表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

第三話 文化祭打ち上げ

 夢を見た。蒼太くんが出てくる、不思議な夢を。


「アンタみたいな根暗なブス、見てるだけで不愉快なんだよ!」


 光源は差し込む夕陽だけの薄暗い中学校の教室に怒声が響き渡る。あの時の屈辱と孤独が、ありありと蘇る。


 わたしは、中学校でいじめの標的だった。五人の女子に囲まれ、尻餅をついたまま、身動きが取れない。スポーツよりも読書が好きで、おしゃれよりもゲームに夢中なわたしは、いつも浮いていたのかもしれない。


「アンタ、佐藤くんが好きなんだって? 佐藤くんはあたしのものだから! 邪魔しないで!」


 いじめっ子のリーダーの橋口が、冷たい視線を投げかけながら拳を振り下ろそうとした――その瞬間、教室の空気が凍りついた。


「何やってるんだ?」


 静かで落ち着いた声が、ピンと張り詰めた空気を切り裂いた。


 ふと見上げると、そこには蒼太くんが立っていた。たまたま通りかかったのか、教室の扉の前に立ち、じっとこちらを見つめている。


 橋口は一瞬戸惑いながらも、すぐに強気な態度を崩さずに言う。


「佐藤くん、あんたからもこの根暗にブスだって言ってやりなよ。『お前みたいなやつを俺が好きになるわけないだろ』って!」


 胸が締めつけられる。彼女たちが求めているのは、わたしが好きな人に絶望させられる姿。

 彼がわたしに向かって歩みを進める。


 でも――


「君、可愛いよね。いつも思ってた。俺、本読んでる女の子好き。あ、今度おすすめの本教えてよ」


 ――え?


 静まり返る教室の中で、彼の言葉が驚くほどはっきりと響いた。わたしの目線に合わせるようにしゃがみ込んで、にこりと笑った。


 いじめっ子たちは、一瞬言葉を失う。


「何言ってんの!? そんなこと思ってないでしょ!」


 橋口が苛立ったように声を上げるが、蒼太くんは気にする様子もなく立ち上がり、淡々と続けた。


「さあな。思ってるかもしれないし、思ってないかもしれない。でも、今から言うことは本当だ。俺は弱いものいじめをする奴が大っ嫌いだ。それに、可愛い女の子を自分の嫉妬でブスと罵るやつも嫌いだ。俺はそんなお前たちを許さない」


 言葉の重みが、教室の空気を押しつぶすようだった。


 いじめっ子たちは居心地が悪くなったのか、気まずそうに視線を交わし、次々と教室を後にしていく。嵐が過ぎ去ったあとのような静寂が残った。


 ふと、わたしの目の前に、手が差し出された。


「怪我はない?」


 その手は、綺麗で大きく、温かかった。


「……どうして、助けてくれたの?」


 喉の奥が詰まりながらも、わたしはようやく問いかける。


「俺さ、昔はいじめっ子だったんだよ。いじめてた子からは許してるって言われてるけど、俺はあの時、いじめてしまった自分が今でも許せない。だから、いじめてるやつを見るたびに、昔の俺を見てるみたいで許せないんだ」


 蒼太の過去を聞いたこの時、「彼が自分自身をどれだけ許せなくても、わたしだけは許してあげよう」と心に誓った。


「どうやってお礼をしたら良いか……」


「お礼なんて良い……いや待てよ。折角言ってくれてるんだし……」


 蒼太くんは長考した。


「じゃあさ、一生に一回のお願いを絶対聞くってことでどう?」


 そんなことは言われるまでもないとわたしは頷いた。もしわたしが過去に戻れるとしたら、この時の自分に「やめておけ」と言いに行くだろう。



 ***



「はっ……!」


 文化祭の翌日、午後6時。目が覚めた瞬間、もうすぐ始まる文化祭の打ち上げの時間が頭をよぎった。どうやら、文化祭の疲れが限界に達して、昼寝をしてしまったらしい。


 しかし、ただの昼寝ではなかった。夢の中で、懐かしくも切ない記憶が鮮やかに甦っていた。


 ――あの夢は、今でも大切な思い出として心に刻まれている。


 夢から覚めたわたしは、無性に顔が熱くなり、背中にじわりと汗が滲んでいるのを感じた。


 ……なんで今さら、あんな夢を?


 体中に残るあの温もりと恥じらいが、まるで昨日のことのように迫ってくる。


 ――いやいや、違う違う!


 勢いよく頭を振り、わたしは自分に言い聞かせた。


 ありえない。


 文化祭でメイド服を着るように頼んできたあの男を、わたしが好きになるなんて、絶対にありえないのだ。


 大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。


 ……とにかく、今は打ち上げだ。


 わたしは、焼肉屋へ向かうため、足を踏み出した。



 ***



 焼肉屋で、わたしはひたすらお肉を頬張っていた。


 やけ食い。


 あんな恥ずかしい思いをした後くらい、少しは食べ過ぎても許されるはずだ。


 隣には蒼太くんが座り、前の席にはクラスメイトの男女が談笑している。


「にしても、亜衣のメイドのコスプレったらすごかったよなー。よ! 人気者」


 蒼太くんが、軽い調子で話しかけてくる。文化祭の恥ずかしい記憶が、今でも尾を引いているのが痛々しい。


「本当に凄かったよー。わたし、あんなの絶対できない!」


 斜め前に座っていた女の子が、にっこり笑いながら言う。その言葉の端々に、どこか煽るような響きを感じるのは気のせいだろうか。


「俺も、立花のコスプレ撮ったぜ!」


 ほとんど話したことのない男の子がスマホを取り出し、得意げに宣言する。画面には、わたしのメイド姿がばっちり収められていた。


 ……まただ。また、笑われる。


 わたしは、どう返せばいいのかわからず俯いた。


 そんなわたしの横で、蒼太くんはスマホを覗き込み、「いい写真じゃん」と軽く流すだけ。


 そして彼の最悪な提案――


「来年の文化祭はバニーガールのコスプレなんてどう?」


 ……ああ、もう無理。


 バンッ!


「もういい加減にしてよ!」


 思わず、机を叩いて立ち上がる。店内が一瞬、静まり返った。蒼太くんも、前の席の二人も、驚いたような顔でこちらを見ている。


 でも、もう止まれなかった。


「そうだよ! 蒼太くん、いじめっ子だもんね! わたしが苦しむ姿を見て、いつもニヤニヤしてさ!」


 自分の声が怒りに震えているのがわかる。どうして、こんな状況が続くの? どうして、こんなにもからかわれなきゃいけないの?


「……! それは……」


 蒼太くんの表情が曇る。わたしは、言ってはいけないことを言ってしまった。きっと、彼が一番言われたくなかった言葉を。店の中にいる全員に聞こえる声で、彼の古傷を抉ってしまった。


 それでも――


 わたしの怒りは収まらなかった。


「本当にやめてくれない!? もう知らない! 大っ嫌い!」


 感情のままに叫ぶと、財布からお札を取り出し、勢いよく机に叩きつけた。「お釣りは要らないから!」と吐き捨てるように言い、そのまま店の出口へと向かう。


「待って!」


 後ろから蒼太くんの声が聞こえる。でも、わたしは振り返らなかった。


 ――このままじゃ、泣きそうだったから。



 ***



 近くの公園のベンチで、星空を見上げていた。

 夜風がそっと頬を撫で、心地よい冷たさを運んでくる。だけど、こんな穏やかな夜に、わたしの胸の中は一つの思いで満たされていた。


 ……言ってしまった。


 なんで、あんな酷いことを蒼太くんにぶつけてしまったんだろう。


 彼のおかげで毎日なんとか中学校に通えていたこと。

 メイド服姿のわたしを「可愛い」って褒めてくれたこと。

 手の甲にそっとキスをして、お姫様抱っこしてくれたこと。

 お化け屋敷で彼に抱きついた時、心の底から安心できたこと。

 ライブで『アイドル』と呼ばれ、ほんの少しでも誇らしい気分になれたこと。


 本当は全部、今も胸に刻まれてる。わたしにとって、なくてはならない存在のはずなのに。


 「はぁ……」


 深く息を吐き出した、その時。


 遠くから足音が近づく。


「やっと見つけた……」


 聞き慣れた声が響いた。


 ――なんで、こんな時に。


「もういい! 来ないで!」


 反射的に叫んでいた。ここまで追いかけてくれたのが嬉しかったくせに。


 蒼太くんは、一瞬驚いたような顔をしたあと、真剣な表情に戻った。


「俺、調子に乗ってた。君が恥ずかしがる姿が可愛くて、愛おしくて、ついやりすぎちゃった。……俺が悪かった。ごめんなさい」


 ――ズルい。


 こんなふうに、素直に謝られたら。


 さっきまでの怒りとか、悲しさとか、全部どこかに消えてしまいそうになる。


「アイス……30回……」


 一瞬、蒼太くんが驚いたように目を見開いた。


「え?」


 わたしはもう一度、少し声を張って言う。


「だから、アイス30回奢ってくれたら許してあげる!」


 蒼太くんは、呆れたように笑って肩をすくめる。


「回数多いな!? 相場1回だろ! ま、それくらい当然のことやったわけだしな……わかった。一番高いやつをこれから1ヶ月奢るよ。お姫様」


「約束破ったら、駅前でソーラン節3時間踊ってもらうから」


 そう言うと、「罰が独特すぎだろ!」と蒼太くんがツッコミを入れた。気づけば、わたしは笑っていた。

 しばらく他愛もない会話を交わし、少しだけ空気が和らぐ。


 やがて、蒼太くんがふと真面目な表情になった。


「もう暗いね。家まで送っていくよ」


「うん、ありがと」


 小さく答える。

 そして、歩き出す直前。


「それと、お金足りてなかった分は俺が払っといたから」


「……え?」


 蒼太くんの言葉に、思わず動きを止める。


 ……五千円札を出したつもりだったのに、焦っていたからか、千円札だった?


 ――うそ。恥ずかしい。


 わたしの顔は一気に熱くなり、視界がぐるぐると回った。



 ***



 それからというもの、わたしと蒼太くんの立場は完全に逆転した。毎日ハーゲンダッツを奢ってもらい、時々ショッピングに同行させては、荷物持ちにこき使う日々。


「なーあー、そろそろ一口くらい分けてくれよー!」


 わたしは、彼に謝ってもらった公園のベンチで、今日も優雅にハーゲンダッツを口に運んでいる。


「ダメ! なんのための罰だと思ってるの!? そんなに食べたいなら、自分で買えばいいじゃない!」


「君に奢るだけでも破産寸前なんだよー!」


 わたしは「仕方ない」とスプーンで一口すくい、彼の口の前に持っていく。


「はい、あーん」


 少し意地悪に笑ってみせる。


 しかし、彼はわたしの揶揄いには乗らないとばかりに、すばやく手からスプーンを奪い取る。

 ――ついでに、わたしのアイスのカップから大胆にすくってーーそのまま口に運んだ。


「美味ぇー!」


「あ、ちょっと!?」


 目の前で堂々とアイスを奪われ、思わず声を上げる。


 もう猛暑も終わろうとしているのに、アイスを奢ってもらう日々は続いていた。

評価、ブクマお願いします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ