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第1話『幕が上がる、その前に』

メモ

("物語"の存在はなくす、あくまで物語にそって話が進む)

マリアの提案により繁華街にお忍びで行く

繁華街にて同じくお忍びで来たニィーダと出会う

もうすぐ帰らないと行けないがニィーダの誘いにマリアが興味を持ってしまいリリーはしぶしぶ付いていく

途中で人拐いと出会い逃げることに

ニィーダの提案でとある路地に逃げ込み積まれた端材を崩し通せんぼを作る

難を逃れたが崩れた端材の一端がさらに崩れマリアを襲う

リリーは被さるようにマリアを庇い気を失う

目が覚め旦那様と奥様に大目玉を食らう

マリアの為を思い自ら責任を負う

旦那様は内情を知りつつもリリーに2年ほどマリアのメイドを解除を言い渡す(別に会わせないわけではない)

自分のせいだとマリアは落ち込むがリリーはこれを機にマリアを守れる力を身に付けると誓う

そのためにはまず士官学校に行くとマリアに告げた


メモ2

リリーの人となりとマリアとの親密さをわかりやすくするために両親から捨てられたところから描写する

散々苦しい生活をしていた両親から初めての旅行を言われて喜ぶリリー

とある森の中にある花畑でくつろいでいると見慣れない蝶々が飛んでいたのでそれを追いかける

手に入れていざ親に見せようと花畑に戻ったが二人ともいなくなっていた

夜になっても親は見つからなかった

自分のせいだと罵りながら森を出ようとするが夜なので帰り道がわからずその場で寝てしまう

誰かの声に目を覚ますと老婆がこちらを心配していた

泣きながら事情を話し老婆の住む教会に向かう

老婆とその教会で働くシスターたちの協力もあって両親が見つかった

しかし両親はリリーのことを知らないと言い会うことすら拒否された

あまりのショックとシスターたちの同情に心が冷たくなっていった

孤児となったリリーはなし崩し的に教会に住み始め、数年後はその教会で働き始める

あれから表情を失っていたリリーだったが、週末祈りを捧げに来る人たちと触れあうことで段々柔らかくなっていく

その中で特に親しくなったのは爵位持ちにも関わらず訪れていたフィン男爵の一人娘のマリア

そのマリアと仲良くなったせいなのか、フィン男爵のご厚意によりメイドとして引き取られることになる

(以下本文につながる)





 ◆『館内放送』◆



 ご来場の皆さま、本日は当劇場に足を運んでいただき、誠にありがとうございます。


 皆様が客席に着くまでに一つだけ、記憶に留めて欲しい言葉があります。


「目の前の未来を変えることはできるが、遠い未来は変えることが出来ない。運命とはそういうものだ」


 この言葉の意味を考えていただく必要はありません。頭の片隅に置き、どうぞそのまま客席の方へと足をお運びください。



 ◆『舞台袖から覗く顔』◆



 客席の皆様、当劇までもう間もなくとなりました。

 開幕までの間、僭越ながら私の自己紹介をさせていただきます。


 私の名前はリリーと申します。

 とある家のメイドとして給仕させていただいており、当劇の端役を勤めさせていただいております。

 以後お見知りおきをお願い申し上げます。


 ……フルネームですか? 誠に申し訳ありません。私には下の名前がないのです。なぜなら私は孤児だったので。


 私はとある貧困層の家庭に生まれました。

 両親は私を産みながら日々の稼ぎに追われ、家計に苦しみ、そして早々に私を手放しました。

 酷い話ですよね。ですがよくあることなので街外れにあった小さな教会に預けられることになりました。

 いわゆる捨て子ですね。生まれを選べない私は恨む事も知らず、二度と会うことがない両親の背中をぼーっと見届けていました。


 それから数年後。私の性根がよかったのか、はたまた適応力が高かったのか、結果まっすぐな性格に育ちました。

 教会では私と同じような捨て子が数人いまして、その子達と家事や掃除、教会のお手伝いをしていたことで、心身ともに誠実な子に育ったのでしょう。


 そしてそのままシスターとなり教会で働く――と思っていたのですが、転機が訪れました。

 そうです。自己紹介に申し上げた通り、私はフィン男爵家でメイドとして働くことになりました。


――私がフィン男爵家で働く理由ですか?


 まあ端的に言えば遊び相手です。

 同年代の友達がほしい。と娘にせがまれた旦那様が教会に足を運ばれまして。そして私を選んだそうです。

 メイドと言うのは外聞の為に用意された仮の役職で、当時はほとんどの時間をお嬢様と遊び、過ごしていました。


「リリーのことを、よろしくお願いします」


 引き取られる際、教会で一番偉いシスターは深々と旦那様へ頭を下げながらそう仰りました。

 その光景を私はなぜか鮮明に覚えています。きっとその時見せたシスターの顔が、娘の門出を祝う優しい笑顔に見えたからだったと思います。


――さて、私の紹介はほどほどに。そろそろ開幕のお時間がやってまいりました。


 今からご覧頂くのは、私と"私"による『私』の為の劇。


 どうぞ、腰を掛けて"最期"まで御拝聴ください。



 ◆『客席にて』◆



 ビル群が立ち並ぶ都市部から少し離れた住宅街。

 その中のとある民家。二階の一室に、一人の少女が机の前でパソコンの画面を見ていた。


『ふう、おわったああぁぁぁ~~~……』


 長いため息を漏らし、少女は腕を伸ばして体を震わした。


『うーん、がっつりやったせいで体が疲れたぁ~』


 体を揺らし、軽いストレッチを終わらせた少女は、再び画面を見る。

 そこに映っているのは、上へとスクロールするエンドロールと、今まで見てきたキャラクターたちの一枚絵(スチル)だ。パソコンの両端に設置してあるスピーカーからは、エンディングを彩るBGMが流れている。最初に聞いたときは思わず涙が出たものだ。


『全エンディング回収。スチルも100%。これで完全攻略よね』


 だが何度も見れば感動は薄れる。今は達成感の方が強かった。

 独りごちる少女はマウスを動かし、エンドロールをスキップする。流れる絵はすでに本編で見たものばかりだ、ここで見返すこともない。

 暗転、後にスタート画面に戻る。そしてCG、回想ページに移動し、100%の数字を確認すると少女は満足げにうなずいた。


『最初は1周ながーい!とか思ってたけど、いざ全部終わらせるとあっけないものねぇ』


 ウィンドウの端にある終了ボタンを押し、ゲームを終了させた。

 そして少女はパソコンからゲームソフトを取り出し、傍らに置いてあったソフトケースに戻した。


『……ん?』


 その時、ケースの内側に挟まっている一枚の折り畳まれた紙を見つけた。紙を広げると、そこには先ほどプレイしていたゲームに対するアンケートの内容が書かれていた。


『アンケートか……せっかくだし書こうかな。次回作の励みになるだろうしね』


 終わった達成感からか、気分が乗っていた少女は勢いのままに筆記用具を取り出し、アンケートハガキにシャーペンを走らせる。


『キャラクター……良し、グラフィック……良し』


 色々ある質問に一つ一つきちんと評価した。時には記憶を辿ったり、時には直感で書いたりした。

 すると、とある質問で手が止まった。


『ストーリー……かぁ』


 用紙から視線を外し、椅子の背もたれに深く預け天井を見上げた。少女の顔は先ほどまでの表情と違い、少し翳っていた。


『よかった。うん、よかったのはよかったんだけど……ねぇ』


 自分の発した「よかった」という言葉にいささか納得できていない少女は、しばし思案を巡らした。


『うん。嘘はよくないよね。アンケートなんだし、ちゃんと向こうに伝えないと』


 そう言うと少女は記入欄につらつらと思いの丈を綴った。

 2行くらいの少ない量だが、書き終わった少女の顔は少し晴れていた。


『よし、これを見て……まあ次回作にすぐ反映するとは思えないけど。言うだけタダよね』


 不足が無いか一応全部の項目を見直し、確認を終えた少女は自室を後にする。

 階段を下り玄関へ足を運ぶと、少女は遠くへ向かって声を出した。


『おかーさーん! ちょっと出かけてくるー!』

『車に気を付けなさいよー』


 その先――おそらく台所――に居るであろう母親にそう伝え、その母親から返事を貰った少女は家を出る。


 しばらく住宅街の道を歩き、目的の郵便ポストが見える交差点へとたどり着いた。

 交通量の多いここは信号機が設置されていて、少女は信号が青になるまで手に持つハガキを見ていた。


『それにしてもネットが主流の現代にハガキって、一周回って赴きあるよねぇ~』


(ブルルルルル――)


 ひらひらとハガキを振りながらそんなことをつぶやいていた。しかし少女は気が付かなかった。

 いや、音で気づいていただろう。

 だがその音は"通りすぎる"と思っていたのだ。


(キキィ――!!)


 突然のブレーキ音。そこで少女は顔を上げ、事態を理解する。


『あ……』


 眼前に見える"車"。運転席に乗っている人の表情は恐怖と焦りが入り混じったもので、これから起きることを悟っているようにも見えた。


(バンッ――!!!!)


 それが、少女が見た最後の景色だった。



 ◆『闖入者』◆



「――――ッ」


 とある日和。日差しが幾ばくか強く差し込む午後の昼間。

 緑の植え込みに囲われた庭。そこでお茶の準備をしていた私は、突然の出来事に体が強張ってしまいました。


「あ………え………?」

「リリー……?」


――今のは一体……。


「リリー、ねえリリーってば!」

「――は、はいお嬢様! ……なんでしょうか?」


 意識の外側からの声に驚き、私はすぐに正気に戻りました。眼をしだたかせ、呼び掛けていただいたお嬢様の方へ向き直ります。


「むぅ〜」


 頬を膨らまし私を見つめる彼女の名前はマリア・フィン様。フィン家唯一のご息女で、私のお仕えするご主人様です。

 黄金に輝く毛並みに色白な肌、睨み付けてもなお魅力的な深紅の瞳。低位伯爵の身ながらそのお姿は一流階級と疑われても仕方がないほどの美貌を持っています。

 同性同年代とはいえ、私がお嬢様に強い憧れを持つのは必然でしょう。それほどまで美しいのですから。


「『なんでしょうか?』じゃないよ。突然固まってどうしたの? 具合でも悪いの?」


 膨らました口から空気を漏らしたマリアお嬢様は、私の様子を見て心配そうに声をかけました。

 確かに。テキパキと動いていた私が急に制止すれば誰でも気になります。案の定、近くにいた私の先輩方がチラチラとこちらを様子見ています。

 お嬢様の機嫌を損ねるのはメイドの恥。教えられた教訓を思い出し、私はすぐに取り繕いました。


「い、いえ。何でもありませんお嬢様。今すぐお茶をご用意いたします」


 誤魔化すように言った私は直ぐにお茶の準備を再開しました。


「…………。」


 適温に暖められた紅茶をティーカップに注ぎながら、しかし私は未だ集中できず、先程の光景を反芻していました。


――私ではない誰かの……光景。いえ、この場合、記憶というべきでしょうか。他人の記憶なのにまるで私が体験したかのような生々しい気持ち。とくに最後のあの……。



 ◆『刷り込み』◆



 "あの"……?


 "あの"とはなんですか?


 "あの"とは『交通事故』のことです。


 ところであれはなんですか?


 あれは『クルマ』です。


 『クルマ』はとても硬いです。


 『クルマ』がこちらに迫ってきます。


 『クルマ』は止まりそうにありません。


 『クルマ』が目の前にいます。



「…………あ」


 その硬い『クルマ』は"私"にぶつかりました。


「また手が止まってるよリリー」

「あ……」


 "私"は叫び声を挙げました。


「それに顔色が悪いよ。真っ青。昨日の仕事が大変だったの?」

「…………ああ」


 とてもとても大きい声で、叫びました。


「えっと、リリー……?」


 身体中に痛みと言う痛みを感じました。


「あ、あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 私は絶叫しながらその場に倒れました。頭の中がかき混ぜられるような嫌悪感と、身体中に巡る激痛に立っていられなかったからです。


「リリー!?」

「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 遠くの方でお嬢様の声が聞こえるような気がします。ですが今の私は全身の痛み以外に気を向ける余裕がありませんでした。


「リリー、しっかりしてリリー!! 誰かー! 誰か来てー!」

「あ……が……。」


 お嬢様の叫び声が遠退くのを感じながら、私は意識を手放しました。



 ◆『夢か現か』◆



 白い部屋。

 それが今の私の第一印象でした。

 辺りを見渡してもあるのは白、白、白。

 白と表現する以外のモノが一切無く、私しか居ませんでした。


『そうでもないよ』


 突然の声に私は声になら無い叫び声を挙げました。


『ごめんね。ビックリさせちゃった』


 振り返ると女性が立っていました。先ほどまでは居なかったはずなのに、どこから来たのでしょうか。


『私にもよくわからないや。気がついたらここにいて、あなたがいた。そんな感じ』


 よくわかりません。

 改めて彼女を見てみると違和感があるように思えました。

 そしてなぜかその違和感が理解できません。


『そりゃあ、この体じゃあねぇ』


 彼女はぎこちなく腕を挙げ……ようとしてますが殆ど動いていませんでした。


『ただの衝突だったらここまで酷くならないよ。多分あのあと止まれずに私をタイヤで轢いたんじゃないかな?』


 よくわかりません。


『あはは、まあ理解できないならそれでいいよ。今のあなたには必要ないし。』


 そう言えば彼女は立っていると言うより地面に横になっているように見えます。

 なぜ最初にそう思わなかったのでしょうか。


『ごめんね。多分私のせいだと思う』


 なんの事でしょうか?


『本当ならあなたたちに関わるはずがなかったの。私は観客で、あなたは演者』


 ますますわからなくなってしまいました。


『わからなくていいよ。私には謝ることしか出来ないから』


 そうですか。


『多分ね、もう少ししたら目が覚めると思う。幻肢痛、みたいな感じで一時的なショックだから命に別状はないと思う、うん。』


 げんし……なんでしょうか?

 私の疑問に彼女は凹んだ顔を僅かに動かして反応しました。あれは苦笑しているのでしょうか?


『まさか事故の痛みをあなたが受け継ぐとは思わなかったから。大事なお茶会に水を差してごめんね』


 そう言うと彼女は目を閉じました。左目は潰れて無くなっていますが。


『それでね、お願いがあるの』


 お願いですか?


『こんなところで、こんな出会いで、よくわかってないあなたに刷り込ませようとするのに気が引けるけど。死んだ私がこうしてあなたに出会えたのも何かの運命かもしれないし』


 よくわかりませんが、私にできることならお手伝いしましょう。


『ありがとう。じゃあね――』


 彼女の言葉を聞いた瞬間、目の前の白い風景に光が満ち溢れ、私は飲み込まれてしまいました。


『がんばってね、リリーちゃん』




 ◆『修正箇所無し』◆



「……ここは」


 発した声が若干の濁りを感じつつ、私は目を覚ましました。

 視線を動かし……、ここはおそらく私の寝室でしょう。


「あれ、いつの間に私は寝たのでしょうか」


 私の記憶では























 至上の喜び。比喩でもなんでもなく、この言葉には嘘偽りはありません。

 あの時私が教会で旦那様に拾われなければ、あのままあそこで一生を終えてたでしょう。いえ、お婆様のご容態を鑑みたら今頃貧民街でゴミ箱を漁る毎日を送っていたでしょう。そう考えれば、今の生活に感謝してもしたりないです。

 メイドとしての教育に多少の気苦労はありましたが、旦那様や奥さまの厚い待遇に、お嬢様の優しい振る舞い、同僚との円滑な関係等々、それらを加味しても、今の境遇に不満など一切ありません。


 その真摯が伝わったのでしょうか。お嬢様は怪訝な表情を緩め、不思議そうに私を見つめました。


「でも疲れたらちゃんと休まないと。……そうだ! お茶を淹れたらリリーもそこに座って?」

「あ、相席ですか? そ、そんな畏れ多いこと出来ません……」


 「えー」と不服を漏らすお嬢様は両肘をつき、両手でこ自身の頬を挟みました。はしたない行為ではありますが、今指摘しては余計こじれる可能性があるので出かかっていた言葉を飲み込みました。


「リリーは元々私の遊び相手でしょう? なにか問題あるの?」

「それは最初の頃の話ではないですか。今は私もこの家のメイドの一員として働いているので、もうそのような関係には戻れません」

「むー」


 私の弁明に頬を膨らませるお嬢様。その表情は、失礼ながら可愛らしく、さながら子犬の威嚇のような雰囲気にしか見えませんでした。


「じゃあ命令。そこに座って、私の話し相手になって!」


 肯定しない私にお嬢様は強行手段をとられました。反対側の席に指を指して私を見つめます。


「ご命令ならば……」


 こう言われてしまったらどうしようもありません。私はテーブルにもう一人分の紅茶を用意し、「失礼します」と断りをいれて席につきました。

 ああ、遠目でこちらの様子を見ている先輩方の視線が痛いです。後で誤解を解かなくては……。


「……。」

「……あの」


 席についたものの話の切り出しはお嬢様からなのか私からなのか。いったい何を話せばいいのか……。

 迷っているうちにお嬢様の口が開きました。


「それで。さっきのリリーについて聞きたいんだけど、なにかあったの?」

「……。」


 やはりまだ気になされたようです。

 しかし私もまだ把握しきれていないのも事実、どう説明すればよいでしょうか。


「あの、お嬢様」

「なぁに、リリー?」


 私は意を決して先程の出来事を話すことにしました。

 私ではない誰かの記憶。その、おそらく亡くなったであろう最後の瞬間(は流石にお嬢様には刺激が強いと思われるのでオブラートに包みましたが)までの顛末を語りました。


 私自身、何を言い出すのだろうかと思うほど私たちの生活から逸脱した内容なのに、お嬢様は軽い相づちを打ちつつも最後まで聞いてくださりました。


「うーん、やっぱり疲れてるんじゃない? 休むべきよ」

「そう、でしょうか」


 お嬢様は嫌な顔ひとつせず、私をいたわってくれました。その心遣いに心が温かく感じます。


「お父様から聞いたことがあるわ、たしか白昼夢だったかしら」

「白昼夢……。」


 心配そうな顔で私を見つめるアリアお嬢様に思わず言葉を反芻してしまいました。

 白昼夢。確か意識が曖昧になりそれがあたかも夢を見ているような状況を指す、でしたか。


「うん、絶対そうよ。今日はもういいからゆっくり休んで。後は他の人に任せるから」


 お嬢様はそう言うと、手元にある小さなベルを鳴らし、先輩のメイドを呼び出しました。


「はい、何かご用命でしょうか?」

「リリーが疲れで白昼夢を見たそうよ。休ませたいから今日の残りはあなたが代役してくれる?」


 先輩は私を一瞥しながら「かしこまりました」と短く返事をし、直ぐに引き継ぎを行いました。


「……ご配慮、感謝いたします。お嬢様」

「気にしなくていいよ。そんな日もあるから」


 私は席を立ち、お嬢様に深々とお辞儀をしてその場から離れました。


「ゆっくり休んで、明日はいつも通り元気な顔を見せてね」


 去り際にアリアお嬢様からの言葉をいただいてすこしだけ振り返りました。

 私を見送るお嬢様のお顔はにこやかで、またいつもの毎日が送れるだろうと確信しているようです。


「はい。ではお先に失礼します」


 そう言い残し、私は屋敷の中へと戻りました。



 ◆『私と"私"』◆



 自室に向かうまで、私は先程の"白昼夢"について考えていました。


――本当にあれは夢だったのでしょうか……?


 確かに、今の風景からはあまりにも逸脱した情景です。服装も家具も、みな見たこともない代物で、全てが異質でした。


――ですが……。


 私はそれを"違和感"とは思えませんでした。いえ、むしろ"普通の光景"だと思ってしまいました。


――なんでしょうか、この奇妙な感覚は。


 おそらく、この問いの答えは誰も知らないでしょう。そう"私"が直感で思いました。


――"私"?


 私は私です。

 私以外の私などいるはずもない。私は唯一の存在……。それは紛れもない事実です。


(ガチャ――)


 自室の扉を開き、私は壁に立てかけてある姿見の前に立ちました。

 映っているのはもちろん私です。ですが先ほどから抱き続ける"違和感"は消えません。


「"私"は……いえ、"あなた"は……誰?」


 鏡に映る私は答えてくれませんでした。



 ◆『二人一役』◆



(チュンチュン、チュンチュン――)


――眩しい……。ああ、あれから私はそのまま寝てしまったのですね。


 翌日。私は朝日と鳥の囀りで目を覚ましました。

 周りを見渡し、私は着替えもままならない状態でベットに眠り込んでいたことも理解しました。

 シワシワになってしまった制服を急いで脱ぎ、クローゼットに掛けてある予備の制服を取り出し着替えます。

 着替えを終えた私は細部のチェックをしつつ、ふとある言葉を呟きました。


「"私"は誰?」


――ッ!!


 問うた瞬間に巡る記憶の奔流。

 昨日の白昼夢と同じような景色が私の頭の中で洪水のように押し寄せてきます。

 今度は亡くなる直前ではなく、それよりもっと前。"私"の生活や思い出、景色。視覚以外の情報がどっと押し寄せてくるこの状況を、どう説明すればよいのでしょうか。


「……う」


 軽いめまいを起こした私は洗面台に向かい、冷たい水を浴びることで和らげました。

 近くに掛けてあるタオルで顔をぬぐうと、多少冷静さが生まれました。


――やはり、あれは夢じゃないですね。


 そして一つの結論に至りました。

 水を浴びたことで、ではなく、一晩の猶予があったからでしょうか、今の私は昨日ほどの混乱もなく、次第に頭の中が整頓されていくのを感じました。


「そうですか……"私"は、もう私なんですね」


――あれは、きっと本当にあった出来事だったんですね。最後に"くるま"と衝突してお亡くなりになった、と。


「その後、何の因果か私のところへ移ってきたと、そう言うことでしょうか。……なかなか適切な言葉が見つからないですね」


 洗面台から移動し、昨日覗き込んでいた姿見の前へ。改めて私を見つめました。

 映るのはもちろん私です。ですが"私"はこの姿が新鮮に見えるようで、少し体を動かしふわりと動くスカートを目で追っていました。

 一呼吸ついたあと改めて自分の顔を見ます。


「この違和感がなんとなく理解しました。ですが……」


――その記憶の中で、気になるものがありましたね。


 見知らぬ景色、ですが、ひとつだけ私の知っている物がありました。

 それは絵画のようで、でもあまりにも鮮明な描写。

 私とって、それは"日常"そのもの。

 でも"私"にとってそれは、


「今この景色そのもの……つまり、ここは……」


――"私"が"ぷれい"していた"げーむ"の世界?


「…………そんなまさか」


 じわじわと湧いてきた感情はついに限界に達し、その衝撃に思わずその場で崩れ落ちました。

 しかし、そうなってしまうのも無理はありません。

 なにせ今、私の記憶の中には『今後の人生』があるのですから。

 私の知らない、私の今後を知ったこの感覚を、キチンと受け止めるほど私は出来た人ではありません。まだお嬢様と同じ歳なんですから。


――で、ですが。それを許容したとしても……。


 "私"の記憶に映る私の人生が次々と流れ込んできます。小さな箱に映る絵に私の姿が、その『未来』の姿が、文字と共に。


 たまたま、似たような景色を描写しただけかもしれない。

 たまたま、私の知っている人が描かれていただけかもしれない。

 たまたま、お嬢様に似た人物が描かれていただけかもしれない。


 受け入れたくがないために、私の脳が違うと拒絶します。


「そ、そうです。そんなわけないです。これは"私"の記憶であって、"ここ"とは関係ない。そう、全く関係ないはずです」


 ありえない。そう自分に言い聞かせました。

 そして私はふらつく足取りでお嬢様を起こしに行きました。


――この気持ちを、今までの日常で払しょくできると信じて。



 ◆『渡された台本』◆



 ですが、先ほど抱いた私の希望はあっけないほど、脆く崩れることになりました。


「お嬢様……今なんと仰いました……?」

「だから、『私今度家出をしてみようと思うの』」


 そう仰られるお嬢様の顔は大層笑顔でいらっしゃいました。


「あの、お嬢様は……『家出の意味をご存知でしょうか?』」

「『私を馬鹿にしないで、家庭に不満を持った年頃の子が家に帰らないことを言うのよ!』」


 そのお返事を聞いた私は体の奥底から恐怖を感じました。服の下で、まるで氷付けになったかのように鳥肌が立っていました。


 ――いえ、その返事を求めていないのですお嬢様。私はそれを求めていなかったのです。それは、それを、聞きたくなかったのです!


 私は必死に何かの間違いだと必死に訴えます。しかし"私"の記憶がそれを拒みました。

 お嬢様が突発的に家出を言い出すのは偶然で片付けることができます。それを私にだけ言うのも偶然で済ませれます。すべてが偶然ならば、私は救われていました。

 ですが――


――なぜ、なぜ一字一句"私"の記憶にある"セリフ"と同じことを仰るのですか、お嬢様!


 あまりの衝撃でまた崩れ落ちそうになりました。しかし、昨日今日でまた同じような失態を見せるわけにはいきません。

 見えないところで歯を食いしばり、ふらつく足をしっかり踏みしめました。そしてお嬢様を見つめ……


――ッあ!! 昨日のお嬢様の言葉……!!


 瞬間。私の脳裏によぎったのは、体調不良でお嬢様から去る前に、私に掛けていただいた言葉。


『明日はいつも通り元気な顔を見せてね』


 ただの労いだと思っていました。たとえ不調だとしても、メイドを職としている以上長時間の不在はいけないと気にかけていただいたのかと、そう自己解釈していました。


――ですが、ですが。もしこれが……"決められた物語"に戻させる"修正"だとしたら。


 アドリブ。と言う言葉が私の頭の中に入ってきました。聞きなれない言葉なのになぜか知っているのは"私"の記憶が混ざっているからでしょう。


――"物語"を破たんさせないために、修正するために、お嬢様がその言葉を言ったのならば。


 それを確かめるためにもう一度、今度は私が"思った言葉"と違うことを言いました。


「お嬢様……もし、私がその家出に賛同し、同行しようとしたら、どうなさいますか?」


 あまりにぎこちない言葉に私自身も怪しまれると思いました。

 私の知るお嬢様なら、この質問に対してどう答えるのか。


――恐らく一緒に行こう。と言うでしょう。


 私の自惚れではなく、現に今までもいろんな事をするときは、いつも私がそばで見守っていたのですから。

 それが私がこの屋敷に居る理由です。


――ですが、


 私は恐る恐るお嬢様の顔を見つめました。

 美しく、考え込むお姿もまた魅力的なマリアお嬢様。ですが私の中には最悪の予想が不安を掻き立て、その口から何が出てくるのか待っていました。

 そしてお嬢様は一瞬口を開閉し、こう言いました。その仕草は何か違和感を感じました。


「何を言ってるの?『家出は一人で行かないとダメじゃない』」

「………。」


 ああ、私の思いは音もなく崩れ去りました。

 決められた台本が、例え少しずれたとしてもすぐに修正される。例え私が誘導したとしても、お嬢様の決められた"筋書き"に一切の変更はない、と。


――確定してしまいました。ここは、まさしく"私"の知る世界。"私"が"プレイ"した"ゲーム"なのですね。


 この世界の真実を知ってしまった私は、先程までの狼狽が嘘のように引いていきました。恐らく"私"の気持ちと私が一致したのでしょう。"私"の記憶を受け入れると、すんなりと現状を受け入れることができました。


――すると、お嬢様はこれから本当に家出をするのでしょうね。


 きっかけは先輩方の世間話。そして実行する理由は好奇心。親に大切に育てられたお嬢様は今まで一度も外へ出たことがありません。あったとしてもそれは馬車から覗く景色のみ。それを体験したいがためにわざわざ危険な平民街へ行くのでしょう。そして『偶然』あの人と……。


――ん?


 そこで私はなにか突っかかりを感じました。

 ここが"私"の知る作られた物語というのが、先程のやり取りで分かりました。

 では今私が思い浮かべた予想は?


――当然、これから起こる未来のことでしょう。


 当たり前ですね。"私"の記憶がそう仰っています。


――ならば、今"私"が抱くこの不安は一体なんなのでしょうか?


 未来がわかるということは、すなわち私がこれから起こる出来事が事前に分かるということです。それは良いことだと思います。私やお嬢様が成長し学園に通い、そして大人になれ……ば……。


――大人?


 その時私の中に"私"の記憶が流れ込んできました。

 それはいくつもの『終わり』。私が迎える『未来』。数多の『選択』によって分けられた結末。


――えんでぃんぐ……?


 "私"が思い浮かべたソレ。その中に、私が到底受け入れることができないものがありました。


――なんで……私……お嬢様が……。


 "私"が見せるその未来には、一枚の絵と文字でこう記されていました。


『その後、マリアとその家族は全員処刑されました。仕える従者達も、親しかったメイドのリリーも皆、殺されてしまいました。――BAD END――』


 私が思案の末、体から血の気が引くのを感じる傍らで、お嬢様は嬉々として家出の計画を立てておりました。


 もちろん、『物語と関係ないことをしている』私には一切気づくことなく、その日のお茶会は終わりを迎えました。



 ◆『楽屋に届けられた手紙』◆



 その日の夜。


「……私?」


 あれから私が何をしていたのか。気が付けば自室の姿見の前で棒立ちしていました。手はメイド服のボタンを掴んでおり、まさに今から脱ごうとしていたようです。


――いつの間にか今日が終わっていたんですね。


 外は暗く、ベッドの脇に置いてあるランプが部屋を仄かに照らしていました。仕事はちゃんとこなしていたようです。


「流石に二日連続は駄目ですね」


 私は鏡に映る自分の顔を見つめ気を引き締めました。


 ――例え予想外のことが起きようとも、それがお嬢様がたの迷惑になるのは良くありません。気持ちを切り替えて、明日からちゃんと仕事をしましょう。


 そうと決めた私は、そのままメイド服を脱ぎ、寝間着に着替えました。もう後は寝るだけです。

 ですがベッドに腰をかけると、深いため息を吐いてしまいました。


「どうしましょう……」


 小さくつぶやいてしまいました。傍から見たら、なぜそこまで深刻そうな顔をしているのか? と聞かれるかもしれません。ですが今の私は、それほど切羽詰まっていたのです。

 気持ちの切り替えなど、土台無理な話だったのです。


「もし、このままあの『物語』が現実になってしまったら。いずれかの『未来』を迎えてしまうのでしょうか」


 尋問自答のように見えますが、実際は"私"の記憶にその答えがあるか思い出しているだけです。


 "主人公"が"攻略対象"を勝ち取り悪役の令嬢が獄中死する『ハッピーエンド』。

 "悪役の令嬢"が"攻略対象"を死守し、主人公たちが暗殺される『バッドエンド』。


 鮮明に見せられる数々の『終わり』に体の身震いが止まりません。

 なぜなら、『ハッピーエンド』と呼ばれる終わりの数だけ、相反する『バッドエンド』が存在していることです。

 それは、主人公の采配次第で簡単に迎えられる『終わり』であり、また、


――その関係者全員も巻き込まれてしまうということ。


 一族の滅亡どころではありません。その家に仕える私たちも全員殺されているんです。そんな残酷な『終わり』が複数もあるなんて……。


 信じられなくても、今朝のお嬢様のやり取りで否が応でもそれが現実だと突き付けられています。

 もう受け入れるしかありませんでした。


「この"物語"……」


 ふと、私は思慮に耽ります。

 改めて記憶にあるこの"世界"について理解してみましょう。


――主人公とは……マリアお嬢様のことでしょう。


 "私"の記憶を辿るとそこには美しい女性が映っていました。腰までウェーブがかかった金色の毛並みに、凛々しくも慈愛が含まれている瞳。

 今のアリアお嬢様がご成長されたら、まさにこの姿になるのでしょう。今の私が惚れてしまうくらいに美しい姿をしていました。


「はぁ……確かに、お嬢様がこんなにも美しくなってしまったら、振り向かない男性はいないでしょう……」


 それが少なからず原因だと知ると、やるせない気持ちになります。なぜ、こうもお嬢様に不幸が降りかかる未来なのか……。そうですね、"物語だから"と言われてしまっては、もう何も言えません。


 さらに記憶をたどり、もう一人の女性を思い出します。


――彼女がお嬢様の恋敵……ですか。


 お嬢様に引けをとらない美貌。さながら夜の空を表すような深い紺の毛並み。目は細く、まぶたの先にある瞳は星のように輝く琥珀色をしており、アリアお嬢様と対峙する二人はまさに太陽と月の様でした。


「クゥ……様」


 そうですね。私の人生の行く末を半分握っている存在とは言え、お嬢様より爵位の高い方を呼び捨ては出来ません。


「この方が私たちを苦しめ――いえ、違いますね……」


――どちらかというとこの方も"物語"の被害者でしょう。


 お嬢様に魅入られた"攻略対象"が"偶然"クゥ様の関係者だっただけ。彼女は自分と、家を守るためにお嬢様へ妨害することになってしまった可哀想な御令嬢です。


――この仕組まれた"偶然"に翻弄されるとは……あ、そう言えば。


 "私"は思い出します。"私"の記憶にある、一枚のハガキ。それはこの"ゲーム"のアンケートが記載されたハガキでした。

 そこに記入した項目の中から、"私"はひとつの文を思い出します。

 概ね良作だと評した中で、唯一の不満。それは、


「どの『終わり』も"お嬢様"と"クゥ様"が和解せず、必ずどちらかが死んでしまうのはとても不憫でした。ですか」


 あらゆる攻略ルートの終わりを向かえても、二人の溝は最後まで埋まることがないことに、"私"は良しと思いませんでした。


「そうか……"私"は試されているのでしょうか」


 もし、神様が"私"を私と引き合わせた理由が『アンケートに書いた不満』だとしたら。


――神様は"私"に「それを実現させてみろ」と仰られているのかもしれません。


 大量に流れてきた情報をようやく整理しきれたと思うと、私はベッドに体を預け目を閉じました。


――"私"がお嬢様ではなく、端役(わたし)に来た理由も『それを(はた)から見るため』。


 "ゲーム"の延長線上ととらえればお嬢様に一番近い存在、おそらく未来もその立ち位置であろう私は都合がよかったのでしょう。


「ならば――」


――それを為し得てみましょう。


 私はもう"私"。二人の記憶があっても意思は一つ。"私"の願いは私の願いでもあります。


――"私"が『望み』を叶えるために。


「私が『生き残るため』に」


 誰かのためではなく『私』のために、精一杯努力してみましょう。


 私は天井に向けて手を伸ばし、力を込めて虚空を握りました。



 ◆『端役の寸劇』◆



 決意から数日後。

 私の心はすでに折れ掛かっておりました。


――と……とうとう今日が来てしまいました。


 今日はお嬢様が"家出"をする日。それはお嬢様ご自身が綿密にご計画された完璧な作戦で、私を含め先輩メイドすら欺く鮮やかな脱出方法で平民街へ赴く日でございます。


――で、ですが私は精一杯頑張りました。頑張ったんです……なのに。


 私も欺く計画ですが、『物語』をすでに知っている"私"にはそれが通用するわけもなく。決意の翌日からさっそく先輩方にお嬢様の計画を漏洩しました。

 しかし、


『お嬢様がそのような野蛮なことなどお考えにはなりません。何か聞き間違えたのではないのですか?』

『万が一、それが事実だとしてもこの屋敷は夜間も厳重に警備しております』

『そもそも外へ出ようものなら私たちの首が飛んでしまいます。私たちを思ってくださるお嬢様がそこまで浅慮な方とは思いたくありません』


 先輩方は否定の一点張り。これが私の行為に対する"物語の修正"なのでしょう。今日を迎えるまでは手の内を明かせばすぐに崩れると思っていました。

 旦那様へ直接申し上げようと思いましたが、自分の娘の中傷に忠誠心への不信感、その他もろもろの代償を考えればそれは一番やってはいけないと悟ったため、やらず終いです。


「…………。」


 私はいつも通り、お嬢様を起こしに部屋に向かいます。

 本当は、お嬢様が"決行"したその時間に向かいたかったです。しかし、先輩の不調による代役でその時間に居合わせることができませんでした。

 これもまた"物語"を進行するために組まれた出来事だったのでしょう。


(コンコン――)


「……お嬢様。失礼します」


 いつも通りに戸を叩き。中に入りました。

 そしてすぐさま寝台に目を向けました。そこには人がいるであろうシーツの盛り具合があります。

 本来なら、まだ寝ていると思いますが、私は安心していません。なぜなら、


(ガバッ――)


「……やはり、いない、ですか」


 私は乱暴にシーツをめくりました。そこにはいくつもの洋服が紐で縛られた塊がありました。

 そう、もうすでにお嬢様はいません。

 お嬢様は今頃平民街へ向かっているのでしょう。『秘密の抜け道』を使って。


――抜け道を封鎖できれば一番よかったのですが……あそこは先輩方しか入れない場所。私が上手く誤魔化すことができれば或いは……いえ、今更その話をしたとしても後悔しかありませんね。


 横目で少しだけ開かれた窓を見つめました。

 はあ、とため息が漏れてしまいました。確かに、私だけが一人慌てているだけ。このまま流れに身を任せばここまで気苦労する必要はない事、なんです。


「ここまで全て『物語』通り。そしてこの後、私は……」


 そうです。このまま『先輩方に報告』してしまったら、それこそ予定通りになってしまいます。

 報告を受けた先輩方は大慌て。旦那様に報告し、すぐさま捜索隊を結成。

 行方を知らない先輩方は一日中探し回るでしょう。もちろん私は捜索隊には含まれず、屋敷で待機させられるでしょう。行方を知っているのに待機させられる私はきっと歯がゆい思いで待っているに違いありません。


「その間お嬢様は平民街で散策。迷ったところに"攻略対象"の一人に出会う……と」


 私はその『出会い』こそ、お嬢様含め私たちの運命が大きく変貌する原点だと思っています。

 だからこそ私は必死に努力し、家出を阻止しようとしました。


「……したのですが。結局無駄でしたね」


 開かれた窓に近づきます。そこは屋敷の裏側で、きれいな裏庭に綺麗に積まれた赤レンガの壁、そしてその先は平民街へと繋がる道があります。


「……先輩方へ報告は出来ない。今この状況を知っているのは私だけ」


 呟いたと同時に、私はある啓示を受けました。それは神からというより"私"からの啓示でした。


「お嬢様が『物語』通りに動くのであれば――」


 そうです。お嬢様の行き先を知っているのは"私"だけ……。


「お嬢様を追うことができるのは私だけ――」


 そして、お嬢様を"攻略対象"と会う前に連れ帰ることができるのは"私"だけ。


「……これは仕事放棄ではありません。お嬢様が不在になられたのでその行方を追うために外出する。それだけです」


 私は自分に言い訳を述べ、その窓に手を掛けます。


「大丈夫、道は"私"が知っています。それを頼りに先輩方の目をかいくぐり抜け出すだけです」


 そして私は窓を飛び越え部屋から裏庭へと行きました。

 すべてが終わった後はとびきりの説教があるでしょう。もしかしたら報告しなかったから懲罰もあり得るかもしれません。


――ですが、先輩方に任せてしまっては全てが『物語』通りになってしまいます。


 これが私への最初の試練だというのなら甘んじて受け入れましょう。


「それが『私たち』の願いをかなえる代償ならば――受けましょう!」



 ◆『最初の試練』◆



 平民街。

 お嬢様が住む爵位がある場所と違い、この国へ税を納める人々が住む街です。

 昔、私が住んでいた貧困層のスラム街との違いは多少治安はいいところでしょうか。ですが所詮その程度、件数が減っても毎日どこかしらで犯罪は起きているのです。

 私ですら用事で赴くときは先輩と同行します。同年代のお嬢様が単独で、しかも見知らぬ街へ赴くことがいかに恐ろしいことなのか、火を見るよりも明らかです。


「ハァ、ハァ、ハァ――」


 私は息を荒くしながら街の中を走っています。人通りの少ない道を選び、時には裏道を通ったりして、迷わず進みます。

 一見デタラメに見えるこの進み方は、実は『お嬢様が通った道』を進んでいるのです。

 自身の身なりがこの街で浮いてると自覚しているのでしょう。なるべく人目に付かない道を進んで散策し、そして……。


「なんとしてでも"彼"に会う前に――」


 時々休憩をはさみながら"私"の記憶の通りに進んでいきます。

 ですが、進んでいくうちに雲行きが怪しくなってきました。


「ここは、確か『出会う』場所……」


 裏道を抜けた先は、そこに一本の木が植えてある小さな広場がありました。

 木の葉が生む木陰、その根元に二種類の足跡がありました。私は駆け寄り、その足跡をじっと見ました。


――間違いないです。これはお嬢様の靴……そしてこちらはおそらく"彼"。


「あと一歩、遅かったですか……」


 またしても私は『変えること』ができませんでした。私の決断が早ければ、あるいは……。


「いいえ、今後悔しても時間の無駄です。『出会って』しまったのなら、私が連れ戻せばいいだけの話です」


 パンパン。と両手で頬を叩き気を引き締めました。ここで折れてしまっては全てが無駄になってしまいます。

 "私"はすぐさまお嬢様の『行く先』を辿り、走り出します。



 ◆『接触』◆



 さらにお嬢様の跡を追うこと数分。

 私は今平民街で一番大きな商店が並ぶ街道に出ました。


「ここまでで見つけられなかったのなら……。おそらく『あそこの店』で留まっているはずです」


 人の流れを逆らうように、しかし迷惑を掛けないようにすり抜けて進みます。

 そして、雑踏の中で私の意識は一人の姿に向けられました。


――いた! いました。やはりボロ布の外套を着ていますね。


 おそらく隣にいる"彼"が目立たないようにと見繕ったのでしょう。ですが外套からはみ出している衣服や髪を、私は見間違うはずがありません。

 よく見ると、ちょうど出店に並べられている商品を吟味しているようです。


――真剣に見ているお嬢様も美しいですね。店員さんも、お嬢様から目が離せないようです。


 あまりここらには来たことがないためかお嬢様をめずらしがっているようです。それが綺麗な風貌だと尚更でしょう。


 さて、無事お嬢様の安否の確認、および追跡を終えることができました。

 ここからが私の力量が試されるときですね。


――『物語』通りなら、このまま二人は出店で選んだ飾り物を購入し、また別の場所へと移動するはずです。


 確実に防がなければいけないのは"それ"を買わせないこと。『二人の思いで』を作らせないこと。

 何とかしてお嬢様を"彼"から引きはがし、ここから抜け出さなければいけません。


――ならば、ここは焦らせてみましょう。


 私は意を決して走り出します。

 わざと人込みをかき分けるように進み、お嬢様の前に姿を現しました。近づいたところで私は大声で名を呼びます。


「マリアお嬢様!!」

「リ、リリー!?」

「あ?」


 振り返ったお嬢様はさぞ驚いたのでしょう。目を見開き、体を小さく震わしました。

 その隣で"彼"は振り返りながら反応しました。

 私はわざと息を荒くし、先ほどまで(半分本当ですが)走って来たという様子を見せます。


「見つけましたよお嬢様。さあ屋敷に戻りましょう」

「ど、どうしてここが……リリーには教えてないのに」


――そうでしょう。わざわざ私の前で堂々と言っていたのは全てブラフ。私を欺くための嘘だったのですから。


 ですが"私"はその嘘を『知っている』とは言いませんでした。確かに言えば、お嬢様は別の策を講じるでしょう。しかしそれは逆に不確定要素を増やす要因にもなりえます。ならばここは言わないことでお嬢様は安心し、計画通りに動くことで予測の範囲内に納めた方が良いと判断しました。

 まあこのことは口に出すつもりはありません。適当に誤魔化しておきましょう。


「私の直感です」

「ちょ、直感って……」


 お嬢様の顔には自身の計画が破たんしたことへの焦りのような、ここからどう打開するのか思案しているような表情が伺えます。


――今なら強引に押せば行けるかもしれません。


 私は間髪入れず攻めます。手を差し出し、お嬢様の良心に訴えかけます。


「さあ、今なら先輩方に気が付かれずに戻れます。このまま居続けては、旦那様も奥方様も迷惑が掛かってしまいますよ」

「う……」


 効果はあるようです。ほんの少しの好奇心の家出だとしても、やはり育ちの良いお嬢様は多少の罪悪感があるようですね。

 私はお嬢様を真っ直ぐ見つめました。するとお嬢様は耐えられなくなったのか顔を背き、


「い、嫌!『私はこの街を見て回りたいの!』『私だって自由に過ごしたい日もあるのよ!』」


 と、抵抗しました。その絞り出されたような声は『本来』ないはずの『セリフ』。おそらく『物語』が苦し紛れに放った言い訳でしょう。

 しかし意思を露にすればそれを反故にするほど私は冷たくありませんでした。その反論に素早く反論することができず、思わず心の中で舌打ちを打ってしまいました。


――どうにかできないでしょうか……。


 他に方法はないかと考えを巡らします。

 強引に腕を引っ張り、この場から去る。という手が浮かびましたが、問題はそれを行ったことでお嬢様が私へのイメージが変わってしまう可能性があること、でしょうか。この場が凌げたとしても今後への支障につながるのは避けたいところです。


 色々思案しているところ、"彼"が動きました。


「なあ、あんた。どこのだれかは知らねーけどよ。こいつが嫌がってんだ、もうちょい頼み方ってもんがあるだろ?」


 自然とお嬢様を自身の背に隠し、私の前に立ちふさがったこの方は、この"ゲーム"の"攻略対象"の一人、ニィーダです。


 私が実際に会うのも話すのも初めてですが、第一印象は"最悪"でした。

 お嬢様と同じように輝く金色の毛並み。幼いながらも整った顔立ちで、今しがた通り過ぎた女性陣がちらちらと見てしまうほどの美貌を持ち。その佇まいは自身の『生まれ』を誇りに思っていると感じ取れます。

 しかし、


――こちらの"事情"を知らないならいざ知らず、あなたのその『行為』が後にお嬢様、ひいては私たちへ多大な影響を及ぼすということも知らないあなたに、説教されたくはありません!


 それが何だというのです!

 たとえ顔が良くても!生まれが良くても!それが私たちを不幸にするかもしれないのならばすべてが無価値になるんですよ!

 私は思わず彼を睨みつけました。彼はそんなことには一切怯まず私をにらみ返します。


――ああ、お嬢様。その方の腕をつかむのはおやめください。その方にはすでに……。


 始めてみるであろう私の表情に、お嬢様が怖がってしまいました。

 しばらくにらみ合うことで私はどう説得しようかと考えていたところ、


「なんだ、言い返せれないのか。じゃあとっとと帰れ。ほれ、行くぞ」

「う、うん」

「……あ!」


 彼がせっかちなのか、私が愚鈍だったのか。彼は素早くお嬢様の手を握り、逃げるように雑踏の中に入っていきました。

 おそらく私の追跡から逃れるためでしょう。

 私は頭に血が上っていくのを感じました。


「……させません! 断じて『思い通り』にはさせません!!」


 小さく吠えると、私も雑踏の中へ飛び込んでいきました。



 ◆『小さな背中、大きな決意』◆



 『物語』通りに進んだのか、二人の姿は一瞬で消えました。まるで魔法のように、すぐそこにいたはずの二人が跡形もなくいなくなったのです。


――ですが、想定内です。


 『あちら』が強引にでも進行しようとしている以上、不可思議なことが起きても動じません。


 "私"は記憶を頼りに別方向から追いかけることにしました。

 お嬢様を引く"彼"はおそらくこの街の道を知っています。ということは必ずもう一度人気のない裏路地に行くはずです。それももっと危険な場所へ……。


――私が躊躇ってしまうような場所へ。


(ザザッ――)


 着きました。先ほどの出店の大通りから数十分。"彼"と違う道を進んできたこの場所は平民街で特に曰く付きと言われています。

 すでにいくつもの見えない視線が私を突き刺してきます。おそらく部外者である私を様子見しているのでしょう。

 思わず委縮し、体を震わせます。


――私だけで……行けるのでしょうか。


 先ほどまでの威勢はすっかりなくなってしまい。呼吸が乱れ始めました。

 ただでさえ誰も助けに来ない状態で、さらに"彼"からお嬢様を引き離し、この場所から撤退する。

 大人を退ける力があるわけでもない。ましてや不思議な力もない。任意で奇跡を起こすこともできない。

 そんな一般人の私が、うまくいくのでしょうか……。


(フルフルフル――!)


 私は頭を横に振り、無理やり邪念を飛ばしました。

 何を弱気になっているのでしょうか。ここで手を引いてしまっては、お嬢様の身に何かあっても助けることができないです。

 ご主人様をお守りするのがメイドの務め。たとえ『物語』に流されていても、お嬢様は私の主であり、友人であり、大切な存在なのですから。


――たかがポッと出の"彼"にお嬢様を奪われたくありません!


 私は前を向き、路地の中へと入っていきました。

 "私"の記憶にある"ゲーム"と違い、こちらは私の"現実"です。都合の悪いことなどいくらでも転がっているのです。不用意にここの住民にかかわらず、迅速にお嬢様のもとへ行きましょう。



 ◆『端役の出来る事』◆



 しかし私の決意とは裏腹に、直に接触してこようとする人はいませんでした。

 相変わらず多数の視線は感じますがそれ以上のことは起きず、すんなりと通りを進んでいくことが来ました。


――何か企んでいるのでしょうか。それとも……ハッ!


(ゾクリ――)


 瞬間背筋が凍るような想像をしてしまいました。それは到底容認したくないような未来。

 私は走る速度を上げました。


――もしかして私にはもう"興味がない"?


 いくつもの角を曲がり、進み、そしてとある路地に着きました。

 まだ整っていない息を無理やり抑えようと深呼吸し、私は見ました。


「……お嬢様!!」


 疑惑が確信に変わった瞬間でした。

 私の目に映っているもの。それは複数の成人男性が一人の子供を連れて移動しているところでした。

 子供は暴れる様子が無く、その腕で抵抗なく抱えられていました。


 その子供こそ、私のご主人様でした。

 おそらく恐怖で身をこわばらせているのでしょう。もしくは脅されている可能性もあります。

 何もかもが未知のお嬢様にとってこの状況は非常に恐怖でしかないでしょう。

 私も初めてですが、以前から彼らのような人たちは見たことがあるので多少の心構えはあります。

 幸い彼らはこちらの存在に気が付いていません。私はどう助けようか必死に考えているとき、


「てめー!! 放しやがれー!!」


 "彼"の声が聞こえました。横目で見た先には一人の大人に押さえつけられていました。必死に体をうねらせ抜け出そうとしてますが大人の拘束に対しビクともしません。

 当然でしょう。彼が特別な力を持っていない限り、私たちのような子供が大人にかなうはずがありません。


「この野郎! そいつじゃなくて俺を連れていけ!」


 "彼"は必死に叫びます。美しいお嬢様を想う自己犠牲のつもりなのでしょうが、私からすればただの迷惑極まりない自業自得です。


「お前はあのお偉いさんとこの坊ちゃんだろ?」

「おめーとかかわると面倒事に巻き込まれるからな」

「逆にこっちは精々無名の貴族だし、何より女だ。それなりに絞れるだろうよ」


 大人たちは自分勝手にお嬢様で皮算用をしています。ひどい人たちです。

 それはそうなのですが、私は何より"彼"が憎いです。


 あなたがこのような場所に来なければ起きなかった。

 あなたがあの時素直にお嬢様から手を離せばよかった。

 あなたがお嬢様を連れて行こうと考えなければよかった。


「くっ……!」


 いくら心の中で"彼"に悪態をついたところで事態は好転しませんね。一度冷静になりましょう。


 今私がやらなければいけないのはお嬢様の救出、及びここからの脱出です。以前は無理やり連れていくのは止めようと思っていましたが、状況は変わりました。

 お嬢様の安全を確保するという免罪符で強引に連れて行っても心象悪化には繋がらないでしょう。


――問題はどうやって救出するか、ですが……。


 お嬢様は今一人の男に抱えられている状態で捕まっています。縄で縛っている様子はないので、助け出せればそのまま走ることができるでしょう。

 次に大人たちの人数。

 現在見えているだけでも3人。一人が"彼"を押し付け、もう一人がお嬢様を抱え、最後の一人は手ぶらでケラケラと笑いながら"彼"を見ていました。


「"彼"を放ってお嬢様を抱えている男に不意打ちをする……というのは安直でしょうか」


 あの抱え方ならば一瞬の油断でお嬢様を解放することは出来そうです。ですが、そこから大人二人を相手にするのは不可能でしょう。何かしら食い止めれる方法があれば・・・。


「いますね……"彼"がいるじゃないですか」


 そうです。"彼"を利用しましょう。

 "彼"を先に開放し、そのまま戦力として数えればいいのです。おそらく"彼"はお嬢様を助けるべく男たちに立ち向かうはず。その隙に私がお嬢様を救出すればいけますね。


 私は周囲を見渡し、転がっていた鉄のパイプを拾いました。取り回しやすい長さで、重さも十分。私でも扱えれる代物です。


「これで殴れば多少の間、怯んでくれそうですね」


 誰かを傷つける行為は初めてですが、お嬢様の事を考えれば恐れはありません。それに私ごときの力で彼らを殺せれるとは思っていもいません。せいぜい隙を作る程度でしょう。


「よし、では行きま――」


 計画の大筋を決め、出るタイミングを見計らっていた時です。


「ちょっと待ちな、お嬢ちゃん」

「ひぅ――むぐぅ!!」


 後ろ、しかも背後の真上から聞こえてきた低い声に、私は悲鳴を上げてしまいました。しかしその口を、背後から伸びた手によって防がれました。


「おっと、大声を挙げたらせっかくのチャンスが台無しだぜ。とりあえず落ち着きな、お嬢ちゃん」

「(コクコク)」


――いつの間に後ろに!? なんでこのタイミングで!? 私を誘拐!?


 突然の出来事で思考がままならなくなり、言われたとおりに声を殺しました

 それを確認したのか口を押えてた手を放してくれました。とりあえず誘拐、ではないと思います。

 では一体何のつもりなんでしょうか。私は振り返りその張本人を確認しました。

 身なりはこの裏路地にいそうな薄汚れた衣類を着込んでいる男性でした。歳はおそらく中年くらいでしょうか。剃っていないボサボサの髭が印象的です。

 私はなるべく男性を触発しないように慎重に話しかけます。


「あ、あなたは……一体」

「それより先に聞きたい。お嬢ちゃんはあそこにいるごろつきどもの知り合いか?」


 私の声を消すように男は私に顔を近づけて聞いてきました。私はその威圧に少し委縮しながらも答えます。


「い、いいえ。私はお嬢様を助けようと……。」

「だろうな。ん? お前の服、どっかで」


 無精髭を擦りながら私を見つめる男性は何かを考えているようです。


「あ、あの。何か……。」

「なるほど旦那の使用人であの嬢ちゃんが娘さんか。チッ、ただの面倒がもっと面倒ごとになりやがった」


 男性は憎々しい顔でお嬢様の方へ視線を送っていました。


「あの、お嬢様が何かご迷惑を……?」

「あ? いやちげぇよ。どっちかっつーと――おっと、長話はできねぇな」


 男性が何かを言いかけていましたが事態は急変したようです。さっきまで駄弁っていた彼らが動き出そうとしているようです。よく見ると"彼"を拘束しようと縄を探しているようです。一人がその場から離れていきます。


「チャンスだ」

「え?」


 男性は懐に手を忍ばせ、小さな小瓶を取り出しました。小瓶には粉状のものが入っているのが目に入りました。

 そしてそれを私の服のポケットに押し込みます。あまりのスムーズさに私は入れられた後に気がつきました。

 男性は私の顔に近づきこう言いました。


「ただの"粉"だ。その手に持ってる獲物で一人仕留めたら、そいつを開けてもう一人の顔面に向かって投げつけろ」

「あ、あの」


 私が理解しようとする暇を与えず男性は畳み掛けるように私へ言い聞かせます。


「時間がねぇ。俺らが出張ると後々面倒になる。この場で顔が利かないてめーだからこそできる事だ」

「り、理由を聞いても」


「後でお前のご主人に聞け」

「え、ご主人様?」


 突然の言葉に私は質問をしましたが。


「ほら今がチャンスだ。行け!」

「あ……。」


 男性に背を押され、私は一歩踏み出します。

 そうですね。今はお嬢様を救うのが先決です。目先の気になることよりも重要なことが向こうで起こっているというのにそれを見過ごす愚か者はいません。


――いきましょう! お嬢様を助けるために!!


 そう決意した私はなるべく音を出さずに、"彼"を押えている男の後ろへ走り出しました。



 ◆『逃走劇』◆ 



 大人二人はまだ気づいていません。私はパイプを握り直し、呼吸を整えます。


――よし、後はタイミングを見計らって……。


 様子をうかがい、二人の視線がよそへ向いたところを狙って飛び出しました。


――今ッ!!


 飛び出した私はパイプを振り被り"彼"を押さえている大人の後頭部へ、力の限り振りかぶりました。


(ガァン――)


「がッ!!」

「な、なんだ?」


 男は短い声を出し前に崩れました。手ごたえはありましたが、やはり子供の力では昏倒まで行くことはできず、男は唸るように後頭部を押さえていました。

 ですが想定内です。まだ"彼"は状況を理解してませんが、これで解放された"彼"はお嬢様を救うために男たちに果敢に挑むでしょう。

 しかし、それは私の役目です。

 私は間髪入れず手に持った小瓶の蓋を開け、お嬢様を抱えている男の顔面へと投げつけました。

 蓋の無い小瓶はその口から溢れる粉を男の顔面にぶちまけました。


「ぶわッ! なんだ一体!?」


 男は突然の出来事に対応しきれず、私の投げた小瓶を顔面に喰らうことになりました。振りかけられた粉を払おうと、両腕を動かしました。当然お嬢様は拘束から解かれ、そのまま地面に落とされました。


「お嬢様!!」


 私はパイプを捨て、素早くお嬢様のもとへ駆け寄り強引ながらもお嬢様に肩を貸し、そのまま路地裏のさらに奥へ走り出します。


「ここは……。あ、あなたは……。」

「目が覚めましたか?」


 気絶から回復したお嬢様が小さい声を出し、状況を理解しようとします。しかしその説明する時間はありません。


「それでは走りますよ!!」

「え、は、はい!!」


 お嬢様は私の怒声に委縮し言われたとおりに走り出します。肩に掛けた腕を下ろし、手を握って私が先導しました。


「あーくそ! 何だコレ!! 目がああああ!!」


 後ろの方で粉を掛けられた男が絶叫しています。あの粉は一体何だったのだろうか、と疑問に思う暇はありません。今は全速力で走るだけです。


 いくつもの裏路地を抜け、角を曲がり、狭い道を通り抜けます。幸いお嬢様は私のペースに付いてこれるだけの体力があるようで、今も必死についてきてもらっています。


「ハァ、ハァ……あ、リリー!?」

「はっ、はっ……ようやく気づきましたか」


 先陣を切る人物を理解したお嬢様は驚かれました。そのせいで少し速度が落ちましたので、私はお嬢様の手を引っ張ります。


「わ、私、あの――」

「今は走ることだけ考えてください!」


 お嬢様の声を遮り、"私"は記憶にある地図を頼りに走ります。"ゲーム"と同じ構図ですが、質感や、そこに置かれている木箱、通り過ぎる人たち、動物などは全く違いすべてが"本物"です。

 "私"がその差異に少し戸惑いながらも、しかし順調に進んでいくことができました。このまま行けば表通りに出て人混みに紛れることができます。そうすれば、例え彼らが追ってきたとしても逃げ切ることができるでしょう。


 そう、"彼"に捕まらなければ。



 ◆『整備不良』◆



(ガシッ――)


「きゃ!!」

「え……」


 お嬢様の悲鳴と、突然の減速に私は振り向きました。


「やっと追いついた!!」


 そこにはお嬢様の腕をつかんでいる"彼"の姿がありました。


――そんな、これでも表通りまで最短で走っていたはずなのに。


 これはたまたま"彼"の脚力が高かったからと、とらえていいのでしょうか。"彼"の息の荒さから相当全速力で追いかけてきたのでしょう。

 ん? 『追いかけてきた』?


「おいお前! まだ付いて着てやがったのか!」


 私は騒いでいる"彼"の頭越しに、後ろを覗きました。


「おい、お前もなんか言ったらどうだ? 強引に連れられてるんだぞ! 自由になりたかったんじゃないのか!?」

「わ、私は……」


 大きな足音と共に、路地の角から現れたのは……。


――くっ、私たちなら完全に逃げ切れていました。ですが"彼"が『追い付く』ために走ってきたというのなら。


 当然"彼"の背中を追うことでここにたどり着くことが可能になります。あの姿は間違いありません。


「いたぞ!!」

「絶対に逃がすな!!」


 あの大人たちです。一人、目つぶしされた男がいませんが、戻ってきた男と私が叩いた男の二人が私たちを追ってきたようです。


「げ、もうきやがったのか!」

「ひぅ!」


 "彼"とお嬢様も振り返り、追っ手が来たことに気が付きました。


「とにかく走ります!」

「う、うん!」

「お前に言われなくても!!」


 私たちは一斉に走り出しました。なぜか"彼"もお嬢様の腕を握っており、お嬢様は二人に半ば引きづられていくように走っていました。

 振り向くと大人たちとの距離が縮まっているのが分かります。


――この距離だと確実に追いつかれてしまいます!!


 どうにかしないと。"私"は記憶の地図を広げ、一生懸命考えます。

 そこへ、


「おい、こっちだ!!」


 "彼"がそう叫び、路地の角を曲がります。私とお嬢様は釣られるように誘導され、狭い道へと進んでいきました。


「一体どうするつもりなんですか!?」

「この先に積んだ端材が置いてある!!」


――だから何だというのですか!


 無駄な体力を使わないように心の中で悪態つきながらも話を促します。


「それでどうするつもりですか」

「崩して道を塞ぐんだよ」


 目の前に現れたのはおよそ2階まで届くほどの集合物。建築で使われた木材や破損した家具などの端材が、今にも崩れそうな状態で置かれていました。

 私は常識的に"彼"に尋ねます。


「崩して大丈夫なのですか? 近隣への迷惑になりませんか?」

「なにいまさら気にしてんだ、お前のせいでこうなったんだろうが!」


――どの口が……!!


 一瞬私の中に怒りの炎が宿りましたが、必死に抑え込みました。

 "彼"はどこからか私が使った鉄のパイプを取り出し、大きく振りかぶりました。


「どのみちお前に責任を取ってもらうつもりだ。俺が何しようが関係……ない!!」


 そう言うとパイプを高く投げ、寸分違わず積まれた端材の頂上部分に当てました。

 すると、


(ガラガラガラガラ――ズゥゥゥン!!)


 狭い路地に大音響で響く瓦解音。目の前に大きな端材の障害物が出来上がっていました。


「くそ! あのガキども!!」

「これは迂回するしかねぇか、行くぞ!」


 端材越しに大人たちの大声が聞こえます。


「ははっ、ざまぁねぇな! これで当分ここには来れねぇだろ」

「は、はは……よかった……。」


 "彼"の言葉を聞いて、ようやく私の緊張の糸が緩みました。

 そして思わずその場にへたり込みます。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 お嬢様も息を整えるように胸に手を当ててうつむいていました。

 すると、こともあろうか"彼"はお嬢様のそばに寄り添い背中をさすったのです。


「大丈夫か?」

「はぁ、はぁ……うん、ありがとう」

「…………。」


 思わずその行為を止めようとしましたが、未だ息が荒れていて思うように言葉が出ませんでした。


(ガラ……ガラ――)


――ん、今頭に何か……。


 ふと、何かが当たったような気がして頭上を見上げました。

 そこには……。


――ああああああ!!!?


 どうして気が付かなかったのでしょう。例え崩れたとしても、それで安定したと誰が保証できましょうか。

 疲れからの思慮不足でしょうか。はたまたお嬢様の安否に気を取られ過ぎたからでしょうか。

 すぐにここから離れればよかったと、今更ながら思い立ってしまいました。


(グラ……――)


 その巨大な物体は大きな影を作り、私たちの上から襲い掛かってきました。

 私は疲労しきっていた体に鞭を打ち、お嬢様へとびかかります。


「へっ?」

「……ッ!!」


 隣にいた"彼"などお構いなしに、私はお嬢様に覆いかぶさります。そして頭上から降ってくるだろう物から護るために、全身の筋肉に力を入れました。


(ガシャーーーン!!――)


 二度目の轟音が鳴り響き、振ってきた端材が地面に当たっては跳ね、散乱していきました。


「――がッ!!」


――痛、い! 今、どうなって―― ぐ―― 左、う、が――ッ!!


 脳に伝達される、あらゆる痛覚にマヒを起こし、私の意識は朦朧となりました。

 音が止むと、遠くの方で"彼"の声が聞こえているような気がしました。


「リリー! しっかりしてリリー! リリー!!」


 そして目の前からはお嬢様の声が。必死に呼びかけてくる声が、聞こえ……。


「お……嬢……様……。」

「いやああああああああ!!!!」


 私の意識は、そこで途絶えました。



 ◆『軽くなった体』◆



 暖かい。それが私の最初の感覚でした。

 その感覚は徐々に明確になり、それは私の右手から感じているとわかりました。


――私は……一体……。


 未だ混濁する頭がなんとか覚醒しようと働くせいで私は小さく唸りました。


「う、うぅ……」


 少しずつ意識が回復してきた私は、次に視覚からの情報に気がつきました。


――暗いのに明るい……ああ、私が目をつむっているからですか。


 まぶた越しの光を感じた私は目を少しずつ開けました。朧げながらも見える景色は、私のよく知る場所でした。


「私の……部屋……?」

「あッ! リリーが目覚めたわ!!」


 右手の方から声がしました。とてもよく知る声で、とても大切で……。


――ああ無事だったのですね。


「旦那様をお呼びに行ってきます!」


 遠くからは先輩の声が。扉の音が聞こえるに、恐らく部屋から出ていったのでしょう。


「あ……。」

「リリー、私が見える? 私のことわかる?」


 私の右手を握るその声の主を、私は忘れよう筈がありません。私は徐々に目を見開き、その声の主に応えます。


「……はい。マリアお嬢様」

「あ……あぁ。よかった……本当によかった……。」


 お嬢様の目が赤く腫れているのに気がつきました。長い間、涙を流していていたのでしょう。そのお綺麗な顔が台無しになっていて、少し心が痛みました。


「ご心配を……お掛けしました」

「何を言ってるの!? 謝らなければいけないのは私の方よ!」


 お嬢様は全力で首を振りました。そして苦悶の表情を浮かべると、私の顔へ詰め寄り強く言い放ちました。


「あのね私、本当はリリーの言うことを聞かなきゃいけなかったのを分かってた! でも何故か頭で分かっていても体が思い通りに動かなかったの! あなたの手を払うつもりはなかったの!」


――"思い通りに動けない"。やはり"物語"の影響があったわけですか。


 私が思案しているのを、納得していないと勘違いしたお嬢様は右手を握る力を強め、さらに迫ってきました。


「お願いリリー、私を信じて――」

「落ち着きなさいマリア。耳元で大声を出すと体に障る」


 突然語気の強い男性の声が部屋に響き渡り、その声にお嬢様は体を強張らせて口を閉じました。

 声のする方に視線を動かすと、扉の近くに旦那様の姿がありました。

 萎縮するお嬢様を横目に私のベッドの隣までお越しになられて、丸イスにお掛けになられました。

 私は直ぐ様上半身を起こそうとしましたが、旦那様はそれを制止させました。


「旦那様……。」

「無理に体を動かすな。2日間昏睡していたのだ。今はそのまま安静していなさい」


 はい。と私は返事をし、体をベッドに預けました。


「……。」

「旦那様……?」


 旦那様は視線を外し、思慮に更けているようです。その顔は苦悩に近く、お嬢様はその顔の真意を理解したのか俯いてしまいました。


――何を言い淀んでいるのでしょうか?


「……いや、今言うべきだな」


 ようやく旦那様は口を開くと私の目をまっすぐ見つめられました。


「あの……何がでしょうか?」

「あの時、お前がマリアを守るために庇ったのを覚えているか?」


 記憶を探り、確かに私はお嬢様を守るべく覆い被さったのを思い出しました。私は頷きます。


「はい……。」

「そのおかげでマリアは無傷で助かることとなった。これに関してはとても感謝している」


 旦那様は頭を深々と下げました。

 私はその行為に驚き、どうか頭をあげて欲しいと口に出そうとしましたが、それより言うことがあると気付きそちらを優先しました。


「いえ……私は……お嬢様の……メイドとして……出来るうることを……しただけ……です」

「ああ、そう言ってもらえると助かる」


 旦那様は静かに頭を上げました。

 しかし「助かる」とはどう意味なのでしょうか? まるで別の言葉も想定していたかのような口ぶりです。


――もしや、私がお嬢様を見捨ててあの倒壊から逃げるとお思いになられたのでしょうか?


 それは断じてあり得ません。私と"私"の目標にはお嬢様は必要不可欠なのですから。

 そして何故かしばらく沈黙が続き、私が困惑する辺りでようやく旦那様が口を開きました。


「……だが、その代わりにお前の大切なものを失うことになってしまった。まだ人生が長いお前の未来に、重い足枷を付けさせることになってしまった……」


 いつもの旦那様とは違い歯切れない言葉に違和感を覚えます。

 大切なものとは? 足枷?


「あの……足枷とは……?」


 旦那様、と顔をあげたお嬢様が私の左腕の方に視線を向けました。


「左手を、見てみるといい」

「左、手……?」


 言われるとおり、私は左手を見て……。


――あれ……?


 なぜか私の目には左手が見えません。あるのは包帯でぐるぐる巻きにされた二の腕でした。……でした?


「旦那様……左手が……見えません」

「……。」

「う、うぅ……」


 私の問いに対し旦那様は渋い顔をしただけで答えてくれませんでした。そしてお嬢様はうつむいて嗚咽を漏らしていました。

 私はもう一度訊ねます。


「私の左手は……どこへ行ったのでしょうか……?」

「……切った」


 旦那様の短い答えに私の思考が止まりそうになったなを感じました。いえ、思考を止めたいと、脳が訴えています。


「切った……?」

「ああ。落ちてきた端材でお前の左腕は潰されたのだ。粉々になった腕は元に戻すことができなかった。だから切った」


 淡々と説明する旦那様の声がどんどん遠くへ離れていくような錯覚を覚えました。


「潰……され……こな……ごな?」

「だから……お前の左腕は……。もう、無くなったのだ」


 すべてを理解した後、私の頭は真っ白になってしまいました。その事実を脳が受け入れたくなくて思考が停止しました。


「ごめんなさい……私のせいで、私のせいでリリーが……」

「お嬢様……」


 思考停止状態の私は、ただただ私の右手を握り、泣き崩れているお嬢様を見つめる事しかできませんでした。

 ふとした拍子に自分の左腕を見てしまいそうな気がして。それを認めたくなくて。


 ずっとお嬢様を見ていました。



 ◆『抗った代償』◆



 左腕の事を知ってから、三日が経ちました。

 今だに現実を受け入れがたい私は、なるべく左の方へ視線を向けず左腕を意識しないようにベッドで横たわっていました。


――どうして、こんな目に。


 心のなかで私は呪詛のように呟いていました。それは誰とでもなく、虚空に向かって。


――私は間違っていたのでしょうか。


 呪詛が尽きると今度は自問自答に移っていきました。現状を納得するためにはあまりにも受け入れがたい事実で、それを誤魔化すために頭の中でぐるぐる思考を巡らします。


――私はただ自分の未来のために、為すべき事をやっただけ。


 ただそれだけで、この仕打ちはあまりにも酷いです。






 ◆『仕切り直し』◆



 あれから数週間が経ちました。

 体中に数え切れないほどの打撲の跡とあざがあり、完治するまでずっと自室で療養していました。

 完治したあとはリハビリのために館内を歩き回っていました。


 それから一ヶ月後、失った左腕以外は以前の状態まで回復しました。その知らせを聞いた旦那様に呼ばれ、現在旦那様の書斎のソファーに座っています。

 向かいには旦那様。と、その隣にマリアお嬢様が座られていました。


 旦那様は先輩の煎れたコーヒーを啜り、「あの家出についてだが」と前置きを置いて話されました。


「あの時の詳細はマリアから聞いている。家出に対し独断専行を行ったのは評価できない」

「はい」


「が、マリアのことを思っての行動、更に守ってくれたことに関しては、感謝している」

「……ありがとうございます」


――本来なら大事になる前に防ぐことはできたはず。ですが、私はできなかった。


「マリアの処遇については既に済ませてある。お前からマリアに何か言いたいことがあるのなら、今のうちに言いなさい」


 その言葉にお嬢様が萎縮し、こちらに申し訳なさそうな顔を見せました。


――今回の騒動は、結果的に見れば"物語"の筋書き通りに終わったようですね。


 多少終わりが違えど、大局的に見れば微々たるものでしょう。

『お嬢様は"彼"と出会った』

 そして『"彼"と危機を乗り越えた』

 それを私が妨害しようがしまいが結局は変わらず。


――所詮、私に出来ることはこの程度、と言うわけですか。


「お嬢様……。」

「な、なんでしょう?」


 私の言葉に固唾を飲むお嬢様。言葉遣いに違和感を覚えつつも、私は――いえ"私"は言いました。


「私は、あの時どのようにすれば、お嬢様を止めることが出来たのでしょうか」


――これは酷い質問ですね。


 私は"私"に悪態つきました。ええ、ただの八つ当たりです。


「えっと、あの……。」


――ほら、お嬢様が言葉を詰めています。


 "物語"によって歪められたお嬢様の行為を誰が攻められるでしょうか。恨むならこの"筋書き"を書いた方でしょう。ああ、憎々しいです。


「リリー、信じてくれないかもしれないけど、あの時本当はあなたの言うことを聞こうとしたのよ」

「はい」


「でも体が言うことをきかなかった。気がつけばあなたの手を振り払い、口で拒絶して、逃げてしまったの……。」

「はい」


「なんでそうなったのか私には分からない。でも、信じて欲しい。私はあそこまで抵抗するつもりはなかったの」

「……お嬢様の言葉を信じます」


「ほ、本当?」

「はい。私の仕えるお嬢様は、皆に優しく迷惑をかけるような方ではないと」


――そう、本当のお嬢様はあんなことはしません。あれは"筋書き"によって歪められた悲劇です。











『お前がリリーを守った時、近隣の住民が助けてくれたそうだ』

『あの、視線を向けてきてた人達ですか……』


『ああ。お前は運が良かった。あそこは私が長年関係を築いてきた知り合いが住む場所でな、お前の来ていた服を見て私の関係者だと知っていたのだ』

『でも、お嬢様が捕まった時は、助けてくれませんでした』


『それはあちらにも都合ってものがある。触れたくない相手がな。それは運が無かった。だが、その相手がいなくなったのを見計らってお前を助けた』

『…………。』


『もしお前が助けることができず、マリアが連れ去られても、私はあの者たちに怒りをぶつけることはできない。地位が低い私自身のせいだからだ』

『そう、ですか』


『救助されたお前の体は深刻だったそうだ。確かにあの大量の端材を背中で受け止めてはただで済むまい。あと少し遅れていたら死んでいたかもしれなかったそうだ』

『それは……感謝……します』


『まあ確かにお前にも思うところがあるだろう。その左腕も、運が良かったら治せたかもしれない』

『…………。』


『痛みは無いか?』

『はい……少し、軽く……感じるだけです』


『そうか。先に言っておくが、私は見た目の良しあしで仕事を下すつもりはない。たとえ片手になろうともな』

『え……?』


『お前はこう考えていたのだろう。片腕の内私に価値があるのだろうか。と』

『……はい』


『やはりか。だが、私は効率云々で人事を決めるほど冷徹ではない』


『マリア、入りなさい』

『はい』


 旦那様の声に呼ばれ、部屋に入ってきたのはマリア様でした。その表情は今までで見たことの無い表情で、とても凛々しかったです。私の前に立ったマリア様は、透き通った目をこちらを見つめました。


『お嬢様……』

『リリー、まずは謝らせて。私の軽率な行動であなたに一生の傷を負わせてしまったこと……心の底から謝罪します』


『お、お嬢様。頭を上げてください……私ごときに下げるものではありません』

『ううん、これは私のケジメ。あなたに謝らなきゃ一生自分を許せないまま生きていかなきゃいけなくなるわ』


『……わかりました。お嬢様のお気持ち、確かに受け取りました。ですので頭を上げてください』

『ん……ありがとう、リリー』


『私は、私のすべきことをしたまでです』

『うん……だからね。これからも、私を守ってほしいの。私の一番近い場所で』


『え……?』

『その言葉通りだ。療養を終え次第、お前は引き続きマリアのメイドとして従事してもらう。これまで通りな』


『ですが、この腕では……』

『さっきも言ったはずだ。私は効率で人事を決めるような男ではない。マリアが望むのならば、それを叶えるだけだ』


『ありがとう、ございます。パ――お父様』

『ああ。だが、先ほど約束したことを守り続けることが条件だ。リリーの解雇もお前の努力次第で行使されることを忘れるな』


『はい!』

『お嬢様……?』


 私はそのやり取りを知ることができず、ただ見守ることしかできませんでした。



 ◆『試練を越えて』◆



 いつもの時間に目を覚ます。

 体にしみ込んだ習性はたとえ病み上がりであろうと私を規則正しい生活に戻してくれました。

 ベッドから立ち上がり、右腕で寝間着を脱ぎます。最初は苦戦していましたが、ひそかに練習していたおかげで今はだいぶスムーズに行えれるようになりました。


「とりあえず。最初の山場は越えましたね……」


 私はふいに、誰もいない方へ呟きました。そこには誰もいませんが、私は気にせず独り言を離します。


 山場とは、すなわち『物語』の事。背中の怪我や左腕の欠損で忘れかけていましたが、私の目的はお嬢様を『物語』になるべく関わらないようにすること。あの"彼女(ミリア様)"に因縁を付けられないようにすること。それが私の目的です。


――ふふっ。まあその前に死んでしまっては元も子もありませんが。


 思わず苦笑してしまいました。お嬢様を"彼"、ニィーダから離れさせるために行動していたはずが、いつの間にか命の危険にさらされるとは……。いえ、そもそもその原因を作ったのは"彼"じゃないですか。私はそれに巻き込まれたのであって、私が引き起こしたわけではありません。

 と、ここであることに気が付きました。


「そう言えば、"彼"はあの後どうなったのでしょうか……?」


 旦那様からの説明には"彼"の詳細は含まれておりませんでした。

 私としては旦那様に対しても"彼"に関わってほしくないので訊ねませんでしたが、その後の消息についてはどこかで知りたいものです。


――さて、これで当分は安泰でしょう。片腕一本の犠牲が出てしまいましたが『幼少期の出会い』は大体崩せたと思いますね。


 ここから先はしばらく"彼ら"と直接かかわることはないはずです。

 ですが『物語』の本番はまだだまこれから。改めて気を引き締めましょう。そのためにも、今私ができる事をするべきです。


「まずは……力、ですね」


 右手を強く握り、そしてゆっくり開きます。手のひらは小さく、年相応の大きさです。

 この握る力が弱かったために、お嬢様を危険な場所へ連れて行ってしまった。この手に力があれば、あの大人たちを退かすことができた。

 すべては私の実力不足がゆえ。


「だからこそ、『学園』の前にすべきことをしましょうか」


 私の心に新たな覚悟が芽生えました。それは自身の未来を勝ち取るために。

 そして、お嬢様を守るために。



 ◆『新たな契り』◆



「リリー、おはよう。今日もいい天気ね」

「あ……。お、おはようございます。お嬢様」


 決意を新たにしたところで、お嬢様が入ってきました。

 そして私は苦い顔をしてしまいました。なぜなら、


「あー! また勝手に着替え始めてるー!」

「これは、その」


 ズカズカと部屋に入ってきたお嬢様は私の脱ぎかけの服を掴みました。


「昨日も言ったでしょ! リリーの身支度は私がやるって!」

「で、ですが、メイドである私がそのような施しを受けるなど」


 毎日これです。メイドである私がお嬢様に着替えを手伝ってもらうなど、奇天烈すぎる行為です。

 ちなみにお嬢様はすでに着替え済みで、私の仕事が一つ減っていました。


「お父様との約束だからダーメ。さあ着させてあげるから動かないで」

「わかりました……」


 見つかる前に終わらせたかったのですが、ここのところお嬢様の入室が早くなってきているような気がします。

 私は大人しくお嬢様に身を任せました。


「ふふ、今日も綺麗だね、リリーは」

「恥ずかしいですが、お褒めいただきありがとうございます」

「こうやってリリーのお世話するの楽しいわ」


「はい、マント。」


 最後にお嬢様はコートかけに掛けてあったマントを取り、私の左肩に付けてもらいました。

 このマントは私の左腕を隠すために作っていただいたもので、丈はちょうど腰の辺りまであります。これによって多少なりとも左腕があるように見せることができ、不自然さを無くすことができました。ただし、一瞬だけならわかりませをんが、しばらく様子見られると不自然に見られるので結果は半々です。



※できればここに姿見に写った不安げな顔のリリー(左)と、両肩をつかんで満足げな顔をするマリア(右)のイラストを描く



 お嬢様は着替え終わった私の姿を見渡し、満足げに頷きました。

 ですが、その顔を見た私はチクリと胸が痛くなりました。


――お嬢様は、私のためにご自身の時間を割いていただいているというのに、私のやることが依然よりも減っている……。


 お嬢様の着替えもそうです。私の仕事が一つ減っています。

 私の今までの当たり前が、私を置いてどんどん変わっていく。それが、どれだけ歯がゆいことか。


「お嬢様」

「なあに?」


 着替えを終えて満足しているお嬢様に、私は聞きました。


「お嬢様は、これからどう人生を歩まれるのですか?」

「……難しいことを聞くのね、リリーってば」


 突然の質問に、顔を渋くするお嬢様。確かに漠然とした質問でした。


「私は……旦那様に買われ、今はお嬢様のメイドとして働いています」

「そうだね」


「今後も、お嬢様が許す限り従事していく所存です」

「私もリリーのお世話をするけどね」


「お嬢様は……いつかお嬢様にふさわしい旦那様と巡り合い、そして結婚し、家庭を築いていくと思います」

「結婚って……まだまだ先の話じゃない」


「ですが、いつか私はお嬢様の足手まといになる日が必ず来ます」

「そんなこと、ないよ」


「来ます。お嬢様は今、旦那様との約束でそう錯覚しているだけです。目を覚ました時、きっと気づきます。私がどれだけ重荷だったのか。なので、私としてはお嬢様のご負担を減らすことも兼ねて、今後私一人で着替えを――」

「そんなの関係ない!!」


「……え?」

「そんな、パ――お父様との約束だからって、将来結婚するからって理由で、リリーの事をないがしろになんかしない! させない!」


「お、お嬢様」

「リリーは何もわかってない! 私がリリーに助けられたこと。ううん。それまでだって、私と初めてお友達になった日からずっとリリーに"もらって"ばっかりだった! それをあの日で知ったの! リリーが傷ついてようやく気が付いたの!」


 お嬢様の悲痛な声が部屋に響きます。

  "もらって"とは、いったい何を指しているのでしょうか。私には皆目見当が付きませんでした。


 お嬢様は私に近づくと、私に抱きつきました。顔を肩に埋めて呟くように言いました。


「その恩返しをしたいの……当たり前だと思ってたあの日々の大切さを……」


 なぜか、私にはその独白の意味が分かりませんでした。私はお嬢様に何か、特別ことをしたのでしょうか。記憶をたどっても、それらしいものは見つかりませんでした。


――いったいお嬢様の心にどういった心情の変化があったのでしょうか。


 答えが見つからない状態で、お嬢様の独白が続きます。


「もう遅いかもしれない。でも、これ以上リリーの負担を増やしたくない。たとえ今は主従関係だろうと、私たちは"親友"でしょ……?」


――親友。遊び相手、ではなく親友、ですか。


 そのような言い回し、初めて聞きました。やはりお嬢様の心情に、なんらかの変化があったようです。

 お嬢様は顔を離し、私を見つめてきました。私もその真剣な顔を見つめ返します。


「親友……ですか」

「うん、約束する。お父様との約束じゃない、あなたへだけの約束」


 私は静かに「はい」と返事をしました。


「私は、あなたと一生添い遂げる。たとえ私が伴侶になろうとも、あなたを私のもとで従事させる。あなたが私に失望しない限り、絶対に」

「……わかりました」


 私の承諾に、お嬢様の顔が綻んだのを見ました。お嬢様の気持ちを教えてもらったのならば、私もお伝えしなければいけません。


「私も、約束してよろしいでしょうか?」

「うん……。」


 お嬢様の手を取ります。気づかれたお嬢様は、その両手で私の手を握っていただきました。


「私は……私も、できるならずっとお嬢様の元で働きたいです。メイドとして、そして友として」

「ええ、ありが――」

「ですが、やはり線引きは必要です。私の出来る範囲は、私自身でやらせてください。仕事も、生活も、片腕一つ無くなったからと言って妥協する気はありません」

「そ、そう……なの」


 お嬢様の顔がみるみる曇っていくのを感じました。私は握られた手を掴み返し、私の胸へと寄せました。


「なので、必ず『時間』を設けることを約束します」

「時間?」


 私の言葉にお嬢様はきょとんとした顔になりました。


「私とお嬢様、二人だけの時間です。その時間の間だけ、私とお嬢様は"親友"です。お嬢様が私に好きなようにされてもかまいません。私も、もしかしたら……甘えることもあるかもしれません」

「リリーが私に!? 本当に!?」


「え、ええ。もしもの話ですが」

「やったわ。もし甘えてきたら、今までお世話になった分たんとお返ししないとね」


 お嬢様が思いを馳せていたところ私は、


「……お嬢様。もう一つ、いいですか?」

「なに?」


――隠す必要は、無いですね。


 お嬢様がここまで心を開けてくださったのですから。私も"出来うる範囲で"胸の内を明かさなければ公平ではありませんね。


「あの時、私は自分の力不足に歯がゆい思いをしました。子供でも、力と技術があれば、回避できたのではないかと」

「そんな。私が意固地になってしまったせいであんなことが起きてしまったのよ、リリーのせいじゃないわ」


 お嬢様が寄り添って否定しようとしますが私は首を振りました。

 遅かれ早かれ、必要になる日が来たのです、それが今回だっただけの事。


「それでもどこかのタイミングで回避できたのは事実です。なので――」


 だからこそ、守るための力を付けなければいけない。私は近くの机に積まれていた書類から一枚の紙を取り出し、お嬢様に見せました。

 そこには『編入可能。力有る者、求める者、有志ある諸君を待つ。』の勧誘文が書かれています。


「士官学校へ行こうと思います」

「しかん……学校?」

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