エピローグ 誕生日
雪がしんしんと降りしきる冬。今日は2月14日、バレンタインだ。
え? その間に蒼太くんと何があったかって? それはご想像にお任せする。でも、一つだけはっきり言えることがある。
――わたしたちは、まだ付き合っていない。
そして、2月14日はバレンタインと同時にわたしの誕生日でもある。
言いたいことはわかるぞ、諸君。
「バレンタインに誕生日とか、おめでたすぎる女じゃん」
はい、そのツッコミ、見えました。
しかし、一つ言わせてほしい!
わたしなんかより、もっとおめでたい奴がいる。
今日、友達とチョコをプレゼントし合い、いくつもの小さな包みで鞄をいっぱいにするリア充たち。
一方、本来ならプレゼントを受け取るべきこのわたしの友達は――蒼太くんただ一人。
つまり、もらえるプレゼントも、たったのひとつ。
……いや、それだけならまだいい。
誕生日だというのに、逆にチョコを作って、わざわざ蒼太くんに渡さなきゃいけない。
――この屈辱がわかるか!?
わからないでしょうね!
それと、そこ! 勘違いしない!
蒼太くんにあげるのは、あくまで「友達として」であって、決して本命ではありません!!
***
放課後――
わたしは、頑張って作ったチョコを手に、蒼太くんの元へ向かった。
昨日の長い一日の疲れを引きずるようにして、それを渡した。
「やったー!」
彼は、子どものように嬉しそうに飛び跳ねた。
その無邪気な笑顔を見た瞬間、昨夜の台所での奮闘が、一瞬にして報われた気がした。
「本命?」
「……友チョコよ!」
「ちぇっ……」
蒼太くんは、つまらなそうに口を尖らせたあと、「あ! そうだ!」と紙袋をごそごそと弄り始めた。
――もしかして、わたしへの誕生日プレゼント?
いや、待て待て。ぬか喜びしちゃダメだ。
もしかすると、あれは他の女の子からもらったチョコが詰まっている袋かもしれない……!
ほんの少し胸がざわつく。
「いや、やっぱりこれは君の家に着いてから渡すよ」
その言葉と同時に、蒼太くんは紙袋への手を止めた。
――やはり、それはわたしへのプレゼントに違いなかった。
***
彼と一緒に帰り、家に着くと、「お邪魔します」と言いながら蒼太くんが当たり前のように家の中へ入ってきた。
「はい、誕生日おめでとう!」
そう言いながら、彼は紙袋の中から大きな箱を取り出す。わたしは、少しワクワクしながら袋を開けた。
しかし、次の瞬間――
バサッ!
思わず、中身を床に投げつけた。
幸い、家に誰もいなかったことが救いだ。こんなのを親に見られたら、間違いなく一生のトラウマになる。
だって……だって……
黒いうさぎの耳が見えたから――。
「なんじゃこれは!」
「誕生日プレゼント」
「見たらわかる!!」
「バニーガール」
「それも見たらわかる!!!」
文化祭の一件、こいつやっぱり反省してないな……!
「ありがとう。一生着ることはないから、大事に燃やしておくね!」
「待て待て! 勿体無いと思わないのか!? 俺に見せてくれよ!」
「見せれるか!!」
「良いじゃん! 誕生日だよ?」
「“わたしの”ね!!!」
しつこくごね続ける蒼太くんと、必死に拒絶するわたし。
このままでは家族が帰ってきて、余計に話がややこしくなるのは目に見えている。
……仕方ない。
大きくため息をつくと、静かに箱を手に取り、渋々立ち上がった。
「……着替えるから、そこで待ってなさいよ」
バニーガールの衣装を手に持ち、わたしは渋々、自分の部屋へと向かった。
(なんでこんなことになってるの!?)
文化祭でのあの屈辱を思い出しながら、袋の中の衣装を睨む。
黒のサテン生地に、ピッタリとしたシルエット。耳のカチューシャに、リストバンド、そして網タイツまでついているという本格仕様。
(これは、確実にアウトでは……?)
可愛い子がやるならともかく、わたしが着るなんて犯罪レベルだ。
しかし、部屋の外では蒼太くんが「まだー?」とニヤニヤした声を上げている。
……家族が帰ってくる前に、この地獄を終わらせるしかない。
「……もう、やけくそだ!」
勢いよく服を脱ぎ、バニー衣装に袖を通す――いや、袖はなかった。
(肩、丸出し……大胆すぎる……)
鏡を見れば、そこに立っていたのは「わたし」じゃなかった。
(……え? なんか……思ったより……)
頬がカッと熱くなる。
思わず顔を覆いたくなるが、扉の向こうでは蒼太くんが待ちくたびれた様子で声をかける。
「なぁ、もうそろそろ――」
「……どんな見た目でも絶対笑うなよ……!」
覚悟を決め、扉をゆっくり開ける。
「……」
沈黙。
蒼太くんの目が、一瞬大きく開かれた。
次の瞬間――
「ぶはっっっ! っはははは! いや、待って、無理無理! あっはははは!」
「ちょ、笑うなって言ったじゃん!?」
「いや、いやいや! だってさ! 思った以上に……その……」
「その?」
「……似合ってる……」
「はぁ!? 似合ってるとか、どういう意味!?」
「いや、普通に可愛いってことだけど……」
顔が一気に熱くなる。
「そ、そんなの! もういいから! 見たでしょ!? じゃあ脱ぐから!!」
「待て待て待て待て! せっかくだし、ちょっとポーズとか――」
「調子に乗るなぁぁぁぁ!!!」
恥ずかしさに耐えきれず、わたしは力の限りクッションを蒼太くんに投げつけた。
***
なんとか普段着に着替え終わり、嵐も過ぎ去ったかと思われたが――。
「今日は俺のわがままを聞いてくれて、ありがとう」
……ずるい。
その一言だけで、「二度とやるか」と思ったバニーガールのコスプレも、まあ、悪くなかったのかも…… と思えてくる。
「お? またやりたいって顔してるな?」
彼はわたしの心でも読んでいるのだろうか?
「してない!」
「俺の誕生日プレゼントは、君のコスプレ写真集でも……」
「お黙り!!」
そんなくだらないやり取りのあと、ふと沈黙が落ちる。
……まさか、わたしが「お黙り」って言ったから?
申し訳なく思い始めた頃、彼が口を開いた。
「実は、誕生日プレゼントはこれで終わりじゃないんだよね」
まさか――また新しいコスプレ!?
……しかし、事態は予想外の方向に動く。
次の瞬間、彼はわたしの頭の後ろに手を回し、ゆっくりと顔を近づけてきた。
まさか――
それは、イケメンしか許されない――いや、蒼太くんはイケメンだから許される――誕生日プレゼントがキスというやつですか!?!?!?
待って、まだ心の準備が――!!
彼の顔がどんどん近づいてくる。
はぁ……もうやってやる!
わたしは、そっと目を瞑った。
しかしーー
パシャッ!
「よし、キス顔ゲットっと」
「すぐ消せ!」
そこには、今までより数倍恥ずかしいわたしのキス顔の写真。それを前に悶えることしかできない。
「ちなみにこっそりバニーガールのコスプレの写真も撮ってるから」
「それも消せぇぇぇぇぇ!!」
全く、油断も隙もない……
はぁ……とため息をつく。
「期待したわたしがバカだった……」
ぼそっと呟くと、すかさず彼の声が返ってきた。
「へぇー、期待したんだ?」
「あっ……」
しまった……! わたしのバカ!
「違う! 全然期待してない!!」
「ふーん」
気まずさと恥ずかしさで俯いた、その瞬間――
柔らかいものが、そっと唇に触れた。
「……!!」
ゆっくり顔を上げると、そこには、いつも通りの飄々とした笑みを浮かべた蒼太くん。
「改めて、誕生日おめでとう」
ずるすぎる。
期待させた時にはやらなかったくせに、不意打ちなんて。
頬が一気に熱くなり、何も言えなくなる。
「それじゃ! 家に帰ったらチョコが楽しみだなー」
彼は軽く手を振り、わたしの前から去っていった。
***
その日の夜。
スマホが鳴った。何事かとLINEを開くと、予想通り蒼太くんからだった。
――ま、他の候補は家族と韓国アイドルの公式LINEだけだけど。
彼から送られてきたのは、一つのアルバム。
開いてみると――
そこに並んでいたのは、彼が今まで撮ってきた、わたしの恥ずかしい写真の数々だった。
メイド服姿のわたし。
手の甲にキスされ、慌てふためくわたし。
お姫様抱っこされ、顔を赤くしているわたし。
お化け屋敷で、蒼太くんにしがみついているわたし。
意味不明な音楽ライブをしているわたし。
……どれも見たことがある写真ばかり。
「おい! 肖像権侵害で訴えてやるからな!!」
思わず声が出た。
……だけど。
そのアルバムの中には、見たことのない写真が3つ、追加されていた。
――バニーガール姿のわたし。
――キス顔のわたし。
――そして、ハーゲンダッツを美味しそうに頬張るわたし。
何これ。
心臓が、少しだけ速くなる。
そして、アルバムのタイトルが目に入る。
『どの亜衣も最高に可愛いよ。チョコも美味しかった』
「……っ」
スマホをそっと握りしめる。
頬がじわじわと熱くなっていくのを感じながら――
「もう……バカ……」
***
言いたいことはわかるぞ。諸君。
――もう付き合っちゃえよ!
そう思っているでしょう?
……でも、あと少しだけ物語は続く。
3月14日。この日はホワイトデーであり、終業式でもある。
式が終わった後、わたしは蒼太くんに呼び出された。
「まずはお返し」
彼からバレンタインのお返しを受け取った。そして彼は「それで」と続ける。
「大事な話があるんだけど……」
彼の真剣な表情を見た瞬間、心臓が少しだけ速くなる。……でも、その前に確認しなくてはならないことがあった。
「うーん、その前に一個良い?」
「ん?」
彼が首を傾げる。
「何このきしょすぎる場所のチョイス……」
こういう話をするときの相場は校舎裏か屋上と決まっている。
でも、彼に呼び出されたのは――屋上への扉がある階段の踊り場だった。
「仕方ないだろ? 屋上は鍵が閉まってたから、一番屋上に近い場所をと思って……」
「……はぁ……」
雰囲気もクソもない薄暗い場所。
それでも、彼は真剣な表情のまま続ける。
「それで……気づいてなかったかもしれないんだけど……実は……亜衣の恥ずかしがってる顔とか、照れてる顔とか、アイスを奢った時の嬉しそうな顔とか……そういうのを見るたびに……可愛いなって思ってた」
「バレバレというか……一回言ってなかったっけ?」
思わず口を挟むと――
「ちょっ、今緊張してるからツッコミ禁止!!」
彼の声が少し上ずっていた。彼は「ふぅ……」と一息つくとーー
「俺、亜衣のことが世界で一番好きだ!」
彼の手がわたしに向かって差し出される。
「――付き合ってください!」
その指先が、わたしが見てもわかるほど震えていた。
「……わたしの気持ちなんて、分かってる癖に……」
迷うわけがない。
――答えは、わたしがまだ中学生だったあの時からとっくに決まっていたのだから。
わたしが口を開いた瞬間――
心地の良い春の風が、桜の花弁を嵐のように散らせた。
完結です。評価、ブクマお願いします!