在だとか、魔王の造りだした生物兵器だとか、様々に言われているが、その実態、起源はほとんどが判明していない。故に、野生動物とは明らかに一線を画し、非常に凶暴で、人間を襲い、一般人では太刀打ちできない能力を有する存在のことを、総じて「魔物」と呼ぶ。
リトルオーク、マンティス、リザードマンなど、形状・能力等から大まかに分類はされている。だが、こうやってほぼ一般に知れ渡っているのは、魔物の中では下等――B級とも呼ばれるやつらだけだ。
ギルドに所属する傭兵にランク分けが存在するように、魔物にもランク分けがある。といっても、ランクSSからEまでと種類のある傭兵とは違い、魔物の場合はA級かB級しかない。しかし、その違いは天と地ほどの差がある。
A級ともなると、伝説か、さもなくば根も葉もない噂話であることが多く、存在すらほとんど確認されていない。しかしながら、その力は想像を絶するとされていることでは共通している。いわゆる、御伽噺に現れる化け物の類は、このA級の魔物と共通していることも多い。
しかしながら、魔王の現れた時代においては、このA級すら凌駕する魔物が出現したとされている。魔物には知性・知能などありえないが、傭兵風に表現すればS級ともいうべき魔物達の中には、完全に人間を凌駕する知性を併せ持ったモノもいたという。
彼らは、一般の魔物と区別するために別の呼称が用いられた。
すなわち、《闇の騎士団》、と。
交易の港町ガルト。そこは、まさに地獄と化していた。
深夜の時間帯であるというのに、街中は明るい。昼間は陽光に照らされ輝いていたはずの白い街並みが、あちらこちらで凄まじい勢いで燃え盛っており、熱気が辺りを徐々に覆い始めている。
その炎の隙間を縫うように悠々と飛び交うのは、魔物――ガルーダだ。まるで小さな竜の如き形状のこの魔物は、その大きな嘴から炎を吐く。これが群れになってガルトの上空を飛び交って街を襲っているのだから、四方八方で火の手が上がるのも当然だ。
街の住人達は通りを我先にと逃げ惑っていた。ちょうど深く眠っていたような時間帯、人々の多くは着の身着のままだ。恐慌が辺りを覆い、炎の熱気が混乱に更に拍車をかける。
そんな彼らを更に追い詰めるようにあちらこちらを徘徊しているのが、魔物――アリゲーターだ。見かけの割に身軽な魔物達は、逃げ遅れる人々を2、3匹で取り囲み、その凶悪な牙を向けて人間を蹂躙する。肉を喰い千切られ、臓物を撒き散らし、鮮血を噴出させる様を見てアリゲーターは嬉嬉とするように勢いを増した。計り知れないほどの恐怖で顔を歪めたままに絶命する人々が辺りに続々と現れる。騎士や傭兵ならばともかく、一般人では魔物に対抗する術もない。
その横では、アリゲーターが《ウォーターアロー》を次々と発射していた。水の弾丸ともいうべきその魔法は、人間の身体など易々と貫通する。運の悪いことにその直撃を受けた女性は、2射目、3射目を受け、身体中を穴だらけにされてしまった。水の弾丸の勢いのままに押し出される臓物。倒れ付した女性は、やはりアリゲーター達に囲まれ、更にその身を蹂躙されることになる。
憤激に、身が震える。
だが、俺が動くよりも早く、俺の弟子が――タカオ・アサクラが飛び出していた。
「はぁッ!!」
女性に喰らいつこうとしていたアリゲーターの首をタカオは横薙ぎに刎ねた。同族を殺されたことに対する怒りか、あるいは人間の肉を喰らうという最悪の食事の時間を邪魔されたことに対する怒りか。剣を振るったタカオの姿を認めるや、残りのアリゲーター2匹が爪を向ける。
だが、あまりにも遅い。タカオはその爪を弾き返すと、まず一匹目の横っ面に拳をお見舞いし、もう一匹にはその顎に剣を突き入れた。そのまま力任せに押し上げ、脳天から剣を飛び出させると、アリゲーターは顔面を縦に両断されて声にならぬ奇声を上げた。殴り飛ばしたもう一匹には、剣を振り上げた体勢のままに首筋にかけて振り下ろす。振り切った時には、タカオはアリゲーター2匹の奇妙な色をした血を浴びていた。
女性は、既に死んでいた。恐怖と苦痛に歪んだ顔は見るに忍びない。
「……行きましょう、ゲオルグ先生」
義憤に歯噛みしながら剣を納めるタカオに、俺は何も言ってやることもできず、再び駆け出した。
魔物の襲撃は、港町全体に広がっているようだった。
ホテルに滞在していた俺達は、このガルトを脱出することを即座に決断した。魔物の囲みを突破し、現在、目抜き通りを西に疾走しているところだ。魔物の数は無尽蔵かと思われるほどに多く、統制こそ取れていなかったが、いつまでも相手をしていられるものでもない。街を護るのは、騎士団・治安隊の仕事なのだ。俺達傭兵の仕事ではない。まして、俺達は今、クリスティアナ・バーグマンを帝都まで護衛するという任務がある。
冷たいようだが……あくまでも襲い掛かる魔物を捌き、少しでも早く街を脱出、出来る限り街から離れる――これが安全策だ。物事に優先順位を決めて行動する――そのことにタカオとクリスティアナ嬢が反発することも考えられたが、2人ともあっさりと納得してくれている。
疾走する俺たちの横目に映るのは、燃え盛る街並みと、逃げ惑う人々、そして無数の死体だ。
俺とて、この世界のことを何でも知っているわけではない。だがそれでも、1つの都市がこれほど大規模に魔物に襲撃されるというのは聞いたことがなかった。魔物の侵入を防ぐために、このガルト含めて各都市には必ず防壁があり、騎士団が常駐して警備にあたっている。魔物が少数ながら都市内部に侵入するという事件は過去散発的には起こってはいるものの、これほど大規模に街が襲われるというのは……。
「惨いわね」
先頭にタカオを、殿に俺を置いて走る隊列の中間にあって、クリスティアナ嬢は発する言葉の割に大して感情のこもっていないような声で言った。その手には護身用ということでホテルから無断で拝借した剣が握られていたが、先程からタカオが彼女が動くよりも早く魔物を撃退しているので、俺も彼女も動く暇すらなかった。
まったく、タカオの実力たるや、本当につい2年前まで剣の扱い方1つ知らなかった人間なのかと疑いたくなる。師として戦闘技術を教え込んだ身としては、仮にタカオと真剣勝負したとして、はたして勝てるだろうかという考えがつい頭に浮かんでくる。
おそらく、勝つことはできるだろうが……辛勝ではなかろうか。
ともかく、今はそれよりもだ。
「くそ、治安隊は何をやっているんだッ!」
☆ ☆ ☆
「ボサッとするな、ブリンカー! 次が来るぞ!」
ガルト港湾治安隊、マーク・クレンゲル隊長は怒鳴るように周囲の騎士に激を飛ばした。青の制服を窮屈そうに着こなす熊のような巨漢で、尻尾のように後ろで結んだ白髪の入り混じった黒髪を振り乱す。支給品の2倍以上はあろうかという幅と長さを持つ大剣を肩に担ぐ姿は勇猛そのものであったが、今の表情は焦燥に満ちていた。
ちなみに、僕の名前はヘクトル・ブリンカー。港湾治安隊の一員であり、クレンゲル隊長直下第1小隊の副隊長である。
「ガルーダ6匹! 来ます!」
「銃を取れ! 全て撃ち落すぞ!」
クレンゲル隊長始め、隊員全員が拳銃を構えた。
この銃は工業都市エルンバイアから直輸入したものであり、非常に高価な代物である。その値段たるや、一般人ではとても手の出せるものではなく、王国治安隊だからこそ装備できるものだ。弾丸1発も高価であるから、そうそう無駄にできるものでもない。
地を這うことしかできない人間相手に余裕を見せるように悠々と滑空してこちらに向かってくるガルーダの群れ一匹に、僕は慎重に照準を合わせた。
「撃てッ!!」
隊長の合図とともに、隊員全員が一斉に発射する。耳を劈くような複数の銃声が周囲に響き渡り、数瞬後にはガルーダの群れは奇声を上げて続々と地面へと墜落していった。粒ぞろいの騎士が集う港湾治安隊の訓練は伊達ではない。銃の腕前とて、いくら空を舞う相手とはいえ、そう狙いを外すものではなかった。
墜落してきたガルーダ達に隊員達が容赦なくトドメをさしていく。
「逃げ遅れた民間人の救出は第3、第4小隊に、消火作業は第5、第6小隊に任せ、我々第1、第2小隊は魔物を街から叩き出す! 目についた魔物はすべて蹴散らせ!」
磐石たる動きの治安隊第一小隊は、通りを東へと駆けた。
ガルトがこのような未曾有の事態に襲われるのは、僕の知る限りでは始めてのことだった。
港湾治安隊はヴァルゴアン王国王国騎士団の騎士にとっては、花形ともいえる部隊である。
ガルトは多くの人々、物資、情報等の集まる街であり、常時厳しく騎士団が警戒に当たっている。王国騎士団の中でも特に腕利きの騎士がこの港湾治安隊に配属されるとされており、騎士にとって憧れの部隊なのだ。この部隊に配属されることは出世の道を約束されたも同然と言われる。現に、現王国騎士団長ユリウス・アイスラーも港湾治安隊を数年間勤め上げ、数々の功績を挙げている。
魔物の侵入など決して許さず、禁制品を発見すれば即座に摘発し、怪しげな集団が王都サンエストルへ向かうことを水際で阻止する。それが港湾治安隊の責務だ。
だが、それが今まさに打ち崩されている。どこからともなく、さながら亡霊のように突如として出現した魔物達は、このガルトに猛攻を仕掛けてきていた。突発的且つ予想外の事態に、港湾治安隊も統制的に即応できず、動きが遅れたことは否めなかった。
前方の通りのど真ん中に、魔物――アリゲーターの群れが映った。魔物達は僕達の接近に気づくや、それぞれ独特の唸り声を上げて牙を見せ付ける。
「これ以上の暴虐を許すわけにはいかん! 通過点として張り倒せ!!」
クレンゲル隊長は体勢を低くすると、更に加速した。既に50を越えた老体であるにも関わらず、疾風と化してアリゲーターの群れに真正面から突っ込む。
迎え撃つのは《ウォーターアロー》の連射だ。断続的に発射される水の弾丸を、クレンゲル隊長はわずかに身動ぎするだけで回避し、さらに恐るべきことに大剣で弾いてさえみせた。魔法とはいえ水は水。剣で触れない道理はないが、隊長の分厚い大剣だからこそ、《ウォーターアロー》の軌道を見切れる力があってこその芸当である。クレンゲル隊長は咆哮して跳躍し、手近のアリゲーターに斬りつける。
まさに、圧倒的だった。身の丈ほどはある大剣を隊長は軽々と手足のように操り、銀色の奔流がアリゲーター共をまとめて横薙ぎにする。一瞬遅れて、緑色の物体――アリゲーターの上半身が宙を舞い、行き場をなくした鮮血が噴出した。切り離された上半身が地面に落下するより早く、クレンゲル隊長は次なる標的を確認して再び青い疾風となる。
追跡するのは、幾筋もの《ウォーターアロー》だ。同族のピンチを感じ取ったか、周囲にいた魔物が集まっているらしく、四方八方の路地からも水の弾丸が発射される。しかし、それらはクレンゲル隊長の音速の剣捌きの前にすべて撃墜され、ただの水飛沫と化した。
ここに至って、ようやく僕も含めた隊員達が隊長に追いつく。隊長1人に気を取られていたアリゲーター共は、隊長には及ばないまでも腕利きの隊員達に続々と斬り伏せられていった。
目抜き通りの中央へと到達した第1小隊の誰もが、眼前の光景に息を呑んだ。
通りは、炎によってまさに蹂躙されていた。商店が数多く並んでいたはずなのに、どの店もすべからく炎に包まれて黒煙を上げ、原形をとどめないほどに崩れ落ちた建物もある。周囲のあまりの熱量に、この場所にいるだけでも息苦しくなる。口内へと侵入してくる熱気は火傷しそうなほどだ。無事な民間人の姿などどこにもなかった。逃げ遅れた末に燃え猛る炎に身を焼き尽くされて既に炭化している死体に、でなければ魔物に惨たらしく殺されて鮮血で真っ赤になった死体。
「全滅……」
そう、誰かが呟いたのが聞こえた。
火炎地獄。そんな場所に五体満足で立っているのは、僕達治安隊第1小隊だけだった。あまりの惨状に、隊長を始め誰もが歯噛みする。本来、彼らを護るべき立場にいる僕達がこうして彼らの死体を眺めている。去来するのは、とてつもない無力感だ。
気の遠くなるほどに昔から、交易の街として栄えてきたガルトは、壊滅してしまったに等しい。それも、ほんの一晩――短時間のうちに。港湾治安隊は結局何もできなかった。いったい、どれほどの魔物がこの街に押し寄せたのか。どれだけの人々が殺されてしまったのか。
クレンゲル隊長は血が出るほどに拳を握り締め、自失したように肩膝をついた。治安隊のトップという役職にありながら、常に最前線で街を護るために尽力してきた隊長だ。その悲しみは、この治安隊に配属されて数年程度の僕には計り知れないだろう。
「隊長……今は、悲しむべき時ではありません。他の小隊と合流し、少しでも被害を少なくするための方策をとるべきです。じきに、王都や他の街からも応援の騎士団が駆けつけてくれるはずです」
「……ブリンカー。すまん」
隊長は立ち上がり――しかし、その動作は途中で止まった。
先程とは違う意味で茫然とした瞳で、あらぬ方向を見つめている。
つられるようにそちらを見ると、そこは燃え猛る炎により崩れ落ちた、かつて商店が立っていたのであろう場所。その上に、奇妙なモノ――人影があった。
「人……?」
炎の上にあって、その人影は燃えることなく立っていた。否、違う。その人影の周囲のわずかな地面だけで、炎が消えているのだ。
『はずれ、か』
炎がますます勢いを増し、空気の焼ける音が耳に響く中でも、その人影から聞こえてきた声ははっきりと耳に入った。男の声だ。顔ははっきりとは見えないが、男の姿形は炎に照らされてよく見える。闇に溶けるような漆黒のマントに、まるで貴族が身に付けるような装飾の多い服。マントと同じ漆黒の髪は腰ほどまで伸びており、炎が発する熱波をまるでそよ風のように受けている。炎が、意思を持ってその男を避けているようでさえあった。
炎の先で、男がカツンと足音を鳴らして近づいてくる。それに合わせて、炎も男の進路を開けるように道を作る。
「……なんなんだ、こいつは……!」
隊長が大剣を構えるようにして男に向き直る。
隊長の顔からは止め処ないほどに汗が滴り落ちていた。勿論、周囲の炎による熱波もあるだろう。だが、それだけではない。男の姿を確認してからというもの、急に身体を襲い始めた熱以上の悪寒。それを、おそらく僕以外の皆も感じているに違いない。
『勇者は、どこだ?』
「……何?」
『言葉が理解できなかったのなら、もう一度聞く。勇者は、どこだ?』
☆ ☆ ☆
街の外まで後少し。港湾治安隊が魔物討伐と消火作業に必死で尽力しているおかげか、火のついた建物もまばらになってきた通りで、俺達は厄介な連中と遭遇していた。
薄暗い空間を引き裂いて飛来したそれに感づいたのは、悔しいことにタカオが最も早かったのだろう。突如として足を止めるや、背後のクリスティアナの肩を抱くようにして、横に飛び退く。俺もそれに追随するように動いていた。
刹那、先程まで俺達がいた地面に、続々とその飛来した物体が突き立っていった。槍の穂先だけを抜いたような武器で、これが5、6本、硬い地面に深々と刺さっている。
暗殺者が、よく使う武器だ。確か――くない、とか呼ばれているんだったか。
進行方向の先に、数人の人影があった。薄闇の中にあっては周囲の空間に溶け込むような感じを受けるその黒装束達4人は、明らかな殺意を携えて、その手に短刀とくないを数本、握っていた。
「ここに来て、《焔》か!」
タカオはうんざりしたような声で言うと、剣を抜き払って黒装束達に向かって飛び出した。
……おいおい! 迎撃するのはいいが、クリスティアナ嬢のことを忘れちゃいないか――!?
「降りかかる火の粉は、自分で払うわ」
俺の懸念をよそに、なんとクリスティアナ嬢までもが剣を構えてタカオに続くように飛び出した。予想外の展開と彼女の行動に俺が出鼻をくじかれる中で、黒装束達は独特の動きでタカオとクリスティアナ嬢を迎え撃った。
先頭にいた黒装束に狙いをつけたのだろう。タカオは迎撃のくないをほんの少し頭を動かしただけで回避すると、そのまま男の上半身に斬りつけた。その一撃は胸から腰の辺りにまで到達しており、噴出する鮮血が、早速黒装束が1人戦闘不能状態になったことを認識させる。
傍にいた黒装束が、滑るようにタカオの横手に回ると、短刀を振り下ろした。
しかし、その攻撃は、彼らの標的である人物――クリスティアナ嬢によって阻まれた。それでもまだまだタカオに劣るものの、本当に一般人なのかと疑いたくなるほどの速さで黒装束の背後に現れた彼女は、その剣を背後から突き出して黒装束を貫いていた。それも、位置的には心臓のあるあたりだ。黒装束は自分に何が起こったか分からないとでも言うかのように硬直するが、クリスティアナ嬢が剣を引き抜くと、そのまま地面に倒れ付し、すぐに動かなくなってしまった。どうやら、命を奪い取ったらしい。
いくら自身の命を狙っている暗殺者とはいえ、易々と人間の命を奪ってしまった彼女に釈然としないものを感じるが、それを考えるべきは後だ。タカオも同様の考えに至ったのだろう、瞳には動揺の色を浮かべているものの、それを動きに表すことなく行動する。
タカオは暗殺者顔負けの滑らかな動きで次なる黒装束の間合いに踏み込むと、至近距離で放たれたくないを紙一重で避け、剣で黒装束の腹を抉った。
これで、残り1人。もはや優位は明らかだが、それでも黒装束は殺気を消そうとはしなかった。
これだから《焔》は厄介だ。自分の命なんて、なんとも思ってはいない。だから平気で人を殺すことも出来るのだろうが……。
最後の黒装束は素早い動きで、標的であるクリスティアナに飛び掛った。くないを投擲し、短刀を構えてクリスティアナに踊りかかる。
だが、驚くべきことに彼女は飛来するくないを弾いてみせた。しかも、いささかも体勢を崩してはいない。まさかそこまでのことをやってのけるとは思っていたのだろう、黒装束の動きが若干停滞する。
その停滞が、黒装束には命取りだった。そのときには既に、タカオは疾風と化していたのだ。まさに一瞬。タカオは黒装束の横手に現れるや、既にその顔面を斬り裂いていた。それでも苦鳴の声を上げることのない黒装束に、タカオは真正面から心臓を貫いた。
「こんなところ、か」
力尽きた黒装束が短刀を地面に取り落とした音が、戦いの終わりを告げた。
結局、俺は何もする必要がなかった。その戦闘力からして、この黒装束4人は暗殺者としては二流、三流の部類といえたが、それでも圧倒的な力の差を見せ付ける戦いだった。
まずは、クリスティアナだ。本当に、彼女はお嬢さんと呼ばれていた人種なのか。その戦いぶりは、傭兵と比べても遜色ない。まして、いとも簡単に敵を殺すなんて、できるはずのない暮らしをしてきたはずの女性なのだ。いったい、彼女は父親とどういった生活をしてきたのか。
そして、もっと問題なのがタカオだ。魔物襲撃が始まり、ホテルから街を脱出するまでのこれまでの行程、目に付いた魔物のほとんどはタカオによって倒されていた。俺が動いた場面など、ほんのわずかと言っていい。先程のホテルでは、この旅の道中でのことは何かあっても俺がなんとかしてやる、というようなことを言ったが……どこまで言葉通り実行できたものか、分かったものではなかった。少なくとも戦闘面では、タカオは俺と同等以上の立ち回りで動いている。
……もはや、タカオの実力はランクCなど超越しているのだろう。ランクB……否、ランクAと言ってしまっても、疑う者はそういないはずだ。恐るべき速度で強くなっていく弟子の姿には、正直戦慄を禁じえない。
情け容赦も、いい意味でも悪い意味でも無くなってきている。俺が剣技を教えてやっていた頃は、魔物はともかく、人間を斬ることに随分と思い悩んでいたものだ。初めて人を斬り殺した時など、情緒不安定になってしまったタカオを立ち直らせるために、非常に苦労したのを覚えている。結果としては、俺はほとんど役には立たず、タカオの親代わりともいえるユリウス・アイスラー騎士団長のおかげで解決することになったわけだが……。
(……いったい、何をそこまで急いで突っ走るんだよ、お前は)
「行きましょう、ゲオルグ先生、クリスティアナ」
街の出口は近い。
いつまで先生と呼び続けてもらえるのか、下手をすればこの旅で弟子に越えられてしまったことを痛感することになるのではないのか――そんな不安に襲われつつ、俺達は街の出口へと急いだ。
今回、ガルトの街を襲った事件。
多数の死傷者を出し、街は半壊、港湾治安隊に至っては壊滅状態に陥ってしまったことを俺達が詳細に知ったのは、次なる目的地である鉄道ターミナルの街ノヴァンに到着した頃だった。
後に、《ヴァルゴアン事変》とも呼ばれることになる一連の魔物との抗争、その端を発することとなった事件である。