13 ローシュ国のとある公爵家
ローシュ国には公爵位を持つ者が三人いる。
その内の一人が、タビタ・バレナメントだった。
背の高い立派な牡鹿の獣人で、ドーンピンクの髪とパールグレイの目、そして鹿の象徴とも言える立派なチョコレート色のツノがよく目立つ好青年だ。
温和な性格でいつもにこやかな彼を、ローシュ国の誰もが好いていた。もちろん女王テレネッツァもタビタをいたく気に入っており、グラウべやナディアも深い信頼を置いていた。
持つ魔力も強力なもので、頻繁に魔力を摂取しなければならないラシェルの為に魔力を込めた野菜や果物を栽培したり、ツノの生え変わる時期には魔力を溜め込んだそのツノをエトワール邸に献上したりしていた。
皆が信頼と尊敬を置くそんな彼には、愛する一人息子がいるのだ。
エトワール邸での報告を終えたタビタがバレナメント公爵邸に帰りついたのは、丁度夕食の時間だった。大勢の使用人がタビタを迎え、食堂に夕食が用意してある旨を伝える。
タビタはすぐに服を着替え、食堂へと向かった。食堂の扉が開くと、既に食卓についている海豹妖精の少年がいた。
「あ、ち、養父上。お、おかえりなさいませ。一緒にお食事を頂きたくて……ちょっと待ってました。」
小柄な身体をもじもじと恥ずかしそうによじらせながら話す少年は、タビタの息子―――血の繋がらない養子の、ディラン・バレナメント。齢は四十だが、海豹妖精の歳で言えばまだ子供である。
「ただいま、ディラン。遅くなってしまってすまないね。」
タビタはディランのそばの席に座り、手を伸ばしてディランの頭を撫でた。
「ガルニエ宰相が、お前の事を気にしてくださっていたよ。あまり外に出ていないんじゃないかって。今度一緒に、ご挨拶に伺おうか。お前の誕生日プレゼントを頂いたお礼も言わねばならないしな。」
タビタに撫でられながらも、ディランはおどおどして落ち着かない。気弱で内向的で、とても臆病なディランは養父はおろか使用人にすらものを言えない事が多い。何を言いたがっているのか理解できない事が多いのが、タビタがディランに対して抱える悩みのひとつだった。
「………あの、養父上、お、お食事をいただきましょう。せっかくの温かい食事が、冷めてしまいます。」
しどろもどろに紡いだディランの言葉に、タビタは「そうだな」と頷く。
忙しなく手と口を動かして食事を食べるディランを見つめながら、タビタは過去の記憶に思いを馳せていた。
―――タビタには幼なじみがいた。
猫の獣人の少女で、名をヴィオレッタ・セレーナといった。ローシュ国に八つあった男爵家のひとつ、セレーナ男爵家の令嬢だった。
ヴィオレッタはとても美しい少女だった。その名に違わぬ菫色の髪、愛らしい桃色の目、ちょこちょこと動き回る小柄な手足。何よりタビタは、採れたての果実のように甘く爽やかな彼女の声が好きだった。その声で、タビタ、タビタ、と呼んでくれる瞬間が、何より幸せだった。
しかしヴィオレッタは、タビタを友人の一人としてしか認識していなかったらしい。
ある時、彼女は一人の海豹妖精の青年を連れてやって来た。青年はヴィオレッタと同じ男爵家、マーフィー男爵家の令息、モーガン・マーフィーだった。ヴィオレッタが嬉しそうにモーガンの腕にしがみついたまま、私達結婚するの、と言った日の事を、タビタは今でも昨日の事のように覚えている。
もちろん、ヴィオレッタに恋心を抱いていたタビタは酷くショックを受けた。モーガンに嫉妬もしたし、ヴィオレッタが何故自分を選んでくれなかったのかと悲しくなった。しかし二人があまりにも幸せそうに笑い、楽しそうに将来の事を話すので、次第にタビタの心は解れていった。愛する人の幸せを願い、二人の結婚を祝福し、自分は離れた所から見守るのが役目だと、そう気付いた。
だがヴィオレッタがマーフィー男爵家に嫁いで一年程後、悲劇が彼らを襲った。
当時、ローシュ国とモルス国の国境では小規模な戦闘が頻発していた。その中で、モルス国の女公爵ハリエット・ルフェールが攻め入って来たのだった。
海に面していたマーフィー男爵領は国境にも近く、ルフェール公爵の毒牙にかかってしまった。
モルス国は海に面している地域が狭かったから、マーフィー男爵領を手に入れて自分達の領土を拡大したかったのだろう。ルフェール公爵は不意をついてマーフィー男爵領を襲撃し、あっという間に領地を壊滅させてしまった。話によれば、マーフィー男爵家の者は皆殺しにされて、海豹妖精として持っていたアザラシの皮も全て剥ぎ取られてしまったという。
ヴィオレッタは、そんな戦禍をかいくぐって逃げてきた。
援護に向かっていたバレナメント公爵家の兵の一人が、大きな腹を抱えて荒い息で倒れている血まみれのヴィオレッタを保護したのだ。
報告を受けて、兵を率いていたタビタはヴィオレッタのもとへ飛んでいった。重傷を負っていたヴィオレッタは産気づいていて、タビタに縋りながらこう言った。
『モーガンは首を斬られて殺された。あの忌々しい女公爵に。私もアイツに切り裂かれたの。傷を受けたのがお腹じゃなくて良かった……。お願いタビタ、お腹の子だけでも助けて。私はもう助からないから、この子をお願い………。』
タビタはその場にいる医者や衛生兵をかき集め、ヴィオレッタとその子を救おうとした。
だが男の子を産み落としたと同時に、ヴィオレッタは事切れてしまった。
自分には愛する人の幸せを願う権利すらないのか、と、タビタはヴィオレッタの亡骸に縋りつきながら痛哭の涙を流した。
タビタはハリエット・ルフェールを激しく恨んだ。ヴィオレッタの産み落とした海豹妖精の男児を腕に抱きながら、ルフェール公爵への復讐を誓った。
タビタはヴィオレッタの子に"ディラン"と名付け、バレナメント公爵家の養子として引き取った。ディランはモーガンと同じブルーグレーの髪をして、ヴィオレッタと同じ桃色の目をしていた。
愛する人の遺したその子を、タビタは溺愛とも言える程愛して育てた。ヴィオレッタの為に。モーガンの為に。
「―――養父上?ど、どうなさいました……?もしかして、お加減が悪いのですか……?」
ディランの声に、タビタは我に返った。どうやら考え込んでいる故に食事に手がつかず、ディランに心配をかけてしまったようだ。タビタは微笑を浮かべ、カトラリーを手に持つ。
「いや、お前も大きくなったなあ、と考えていただけだよ。成長したお前につい見とれて食事を忘れてしまっていた。」
ディランはゆっくりと食事を食べ始めたタビタをしばらく呆然と見つめていたが、やがて顔を赤らめて下を向いてしまった。照れ屋な性格は父親に似たらしい。
「きっとお前の両親も、お前が大きくなって喜んでいるだろう。……近いうちにお前の母の墓参りにでも行くか。ここしばらく行っていなかっただろう?」
タビタの言葉に、ディランはぱっと顔を輝かせた。そして嬉しそうに頷くと、再び食事を口に運び始める。アザラシの小さな牙が、メインディッシュの肉を食んだ。
―――あの後、モルス国がマーフィー男爵領を占領し、領土としてしまったから、マーフィー男爵領に残されているであろうモーガンの遺体を回収する事はできなかった。
タビタはヴィオレッタを埋葬する時に、かつてモーガンから友好の印に渡されていた貝殻をかたどった懐中時計を、ヴィオレッタの手に握らせた。二人の魂が再び巡り会える事を願った、せめてもの計らいだった。
ヴィオレッタの死から数年後、ローシュ国とモルス国の間で会談をする機会があった。ローシュ国の代表としてタビタが、モルス国の代表としてハリエット・ルフェール公爵が出席した。
私情を持ち込んではならない、と、タビタはルフェール公爵への憎悪を隠して会談に臨んでいた。しかしマーフィー男爵領の話になった時、ルフェール公爵は領土を返すつもりは無い、と言い放ったのだ。
タビタは怒りを抑えながらも、ならばせめてマーフィー男爵家の遺体を返してはくれないかと問うた。するとルフェール公爵は、タビタを鼻で笑ってこう言った。
『彼らの屍の行方など、私が知った事ではない。負けた者は勝った者に蹂躙される、それは戦いにおいて至極当たり前の事だろう?それにいちいち戦場で出会った者の事など覚えてられないからな。』
彼女の言葉に、タビタは激昂した。いつも温和なタビタらしからぬ怒声を飛ばしルフェール公爵に殴りかかろうとする彼を、傍にいた騎士達が止めた。
悔しくて仕方なかった。ヴィオレッタ達の事を踏みにじられたような気がして、タビタはルフェール公爵に深い憎しみを覚えた。
「―――養父上、あの、母上の墓参りに行った後、う、海の方の別荘へ行ってもよろしいでしょうか……?し、しばらく海に行っていないので、体が潮を欲しているのです。」
食事の後、ディランはタビタの前でおどおどしながら必死に言葉を紡いでいた。どうやら食事前にもじもじしていたのはそれを言いたかったかららしい。こんな些細な事を言うのに、酷く緊張している彼が愛おしくて仕方なかった。
「行ってくると良い。海豹妖精のお前が内陸で暮らすのは色々と負担だからな。存分に泳いで来ると良い。」
タビタはもう一度、ディランの頭を撫でた。ディランはほっとしたのか、へにゃりと気の抜けた笑顔を浮かべる。その笑顔が、いたずらがバレた時のヴィオレッタの誤魔化し笑いに似て見えて、タビタはまた懐かしい気持ちになった。
自室へ戻るディランの背中を見送ると、タビタはディランを撫でた自分の右手をじっと見つめた。
―――ルフェール公爵に復讐を誓っていたタビタは、ラシェル・エトワール魔法大臣がルフェール公爵を捕らえた事を聞き、歓喜した。そしてすぐさまラシェルのもとへ赴き、ルフェール公爵の無様な姿を見せてくれと頼み込んだ。
するとラシェルは、ルフェール公爵をバレナメント公爵邸に連れて来た。声帯を抉り取られ声を失ったハリエット・ルフェール公爵は、娼婦――もとい性奴隷のように扱われているらしく、ボロボロになって虚ろな目をしていた。手足についた鎖を握りしめてガタガタ震える彼女を目にした時、タビタはえも言われぬ高揚感を感じた。
ディランはタビタの後ろに隠れて、両親の仇を怯えた目で見ていた。
『この子は貴様が滅ぼしたマーフィー男爵家の子だ。貴様がこの子の両親を殺したんだ。どれだけの恨みを私達が抱いていたか、貴様に想像できるか?』
タビタが鎖を引きながらそう話しかけると、ルフェール公爵は反射的にタビタを突き飛ばした。思わぬ反撃にタビタは激憤し、ルフェール公爵を殴りつけた。するとルフェール公爵は、泣きながらうずくまってしまった。
かつての雄々しく凛々しい姿など見る影もない彼女に、タビタは優越感を覚えた。そしてそのまま、何度も何度もルフェール公爵を殴り、蹴った。無様、惨め、滑稽。そう彼女を罵りながら拳を振り下ろし続けた。
しかししばらく経った時、不意にディランがタビタの腕にしがみついた。
『養父上!も、もうやめてください……!こ、怖いです……怖いです養父上……!」
泣きながらそう叫ぶディランを見て、タビタは我に返って手を止めた。目の前には、血を流して倒れているルフェール公爵がいた。
普段は温厚で感情の昂りを見せないタビタだからか、憤怒の感情を顕にした彼を目の当たりにしたディランはすっかり怯えてしまったらしい。幼子のように泣きじゃくるディランを、ラシェルが優しく宥めていた。
それでもタビタは、ルフェール公爵への憎しみを捨てられやしなかった。
バレナメント公爵邸の執事や使用人――男を全て集めて、ルフェール公爵を辱めるように命じた。そして声にならない悲鳴を上げるルフェール公爵に背を向け、タビタはディランを連れて彼女の前から去った。
ディランが両親の仇を目にしたのは、これが最初で最後だった。
「…………本当はこの手で葬ってやりたかった。おぞましい女公爵め。」
ボソリと呟き、タビタは自室へと向かう。
ルフェール公爵が処刑された今、もう復讐すべき相手などいないように思えた。
しかしタビタは知っていた。ローシュ国とモルス国の争いが、これからどのように変わっていくのかを。女王テレネッツァが何を求め、モルス国と戦争を続けるのかを。
「陛下は仰っていた……"まだ復讐は終わっていない"と。ならば私の復讐も終わっていない。幾らでも私はこの身を捧げよう。」
エトワール邸に持って行った資料を机の上に広げ、眺める。それらの資料には、"神聖な種族の存在について"や"ローシュ国とモルス国の始まり"、"魂と呪いについて"等の複雑な、そして多くの情報が書かれている。
「モルス国の元魔法大臣……"ロ=アンミ・ツェアカ"。そしてモルス国女王"メリバ・モルス"……。貴様らの野望、隠し通せると思うなよ。やがては我々の手によって、貴様らは滅ぶのだからな。」
タビタはニヤリと笑い、手元に携えた呪術書に視線を落とした。
―――ローシュ国の一部の王侯貴族にしか所持が許されていないその呪術書は、テレネッツァが三百年近くかけて作り続けた高度な呪術が書かれた、口外不問の一冊だった。




