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「十五年前、悪魔が現れた。私たちは怯えました。逃げ惑いました。けれどそれと同時に悟ったのです」

 男は鏑木、と名乗った。不自然に真っ黒な髪を真ん中で分けた中年の男だった。一年の時の歴史の先生と話し方が似ていた。応接室の机に資料を広げて、彼はわたしに語った。

「彼らは何者なのか。彼らが悪魔と呼ばれるのは恐れられたからだ。恐れられ、そのように名付けられたからだ。彼らはただ超越者なのだ。彼らは神の写し身であり、この『接触』こそが魔神さまが我々に与えてくれた機会なのだ、と」

 わたしは駅の東側に立ち並ぶ大きなオフィスビル群の中の一つを訪れた。受付でアポを告げると、小綺麗な応接室に招かれる。ガラス張りのビルの数階分、オフィス然としたフロアが占めているようだった。ただ見ただけでは普通の会社にしか見えない。社会見学に行った出版社に似ていると思った。けれど、わたしが訪ねた場所は会社でもなんでもなかった。

 そこは『オメガ』と言った。

「我々は国土を失いました。家を失いました。故郷を失いました。今なお彼らは同じ大地に立っている。なればこそ、私たちは探すべきなのです。私たちの犠牲の意味を。彼らが私たちにもたらすものを。そして、共に生きる未来を」

 悪魔カルトはちょうど十五年前に生まれたわたしにとってはわりにポピュラーな存在だ。『オメガ』はその中でも特に一番有名な組織だった。しばしば駅前でチラシを配っていたり演説をしていたりするものだから旭川の街の一部と言っても良いくらいだった(ただしこの感覚は生粋の旭川市民に特有のものらしく縁はいたく怖がっていた)。

「『接触』とともに世界中に現れた魔王城は二十箇所以上――ロンドン、テキサス、稚内、マダガスカル、ミャンマー――そのいずれも未だ人類の領土を侵しています。しかし悪魔、魔王城、そのいずれも民間人が名付けたものであり、国は警戒線を引くばかりで沈黙を守っている。なぜか。それはこれらが魔神の遣いであり、権力者にとって不都合なものだからです」

 『オメガ』のおじさんが語るのは誰もが知っている悪魔が現れた時のこと。魔神というのは初耳だった。たぶんそのあたりが宗教ということなんだろうと思った。

「魔神。ただそのままに神と呼んでも良いでしょう。悪魔をこの世に遣わし、魔王城を作り上げた存在。悪魔の母。悪魔の王を統べる神。すなわち魔神です。我々に試練を課し、いずれ我々に楽園を授けてくださるのです」

「楽園ね。その魔神さまが作ってくれる楽園にはなにがあるの?」

「この世のすべてですよ。お嬢さん。今人間が抱えている諸問題はすべて解決します。エネルギー問題。飢餓。戦争。異常気象。そのすべてを解決できる術を私たちは何度も目撃しているはずです。神の業。悪魔の使うあの力です」

 悪魔が現代物理学を超えた現象を起こすということは有名だった。まずもって一番有名なのは魔王城だ。世界各地に現れた山と見紛うほど巨大な建造物。それが一夜にして現れた。それだけではなく、悪魔は様々な姿で現れるが、これらが魔法じみた力で物体を出現させたり、炎や雷を起こしたりということも確認されている。これをもって神の業だという人の気持ちはわからないでもない。しかし、わたしは鼻で笑い飛ばすしかなかった。

「なんてすばらしいんでしょう。ところでその悪魔の神さまが人間を助けてくれるのはなぜ? わたしたちは襲われているのよ?」

 あまりに都合のいい話だった。悪魔以前のことなんて何も知らないが、悪魔なんて来なければこの町に住んでる人間のいくらかは北海道のあちこちで今も暮らしていられたはずなのだ。十五年来警戒線は下がっていもいないが上がってもいない。高校生のわたしにもその考えがお花畑なのがわかる。

「悪魔に苦しめられてきた方々にとってはそう考えられるのが当然でしょう。けれどお嬢さん」

 続く言葉にわたしの軽口は止まった。

「君は、契約者のことは知っていますか?」

 知っていた。知らないはずがなかった。

 それが、もう終わってしまった事件の始まりだったのだから。

 結局わたしがその事件に触れられたのはすっかり手遅れになってしまってからだった。けれど今のわたしには、かき集めた出来事の残滓の一つも忘れてしまうことはできない。

「悪魔の力は豊穣の実といってもいい。世界中の科学者も彼らがエネルギー保存則を無視しているということを指摘しています。そして、彼らはその〝権能〟を契約という形で私達に与えてくれているのです。これが救済以外の何であると――」

「――黙って」

 わたしは我慢できずに手のひらを机に叩きつけた。堅い木材に痛みを感じる。潰れた音が応接室を覆った。

「あんなものが救済なわけない」

 沈黙が落ちた。わたしはこれ以上ここにいたくなかった。この男の話に付き合うこともごめんだ。写真を取り上げる。

「水野佐代子。あなたたちが知らないはずないでしょう。教えて」

 青白い顔をした幸の薄い女。地味な格好をした四十代くらいの女性で、写真にはこのビルから出てくるところが写されていた。水野佐代子は『オメガ』のメンバーだった。十五年前まで稚内で畜産をやっていたが〝接触〟時に偶然内地にいたため生き残り、その後旭川に移住。細々と一人で暮らしていたが、五年前から『オメガ』に傾倒するようになった。現在は市内の病院に入院している。

「なぜ君がこんなものを? 高校生でしたよね?」

「あなたには関係ない」

「……なにがお聞きしたいと?」

「水野佐代子が刺人鬼に刺されたことについて」

 この写真をもらった時に、ここから先を訊くのは危険かもしれないと言われていた。けれど、ここで踏みとどまるには腹が立ちすぎている。

 わたしは続きを口にする。

「──それから。『オメガ』が信者に契約をさせているというのは、本当?」

「お嬢さん。この世界には踏み込んでいいことと悪いことがありますよ」

 鏑木の顔色が変わる。今まで優しくレクチャーしていた顔とは違う、ずるがしこい狐のような表情。応接室の空気がにわかに張りつめる。

 けれど、売り言葉を投げつけられて買わずにいられるわたしではなかった。後悔するなと思いながら口は止まらない。

「じゃあ世界とやらにわたしに踏み込むなと言ってやって」

 どくどくと頸動脈を血が通っていくのがわかる。啖呵を切ったのを後悔する。大人の男を相手にしているというだけでも問題なのに、ここは地域の文化センターではなく、悪魔カルト『オメガ』のビルの中だった。

 いつ人を呼ばれるかとびくびくしていたわたしを前に、彼はゆっくりと眼鏡を外して深くソファに座りなおす。それから、落ち着いた声色でわたしに尋ねた。

「失礼、お嬢さん。もう一度お名前をうかがっても?」

「三珠ありす。春風台高校一年生よ」

 彼はわたしの顔をインプットするように目を眇めた。鏑木は打って変わってビジネスマンのような面持ちで、わたしをまっすぐに見つめて口を開いた。


「水野佐代子が心臓カルディアを手にいれたのは独自のルートです。私たちとは関係がない」


「カルディア?」

「悪魔の心臓ですよ、三珠さん」


「彼らとの契約に必要なのは人間の心臓ではなく、同胞の心臓。それを捧げることによって私たちは彼らとの接触の機会を得る。そこから力を得られるかは己の器にかかっています」

 心臓カルディア

 悪魔は殺すと消えてしまうということは知っていた。その悪魔が残していく最後の存在証明。

 それは血のように赤い赤い石の形をしていると彼は言った。

「水野はそれを芒という男から手にいれた。この世界では有名な男だそうですよ」

 鏑木の話はこうだった。旭川は日本最大の市場が存在する。そこに売られているのは防衛線から向こうへ渡った男たちが持ち帰る心臓。レッドマーケットと呼ばれる悪魔の横流し市場。心臓は美術品・芸術品として、研究対象として、そして己の願いを叶えんと欲する人間の賢者の石として、高い市場価値を持つ。それを扱うのがレッドマーケット。そこに数年前から幅を利かせている男が芒だという。風態はヤクザかマフィア。けれど弁護士バッジをつけた中国風の訛りの身なりのいい男。そして、一匹狼で裏社会に現れた彼を、誰一人膝をつかせることすらできなかったと言う伝説を持つ。

「そして、裏の世界で芒はこう呼ばれています。──『心臓のない男』、と」


「芒は異端です。私たちにとっても看過できない。あれの目的は日本という国を滅ぼすことじゃないかとすら思うのです」

 裏社会に取っても表の人間にそれを売りつけることは禁忌だ。その力が社会に溢れていくことはその秩序に反することで価値を保っている人間たちにとっても脅威となる。政府が介入することも、権力が目につけることも望ましくない。まして、なにも知らないただの人間にそれを渡すことに意味はない。それをやってしまったのが芒だった。たった一つのタブーを破り、表の人間を裏へと招待する。チケットを受け取るのは、切実に 今を憎むだけのちっぽけな人間だ。

「刺人鬼を追えば必ず奴にたどり着く。奴は悪魔以上の悪魔だ」


「三珠さん、君はどうして刺人鬼を探すんです?」


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