第1章 呼べない名前
そうだ、新婚旅行に行こう。と言ったのはセンセで、俺はそれに笑って答えた。
「センセ、新婚旅行は思い出していくもんじゃないです。」
ホテル・エスペランサでプロポーズ。のちに挙式を上げた俺たちは、変わらず茶道教室の師範代として生徒たちに稽古をつける生活を送っていた。定期的に茶会を開き、時に自分の稽古を見直し、先生にも「まだまだ青年は成長するな。」とお墨付きをもらっていた。そんな中、センセと結婚した俺だけど、一つだけ不満なことがあった。
「センセ。新婚旅行行かないんですか?」
「秋の稽古会のシーズンが終わるまでいけないのは分かってるだろう?」
「2泊3日でもいいです。せっかくの新婚なのに。」
「旅行なんて、この先ずっと一緒ならいくらでも行けるだろう?」
「もう・・・。」
センセが新婚旅行に頷かないのである。確かに一緒に居て旅行らしい旅行は行って無い。行くのに抵抗があるのだろうか。でも日常生活で不満らしい不満は聞かない。稽古会が多く控えてるのも知っている。なんでだろう・・・?俺は首を傾げた。
「ってことがあってさー。」
冬も始まり、炉の稽古が始まった頃にエスペランサの仲間とホテルのバーで飲んでいた。
酔いも回ってきたところで俺はカルフォルニア・レモネードをあおりながら仲間に愚痴る。仲間は顔を見合わせると驚いたように俺のほうを見た。
「センセ、ってまだ呼んでんの?」
「なんで?」
「新婚ならそれこそいちゃいちゃと・・・。」
「やめろ、お前が言うといかがわしくなる。そうじゃなくてもさ、プライベートくらい名前呼んでやってもいいんじゃないのか?進展しないのはそういうことでは?」
「それもそうか・・・。」
「おう、ここで試しに呼んでみろよ!なんだっけ?ときそばさん?」
「時子さんだろ。」
「よ、呼べるよ。下の名前だろ!?」
彼女を頭の中で想像する。こっちを向いて、笑って、目を細めた所で・・・!
「と、と、と、ときっ!」
仲間は呆れたように顔を見合わせた。