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第19話 夏の夢の終わりに その2

「『先に帰ってて』って」


 開口一番、万里ばんりはそう吐き捨てた。

 眉間には深いしわが寄っていて、スマホを握った手はわなわなと震えていた。

 オフショルダーのブラウスからむき出しになった肩を怒らせて、猛烈な勢いでディスプレイに指を走らせている。

 デニムのショートパンツから伸びた白い脚、歩きやすさを重視したスニーカーを履いたつま先は、苛立たしげにトントンと地面を小突いていた。

 眼差しはスマホに突き刺さっていて、千里せんりたちを見ようともしない。

 まさしく『鬼気迫る』と表現する他ない姿を前に、三人は顔を見合わせた。


「『先に帰ってて』って……いずみさん、ひとりで来たんじゃなかったんだね」


 口火を切った陽平ようへいに『それはないでしょ』と由宇ゆうが乗っかった。

 何の目的もなく、ひとりで海に繰り出すのは……ナシよりのナシ。

 言葉を飾らないどころか不躾な言い草だったが、千里も同感だった。


高峰たかみねさんと星崎ほしざきさんだって」


「なるほど」


『高峰さん』こと『高峰 白雪(たかみね しらゆき)』と『星崎さん』こと『星崎 ステラ』は、どちらも千里たちのクラスメートであり、万里と行動を共にすることが多い女子たちだ。

 由宇の補足に陽平は頷いて――そのまま首を傾げた。


「え、三人だけ? 男子は連れてこなかったってこと?」


「……海で女子会ってのも悪くないでしょ」


「ずっと千里と遊んでた泉さんが、それ言うの?」


 その挑発的な響きに背筋が震えた。千里の背筋が、だ。

 顔を上げた万里は、あからさまに苛立たしげな表情を浮かべていた。

 陽平は(なんと!)そのプレッシャーをスルーし、隣で不思議そうな顔をしている由宇の肩をこれ見よがしに抱き寄せる。

 イタズラを思いついた子どもみたいな顔で恋人に耳打ちした声は……千里にも万里にも丸聞こえだった。

 どう考えてもワザとだ。


「要するに、僕たちと一緒ってこと」


「私たちと一緒って、それって……ええっ!?」


「……別に変なことじゃないでしょ。日高ひだかたちだって、そうじゃない」


 遅れて状況を把握した由宇が、素っ頓狂な声を上げた。

 万里は『チッ』と舌打ちしてから、棘だらけの言葉を積み上げる。

 痛いところを突かれた陽平は、千里に恨みがましげな眼差しを送ってきた。

『バラしたな、千里』

 千里は――額に手を当て、肩を落とした。

 胃のあたりの痛みと重みは、気のせいだと信じたかった。


――頼むから穏便にしてくれ……


 ふいに視線を感じた。

 由宇の瞳が千里に向けられていた。

 そこには幾ばくかの申し訳なさが垣間見え――すっかり消沈してしまった幼馴染の頭を、あえてポンポンと軽く叩いてやった。

 子どものころから、よくやっていたように。

 

「そんな顔するな。俺のことは気にしなくていいぞ、由宇」


「……ん、ごめん。ありがと」


 誤解を招く余地がないようにアッサリと言い放つと、由宇はゆるゆると頷いた。

 無理やり自分を納得させようしているようにも、納得できていないようにも見えた。


――昔みたいにはいかないな。


 居心地の悪い沈黙の底から、万里が意味ありげな視線を投げかけてくる。

 見上げてくる漆黒の瞳に、暖かく優しい気遣いを感じた。

 般若じみた顔より、そっちの方がずっといい。

 そのひと言は、喉につかえて口から出てこなかった。

 もしも口にしてしまったら彼女は爆発していたに違いないから、おそらく自己防衛本能が仕事をしたのだと思う。

 閑話休題。


「でも、先に帰っててってことは、高峰さんたち、これから……」


 空を見上げた由宇は語尾を濁し、陽平は息を呑んだ。

 ふたりが何を想像しているのか、手に取るようにわかってしまった。

 何なら『それ』は……きっと由宇たちが思い描いていながら時期尚早とあきらめたアレコレに違いなかった。


「そうか……でも、それは……」


 お茶目な表情を引っ込めてシリアスモードになった陽平が唸る。

 自分たちが望んでやまないイベントに、リスクを承知で同級生が挑もうとしている事実を前に平静ではいられないといったところか。

 同じ男として、友の気持ちも理解できなくはない。


「いいのか、泉さん?」


「よくない。海で女子会って名目で親に許可をもらってるのよ。それなのに、そんなことしたら……家族会議ぐらいで済めばいいけど、下手したらアイツら別れさせられるかも」


「だよね」


「身につまされる」


 憤懣やるかたない万里。

 顔を見合わせて頷く由宇と陽平。

 そして、ひとり取り残された感がある千里。


――そういうものなのか?


『家族会議』とか『別れさせられる』とか、まるで縁のなかった言葉がポンポン飛び交って現実味が薄れゆく一方だったのだが……どこまでも真剣な万里を見る限り『このまま白雪たちを放置するのはよくないのだろうな』という気がしてきた。


「それで、どうするんだ?」


「説得する」


 即答し、スマホに指を走らせる万里。

 短すぎる断言からは、これまでにない強烈な意思が迸っていた。

 すさまじい速度で踊る指は、いったいいかなる文言を紡いでいるのだろうか?

 ディスプレイを覗きこむのはマナー違反だと思って距離を取った千里にはわからなかったが……次第に万里の表情が険しくなっていくことは傍からでも見て取れた。

 いつの間にか、由宇と陽平が千里の後ろに身構えていた。

 明らかに盾にする位置取りだった。


――こ、コイツら……


 なんて薄情なやつらだ。

 冗談だとわかっていても、甘受はできない。

 唖然として、憤然として、ビシッとひと言物申してやろうと口を開きかけた千里だったが……結局、ふたりに説教する機会は得られなかった。

 万里がキレる方が早かったのである。


「ああ、もう! 何なのよアイツら!」


 千里の服の裾をつかんでいた由宇の身体が跳ねた。

 ようやく動きを止めた万里の細い指は……いまだ激しく震えている。


「……あんまり聞きたくないんだが、状況、どんな感じだ?」


「煽られた」


「お、おう?」


「アイツら、アイツら……私が彼氏いたことないからって言いたい放題……って言うかエアナンパって何よ、エアナンパって!?」


 エアナンパ。

 彼氏とイチャイチャするためのダシにされた万里が、見栄を張るために『ナンパされた』とウソをついたのではないかと言いたいのだろう。

 意味は推測できるが――えげつない。

 仲がいいから遠慮がないのか、それとも……


真壁まかべ、ちょっとこっち来て」


 手招きする万里に、素直にうなずけない。

 目尻が吊り上がってなければ、ホイホイ近づいたに違いないのに。

 突出した美貌と憤怒の表情、その融合を前に臆する自分を嗤う気にはなれなかった。マジで怖い。


「……何をする気だ?」


「写真撮って送ってやるわ」


 エアナンパなんて言わせないから。

 憤る万里は、どう見ても冷静でなかった。

 表情とか雰囲気とか、何から何までヤバかった。

 彼女ほどの美人に『一緒に写真を撮ろう』なんて誘われたなら、飛び上がるほど嬉しいはずなのに……せめて目が吊り上がってさえいなければ(以下略)


「落ち着け、泉。俺の写真なんて見せても説得力がないだろ」


「そう?」


「そうだ。たまたま会ったクラスメートに頼み込んだとか言われるのがオチだぞ」


「それは……そうかも?」


「そうかなぁ」


「おい!」


 納得しかけた万里の横で首をかしげる由宇。

 余計なことを言うなとにらみを利かせたが、反応は芳しくなかった。

 良くも悪くも長年一緒に育った幼馴染だけあって、生半可な威圧ではまったく効果がないのだ。


――こ、この状況……どうするのが正解なんだ?


 答えが見つからない。

 万里たちの関係性を把握できていないからというのもあるが……自分と由宇と陽平のこれまでを振り返ってみても、こんな揉め方をした経験がない。


――茶化そうなんて発想がなかったよな、そもそも。


 特に恋愛がらみに関しては。

 ふたりが本気で真剣だったからということもあったし、不謹慎だと千里が勝手に決めつけていたからというのもあった。

 何もかもが違い過ぎて、参考にならなくて、混乱だけが加速する。


「……ゴメン、ここで別れましょう」


 深い吐息が耳を震わせる。

 いつの間にか万里は額を抑えて空を仰いでいた。

 手のひらあたりからのぞく目蓋はギュッと閉ざされていて、口の端にも力が籠っている。

 苦悶。

 その二文字の生きた見本みたいになっていた。

 彼女にはまるで似合わない表情であったにもかかわらず、夕暮れに近づきつつある空の繊細なグラデーションのもとに佇む姿は見惚れてしまうほど絵になっていて……彼女の言葉を理解するまでに、ほんの一瞬ではあったが時間を要した。


「どうするつもりだ?」


「待つ。浮かれたふたりを説得して、一緒に帰る」


 声は重く、そして昏かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] いや、怒っていたのはそちらに、ですか… まあ、ある意味友達想いというか。見捨ててしまっても不思議では無いのに。 説得はなかなか難しそうですが。
[一言] 水着はけしからんかったけど、しっかりしたお嬢さんだなぁ・・・
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