道徳の授業と貪汚(たんお)のこと
ジョルジュ先生が入学式に宣言されたように、王立学院では人格形成のための授業が時々ある。道徳の授業みたいな感じかな?
そして今日は、その授業がある日だった。
私、道徳の授業って、好きじゃないんだよね……。
なんかイメージ的に、みんなキレイごとを並べて、自己満足に浸るだけの授業って感じで、どっちかって言うと、虫唾が走るタイプだった。
まあもちろん道徳の授業を受けて、思いやりの心が芽生え、お年寄りや子供に優しくなれる人が本当に出てくるなら、それはとてもいいことだし、あるべき授業とは思うけれど、でも、じゃあなんで私を助けてくれる人は現れないの?って、いつも矛盾を抱えながら、道徳の授業は受けていた。
正直、お年寄りや子供には優しくしましょうって習ったところで、誰も私に優しくしれくれる人なんていないし……いや、正直優しくされることまでは望んでない、ただ、私をひとりの人間として扱ってくれる人もいなければ、私が受けてる虐待とか、あんな道徳みたいな授業受けてても、誰ひとり気にも留めないいないんで、とても虚しい気持ちになった。
なんで、見も知らぬお年寄りや子供には優しくしろって教えるのに、間近にいる私には、手を差し伸べようとしないんだろう?
自分のことだけでもいっぱいいっぱい、生きるか死ぬかって日々を私は送っているのに、どうして私は、誰かを助けろって言われなければならないんだろう、私は誰にも助けられず、死んでいくのに?
授業では、一律に教えないとダメなのも分かるし、私ひとり虐待を受けてるから授業免除っていうのも変だし、っていうか、一応私の虐待には、色々面倒なのか気づいてないふりされてるんで、結局授業免除になるわけもないし、苦痛以外の何物でもなかった。
授業なんで、時々あてられるんだけど、心殺して能面みたいに張り付いた笑顔で、『そういうときは、手助けしてあげたいと思います』って心にもないことを言う自分……道徳の授業は、徳どころか心蝕んで、仕方なかった。
だから私は、道徳の授業が、キライだ。
前世にもし貪汚落ちとかあったら、私はすぐさま落ちてたと思うな、うん。
現世では、虐待親が先に怒りに心蝕まれて貪汚落ちするか、もしくは私が今体を使わせてもらっている女の子が、先に絶望して貪汚落ちするか、あのとき丁度、チキンレースの真っ最中だったのかも知れない。
そしてこの、今の私の体の持ち主だった女の子が、恐らくアニメ的解釈でいうと、私はこの体の女の子と同時に死亡したんじゃないかな、そして私は、転生してしまった。
で、前世の記憶を持ち、図らずとも、そして極めて残念ではあるけれども、あの程度の虐待なら貪汚落ちしないレベルの精神力を持った私が、結局チキンレースに勝ってしまい、虐待母親が負けて貪汚落ちし、それと同時に七大悪魔ジミマイに乗っ取られたっていう流れじゃないかな。
でもホント、あんな怖いの転生してすぐ経験してしまったので、苦痛に耐える精神力は大切なんだなと知った。
なので、ジョルジュ先生の授業の大切さも、ホント分かる。分かるんだけれど、でも本当は、そんな精神力を養わなくても幸せに生きていける、そんな人生を、私は送りたいんだけどな……。
そんなことをぼんやり考えていると、ジョルジュ先生は、
「そういう訳ですので、貪汚に心を蝕まれると、その心そのものが魔界へのエネルギーとなり、またそこから魔物が自然発生したり、悪魔の餌か、悪魔に憑依され、乗っ取られてしまいます。ですので欲望などの負の感情である闇の感情が芽生えたときは、心を落ち着けて、自分で納得、消化し、さらに自分の糧とすべく前向きな気持ちへと自身を導き、溢れた魔力を魔力エネルギーへと変換し、魔力の器へ落とし込んでしまいましょう」
と仰って、なんだか私の知らない間に、道徳パートは終わってしまうようだ。
ぼんやりしてて、聞いてないとこあったけど、大丈夫かな?
まあ、クラウス先生による家庭教師の授業と、重なる個所も多かったんで、大丈夫と思っておこう。
次は、魔物の発生の仕方についての授業となった。
王立学院って、本当に色んな事を学べるんだなって思う。これは、クラウス先生から習っていない個所もあるかも知れないので、しっかりお話聞いておこう。
魔物を一番大量に発生させてしまうのは、貪汚膿だという。
貪汚膿というのは、貪汚の瘴気が気体だとすると、貪汚膿は個体と言った感じだろうか。
神体山解放前は、神体山はホント魔物だらけだったけど、それは、神体山の土を始め、山丸ごと貪汚に侵されていて、魔物は神体山の地面から、自然発生していたそうだ。
つまりはあれか、神体山丸ごと貪汚膿化って感じだったのかな。
で、そうすることは悪魔側によって、とても都合がいいという。
魔界を維持のためには、人間の闇属性の気持ちや魔物の生命力が必要らしいんだけど、つまりそれは、数が多ければ多いほど、魔界の維持がたやすくなるということなので、神体山の貪汚膿化は魔物を生み出すパラダイスみたいなもの、魔界側にとってこんなに良いものはないそうだ。
つまり、人間の闇属性の気持ちだけでも魔界のエネルギーにはなってはいるんだけど、それよりも貪汚膿を作って魔物を大量発生させて、魔界のエネルギーにしたほうが効率がいいし、なにより魔物や悪魔が多いほど味方も多くなるんで、悪魔側がそのような様々なことを考えて今、このような現状になっているのだろうと仰った。
あと、魔物を生み出してしまうのは、人間の抑えきれない激しい欲望、貪汚に落ちかかっている激しい闇の感情、そして貪汚落ちした人間そのものが、魔物を自然と生み出してしまうそうだ。
本当に、恐ろしい話だと思った。
あんな恐ろしいグロテスクなものを自然発生させるなんて、激しすぎる我慢できない心抑えられない欲望は、絶対に持つことなく自分の中で頑張って消化しなければならないと、心から思った。
あと、魔物は倒したら普通の魔石が出てくるんだけど、悪魔の場合は貪汚の魔石なんで、その貪汚からも魔物は自然に発生する。つまり、悪魔が多ければ多いほど、魔物の数も増えてくる。
また、貪汚膿は魔物だけでなく、時々悪魔も生み出すことができるそうだ。どういうメカニズムで、貪汚が魔物になるのか悪魔になるのかは、まだ分かっていないらしい。
ということは、悪魔が発生するのは、貪汚膿からと、悪魔が人間を貪汚に落として悪魔に変貌させるのと、あとは堕天使からっていうことになるのかな。
とにかく、悪魔のエネルギー源が人間の魂で、魔物が発生するのに必要なのは、人間の抑えきれない自身で消化しきれないほどの強い欲望とか貪汚が必要だということがわかった。
で、貪汚が多ければ多いほど、魔物はいっぱい発生し、魔界を保持するためのエネルギー源も効率よく取れ、かつ魔物は悪魔の命令を聞くのが基本なので、悪魔にとっては好都合ということか。おまけに時々悪魔も発生し仲間も増えて、一石二鳥、貪汚万歳と言ったところか。
ちなみに、”魔物は悪魔の命令を聞くのが基本”っていうこの”基本”の意味は、魔笛で魔物を召喚すると、その魔物たちは召喚者の言うことを聞くので、例外として、魔笛を使えば魔物は人間の言う通りに動かせるということだそうだ。
そう考えると魔笛って、やっぱスゴイなって思った。
あと、山丸ごと貪汚膿化した神体山を、私、よく解放できたよね……ちょっと考えたら恐ろしくなってきた。
まあもちろん、モーゼの杖と、大天使ウリエルの御加護の賜物とは思うけれど。
それから、神体山解放後の魔物のお話になった。
神体山解放後、魔物は劇的に少なくなったけど、全くいなくなったわけではないという。
そう言えば、イラエ山では魔物、見かけなかったけど、エレガンドゥード山ではどうなんだろうか。王立学院での授業もあるんで、クラウス先生から以前のように偵察に誘われるわけもなく、行ってないんだけれど、気になるな。
エレガンドゥード山では、イラエ山のときと違って、行きがけの山道でも比べものにならないくらい魔物も多かったし、また、七大悪魔とも対峙したので、イラエ山のときと、色々違うかも知れない。ジョルジュ先生のお話を聞く限りでは、イラエ山のときのようにはいかないかも知れないと思った。
また、神体山にあるヒノキが貪汚膿に蝕まれ、倒木する話は以前クラウス先生から聞いたけど、特に根っこにこびりつくその貪汚膿を浄化しなければ、そこから魔物が発生してくるので気を付けなければならないという。
その辺りのことは、王命により、魔法師団が指揮を執り、神体山の貪汚膿の除去に当たっているそうだ。
頼もしい限りである。
また、貪汚膿を放ったらかしにしていると、魔力エネルギーを取られるので、魔力枯渇にも繋がるという。
そして、魔力枯渇が土地や海、世界を痩せさせ、人々は食べるものや着るものにも困るようになると、さらに貪汚の気持ちが膨れ上がり、気持ちを押さえられず貪汚落ち、その結果さらに貪汚が増えていき、負の連鎖、腐のスパイラルに世界が陥るそうだ。なので、なんとしてもそのような事態になることを、阻止しなければならないと、ジョルジュ先生は仰った。
……マジで怖すぎる。
嫉妬とかそういう系の感情は、まだ向上心に変換して、ジョルジュ先生も仰るようにむしろプラスに働くよう努力できるけれど、魔力枯渇で食べるものまでなくなってしまうと、生きるか死ぬかって時に前向きな気持ちになどなりようもないし、心が腐ってしまう、これはホント、負で腐のスパイラルだ。
そして悪魔側は、この今までの神体山を全部乗っ取ったことを考えると、本当にこの世界、魔力枯渇甚だしかったので、その負で腐のスパイラルを狙っていたんじゃないかな。
考えつくことが、まさに悪魔だなって思うのと同時に、でも今は二つ神体山が解放されて、本当に少しずつだけど事態は改善されつつあるんで、この調子で……本当はとても怖いけれど……でも頑張って引き続き神体山解放し、なんとしても負で腐のスパイラルに陥ることは避けたいなって、心から思った。
……そんな感じで今日のお話は、ホントに怖いお話が多すぎる……まあ、知っておかなければならないことなんだけど、もちろん。
でも、今ふと思ったんだけど、今いる悪魔の食糧だけなら、正直ここまですることないって思うんだよね。
もうホント、七ツ山全部奪って、土地も海も魔力枯渇を狙って、人間が全ていなくなれってレベルのスゴイ勢いだもん。
でも悪魔だって、人間の魂を食糧にしている以上、人間がいなくなっちゃったら、困らないのかな?
まあ今は、人間側が少し持ち直しつつあるけれども、でもまたいつ何かしてくるかも分かんないし、こんな人類滅亡レベルで貪汚や魔物や悪魔を地界に発生させている魔界の王である魔王サタンの考えてることもホントよく分かんないし、こうして授業を学んでも、さらに謎が謎を呼ぶというか、さらに頭に”?”がいっぱい飛ぶようになってしまった。
それから授業は下級悪魔と上級悪魔のお話になった。
下級悪魔は知能がないので、言葉も喋れず、ただ、「わぁー」とか「うぉー」とか喚いて、人間を襲うことしかできないらしい。
でも、人間が貪汚落ちしたときに体を乗っ取ることはできるので、下級悪魔は人間の乗っ取りができて、見た目少し人間チックなグロテスク系魔物と、私は解釈した。
上級悪魔は下級悪魔とは違い、知能もあり、言葉も喋れるという。そして乗っ取りだけでなく、人間に擬態もできるし、憑依できるものもいるという。
擬態するためには、元となる人間の魂を食べて、その食べた魂を持っていた人間とそっくりに、擬態することが可能という。
また憑依は、貪汚に侵された人間にそのまま憑りつき、その人間を支配するという。
憑依の場合は、その人間の思考がまだ生きているので、その者に、「自分は悪魔に乗っ取られている」ことについて、気づかせないまま意のままに操ることができ、例えばその者の家族に悪魔であることが身バレしないようにするとかもできるので、便利だという。
ただ、すでに死んでしまった状態では、憑依はもうできなくて、擬態しかできなくなるそうだ。
こうやって上級悪魔は、人間界で息をひそめ隠れ住み、さらに人間を貪汚に落とすべく、暗躍しているという。
あと、上級悪魔なら誰でも擬態や憑依ができるというわけではなく、むしろ、どちらかしかできない上級悪魔がほとんどだそうだ。
そして、七大悪魔になると、乗っ取りも擬態も憑依も、どれでもできるということだった。
……本当に、怖い話のオンパレードだ。特に憑依なんて、自分が自分の気づかないところで悪魔に乗っ取られている可能性が、この世界ではあるんですか?
貪汚には、本当に気を付けないといけないと思った。
クラウス先生から聞いた話、『リズレクション』っていう光属性の上級魔法が、心に芽生えた貪汚や、悪霊に蝕まれた心を浄化し、正常化できるらしい。この魔法は最上級レベルになると、死者の蘇生もできるって、クラウス先生仰ってた。
蘇生なんてそんな難しいことはできなくていいから、せめて心の浄化がぜひともできるようになりたい、私的必須魔法だなと思った。
でも、光属性の上級なんで、道のりは長そうだ。
今はボールドウィン侯爵家にいないせいか、皆んなの明るい雰囲気に包まれていないのもあり、また何より、クラスの雰囲気が本当にヤバいのもあって、なかなか光の気持ちを育てるのが、難しい状況にあると思う。
正直日々、辛いのは辛いけど、その辛さを忍耐力に変えて魔力エネルギーを蓄積、溢れ出そうなときは魔力の器を広げるっていうのが、今は滞りなく何とかできてるんで、今すぐその『リズレクション』、必要はないんだけれど……。
でも、皆んなのことが頭に過って、皆んなの暖かい笑顔とか笑った顔とか思い出しちゃうと、なんだかちょっと、寂しくなってきてしまった。
皆んな、元気にしてるかな……。
私の周りには、相変わらず誰も座らない。だから、誰かに聞かれる心配もない……私は俯いて、小さくため息をついた。




