10 肉食の羊
お腹が空いた。
お腹が空いたお腹が空いたお腹が空いたお腹が空いた眠い眠い眠い眠い眠いお腹空いたご飯食べなきゃ眠い眠い眠いあったかい布団で寝たいお腹空いたお腹空いた美味しいもの食べたい眠い眠いお腹空いた眠い眠い眠い眠い眠いずっと寝ていたいお腹空いたお腹空いたご飯食べたいお腹空いたご飯ちょうだい―――。
―――ローシュ国の魔法大臣、ラシェル・エトワールは、常に空腹感と眠気に襲われていた。それはラシェルが、あまりにも膨大な量の魔力を消費し続けている事が関係していた。
強大な魔力を持ってこの世に生を受けたラシェルは、生まれつき魔力代謝亢進症を患っていた。だから常に魔力を消費・放出し続け、体力までも魔力の代謝に使われてしまうのだ。そのせいで常に飢えと眠気に苦しめられていた。
ローシュ国の城のすぐそばにあるエトワール邸。ラシェルは食卓に座り、目の前の皿にこんもりと盛られた赤い塊――肉の塊を、ナイフとフォークを使いながらガツガツと貪り食っていた。
「ラシェルちゃん、相変わらずすごい食べっぷりだねぇ。」
ラシェルの向かい側に座り、ラディッシュをかじりながら兎の獣人―――ローシュ国の宰相、シルヴェストロ・ガルニエが感心気味にそう言った。砂色の髪と小麦色の肌にミスマッチなアップルグリーンの目を輝かせ、長い耳を揺らめかせている。
「いくら食べても足りないんだよ。特に最近は、魔力のある奴があんまり捕まえられないからね。」
ラシェルは不満げな声色でそう答えた。
不安定な自分の魔力をコントロールするには、良質で高濃度の魔力を摂取し続けなければならない。なのでラシェルは、庭や畑を荒らす魔獣、特殊な方法で栽培した魔力を持つ薬草、そして処刑したり戦場で殺害したりした敵の肉体を、毎日のように食べていた。食材から魔力が抜け出さないようにするのはかなり難しく、故にエトワール邸の料理人達は皆腕利きの魔術師でもあった。
「それにしても食べ過ぎじゃない?そんなんだからラシェルちゃん、"肉食の牡羊"なんて妙な異名がつくんだよ。」
口元を拭きながら、シルヴェストロがくすくすと笑う。ラシェルはそんな彼をギロリと睨みつけながら肉を貪り続ける。
「シルヴィーさん、何が言いたいのさ。それにさ、ラシェル"ちゃん"って呼ばないでっていつも言ってるじゃん。気持ち悪い。いくら陛下に気に入られてるからって、調子乗んないでよ。」
シルヴェストロはラシェルより年上で、王宮で働く者の中でも最も長い期間テレネッツァと過ごしている。テレネッツァは即位した時から、お気に入りのシルヴェストロをずっと傍においているのだ。
そんなシルヴェストロの事が、ラシェルは少々気に食わなかった。仲が悪い、という程ではないが、どうも彼の言動が癪に障る。端的に言えば、"うざったい"のだ。
「調子乗ってなんかないよ。それにラシェルちゃんだって俺の事"シルヴィー"って呼んでるんだからさ、別に俺がなんて呼ぼうが構わないでしょ?」
シルヴェストロの事を"シルヴィー"という愛称で呼ぶのは、ラシェルとグラウべ、ナディアの三人だけである。シルヴェストロにとってこの愛称は特別なものだった。だから許した者以外には、自身の事を"シルヴィー"とは決して呼ばせなかった。
「あとさ、ラシェルちゃんは俺の事馬鹿にしすぎなの。モルス国の宰相を国境まで運んで捨ててきた時だってさ、ろくにお礼も言わなかったじゃん。そもそも俺に捨てに行かせないでよって話。立場で言ったら俺の方がラシェルちゃんより上なんだし。」
ペラペラと喋り続けるシルヴェストロにナイフを投げつけたくなる衝動を抑えながら、ラシェルは空になった皿にカトラリーを置く。すかさずメイド達が皿を下げ、デザートの皿を置いた。
「うるさい。陛下のご好意で宰相の座についてるだけの癖に。この前ハリエット・ルフェールを盗られるのを防げなかった癖に。せっかく僕がこの国の跡継ぎを作れたのにさ、全部台無しだよ。」
ラシェルの言葉に、シルヴェストロはぴくりと耳を動かす。
「……へぇ、そんな事言っちゃうんだ。」
焦りと怒りで顔を引き攣らせながら、シルヴェストロはラシェルを睨んだ。
ラシェルはデザートのフルーツを口に運びかけて、シルヴェストロの視線に気付いてため息をつく。
「どれだけ僕が苦労したと思ってるのさ。陛下の為にケルベロス族繁栄の研究を何年も続けてきたんだよ?なのにさ、シルヴィーさんが奴らを取り逃したから……」
「そう言うラシェルちゃんにも責任はあるでしょ?アイツの管理を命じられていたのに、肝心な時にいないんだから……」
「仕方ないじゃんか、だって……」
ギスギスとした雰囲気になり、声を荒らげる事こそないものの言い争う二人。エトワール邸の使用人達はそれを見ておどおどと焦り始めた。そもそもシルヴェストロがラシェルを訪ねてきた用事自体はとっくに終わっているのだから、わざわざ食事にまで誘わなくてもよかったのに……と、メイド達がひそひそ話をしている。
「殿下や姫様は相当お怒りだったのに、陛下が寛大なお心で僕達を許してくださったんだ。大失態を犯したのに無罪放免になった事をありがたく思いなよ。」
「それはラシェルちゃんも一緒でしょ。結局連れ戻されたハリエット・ルフェールは処刑されたらしいし。……でも陛下が言ってた"メリバは子供達を殺さない"って……一体どういう意味なんだろうね?」
―――ハリエット・ルフェールが処刑されたという話を聞いた時。ラシェルとシルヴェストロがグラウべやナディアに激しく糾弾されていた時、何故かテレネッツァだけが平然とした顔をしていた。
メリバがハリエットを処刑した後、腹の子も引きずり出されて殺された、もしくは衰弱死した、という話は聞いていた。それなのに、テレネッツァは「メリバは子供達を殺さないよ。」と言ったのだ。それを聞いたグラウべやナディアはテレネッツァに詰め寄り、シルヴェストロもどういう事かと尋ねずにはいられなかった。
「……ラシェルちゃん、何か知ってたりする?陛下がああ言った時、ラシェルちゃんだけが平然としてたもんね。」
シルヴェストロのアップルグリーンの目は、ラシェルの眉がぴくりと反応したのを見逃さなかった。ラシェルは何かを隠している。シルヴェストロの野生の勘がそう言っていた。
互いの動向を探るような、沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは、意外にもエトワール邸の執事だった。
「失礼いたします。ラシェル様、お客様がお見えです。」
ラシェルは執事の言葉に、「いいよ、通して。」とだけ返した。
「―――おや、お食事中でしたか。これは大変失礼いたしました。」
―――開いた扉から入って来たのは、鹿の獣人――ローシュ国の公爵、タビタ・バレナメントだった。ウェーブしたドーンピンクの短髪に、パールグレイの目、チョコレート色の大きなツノがよく目立つ背の高い好青年だ。
「ガルニエ宰相もいらっしゃったのですか。これはお邪魔してしまいましたかね……また出直しましょうか。」
「いや、邪魔なんかじゃないよ。どうぞ座って。」
下がろうとするタビタを引き止め、ラシェルはメイド達に茶と菓子を持ってきてもてなすように命じた。
ラシェルとシルヴェストロの間に座り、タビタはにこりと笑う。
「エトワール魔法大臣、早速ですが、例の件についてお話してもよろしいでしょうか。」
タビタの言葉に、シルヴェストロが「例の件?」と首を傾げる。ラシェルはシルヴェストロを横目で見ながら、淡々とした声色で答えた。
「あの件だよ。…………モルス国の元魔法大臣、"ロ=アンミ・ツェアカ"の事。」
ラシェルがタビタに目を合わせると、タビタはもう一度にこりと笑いながら紙束を取り出した。
「はい。以前よりも有力な情報が手に入りましたよ。非常に古い資料ですが……信憑性は高いかと。」
「流石はタビタ・バレナメント公爵。モルス国のあの脳筋女公爵とは大違いだね。」
ラシェルは空になったデザートの皿をメイド達に下げさせると、ペンと紙を持って来させた。その時、ラシェルの口角がほんの僅かに上がったのを、シルヴェストロは見逃さなかった。
「―――じゃあ、聞かせて貰おうか。百二十年前に消えた、モルス国の元魔法大臣について。」




