22 貴族達
『―――そうだハリエット。ひとつ申し込まれてはくれないか。もし俺が、お前に―――』
『無理だとしても俺は、何度でも生まれ変わるさ。だってまだ俺はお前に―――。』
『なあハリエット。もうすぐ俺の誕生日なんだ。だから今年もパーティーに来てくれないか―――。』
――― モールの頭の中に、ふと蘇る記憶。ひどく懐かしくて、身悶えしそうになる程取り戻したい日々の出来事。
「…………シャルル。」
ぽつりと呟いてみても、あの声は答えてくれない。
代わりに聞こえてきたのは、じっとりとして気味の悪い、不気味な笑い声だった。
「どうしたのぉ?今日のお勉強は終わったのに、随分熱心なんだねぇ。」
不快な声にぞわりと全身の毛を逆立たせ、振り返る。見れば、アンミが宙に浮いたまま逆さまになってこちらを覗いている。
「アンミか……驚かせるな。」
そうため息をついてから、モールは机に広げた本に視線を戻した。
ここ数週間で、メリバはモール達の家庭教師にとあちこちの貴族の家から人を呼んできていた。"モール"が"ハリエット"であった頃の知り合いがほとんどだったが、いくつかの家は当主が代替わりしたらしく、見慣れぬ顔もちらほらあった。どうやら、ルフェール公爵家が断絶した事は他貴族達にとっても大きな出来事だったらしい。それ以外の理由も多くあるのだろうが。
モルス国の貴族達の現状を知らねば、ゆくゆくはローシュ国に戦争を仕掛ける時に協力を仰ぐことができない。そう考えたモールは、メリバに貴族達の名簿を見せて欲しいと頼んだのだ。今は、その手渡された名簿を城の図書館で一人こっそりと読んでいるところである。
「ああ、それ、貴族達の名前が書いてある本だよねぇ!気になったの?だって君達のお母様はとっても位の高い、公爵様だったもんねぇ!」
本に書かれた文字をなぞりながら、アンミは無邪気に笑っている。それが心底鬱陶しくて、モールはアンミの手を払い除けて再び本に視線を戻す。
かつて「公爵」の欄に記載されていた"ハリエット・サヴィ・ルフェール"という名前とルフェール公爵家の概要は、削除されてしまったようでどこにも見当たらなかった。断絶した貴族として、おそらく別の資料にまとめられてしまったのだろう。
ルフェール公爵家が無くなった事によって、モルス国の公爵家は三家になっていた。水妖精のフェリックスが当主である、ハルトマン公爵家。木精霊のヴァランタンが当主である、ウェルディエ公爵家。そして、ハリエットの死後代替わりし吸血鬼の青年ヒューが当主となった、チャコール公爵家。
モール達はそのうち、フェリックスと彼の妹レベッカ、新たな公爵ヒューとは、既に顔を合わせていた。レベッカはモール達にマナーを教える家庭教師として、これから頻繁に会う事になるらしい。フェリックスはレベッカとの最初の挨拶の時についでと言わんばかりに顔を出してきたし、ヒューは城を訪ねて来たのを偶然見つけたのだ。
『フェリックスは相変わらず騒がしい奴だったな。レベッカは……こちらも相変わらずだったな。兄への執着心が丸見えだった。チャコールの新しい公爵は……以前会った時より大分成長していたな。当然か。先代には頻繁に会っていたが奴はあまり私と会おうとしなかったし。』
思い巡らせながら本をめくると、"侯爵"という文字が見えた。
モルス国には侯爵家が六つある。その中の一つが、シャルルが当主を務めていたカーティス侯爵家。シャルルは前の侯爵であった兄を不慮の事故で亡くし、爵位を渡された。まだその頃はハリエットもシャルルも若く、未熟だった。二人で切磋琢磨し、数多くの功績と信頼、名誉を勝ち取ったのだ。
だがシャルルは、戦闘においては一度もハリエットに勝つ事ができなかった。
『戦友などではなく、兄弟のようなものだったな……。シャルルが死んだ後、カーティス侯爵家はどうなったのだろうか?』
恐る恐るページをめくり、カーティス侯爵家の名前を探す。
"ルイス・ジャン・カーティス"
―――カーティス侯爵家の当主の名前は、そう記されていた。
「ルイス……?」
モールが上手く思い出せず呆然としていると、アンミが逆さまになりながら本を覗いてきた。そしてカーティス侯爵家の名前を見て、楽しげな笑い声を上げる。
「カーティス侯爵かぁ!前のカーティス侯爵はねぇ、君のお母様とと〜っても仲良しだったんだよぉ!君のお母様諸共ローシュの奴らに殺されちゃったんだけどねぇ!今のカーティス侯爵は、前の侯爵の甥っ子なんだって!前の侯爵が我が子のように可愛がっていた子だから、任せられるんだってメリバが言ってたなぁ!」
そう言われて、ようやく思い出した。
ルイス・カーティスはシャルルの甥。亡くなった兄の遺した忘れ形見だと、かつて幼かったルイスをシャルルは紹介していた。
モールの記憶の中にあるルイスは、シャルルより少し背が低いくらいの少年の姿だ。シャルルは甥を溺愛していたから、ことある事にハリエットに会わせてよく自慢話をしていたものだ。寡黙で大人しいルイスは、シャルルの話をじっと横で聞いているだけだったが。
『あの寡黙で我を滅多に出さないアイツが侯爵……?信じられんな。侯爵家の仕事はほとんどシャルルが担当していただろうに。何も知らぬまま侯爵になったのか?』
父のように慕っていた叔父を亡くし、悲しみに浸る間もなく侯爵位を継いだのだろう。そう考えると、モールは少し胸が痛んだ。
「―――モール。そろそろ夕食の時間ですよ。」
不意に頭上から、メリバの声が聞こえてきた。顔を上げれば、先程まであった逆さまのアンミの顔の代わりに、メリバの微笑みが見える。
「あら、これは……カーティス侯爵ですね。前のカーティス侯爵は、貴女のお母様とは兄弟のように仲が良かったのですよ。貴女のお母様とほぼ同時期に亡くなってしまいましたが……。」
先程アンミが言った言葉と変わらぬ説明を呟くメリバ。
モールはメリバに本を返しながら、じっと目を見つめる。
「陛下、今のカーティス侯爵はどのような方なのですか?」
モールの問いに、メリバは本を撫でながら懐かしそうに目を細める。
「前のカーティス侯爵の甥ですよ。愛する家族を失って辛いでしょうに、よく働いてくれています。……そうそう、丁度来週、貴女達をカーティス侯爵に会わせようと思っていたのですよ。侯爵夫人が貴女達に音楽を教えてくださるそうです。」
メリバの言葉を聞いて、モールは驚いて目を見開く。ルイスに会える機会がある事はもちろん、ルイスが結婚していた事も予想外だった。愛しの甥が結婚するとなればシャルルが騒がないはずはないから、ルイスが妻を娶ったのもここ最近だろう。
「カーティス侯爵夫妻も、貴女達に会うのを心待ちにしています。ですが勿論の事、貴女達がお母様の子だとは知られてはいけませんよ。さあモール、トートとデュードが待っていますよ。早く食堂に向かいましょう。」
メリバに手を引かれ、モールは考え込んだまま図書館を後にした。
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それから一週間後。
メリバに連れられて、モールは弟達とともにカーティス侯爵邸を訪れた。
オレンジ色の大きな屋根が特徴のカーティス侯爵邸は、モールの記憶の中と変わらぬ威風堂々とした雰囲気で佇んでいる。
「メリバ・モルス女王陛下、モール様、トート様、デュード様。本日はお越し頂きまして、心より感謝申し上げます。」
馬車から降りたモール達の前に、鬼人の青年が立っていた。
『シャルル……!?』
モールは開きかけた口を、慌てて閉じた。
シャルルと同じ、蜜柑色の髪にメロン色の目。だが、細く色白の肌と地に響くような低い声が、シャルルとは別人である事をハッキリと表している。
「私はカーティス侯爵家当主、ルイス・ジャン・カーティスと申します。お好きなようにお呼びくださいませ。」
青年――ルイスは、モール達に向かって深々と頭を下げた。
その姿は、モールの記憶の中にあるルイスとは、大きくかけ離れていた。
いつもシャルルの影に立ち、目立たぬようひっそりとしていたルイス。言葉を発する事も少なく、自ら意見を出す事も一切なかった。
そんな彼が、今や陽の当たる所に立ち、堂々と言葉を発している。目の前の人物がルイスだとは、モールには到底信じられる事ではなかった。
そんな事を考えながらルイスをじっと見つめていたからか、モールとルイスの視線が合った。にこりと微笑を浮かべるルイスに驚き、モールはさっとメリバの後ろに隠れる。人見知りの幼子そのものの反応だからか、不審がられる事はなかった。
臆病なトートも姉に続いてメリバの後ろに隠れ、対するデュードは興味津々にルイスのツノを見つめている。
「モール、トート。大丈夫ですよ。悪い人ではありませんから。……ところでカーティス侯爵、夫人はどちらに?」
モールとトートの頭を撫でながら、メリバはルイスに尋ねた。
侯爵夫人は音楽や歌に精通しており、モール達にそれを教えてくれる事になっていた。侯爵邸には夫人が揃えた楽器や音楽を奏でるのにぴったりな設備が揃っているといい、それを大層気に入っているメリバはわざわざ侯爵邸にまでモール達に音楽を習わせに来たのだ。
「本来ならばこうしてお出迎えしなければならぬところ、誠に申し訳ございません、陛下。実は今朝方、妻は転んで足を負傷してしまい歩くのが難しく……」
ルイスがそこまで行ったところで、侯爵邸の扉が開くのがモール達の目に入った。
「――遅れまして心よりお詫び申し上げます、メリバ・モルス女王陛下。」
そう言って歩いて来たのは、杖を片手に携えた有翼乙女だった。
左足首に包帯を巻いた彼女を、侍女達が慌てた様子で引き止めようとしている。しかし彼女はにこやかな顔で侍女達を宥めると、ルイスの隣まで歩いて来た。
「ソフィー!足は大丈夫なのか?」
心配するルイスに「大丈夫ですわ。」とだけ答え、彼女はメリバ達に向き直る。
飴色の肌に、灰白色の髪と長いまつ毛。腕から生えた羽根はくすんだ茶色で、美少女とは言いきれないが愛らしい顔をしている。
「丁度貴女の話をしていたところですよ、夫人。さあモール、トート、デュード。ご挨拶なさい。この方が貴方達に音楽を教えてくれる先生の、ソフィア・カーティス侯爵夫人ですよ。」
メリバに促され、三つ子はソフィアの前に出た。
そしてモールは、あっと声を上げる。
『……目が、見えていない……?』
固く閉ざされたソフィアの瞼と手の杖を見て、察する。それと同時に、モールはソフィアの事を知っている事を思い出した。
『思い出した……確か彼女は、私が育てた孤児だ。ルフェール公爵領の、ソフィア・ハモンド。病で両親を亡くしたから、ルフェール公爵邸で引き取って他の孤児らと共に育てた、盲目の有翼乙女。……成長したな。』
ソフィアの顔を見つめ、懐古するモール。ソフィアはその眼差しに気付いているのか否か、小柄なモール達に視線を合わせるように顔を動かす。
「ソフィア・カーティスと申します。生まれつきの全盲故、ご迷惑をおかけする事とは存じますが、これからよろしくお願いいたします。……あら?」
ソフィアは挨拶をすると、不意に何かに気付いたかのように顔を上げた。そして見えない目を、モールの方に向ける。
しばらく呆然としたように立っていたソフィアだったが、やがて閉ざされた目からはらりと涙を流した。
一同が戸惑いの声を上げるが早いか、ソフィアはモールの目の前で膝をついて崩れ落ちた。
そして困惑するモールの両手を、手探りで探し当てそっと握りしめる。
「おお……おお……!信じておりました……!ソフィーはずっと信じておりました……!帰って来てくださったのですね…………ハリエット様……!」
―――ソフィアのその言葉に、周囲はしんと静まり返った。




