表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/31

6


 そういう昼休みが続いて、腹が立つ知り合いであるところのもう一人が転入してきたのはちょうど一か月の後だった。あいつは図々しくも毎日屋上に居座るようになったので、すぐに縁とも顔を合わせることになった。

 思えば、あいつが転校してきたのはまさに刺人鬼の噂が流れ始めた頃だった。そう、ちょうど彼が転校してきた次の日、わたしたちの居場所に割り込んできた彼とともに縁からその話を聞いたのだ。

 風呂敷に包まれた弁当箱を持って屋上にやってくる。昨日と同じように立入禁止の屋上にはあいつがいた。フェンス際から「よ」と軽い挨拶を飛ばしてくる。仕方なく隣に立つと、失礼にも大あくびをかました。

 わたしが事務的に「疲れてるの」と聞くと「ああ、夢見が悪くてな」と彼は答えた。

 それ以上の会話はなかった。わたしが昼食も広げずに突っ立っているものだから怪訝そうに見てきたが無視する。しばらくすると、階段口から屋上に入るドアがノックされる。

 鍵を開けた。

「わっ、黒部くん!?」

 開いた扉からは縁が顔を出した。わたしが先に来ているからノックしたら開けるというのもルールとして決めたのだった。なぜなら、普通の人間は誰もいない屋上のドアをノックしたりはしない。

 わたしとあいつの組み合わせを初めて見た彼女が妙に驚いた顔をしていたのをよく覚えている。わたしは知らなかったけれど、こいつはこいつで二日目にしてふらっとどこに消えているのか不思議がられていたらしい。縁の視線はきょろきょろわたしとあいつの顔を行ったり来たりする。

「すごいなあ。いつの間に仲良くなったの? 美男美女やん」

「こいつが付きまとってくるのよ」

「おまえがここに来るんだろうが」

 わたしとこいつの返答を聞いた彼女は一層目をキラキラさせていた。意外と仲の悪い人間を見ると興奮する性質なのかもしれない。悪趣味だ。

「もう覚えてるかもしれないけど久坂縁っていうの。時々お邪魔するから許してね」

 転校生へにっこり笑って自己紹介した縁は、いつからか持ち込んだレジャーシートを開いてわたしたちに座るよう促した。わたしはともかくこいつまで車座を組んでというのは不満しかなかったのだけれど、袖を引かれて渋々座った。縁はいつもより高いテンションで話していたけれど、わたしは時折こちらを見てニヤニヤしている男が気になって仕方なくて、全然お弁当を食べた気がしなかった。

 箸を突き刺した最後の卵焼きをわたしが口に放り込んだのを見ると、縁は待ちきれない様子で「こんな話を聞いたんだけど」と話し始めた。

「ありすちゃんと黒部くんは、刺人鬼って知ってる?」

 彼女がこんな風に噂話を話題にするのは珍しいことではなかった。思うに縁のところまで話が届くころにはみんな知っていて、話す相手がわたしくらいしかいないのだろう。しかし、そういった話題の中でもこの話はとびきり物騒で、あまりに現実感がなかった。

「東京でね、ちょっと前から通り魔事件が頻発してたんだって。十人とか刺されて。それなのに刺された本人以外誰も犯人を目撃した人がいなくて。ネットで大盛り上がりして、刺人鬼ってちょっとしたヒーローみたいになってるの」

 すわ悪魔の仕業か、現代の辻斬りかと、刺人鬼らしき事件が起きるたびに掲示板が盛り上がって刺人鬼かそうでないかを話していたという。一体何者なのかとか。次はどこかとか。テーマパークで起こった時には大騒ぎになってトレンドを総なめして、すごい話題になっているんだと彼女は力説した。そういうのに疎いわたしは同じインターネットを見ているはずなのに知らなかった。

「ヒーローって言っても通り魔だろう」

 いつもならあまりわたしと縁の会話には入ってこないあいつが口を挟んでくる。棘のある声だった。あんな服を着ていたからには治安を乱す輩とやらは気に食わないのかもしれない。

「それがね、十人刺されて誰も死んでないんだって。事件発生直後に匿名で救急に通報があって、みんな一命をとりとめてるの」

「なんでそんなことするのよ。なにがしたいわけ?」

「一説には悪魔を憎むダークヒーローなんじゃないかとか言われているんだって。どうやって確かめたのかわかんないけど刺された人はみんな悪魔との契約者で、それに罰を与えてるんだって」

「馬鹿馬鹿しい……。契約者だったらマル特が摘発してるでしょ」

 マル特――特異犯罪対策部は主に悪魔に関する犯罪に対応するために警視庁に新設された部署だったけれど、一番の仕事は『接触』以来現れるようになった契約者の摘発だった。

「そうそう。だからマル特がやったことを誤魔化すためのカバーストーリーじゃないかとかも言われてて。下手な反社よりやばいっていうし。契約者は人権ないから拷問みたいな」

「そんなことない。あそこだって警察で公務員なんだから」

 旭川の課長が知り合いだということを話すと、縁は大きな目を真ん丸にした。

「すごーい。なんでそんな知り合いいるの?」

「イヴ――母親の知り合いでよく家に来てたの」

 あいつが「それでか」としたり顔で呟くのにむかついて睨む。話を続けるのも嫌になったので話を強引に戻す。

「大体刺された本人は見てるんでしょ? 殺されてないならすぐに捕まるじゃない」

「そこがすごいところでね――」

 本当に噴飯ものの与太話だった。少なくともその時のわたしはそう思った。信じるに値しない。もったいぶって言うほどの話じゃない。誰かが付け足した尾ひれだろう、と。

 目を覚ました被害者はみんな口を揃えてこう言うそうだった。

 ――犯人は狐面をつけていたから顔はわからない。

「ばっっっっっっかじゃないの」

 彼女はその時のわたしの顔を見て一人で三人分くらい笑っていた。

 その話はさらにこう続いた。思えばそれが彼女がわざわざ話題に出した理由だったのだろう。

 ――刺人鬼事件がまた起こった。

 ――今度は東京ではなく、ここ旭川で。

「じゃあ私は先に戻るね」という縁と廊下で別れて教室に入った午後一番の世界史の時間。わたしは授業も聞かずに携帯を開いてニュースサイトを覗いた。昨夜零時頃、旭川駅前で技能実習生のベトナム人が刺され、搬送された。匿名で救急車が呼ばれて、一命をとりとめたという。零時だといっても駅前はまだまだ人通りのあったが、目撃者はゼロ。これによって、連続通り魔事件は広域事件扱いとなった。


 それが旭川における刺人鬼事件の始まり。そして、わたしが初めてその憎らしい名前を聞いた場所だった。その時は単なる通り魔事件で、嘘みたいな都市伝説で、他人事のインターネットトレンドだった。まさかこんな風に目の前に立ちふさがってくるなんて想像すらしていなかった、とわたしはファストフード店の窓際でぼんやりと外を眺めながら思う。

 次の予定まで大分時間があった。すっかりしなしなになったフライドポテトをかじる。濃いはずの塩の味はしなかった。マル特の仕事を手伝って貰ったはした金は大方こんな風にファストフードをお腹に詰め込むことに使われた。一人での昼食が寂しいとは思わない。でもこんな風に色味のない時間を過ごしていると、あんなに鬱陶しかったけれどそれなりに楽しかったのかもしれないとも思う。

 扉の外に引きこもっていた昼休みが一人の笑顔にぶち壊されたこと。イヴの弁当をかすめ取られること。

 否応もなく立ち入り禁止の時間に一人増えたこと。腹立たしさを素直にぶつけられる相手がいたこと。

 窓からはペデストリアンデッキを往来する夏休みの学生たちがよく見えた。流行の夏服に着替えておしゃれに着飾った女子高生。体操服に大きなバッグを背負った部活帰りの男子中学生。

 彼らはこの街に住んでいてもなお、どうしようもない現実に振り回されたことはない。自分の日常の裏に潜む悪魔は意識されることはなく、突然通り魔に刺されることにおびえることはない。

 わたしもその時が来るまではそうだった。

 その時はどうしようもなくやってきて、世界はわたしたちを連れ去ってしまう。わたしはそれにすっかり流されてしまわないようにしているだけで精いっぱいだった。

 そこまでする必要があるのか、だって? そんなわけがない。ただ、そうすることしかできないだけ。

 決まってるでしょ。

 目蓋の裏のあいつに怒りをぶつけながら、わたしはとろとろと浅い眠りに落ちて行った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ