第2章 上げて落とす
前途多難だな、と情けない言葉を掛けられて俺は家に帰った。
そういえば、面と向かって名前を呼んだことも呼ばれたこともない。
俺の中でセンセはずっとセンセだったし、これからも変わらない。
いやそういうことじゃない。
彼女を、彼女のことを、一人の女の子として大切に思うのに。
「はあ、ただいま。」
草履を脱ぎ、玄関を上がる。
すると、奥からたったったっと小走りの音がした。
「おかえり。」
襖をあけ、桃色の浴衣がこちらを覗く。寝間着もかわいいなあ。ゆるむ頬を押さえて、ただいまと笑顔を返す。
「遅くまで飲んで疲れただろ。」
「遅くなってごめんなさい。先に寝ててもよかったんですよ。」
「いや。」
首のあたりを押さえ、彼女が顔をそっぽに向ける。何か変なこと言ったかなと思っていると、その姿勢のまま答えた。
「寝る前に、あんたに会いたかったから・・・起きてた。」
耳まで赤いその姿に、風呂敷を落とすとそのまま抱きついた。
「くるしいよ、バカ。」
こんな愛らしい存在を前に何を悩んでいるんだろう。
俺は腕の中の幸せに口づけを落とした。
「おはようございます。いてて・・・。」
珍しく二日酔いをしたのか、頭痛に悩まされながら目を覚ました俺は、遅めの朝食を取ろうと台所に向かう。今日は彼女も休みでリビングに・・・あれ?
「出かけたんかな。」
特に置手紙とかもない。何も言わずに行ったのは酔っ払いの俺に対する配慮だろうか。確かに昨日はかなり酔ってたもんなあと反省しつつ、なんか腹に入れようとおもって戸棚をあさっていると、玄関の扉があいた。
「おかえり。」
昨夜とは逆に俺がお迎え。なんかのパンフレットを抱えた彼女は俺の顔を見るとこう言った。
「そうだ、新婚旅行に行こう。」
よく見ると、それは新婚旅行の案内だった。俺は驚きながら笑って言う。
「センセ、新婚旅行は思い出していくもんじゃないです。」
どうやら話を聞いてみると、秋の稽古会も終わり春の大会前に1週間ほど休みを取って行かないかというものだった。現在の直属の師範である先生には「いちゃいちゃ話・・・新婚トーク・・・聞きたいのお。」と、遠回しに催促されていたため、俺が休みを取るのは問題ないだろう。彼女も同じようで、新婚旅行には行っておくべきだと教え子たちにせっつかれていたらしい。思い出したわけじゃないが、この機会に行かないかとのお誘いだった。
出会って十数年になるが、これは親密になるにはピッタリでは?と少々邪な気持ちが走る。
そうじゃなくてもこの先何十年も一緒に居るのだ。思い出つくりは作れるときに作っておいた方がいい。
何かに後悔する前に。
パソコンを開き、行き先を議論し、宿泊先を探し、体験工房など予約を取る。
普通の旅行ととくに大きく変わりはない。
はずだった。
彼女が宿泊先ホテルの支配人あいさつというページをクリックする。
そんな細かいところまで確認するなんてしっかり者だなあと思っていたのも束の間。
「あ、これ、昔の許婚だ。」
「なんだって?」
若くイケメンの支配人の写真を指さして耳を疑うような発言をした。