6 憎悪
―――最後に会ったレイナの姿を思い出したモールは、目の前に佇むレイナから目が離せなかった。
レイナがあの後国境に捨てられて、運良くモルス国の騎士に発見されて生還したという話は知っていた。だが、両眼を焼き潰され舌を切られた彼女が以前のように暮らせるはずがない。一般的な回復魔法も、時間が経ちすぎてしまった傷や器官を失った傷には意味をなさない。だから、レイナが盲目になって口もきけなくなってしまったのは理解できていた。
だから、ずっと心配していたのだ。今目の前に立っている彼女は、傷痕を見せぬよう両眼に包帯を巻き、転ばぬよう底の低い靴を履き、行き先がわかるように杖を持っている。
外見は変わり果ててしまったが、それでもレイナが生きている事に変わりはなかった。
『レイナさん……!』
生きてて良かった、と言うべきか、こんな姿になってしまった事を嘆くべきか。モールの中で、様々な感情が渦巻く。
「……おや?どうしたのですかモール。降りたいのですか?」
無意識の内に脚を動かしていたのだろう。それに気付いたメリバが、モールをそっと床に下ろした。
よちよちとまだ覚束無い足取りで、レイナの足下まで歩いて行った。レイナの右足に、しがみつくように前脚を置いて顔を上げる。何かが足下までやってきたのがわかったのか、レイナは怪訝な表情をしていた。
『レイナさん、ごめんなさいレイナさん……貴女をそんなふうにしてしまって……』
レイナの顔を見上げながら、モールは言葉を紡ごうとした。しかし口から漏れるのは、まだ言葉を発することのできない子狼の鳴き声だけ。声帯を抉り取られて喋れなくなったあの時と違い、転生してようやく声が出るようになったのに。喋る事ができないもどかしさが、悲痛な鳴き声に変わって響き渡る。
「モール、その方はレイナさんですよ。この国の宰相であり、私の娘のような存在…………そして、貴女の母親の親友です。」
メリバが、モールにとってとっくに知っている事を説明した途端、レイナの顔色が変わった。
―――バシッ!!
大きな音と共に、モールの身体が壁に叩きつけられた。ギャッという悲鳴が上がり、その声に気付いたトートとデュードが目を見開く。
「モール!」
床に落ちたモールが全身の痛みに呻いていると、メリバの声と共に、彼女の腕から飛び降りたトートとデュードが駆け寄って来た。覚束無い足取りでモールの周りをぐるぐる周り、心配そうに鼻を鳴らす。
一方のモールは、何が起きたのかわからず呆然としていた。内臓が損傷し背骨が折れたのではないかと疑う程の激痛に、蹴り飛ばされたのだと理解したのはしばらく経ってからだった。
メリバがモールを抱え上げ、急いで回復魔法をかける。痛みが引くと同時にクッションの上に下ろされ、モールは震えながらレイナに視線を向けた。
レイナは荒い息で顔を真っ赤にしながら、見えない目で遠くを睨んでいた。鬼の形相とも言える程の表情に、トートとデュードも震え上がった。
「〜〜〜〜〜!!!!〜〜ッ!!!!〜〜〜〜ッッ!!!!!!」
舌のない口から不明瞭な言葉を発し、怒鳴り散らすレイナ。杖を振り上げ、床を激しく叩く彼女を、メリバが慌てて宥める。
「レイナさん落ち着きなさい!少し冷静になりなさい!」
メリバが宥めようとしても、レイナの怒りはますます激しくなっていく。言葉にならない怒声は、「お前達さえいなければ」「私に触れるな」と言っているようにモールには聞こえた。
『…………ああそうか。無理もない。彼女にとって私達は最も憎い存在なんだ。』
―――ハリエットは腹に敵国の王族の子を宿していた。だから、処刑された。
レイナはきっと、ハリエットが身ごもってさえいなければ、ハリエットの命だけは助けられたとでも思っているのだろう。だから、ハリエットを奪ったモール達三つ子の事が憎くて仕方ないのだ。
それはもう、殺してしまいたい程に恨んでいるだろう。
では何故、今モール達は生きている?
ハリエット諸共死んでいるはずなのに。
「―――いい加減にしなさい!」
ビシッ、と、メリバがレイナの頬を叩いた。
途端にレイナは静かになり、呆然とした表情で叩かれた頬を押さえる。そして唇を震わせながら、涙を流せない両眼を覆って慟哭し始めた。
メリバはそんなレイナの肩を抱き寄せ、耳元で何かを囁いた。
―――モールは知っていた。モール達を生かしたのも、ハリエットを処刑したのも、メリバなのだ。
本当だったら生かしておいてはならない存在。敵国の王族の血を引いた子なのに、メリバは三つ子を生かしているのだ。何故?何の為に?次なる戦争の道具にする為なのか?モールには、メリバの考えが理解できなかった。
それはきっと、レイナや他の者達も同じだろう。
メリバから何かを耳打ちされ、レイナの泣き声は少しだけ小さくなった。それでも、彼女の表情はメリバへの不信感とモール達への憎悪で満ちている。
「さあ、戻りましょうレイナさん。……ここへ来たのも、私を呼ぶ為でしょう?もう仕事の時間ですからね。私の可愛いレイナさん。いつまでも貴女が私の一番ですからね。」
甘ったるい言葉を囁きながら、メリバはレイナの手を引いてドアの外へ出て行った。そして何かを思い出したかのように、ひょっこりと頭を覗かせる。
「モール、トート、デュード。私は仕事に行かねばなりません。貴女達の世話は、グンヒルドさんとエリックさんに頼んでありますからね。」
そう言ってメリバは、ドアを閉めて鍵をかけてしまった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「―――朝ごはん、美味しかった?」
空になった皿をまとめながら、竜人の少女が話しかける。
少女は名をグンヒルド・ヴァントと言い、メリバの近衛騎士の一人であった。ココア色のボブヘアーと鱗、アイボリーの目は、彼女を目立ちすぎない優しさを帯びた容姿にしている。メリバはいたく彼女を気に入っており、レイナの護衛を任せる事も多かった。
もちろん、ハリエットとの面識もある。それどころか、ハリエットにとってグンヒルドは炎魔法や飛翔の方法を教えてくれた師匠のようなものだ。
「たくさん食べて大きくなるんだよ。……そして、お母さんの仇討ちをするの。」
モール達を撫でるグンヒルドの声は、微かに怒りと憎しみをはらんでいた。表面上で慈愛を装いながらも、三つ子への愛情など微塵も感じられない、冷淡な声だった。
「貴女達のお母さんはね、美しくて素晴らしい人だったの。でもローシュ国の奴らのせいで死んじゃったの。散々酷い目に合わされたんだよ。許せないよね。あんな奴らみんな死んじゃえば良いのに。死んじゃえば良いのに……」
グンヒルドの言葉を聞きながら、モールは彼女の手に頬を擦り寄せた。今の自分では、慰める事も宥める事もできないし許されない。できるのは、彼女の恨み辛みの言葉を受け取る事だけだ。
『……いっその事、生まれ変わりなんかせずに死ねたなら……こんなに苦しむ貴女を知らずに済んだのだろうか。』
どうしようもない思いを巡らせていると、不意にグンヒルドがモールの体を両手で抱え上げた。俯いたまま体を震わせる彼女から、掠れた低い声が響く。
「…………何でお前達が生きてるんだよ。」
唸り声のようなものを上げながら、グンヒルドはゆっくりと顔を上げる。竜の鋭い眼差しに睨みつけられ、モールは恐怖で動けなくなる。
「何でお前達が生きてるんだよ!何でお前達の世話なんかしなきゃいけないんだ!陛下は何で、敵であるお前達を大切にするんだ!これじゃあハリエットが死んだ意味がないじゃない!ハリエットはお前達を殺したかったはずなのに!ハリエットが報われないじゃない……!」
怒鳴りつけられ、モールは呆然とグンヒルドを見つめる事しかできなかった。大粒の波を流し、怨言を並べる彼女に睨み殺されてしまいそうだと感じる程、グンヒルドの苦しみを知ってしまった。
目の前にいるのが、その"ハリエット"自身だとも知らずに、グンヒルドは怨嗟の言葉をぶつけ続けた。
「―――グンヒルド。もうよさないか。」
不意にグンヒルドの背後から、低く落ち着いた声が聞こえてきた。
グンヒルドが振り向くと、そこには背の高いエルフの青年が立っている。
「団長……」
グンヒルドはモールを床に下ろし、涙を拭って青年の方を向いて立ち上がった。
モールは彼を知っていた。彼は近衛騎士団長のエリック・モンタギュー。グレーのさらさらした長髪と白い肌、オリーブ色の目を忘れた事はなかった。
ハリエットにとって、エリックは剣術を教えてもらった師匠のようなもの。グンヒルドと並んでメリバに気に入られてる彼を、幾度となく尊敬した事があった。
「もうお前は戻って休め。少し頭を冷やした方が良い。……ハリエットの事を思い出すのはよすんだ。」
エリックに宥められたグンヒルドは、何かを言おうと口を開きかけた。だがやがて口をつぐんで、振り返る事なく足早に部屋から出て行ってしまった。
「………陛下が何を考えているのかは、俺にもわかったものではないがな。」
ボソリと呟いたエリックを、トートとデュードが不思議そうに見上げている。前世で彼と会った事のあるモールと違い、二人にとっては初めて会うのだから興味津々でもおかしくはない。
エリックは屈むと、床に座り込んで呆然としているモールに手を差し伸べた。
「すまないな、怖かっただろう。」
懐かしいはずのその声を聞いた瞬間―――モールの全身に寒気が走った。同時に、正体不明の恐怖心が彼女の心を支配し、全身を駆け巡る。
ギャーンッ!と悲鳴を上げ、どたどたと慌ただしく走り出しクッションの下に潜り込むモール。エリックは愕然としてモールが潜り込んだクッションを見つめている。
『何で、何で、何で怖いんだ?あの人は私に悪いことをしないってわかってるじゃないか!なのに何で?何でハリエットを辱めた忌々しい男共の顔がよぎるんだ!』
――前世でのトラウマが、今も癒えずに残っている事を知った。辱められたあの時、"ハリエット"の魂には深い傷がつけられた。魂が死んでしまう程の傷を負わされたと言っても過言ではない。その傷が、"モール"として生まれ変わった今でも彼女を苦しめているのだ。男が怖い。そうハッキリ理解するのに時間はかからなかった。
モールの異変に気付いたトートとデュードが、彼女のもとへ駆け寄った。心配そうに鼻を鳴らしながらクッションの下を覗き込む二匹に、エリックもそっと近付いていく。
しかし、モールが恐れている対象がエリックだとわかったのか、二匹は生え始めたばかりの牙を剥いてエリック目掛けて吠え始めた。姉を守ろうと、ギャンギャン吠えてエリックを威嚇する。
「…………すまなかった。怖がらせるつもりはなかったんだ。怖いなら……俺はもう出てくよ。」
悲しそうなエリックの背中が見えなくなるまで、トートとデュードは吠え続けていた。
エリックがいなくなると、トートとデュードはクッションの下に潜り込んでモールに鼻先を近付けた。
『もうだいじょうぶだよ。』
『もうこわくないよ。』
―――そんな言葉が聞こえてきた気がした。
嗚呼、二人が守ってくれたんだ。と、モールは安堵感に包まれる。憎くて仕方ないはずの彼らを、初めて肯定的に見ることができた瞬間だった。
ぽろぽろ涙を零しながら、どっと疲れたような気がして、そのままモールは眠りに落ちてしまった。




