第8章 中途半端な覚悟じゃない
その手は。
「時子さん!」
今度こそ俺の手は彼女のことを掴んだ。
すぐに怪我のないことを確認する。彼女は少し恥ずかしそうに俯くと俺の着物の襟をキュッとつかんだ。
その手に自分の手を重ねて微笑んで見せた。
「・・・くそっ。なんで!」
宙を掴んだ手で握りこぶしを作りながら、楓さんが吠える。
そこには一流ホテルの支配人の姿はなく、無様に怒りをぶつける男の姿しかなかった。
「時ちゃん!なんでこんな男を選ぶんだ!僕のように一流ではない、ただの茶道家になった男など!僕なら君のことを幸せにしてあげられる!どんな願い事だって叶えてあげられる!どこにだって連れて行ってあげられる!なあ!なんで僕を選ばない!!」
「・・・だよ。」
「時子さん?」
腕の中で彼女が震える。その表情は・・・。
「少なくともてめえのような✕✕✕が✕✕✕で✕✕✕しているような男じゃないからだよ!」
ブチ切れていた。
腕の中から彼女が離れる。一瞬過ぎった不安に気付いたのか彼女は一度こちらを振り向くと大丈夫と言った。そのまま彼女はズカズカと楓さんの前に進む。その剣幕に押された彼は腰を抜かしてカーペットの上にへたり込んだ。
「ひ、ひぃ。」
情けない声を出して楓さんが後ずさる。その胸ぐらをつかむと彼女はさらにまくし立てた。
「こいつはなあ、てめえと違って何年もかけて覚悟決めて、しっかり自分で腹くくった男なんだよ。私を幸せにしてあげる?なめんじゃねえ!私は、私を見てくれたこいつと幸せになんだよ!邪魔すんな!!」
「と、時子さん・・・。」
「あんたも!」
振り向きざまスマホを投げてくる。慌てて取るとそれは俺のスマホで、いつ操作したのか盗聴アプリが起動されていた。
それは数日前、彼女が楓さんと飲むと言って喧嘩別れしたあの時間の再生画面が表示されていた。
恐る恐る再生ボタンを押す。
『時ちゃん。来てくれて嬉しいよ。』
『子供の時以来だな、とでも言うと思ったか?』
『はは。手厳しいな。』
いつもの彼女と穏やかなふりをする楓さんの声がする。
そのまま会話を聞いていると、ガシャンとガラスが割れる音がした。
『だから、君は分かってないんだ。名前も呼べない男などが幸せにしてくれるはずがないと。』
『支配人、どうかその辺りで・・・。』
バーのマスターだろうか男が仲裁に入る声がする。楓さんはそのまま話を続けた。
『時ちゃん。君がホテルに来た時、僕は運命を感じたんだ。神様が僕の元に君をまた連れてきてくれたって。嬉しかった。隣の男を見るまでは。子供のころ離れてしまった君がまた戻ってきたと思ったのに。どうして君は、僕を裏切るような真似を!』
『・・・言いたいことはそれだけか?』
『は?』
ばさっと何かを広げる音がする。手紙だろうか3、4葉では済まない数。それを見たであろう楓さんが小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。
『そうやって、気に入った女を何人取り込んできた?その女たちも無事では済まなかったんだろう?頭のいいお前は幼少期から女癖が悪かった。残念だったな。私がこのホテルを選んだのはお前との縁を切るためだよ。幼少期に気付けなかった違和感に、これから愛した男を守るために、私はここに来た。』
『ど、どこで気付いて!』
『ちょっと、一服差し上げたらお話をいただいたことがあっただけだよ。』
『・・・くっ、くく、あいつはどう思うかな?』
『あいつ?』
『婚約者の男さ。君がこの計画を知っていたこと、そのうえで僕に会いに来たこと。知ったらどう思うかな?』
『あぁ、それは大丈夫。』
彼女の声がする。地面に座り込んだまま動けずにいる楓さんのところに近づく。
『あいつはいつだって。』
目が合って少し離れた彼女に微笑む。
『私のために生きてくれて。』
楓さんのほうに視線を向ける。もう引け目を感じることもなかった。
『これからも今まで通り。』
楓さんの倒れこんだ体の胸倉をつかみ。
『【幸福をいつもあいつと】分け合うんだ。だって私たちは。』
そのまま思いっきり。
「『愛してるから!』」
「うおおりゃあ!」
「いっっだああああ!」
頭突きをかました。