第13話:『偽りの足跡と、消えた案内人』
その日の午後、公爵邸の庭園で、セバスチャンは再び頭を抱えていた。来客用の馬車が、指定された場所に到着せず、客人たちが困惑していたのだ。案内を担当するはずの若手執事、アランが、忽然と姿を消してしまったらしい。
公爵夫人が、顔色をなくしてセバスチャンに詰め寄った。
「セバスチャン! 一体どういうことですか! アランは、今朝、確かに『お客様を馬車でお迎えにあがります』と報告しておりましたわ! なぜ、この大事な時に!」
セバスチャンは、アランが最後に目撃された場所、すなわち馬車が待機していたはずの正面玄関へと向かった。そこには、微かに、しかし確かに、**不自然な「引きずられたような足跡」**が残されていた。足跡は、玄関から庭園の奥へと続いていた。
「申し訳ございません、夫人。しかし、アランはどこにも姿が見えません。足跡は、まるで誰かを無理に連れて行ったかのように、不自然に残されております」
セバスチャンは、眉をひそめていた。誘拐事件の可能性も考えられる。
その時、庭園の芝生の上で、セバスチャンが手に持ったメモ帳を覗き込んでいたエリスが、ぽつりと呟いた。彼女は、メモ帳に書かれたアランの名前を指差していた。
「あ、アランお兄ちゃん! アランお兄ちゃんなら、さっき、『公爵邸の庭園には、秘密の抜け道があるんです!』って、楽しそうに話してたよ! そしてね、お父様と、すごく真剣な顔で、何かお話してたみたいだった!」
エリスは、無邪気に微笑んだ。
公爵の顔色が変わった。彼は、慌ててエリスの口を塞ごうとする。
「エリス! 何を言い出す! そのような事実はない!」
**空間が、激しく波打ち、歪んだ。公爵の記憶の中で、エリスが発した「アランが秘密の抜け道について話していた」という言葉と、「公爵と真剣な顔で話していた」という言葉にまつわる会話の記憶が、ガラスが砕けるように消え去った。**公爵の瞳が虚ろに揺らぎ、ハッと我に返った。
「……わしは、何を……?」
公爵は困惑したように周囲を見回した。
セバスチャンの背筋に、氷のような冷たさが走った。
(エリス様の能力が発動した……! つまり、公爵様が否定した言葉は、論理的な矛盾を孕んでいた、ということになる。なぜ? そして、その矛盾が解消されたことで、何が真実として浮上したのだ?)
セバスチャンは、エリスの言葉と、消え去った公爵の記憶を繋ぎ合わせた。
アランは「秘密の抜け道」について話していた。公爵は、それを否定したが、その事実が消去された。つまり、**秘密の抜け道は存在する。**そして、**公爵はアランと真剣な会話をしていた。**にもかかわらず、なぜその事実を隠す?
セバスチャンは、正面玄関に残された「引きずられたような足跡」に目をやった。足跡は、訓練された者ではなく、むしろ不慣れな者が、無理に何かを運んだかのような、不器用な形をしていた。
「夫人。失礼ながら、アランは、最近何か**『公爵邸の秘密』**について、興味を示しておりませんでしたか?」
セバスチャンの問いに、公爵夫人がギクリと体を震わせた。彼女の顔色から、一気に血の気が引いていく。
「な、何を言われるのですか、セバスチャン! わたくしが、そんな……!」
**空間が、激しく揺らめいた。夫人の否定の言葉が、「パリンッ」と音を立てて消滅した。**彼女は顔を覆い、ガタガタと震え始めた。
セバスチャンは確信した。
(夫人もまた、公爵邸の秘密について知っている。そして、アランがそれに興味を持っていた事実も。そして、**アランが「引きずられた」**という事実。……まさか、アラン自身が、秘密の抜け道を試そうとしたとでも?)
セバスチャンは、庭園の奥へと続く足跡を追った。足跡は、使用人たちが普段は立ち入らない、古い物置小屋の前で途切れていた。物置小屋の扉は、外側から頑丈な南京錠で施錠されている。
セバスチャンは、南京錠を確認した。鍵はかかっている。しかし、扉の隙間から、微かに、しかし確かに、**「人の話し声」**が聞こえてきた。
「公爵様、夫人。アランは誘拐されたのではありません。そして、彼は、**自らの意思で、この物置小屋に『閉じ込められている』**かと」
セバスチャンの言葉に、公爵夫妻が目を見開いた。
「何を言っているのだ、セバスチャン! そんなはずは……」
公爵が反論した途端、物置小屋の中から、アランの甲高い声が聞こえてきた。
「公爵様! セバスチャン様! 助けてください! わたくしは、ただ、公爵様に教えていただいた『秘密の抜け道』を試してみたかっただけなのです! まさか、こんなに奥が深いとは……! そして、中から鍵がかかるとは……!」
アランの叫びは、消えなかった。論理的な矛盾を含んでいなかったからだ。
公爵と夫人は、顔を見合わせて絶句した。
セバスチャンの脳内で、全てのパズルが完成した。
(なるほど! 公爵は、アランに、**秘密の抜け道の入り口だけを教えたのだ。**だが、その抜け道が物置小屋の裏に繋がっていること、そして、**中から施錠できることまでは教えていなかった。そして、アランは、その抜け道を『秘密の近道』**だと思い込み、お客を案内する際に、裏口から馬車を回すために、抜け道を試したのだ。その際、鍵のかかった扉に苦戦し、足を滑らせたことで「引きずられたような足跡」が残った。そして、中に入った途端、鍵が自動的にかかり、閉じ込められてしまった……!)
セバスチャンは、深々と頭を下げた。
「公爵様、夫人。アランは、貴方様が彼に教えられた『秘密の抜け道』を、無事に客人をお迎えするために試そうとした結果、この物置小屋に閉じ込められたものかと存じます。足跡は、彼が途中で足を滑らせた際に残ったものでしょう」
公爵は、顔を赤らめて天を仰いだ。夫人もまた、呆れたようにため息をついた。
「あなた……なぜ、そんな中途半端な知識しか与えなかったのですか……」
エリスは、またも状況が理解できない。
(抜け道? 何それ、私も行きたい!)
彼女は、物置小屋の扉を叩きながら、楽しそうに笑っていた。
セバスチャンは、心の中で呟いた。
(公爵令嬢エリス様。貴方様の無垢な一言が、嘘を消し去り、真実を浮かび上がらせる。そして、その真実は、時に、人々の**『秘密主義』や『確認不足』**といった、些細な過ちをも暴き出す。……このデタメデタラメ推理の道は、果てしなく続く)
公爵令嬢エリスが巻き起こす、無自覚な論理の破壊と、デタラメ推理の道は、どこまでも続く。
完結済みにしておきます。