1 『モルス国の女公爵』
ハリエット・ルフェールはモルス国の歴史上初の女公爵だった。
漆黒の長髪に、群青色の目。褐色の肌に、細長い手足。凛々しさと強かさをあわせ持った彼女の姿を、人々は畏れ敬い、慕った。
かつてこの地を統べていた「人間」という種族は、もはや絶滅してしまったに等しかった。その代わり、かつて「人外」と呼ばれた種族達が今やこの世界を統べていた。ハリエットも例外ではなかった。外見こそ人間に近しいが、その正体はありとあらゆる種族の血がごちゃ混ぜになったいわゆる「キメラ」に近い存在だった。
そんな彼女だから、持っている魔力も凄まじいものだった。ドラゴンのように口から火を吐いたり、鳥人のように羽を生やして飛翔したり、人狼のように鋭い爪で敵を切り裂いたりもできた。その力で、戦いにおいては敵をことごとく殲滅し、勝ち抜いてきた。
素晴らしいのは魔力だけではない。彼女は公爵領に住む者達を愛し、彼らが苦しまぬよう統べていた。貧しき者には適切な職を与え、悪人を罰し、病に苦しむ者の為に良い医者を探し、孤児達を集めて一人一人を立派に育て上げた。
他の貴族達との関係も良好だった。特に、同じように女性でありながら当主の座に着いているパメラ・ディディモ伯爵や、よく鍛錬を共に行ない手合わせもよくしているシャルル・カーティス侯爵とは一段と仲が良かった。
モルス国の女王、メリバ・モルスはそんな彼女の事を大層気に入っていた。
―――もうとっくに過ぎ去ってしまった昔の事。
公爵邸を訪ねる一人の少女がいた。少女は手に薄紫色の花束を抱え、微笑んでいた。
「――メリバ・モルス女王陛下の命により、ご挨拶に参りました。お初にお目にかかります。私はモルス国宰相、レイナ・アヴェーグルと申します。」
少女はふわりとした白髪に、ラベンダー色の目、肌理細かい乳白色の肌をしていた。その姿は、ハリエットとは真逆の存在のようだった。少女――レイナは花束をハリエットに手渡し満面の笑みを浮かべる。
「城の庭から摘んできたばかりの"レイナ"の花です。お近づきの印に、どうぞお受け取りくださいませ。」
"レイナ"――この国の国花であり、薄紫色の花弁が特徴の小さな花。つぼみは開く前は赤色で、花がしぼむ時は青色に変わる不思議な花だ。女王メリバが即位した際に、何故かこの花を大層気に入って国花に決めたのだ。
――そして、レイナ・アヴェーグル宰相は女王メリバの寵愛を受けている少女なのだ。もう今は絶滅してしまったも同然の、「人間」。確認できる限りでは彼女がこの国最後の人間だった。かつて"レイナ"の花畑で拾ったからという理由で、女王は彼女に"レイナ"と名付けたという。その噂はハリエットもよく知っていた。
「――レイナ・アヴェーグル宰相。ようこそいらっしゃいました。本来ならばこちらからご挨拶に伺わねばならぬところを……」
「かしこまる必要はありません。ぜひ"レイナ"とお気軽にお呼びください。女王陛下も私達に、良き友人になれるようにとお望みです。」
深々と礼をしたハリエットに対して、レイナは無邪気な笑顔を向けた。どこか子供っぽくて、それでいて凛としたようにも見える不思議な笑顔だった。
「――レイナさん。ルフェール公爵。孤独から生まれた貴女達が、良き友人を見つけられたようで私はとても嬉しいです。貴女達は魂で結ばれた、より強固な存在となるでしょう。」
ハリエットがメリバに謁見した際、そうはっきりと告げられた。魂を司る彼女が言うのだから間違いはないだろう。そう信じていた。
――ずっと幸せが続くと信じて疑わなかった。
敵国ローシュ国との関係が悪化し、大きな戦闘とまではいかないまでも小競り合いを繰り返す状況が続いた。ハリエットは、そんな状況に一石を投じようと動き出した。
元々戦いでは負け知らずの彼女だ。ここでひとつ大きな勝利をおさめれば国内の士気も上がるし、敵国に対しても丁度良い脅しになるだろう。そんな考えでローシュ国に攻め入った。今までの戦場を共にしてきたカーティス侯爵も、兵を集めハリエットについて行った。
今思えば、それが全て間違いだったのだ。