第33話 夜空に咲く、あの花よりも その6
「はいよ、りんごあめ」
店主が差し出したりんごあめは――ふたつ。
幼稚園児のひよりを背負った千里と、きんちゃく袋から財布を取り出した万里は、お互いに顔を見合わせ、目をパチクリさせた。
路地裏で迷子になっていたひよりを保護したふたりは、花火の打ち上げ会場に向かう人だかりがひと段落した頃合いを見計らって彼女を迷子コーナーに連れて行くことにした……のはいいものの、目指す場所がわかってなかった。
『どうせ聞くなら客より店だろう』
そんなことを話しながら大通りに戻った三人の鼻を、りんごあめの甘い匂いがくすぐって……そのまま屋台に吸い込まれてしまった。
『ただ聞くだけだと申し訳ない感じするし』
まぁ、お祭りだし。
万里は笑ってりんごあめを頼んだ。ひとつ。
屋台の主は三十がらみの男性で、年甲斐もなく相好を崩しまくった。
みっともないと笑うことはできなかった。学校でも有数の美少女として名を馳せる万里に微笑みかけられれば、ほとんどの男はイチコロだ。
自分だって立場が逆なら同じ反応を見せたに違いない。
「あの、ひとつしか頼んでないんですが」
「オマケだ。お嬢さんみたいな、どえらい美人さんにはね」
「は、はぁ……」
万里の顔にほんの少しだけ影が差した。
その手のサービスを快く思っていないのかもしれない。
彼女の場合、似たり寄ったりなイベントは頻発してそうな気がするのだが。
――慣れるかどうかは別の問題か。
「俺の分は?」
「……兄ちゃんが、もう少し美人だったらなぁ」
「まったくもって同感だ。ほら、ひよこ」
背負ったひよりを軽くゆすると、少女はプーッと頬を膨らませた。
ひよこ呼ばわりはお気に召さないと顔に書いてある。
ちっちゃいくせにレディ気取りだ。
「わたし、ひより」
「真壁?」
ひよりだけならともかく、万里まで目を細めて睨みつけてくる。
これはダメだと早々に白旗を上げ、頭を下げた。
「せっかくくれるって言ってるんだから、貰っとけばいいんじゃないか?」
「じゃ、ふたつ分払いますから」
「いらないいらない」
りんごあめを押し付けようとする店主、抵抗してふたつ分の代金を払おうとする万里。
その頑なさに心の中でため息をついた千里は、ひよりを背負い直してふたりの間に割って入った。
そして――
「ごめん。意地になっちゃって」
ふたりで肩を並べて歩いていると、りんごあめを手に俯く万里の唇が申し訳なさげな言葉を紡ぐ。花火の打ち上げ時刻が目前に迫っているせいか、道を行く人の流れは緩やかになっていた。
「ん? いいんじゃないか。泉は筋を通そうとしたんだろ」
気にしていない。
ひよりを背負って歩きながら、千里は軽く流した。
『美人だから』で得をすることが多いように見えるが、実際にはやっかみを買うこともあったのだろうし、あの手この手で近づこうとする男に嫌な目に遭わされることがあったのかもしれない。
『美人だからサービス』と言われても、素直に喜べないのだろう。
――文句を言っても謙遜しても『贅沢だ』って思われそうだよな。
だからと言って地味を装うのも業腹というか。
せっかくの美貌をフイにするのも、それはそれでもったいない。
そんな相反する気持ちで板挟みになりながら日々を過ごしているとしたら……『大変だな』と同情するのも変だが、だからと言って何とコメントすればいいのか反応に困る。
「筋?」
「物事の道理って奴さ」
「ふ~ん、そこまで考えてなかったかも」
「ん~、なぁに?」
背中でりんごあめを齧りながら首を傾げるひより。
子どもの顔のつくりはわからないが、将来――あと十年もすれば、この幼女も万里と同じような悩みを抱くことになるのだろうか?
――考えても意味ないか。
どうせ二度と会わないだろうし。
鼻から息を吐き出して幼女を背負い直した。
それよりも――今は浮かない顔をした万里の方が心配だった。
「食べないのか?」
「え?」
「りんごあめ。貰ったんだから食べればいいのに」
「あ、ああ。そうよね。せっかくいただいたんだから、いただこうかしら」
「変な言い方だ」
軽く笑うと、万里はむっとしたように眉をひそめる。
そのまま前を向いて、りんごあめを口に運んで――横目でじろりと睨んでくる。
「……なに? じっと見られてると食べにくいんだけど」
「いや、絵になるなって思った」
「あっそ」
素っ気ない返事に反して、万里の頬には朱が差していた。
誉め言葉なんて聞き慣れていると思っていただけに、うぶな反応は少し意外に思える。
「お世辞じゃないぞ」
「それ、どう反応すればいいの」
「すまん、変なこと言った。適当に流してくれ」
「アンタが余計なことを言うのを我慢すればいいんじゃないの」
「あ~、手が空いてたら写真撮りたかった」
「ばか。撮影禁止」
鋭い一瞥をくれた万里は、小さく口を開いてりんごあめに歯を立てた。
カリッと小気味良い音が千里の耳朶を弾く。
――写真撮りたいってのは、本気なんだがな。
白い歯。
赤いりんご。
艶めく桃色の唇。
チラリと覗く小さな舌。
漆黒の瞳と、透き通るような肌
丁寧に結い上げられた黒髪、覗く耳。
学校では目にすることのできない、レアな浴衣姿。
むき出しの白いうなじから、浴衣の襟からのぞく背中から、強烈なエロスを感じた。
「……ッ」
「よそ見しながら歩くの、危険よ」
「あ、ああ」
軽口を叩くのを忘れるくらいに見事な絵面を前に見惚れていると……万里の双眸が細められ、棘のある声が続いた。
慌てて前を向きはしたものの、チラリと横目で様子を窺う自分を止められない。
――これは、半端ないわ……
千里だって思春期真っ盛りの男子だから女の子には興味津々だったが、『泉 万里』に関しては遠くから観賞するのが関の山だった。
アイドルのようなものだと思っていた。
アイドル、すなわち特別な存在。
でも、こうして間近で目にする万里は……親とはぐれて涙する少女を放っておけないお人好しで、美貌を理由に得することを良しとしない頑固者で、甘いものを口にして相好を崩す同い年の女の子だった。
少し手を伸ばせば届きそう。
そんな風に思えてしまうところが、彼女の人気の秘密かもしれない。
「はい」
「ん?」
横からりんごあめが差し出された。
赤いりんごから串、串から白い手、そして浴衣――順番に目で追っていくと、その先には柔らかく目を細めた万里の顔があった。
「ひとりじゃ食べきれないから、少し手伝ってくれると嬉しいかも」
「お、おう」
どうして?
疑問はカタチにならず、千里の脳内をかき乱した。
いくら女子とは言っても食べ盛りの高校生だ。ひとつぐらい食べられないことないはずだし、彼女が千里に小食アピールする必要もない。
――コイツを背負わせていることに対する罪滅ぼしとか?
背中に重みを感じながら、そんなことを考えたが……推論が正しいか否か尋ねるのも野暮だと思ったし、ここは素直に頂くべきだろうと口を開きかけて――りんごの白い果肉が目に留まった。
目だけ動かして万里を見ると、こちらは変わらぬ笑顔のまま。
――これ、食べたら間接キスになるよな?
考えすぎか?
間接キスしたいかと言うと……したいような、別にどうでもいいような。
どうでもいいなら気にしなければいいのだが、万里が気にするかどうかは、また別の話になるわけで……
「じゃあ、ひと口」
結局、万里が食べたところとは別のところを齧った。
パリパリとあめが割れる感触に、しゃりっとりんごの歯触りが続く。
口中に広がる甘味と酸味が、疲労を訴えてくる身体に染み渡る。もうひと口食べたくなるところを、ぐっと堪えた。
「……美味いな」
「でしょ、もう――」
弾む万里の声に合わせて、背後から『ドン』と音が響いた。
脚を止めて振り向くと、ひゅるひゅると音が続いて――夜空に大輪の花が咲いた。
バチバチと火が爆ぜる音に、地上から歓声が沸いた。
「わぁ」
「きれーい」
瞬間、千里の心臓が強烈に掴まれた。
ヒュッと息を飲み、ひよりを支える腕に力が入る。
千里の目は――色とりどりに照らされる万里の顔に釘付けだった。
「……」
「真壁?」
「……」
「真壁!」
「あ、ああ……どうかしたか?」
「……やっぱりみんなと一緒に近くで見なくてよかったのかなって」
「別にいい。何も問題ない。俺は花火より――」
もっときれいなものを見てるから。
「真壁、何か言った?」
どん、どん、どどん。
連発して弾ける花火の音に紛れて、ポロリと零れた千里の呟きは万里の耳に届かなかったらしい。
怪訝な眼差しを向けられて……残念なような、ホッとしたような。
胸中を見透かされないように、少しだけ語気を強めた。
「何も言ってない」




