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16 『暗闇』

―――助けられなかった。


ローシュ国に捕らわれていたハリエットを救い出そうとしたのに、ヘマをしてしまった。ハリエットを救い出すどころか、自分の両眼を焼き潰され舌を切られるという凄惨な仕打ちを受けた。


レイナは痛みに悶え苦しみながら、暗闇の中で必死にもがいた。引きずられながら、遠く遠く離れていくハリエットに手を伸ばし続けた。それでも脳内には、目が焼き潰される前に最後に映した、ラシェル・エトワールの禍星(まがつぼし)の瞳が焼き付いて離れなかった。






やがて、何処かに荒々しく投げ捨てられた。ラシェルが言っていた事が正しければ、ローシュ国とモルス国の国境に捨てられたのだろう。レイナはその場にうずくまり、両眼を覆って泣き叫んだ。でも涙腺が焼けてしまった目からは涙は出ないし、舌を失った口からは言葉の代わりに血が零れるだけだった。


地面を這いつくばって、何かないか探した。ここが何処か詳しい場所などわからないが、国境には魔獣の住む森がある事は知っていた。もしそこに捨てられたのだとしたら、遅かれ早かれ魔獣に襲われてしまうだろう。底知れない恐怖を抱きながら、レイナは辺りを必死に這いまわった。


「……見て、誰かいるよ。」

「人間だぁ。まだ生き残ってたんだ。」

「人間なんて、百年ぶりに見たよ。」

「見て、あの酷い姿。なんて醜いんでしょう。」


レイナの周りで、誰かがくすくすと笑っている。ここに住んでいる小妖精(ピクシー)だろうか。

イタズラ好きな小妖精(ピクシー)達は、かつて人間を困らせるのが大好きだったらしい。だが人間がほぼ絶滅してしまった今となっては、人間を見つける事すら難しい。小妖精(ピクシー)達が物珍しげにレイナに近寄って来るのが、暗闇の中でもわかる。


「人間のくせに、見てこの真っ白い髪。」

「きっと捨てられたのよ、哀れね。」

「強い魔力を感じるわ。人間なのに、強い力。」


自分を嘲笑う声に、レイナは腹の底から怒りがふつふつと湧き上がって来るのを感じた。メリバに逆らってまで助けに行ったのにハリエットを救えなかった自分を、とことん馬鹿にされているように思えた。


悔しい。何でそんな事言われなきゃいけないんだ。五月蝿い小妖精(ピクシー)どもめ。


『馬鹿にしてるんでしょ、私の事。人間だからって。うるさいうるさいうるさい!ハティさん(あの人)を救えるのは私しかいないんだ!私は、地に墜ちて情けなく蠢いてる下等生物(他の人間)共とは違うんだから!私を馬鹿にするな!!』





言葉を出せなくなった口から、獣の吠えたけるような咆哮を轟かせる。自分の身体から、魔力が爆風となって放たれるのがわかった。





木々のなぎ倒される音が聞こえたかと思うと、あっという間に周りは静寂に包まれた。

這いつくばっているのが情けなく思えて、レイナはふらつきながら立ち上がった。何処に向かうのか自分でもわからないまま、よろよろと歩き出す。


「―――そこにいるのは誰だ!?」


爆風に気付いて見回りに来たのだろう。騎士のものと思しき足音と声が聞こえてきた。その騎士がモルス国の者かローシュ国の者かわからなかったので、レイナは一瞬身体をビクッと震わせた。


「お、おい!怪我をしてるぞ!怪我人だ!」

「男か!?女か!?」

「女性です!私が保護して運びます!医者を呼んでください!」


慌てふためく声が聞こえたかと思うと、レイナの身体は鍛えられた腕に抱えあげられた。どうやら、女騎士に保護されたらしい。

そのまま何処かへ運ばれ、ベッドのような場所に横たえられた。しかし騎士達はレイナの身元を確認できないらしい。顔を酷く怪我してしまっているのだから、たとえレイナの顔を知っている者でもわからないのは無理もない事だ。


「―――もしかして……レイナ・アヴェーグル宰相?」


不意に聞こえて来た誰かの声に、ざわめきがぴたりと止む。

その声を、レイナは聞いた事があった。ハリエットと並んでモルス国の公爵として知られる、フェリックス・ハルトマンではないか。そういえばハルトマン公爵領は国境近くに存在していたと、レイナはようやく思い出す。


「な、何故ここに……貴女がいるのです?その怪我は、どういう事です!?陛下は一体何をしていらっしゃるのですか!?」


フェリックスの半狂乱になった声と共に、レイナは抱きしめられる。焼けただれた眼窩と血みどろの口、ズタズタに切り裂かれた白髪を見てもなお、レイナをレイナだと認識できたのは、フェリックスにとってレイナが意中の人だからだろうか。

自分に好意を寄せるフェリックスの事を、レイナはいつも疎ましく感じていた。だがこの時ばかりは、彼に縋り付く他なかった。


ハティさんが、ハティさんが、と不明瞭な言葉で叫び続けながら、レイナは慟哭した。









それからすぐに、フェリックスはレイナを城まで送り届けた。


レイナの姿を見たメリバは激怒し、困惑した。レイナの名を叫びながら彼女を抱きしめ、涙を流しながらローシュ国への怨言を吐いた。


その後は、レイナは城の自室に閉じ込められた。メリバは自分の愛し子が傷つけられた事で烈火のごとく怒り狂い、これ以上レイナを傷付けられてはたまるか、と彼女を部屋に閉じ込めたのだった。


『陛下!出してください!ハティさんを助けなきゃいけないんです!陛下!このままじゃハティさんが……!』


レイナは見えない目でドアに縋り付き、獣の唸り声と変わらぬ声を上げて叫び続けた。だがいくらドアを叩いても、メリバはレイナを部屋の外に出しはしなかった。レイナ専属の侍女(シルキー)がレイナにつきっきりで世話をしてくれたが、彼女の差し伸べる手すらも憎いと感じてしまう程、レイナの心は荒んでいった。


それでもメリバは、毎日のようにレイナのもとに訪れて彼女を愛でた。喋れなくなってしまったレイナが必死に何かを訴え続ける事にも気付いていた。メリバは"記憶を読む"魔法が使えたので、レイナの記憶を覗いて彼女がローシュ国で見た事も受けた事も全てを理解した。

ハリエットが捕らわれて、ローシュ国で道具のように扱われている事を知ったメリバは、レイナを抱きしめながら囁いた。


「貴女が気に病む事は何一つとしてありません。可愛い私のレイナさん。彼らにはそれ相応の報いを受けて貰いましょう。」


レイナは暗闇の中で、ただただハリエットが無事に帰ってくる事を願い続けていた。






だが、メリバはレイナの願いをあっさりと裏切った。


もっとも、メリバは裏切るつもりなどなく、()()()()()をとっただけなのだが。








「れ、レイナ様……!へ、陛下が……陛下が……!ハリエット・ルフェール公爵の爵位を剥奪すると発表なさいました……!そ、そして、ハリエット様を反逆者として指名手配すると……!!」


レイナの専属侍女、絹家事妖精(シルキー)のリリー・グウィネヴィアが、今にも泣きそうな声でレイナの部屋に飛び込んで来た。


「ハリエット様が、王侯貴族の機密情報……国家重要機密情報を流したとの事です……!こ、このままでは……ハリエット様は……!」


リリーがガタガタ震えているのが、見えない目でもわかってしまった。

レイナは悲鳴を上げた。そしてリリーが閉め忘れたドアに突進し、廊下に飛び出した。メリバから渡された補助用の杖すらも放り出して、よろめきながら廊下を駆けた。

後から追いかけて来たリリーに手を掴まれたところで、すぐそばからメリバの驚いたような声が聞こえてきた。レイナはメリバの足下に縋り付き、泣き叫んだ。


『ハティさんを見捨てるのですか!?今まで私達に、この国に尽くしてきた彼女を見捨てるのですか!?考え直してください陛下!』


しかし、その言葉はメリバには届かなかった。その時初めて、メリバはレイナを突き放すように、突き飛ばすように振り払ったのだ。


「ハリエット・ルフェールのせいで甚大な被害が出たと、多くの国民達が憤っています。貴族達ですら、彼女を疑っているのです。それに、もう彼女は魂も身体も役に立たなくなっているのです。これが国にとっても私達にとっても最善の判断です。愛だけで全てが救われるという幻想からは、いい加減貴女も目覚めなさい。」


今まで幾度となく厳しい言葉を投げかけられた事はあったが、これ程に心を抉る言葉は聞いた事がなかった。泣き喚くレイナを、リリーが宥めながら部屋まで連れて行った。












それからしばらくの間、レイナはショックで寝込んでしまった。

ベッドから起き上がる事も出来ず、暗闇の中で昏昏と眠り続けた。非情な現実から逃れようと、使いものにならなくなった目を閉じ続けた。

メリバとリリーは毎日、眠るレイナに話しかけ続けた。グンヒルドとエリックも度々レイナのもとを訪れ、体調を心配していた。だがレイナは、彼らの言葉を聞こえないふりして眠り続けた。


『ハティさん、会いたいです。ねぇハティさん、貴女は今何をしてるの?あの悪魔共にまた傷付けられてるの?会いたい、会いたい……。神様、もう私の目も舌も、鼻も耳も手足も差し上げますから、どうかハティさんを返してください。神様、あの悪魔共からハティさんをお救いください―――。』










どれくらい経っただろうか。ある日、城の外が少し騒がしくなった。

そして夜になる頃、いつものようにメリバが部屋に入って来た。メリバの隣からは、リリーの泣き声が聞こえてきた。


「レイナさん、よくお聞きなさい。」


眠ったふりをしてやり過ごそうとしていたレイナを、メリバは無理やり起こした。











「―――ハリエット・ルフェールをこの国に連れ戻しました。そして先程、彼女を斬首刑に処しました。」











信じたくなかった。


ハリエットが死んだ事を、信じられなかった。


「彼女は腹に、ローシュ国の王族の赤子を宿していました。敵国に寝返った印です。もう彼女に与えられる慈悲などありませんでした。即刻斬首刑に処し、骸はディディモ伯爵に引き取られました。」




レイナの中に、怒りと悲しみ、憎悪、その他数多の感情が渦巻いた。

喉の奥から轟く絶叫と共に、レイナは泣き崩れた。涙の出ない目を酷く恨めしいと思ってしまった。その姿はさながら泣き女(バン・シー)のようだったと、後にリリーが語っていた。


『どうして!!どうして!!!!どうしてですか陛下!!あの人を私に与えたのは貴女なのに、貴女が私からあの人を奪うのですか!?奪うなら、せめて最後に会わせて欲しかった!!何で!!貴女が与えたくせに、なら最初から与えなければよかったのに!!!!』


この時初めて、レイナはメリバに対して憎しみを抱いた。







救えなかった。


全部奪われた。


何故?何故ハリエットが死ななければならなかったのか?


あの悪魔のような牡羊が、ケルベロス共がハリエットを痛めつけたのだ。


奴らさえいなければ、ハリエットが死ぬ事もなかった。







―――ハリエットの死から数日後、メリバはレイナを部屋から連れ出した。

そして、城の端にあるとある部屋に彼女を連れて来た。





「―――レイナさん。ここにいるのは誰だと思います?……ハリエットさんの腹の中にいた、三つ子のケルベロスの赤子です。」





きゅうきゅう、という小さな声を耳にして、レイナははらわたが煮えくり返るような怒りを覚えた。コイツらさえいなければ。もしかしたら、ハリエットは反逆者というレッテルを貼られる事無く命だけは助かったに違いない。そう思うと、頭の血管が切れそうになった。


「良いですか、この子達は殺してはいけません。私と、貴女と、エリックさんと、グンヒルドさん。この四人だけでひっそりと育てるのです。復讐の道具とする為に、テレネッツァ達に絶望を与える為にだけ育てるのです。……時がきたら、この子達は公に存在を明らかにします。詳細は偽って、私達の計画の為に利用するのです。」


レイナはメリバに不信感を抱いた。

ハリエットの子とはいえ、レイナにとっては最も憎い存在のひとつ。それを、どうして育てなければならないのか。納得がいかなかった。


『いつか殺してやる。ハティさんもお前らを憎いと思ってるに違いないんだ。殺してやる。あの牡羊は焼き殺して、兎は皮を剥いで、ケルベロス共は首を斬り落として、そしてお前らは心臓を抉り出して殺してやる。』


憎しみを抱きながら、レイナは子狼達を育てなければならなかった。


でもレイナが荒れる度に、メリバはこう囁いた。


「あの子達は、私達の復讐を完全にする為の道具。より大きな絶望を与える為に、血を見せる為に、今はまだ生かしておきなさい。」


だから、レイナは子狼達に下手に手を出せなかった。

だが、いつか来る復讐の時の為に、今はただ耐えるしかないのだ。









『お前らが成長して復讐の時が終われば、もう用済み。その時までじっと耐えるのよ、レイナ・アヴェーグル。』

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