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 わたしは少し前から自衛隊駐屯地に出入りしていた。アメリアさんからいつか役に立つと言われて銃を撃つ訓練するためだった。どうやって許可を取ったのかは知らないけれどわたしはすんなりと駐屯地の中に入ることができた。わたしの案内をしてくれるのは決まって同じ人で、丹下さんという若い女性の方だった。彼女に更衣室に連れて行かれて、渡された自衛官の制服に着替える。それから車に乗せられて一時間。ずっと田舎の方にある誰もいない射撃場でわたしは小銃を握ることになっていた。アメリアさんにそんな伝手があったのか、それとももっと別の誰かなのか、わたしは射撃場が使われる予定のない日に特別に練習をさせてもらった。月曜日と水曜日と木曜日にそれぞれ三時間ずつ。アメリアは「ありすは才能があるから、すぐに使えるようになる」と言われていたけれど、実際にわたしが89式を使いこなすのにかかったのはわずか五日だった。それからさらに銃を握って野山を走り回らされるのを五日間やって、合計三十時間の訓練を行ったところでもう教えることはないと言われてわたしの訓練は打ち切りとなった。

 たしかそれは訓練が二週目に入った頃のこと。訓練を終えて更衣室から出て帰る道の中で、丹下さんはいつもと違う道を通った。わたしが部外者だからできるだけ人を避けているようだった。そこでわたしは一枚のポスターを見つけた。殺風景な廊下の壁に大きく貼られたポスターには長い黒髪の少女が一人、まるで睨みをきかしているように立っていた。わたしは思わず立ち止まる。そういえばあの男がそんな話をしていた。一体どうして自衛隊にこんなものがあるのか、と丹下さんに聞くと答えが返ってきた。

「ああ、それですか? なんでも偉い人が気に入って貼らせたらしいですよ」

「そんな個人的理由で?」

「変な話ですよね。マル特の募集ポスターなんてここにあってもしょうがないでしょうに」

 『接触』以来起きるようになった種々の出来事について、政府は『特異』と名付けた。『悪魔』は特異災害、『契約』は特異犯罪、『権能』は特異現象。それらに対抗する組織であるマル特と自衛隊は補完関係にある。外を自衛隊が、内をマル特が守る。しかし契約者に対するスタンスから、対立があるようだった。特に旭川では、毛嫌いしていると言ってもいい。

 そういえば、わたしは結局あの男がどうしてあのとき自衛官の制服を着ていたのか。その真相を突き止めたことはなかった。これだけ広い施設で知っているわけがないと思いながらもダメ元で尋ねる。

「丹下さん、黒部有って聞いたことありますか?」

 彼女は曖昧に笑った。

「知り合いですか?」

「同級生です。でも転校してくる前に自衛隊の制服を着ていたんですけど、それについては聞いても答えてくれないんです」

 これは嘘。聞いたこともない。訊くとあいつのプロフィールが気になるみたいで癪だからだ。

 丹下さんはそれを聞いて一つ教えてくれた。

「私から言えることはあんまりないですけど、十八歳未満で正規所属なんだとしたら、特災対の可能性が高いと思います」

 特異災害対策部隊。数年前に新設された部隊で、いわゆる悪魔に対する特殊部隊だそうだ。特に普通科では対処できない強力な悪魔に対処するための部隊だという。

 あいつがそれだというのであれば信憑性はあるかもしれない。

 それからわたしは一度特災対について調べたことがある。特災対は通常の部隊編成とは異なる独立した編成を取る。その候補は自衛隊内に限らない。日本の領土を侵すあらゆる悪魔を退ける能力を持つことを目標とした当部隊は部隊人員全員を認定契約者によって構成する。認定契約者とは、悪魔と契約したことが認められた上で、公務に従事することを条件に権利の制限が緩和された者のことを言う。ポストを前提とするため、だいたいの場合認定することを前提に検査確定することが多い。

 だから、もし、彼が特災対であるとするならば、契約者なのだそうだった。

 彼は認定契約者の可能性が高い。それを聞いても、その時はなにも思わなかった。だって、その部隊にはたぶんたくさん人がいて、彼はその中の一人だというのだから。ただわたしは、彼にも縁と同じような切実な願いがあったのだろうか、とそう思っただけだった。

 でも、今は違う。

 刺人鬼は契約者だ。目撃証言がないということが代わりにそれを裏付ける。そして、刺人鬼は契約者を刺す。なにからなにまで悪魔だ。うんざりする。契約者なんてものはそこらじゅうにいるんじゃないか。

 十五年間、特異犯罪は増加の一途を辿った。契約という手法が現れ始めたのが、その最大の原因だった。心臓の密売、海外との密輸、契約者が引き起こす現象の余波、契約者の願いそのものが、他人の権利を侵すものであることも珍しくなかった。そして、契約に伴う、代償の問題。代償は本人にとって抵抗のある行動を要求される。したがって、それが善良な市民にとっての犯罪になることは想像に難くない。結果として、治安の悪化、なによりも通常の動機・真っ当な手法によらない犯罪の捜査に警察が限界を感じ、それは設立された。特異犯罪対策課、通称マル特。

 それは全部彼女の受け売りだった。

 嘘つきの街、本当にその通りだ。

 追う側も追われる側も。

 この街にはいったい何人の嘘つきが紛れているのだろう。

 彼らが目の前に現れたとしても、仲良く話したとしても、それに気づく術は一切ないのだ。

 悪魔は人にわかる姿をしていない。

 悪魔の手先だって、そう。


 不思議に思うことは何度もあった。

 なんであいつはわたしにあんなに優しかったのか。

 男子が不自然に優しいなんて別に不思議なことじゃないから、最初はなにも気にしなかった。邪険に扱って、頼みごとをして、それでも聞いてくれるなんてこともあるだろうとは思っていた。でも、あいつはわたしのために命を懸けた。それどころじゃない。わたしのために死のうとした。あの時、わたしが心臓について思い出さなければ、あいつは間違いなく死んでいた。それはおかしい。だって、そんなことしたところで、死んでしまえば意味がない。あんなにまでしてくれて、わたしの盾になって、わたしの呼びかけに応えて、わたしのために命を支払って、そこまでする理由があるだろうか? そう思っていた。

 でももうそれも不思議になんて思わない。

 あの時あいつは言った。

『もう二度と、お前を死なせたりしない』

 死ぬ未来を予見していたからもういいと思ったのか、頭が朦朧として口走ったのか、わからない。

 でもそれは、一度死なせたことを意味する。

 だから、きっとあいつはわたしに優しかったんだ。


 刺人鬼だったことも黙っていて、わたしが必死に探しているのを眺めていたのか。

 わたしを殺して、縁を刺して。

 相田務も水野佐代子も、日向に当たる人間ではなかったとしても、必死に生きていた。契約したことは犯罪かもしれない。でも誰かに迷惑をかけたわけじゃなかったかもしれない。

 縁は、犯罪を犯した。だからってあいつが裁く理由なんてどこにもない。

 まして、もう縁の足は──

 あいつはわたしを殺した刺人鬼だったから、わたしを殺した罪滅ぼしのために、優しかった。犯した罪の贖いのためにわたしを守った。わたしかどうかなんて関係なくて、ただ殺した相手だったから守ったんだ。

 あいつは嘘をついて、わたしに協力するふりをして、実際はわたしの邪魔をしようとしていただけだった。わたしが嬉しかったことも、煩わしいと思ったことも、全部あいつの損得の問題だった。

 どうして、わたしなんかと出会ったんだ。

 どうして、あの後姿を現したんだ。

 放っておけばよかったのに。

 そうすればこんな気持ちになることはなかったのに。 

 全部が一緒くたになって、なにもかもないまぜになって、ただ叫び出したかった。


 許せるわけがない。

 騙していた。


 その言葉がぐるぐると回った。

 脳みそが一色に染まって、削り出された思いが澱のように積もる。

 わたしは。

 あいつを。


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