王様の側近に、つけられてたらしい
後ろのほうから人の声が聞こえた気がしたので振り返ってみると、広場の向こうに繁茂する、神体山を形成している多くの木々の間から、ひとりの男が現れた。
私は驚き、息を呑んだ。
モーゼの杖を出そうかと思ったけど、さっき悪魔が人の姿形になれるという話を聞いて、躊躇ってしまう。
でも、いつでも出せるように、心づもりはしておこうと思った。
遠くのほうにいる時は『背が高い男』、くらいの情報しか得られなかったけど、だんだんと私に近づくにつれ、一枚岩の光に照らされ、徐々に容貌が明らかになっていった。
スラっとした長身の若い男性、髪色は黒に近い紺色で、夜の海のよう思えた。少し風になびく髪が、さざ波のように揺れていて、美しい。瞳の色も、髪と同じように見える。顔立ちは何ていうか、ちょっと作り物っぽいっていうか、とにかく彫刻のように目鼻立ちが整っていて、美しすぎると思う。だけど、割と大きめな片眼鏡が、その美しさに水を差しているようで、少し残念な気もした。
髪と同じ色の瞳を輝かせて、その男性は言った。
「お見事です」
私に近づき手を差し伸べた。私は手を取るのをためらって、言った。
「あなたは、誰ですか?」
男はひざまづいた。
「申し遅れました。私はクラウス。グリエルムス王の名代で参りました。
世界の魔力の源である七ツ山を管理している王は、悪魔に奪われていた七ツ山のひとつが解放されると知り、急ぎ私をこの地へ参らせたのです。
王宮からの転移陣が、この神体山の凱旋門にあるのですが、実は、門からあなたの後をつけていました。
七ツ山のひとつを解放して下さり、本当にありがとうございます。つきましてはあなたの、神体山を解放させるだけの能力、魔力を見込んでお願いがあります。私と一緒に来て下さいませんか。一緒にご両親のところに、ご挨拶に行かせて下さい」
う、相変わらず情報量が多いな。お話の内容だけでなく、見た目の美しさにも圧倒されて、物も言えないよ?
えっと、この美しい男性は、クラウスさんと言って、王様の側近みたいだ。それで、七ツ山を管理する王様は、何故かここの神体山が解放されると分かり、急いで側近をここによこしたってお話だけど、王様って、神体山の管理って、そもそもそんな予言めいたことまでできるもんなのかな?
私は不思議に思ったので恐る恐る訊いてみると、クラウスさんは立ち上がりながら、質問に答えてくれた。
何でも王宮には『神託の間』という一室があって、そこで『神の御意思』というのを伺うことができるらしい。
つまりあれかな? ジミマイを目の前にしてモーゼの杖が私の手に現れたとき、あの時に神様経由で王様、そしてクラウスさんって感じで、話が流れてきた感じかもしんないな。
それにしても突然一緒に来るように言われても、躊躇ってしまう。
大体両親に挨拶って、そんなの「うん」って言うわけないよ? 虐待する親っていうのは子供を所有物と思ってるんで、憂さ晴らしのサウンドバックがなくなったら親も困るから、手放そうとはしないもんなんだよ?
……ただまあクラウスさんは王様の側近でいらっしゃるんで、「王命だ」と言えば、この世界に限っては、私を連れていくこともできるのかもしれないけれど……。
あとそれに、私は他人から期待されることに、全くと言っていいほど慣れていない。
さっきの悪魔の思念じゃないけど、親にすら認めてもらえない人間の私が、どうして他人から認められるんだろう? そんなことあるわけないって、どうしても思う自分がいる。
でも、戻りたくはない…。だって、酒乱暴力父親がいるのが分かってるんだもん。
でも、もしこの人たちについていき、そしてこの人たちの期待を裏切ることになり家に強制送還されたら、余計にひどい目に合う。
だったら酒乱暴力覚悟で家に戻ったほうが、やっぱりいい……
「何か思い悩むことがおありでしたら、なんでも言って下さい」
クラウスさんは、私に優しく微笑みかけた。
私はそのクラウスさんの美しすぎる微笑みに思わずほだされて、また、なるようになれってもう思わず開き直っちゃって、色々正直に話すことにした。
だってホントなら私、死んでる人間だもん。どうにでもなれって、ちょっと思っちゃうよね。
だから、私は話した。
母親の虐待がひどいこと。
父親の酒乱もひどそうだということ。
そんな育ちの人間が、他人に認めてもらえるはずなどない。
期待を裏切り見放されて、家に強制送還されて、母親がいないのと私が一時いなかったせいで、自分の元から逃げ出したと喚き、酒をあおり、さらに虐待が悪化するのが目に見えている。
それが、怖い。
それならば、今、家に戻った方がマシなんじゃないかな……
クラウスさんは私の話を真剣に聞いてくれた。
そして、哀しい目をして、私に手をかざすと、手に光が集まってきて、その光の球体は徐々に大きくなってきた。
「ヒール」
光が私の体全体を包み、体中にある傷が癒されていった。体の痛みはなくなり、傷跡も全て消え去っていた。
驚いてクラウスさんを見ると、クラウスさんは優しく私に微笑んでいた。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、辺りが暗かったのもあり、これほどの傷を受けて気づかず申し訳ございませんでした。
しかしこれほどの虐待を受けていて、これほどの闇の魔力となると…。今まで貪汚落ちされなかったことが、むしろ奇跡です。それと同時に、その心を救い…といいますか、少なくとも安定して魔力を制御できるようにならないと、絶大な魔力量、この世界に危険が及ぶ可能性があります」
この世界に危険が及ぶ……私の魔力量って、ホントにそんなにひどいのだろうか。
「ですが、悪魔に支配されて、今まで手の打ちようがなかった七ツ山のひとつを解放できた貴女は、希望の光でもあり、私たちはそれを、手放したくないと心から思っています。でも、貴女は躊躇っておられる。我々の期待に押しつぶされ、期待に応えられないかもしれないと思うのが、たまらなく恐怖だと、貴女は私に仰いました」
私は頷いた。
この人は初めて私を認めてくれた人だ。
親にすら認められなかった私に、初めて価値を見出してくれた人だ。
だからこそ、期待を裏切りたくない。裏切るのが怖い。自分はやっぱりダメだと思うのが怖い。
強制送還されてされにひどい虐待にあうのも怖いけど、何より私は、やっぱり誰からも必要とされないと、改めて現実を突きつけられるのが一番怖いのかも知れない。
クラウスさんは、しばらく考えて言った。
「……そうですね、分かりました。私は貴女に期待しないことにします。だから失敗しても何をしてもかまいません、期待してないのだから、当然私たちが、貴女にがっかりすることもありません。
ただ……私たちの協力者になって頂けませんでしょうか。色んな視点を持った人間、様々な能力を持った人間が集まると、思わぬ突破口を見つけたりするのはよくあること。その確率が少しでも上がればいいと思っています。
ただ、もしもその確率が上がらなくても、私は全く構いません。貴方は貴女のそのままで、気負う必要も何もありません。ただ協力して欲しい、それだけです。
そしてもちろん協力者になって下さった貴女を、虐待の危険がある家に戻すことは絶対にないと、ここに誓います。
……ですから、お願いできないでしょうか?」
クラウスさんはもう一度私に手を差し伸べた。
クラウスさんの言い回しに、私は、物凄く気を使わせているなっていうのが、ひしひしと伝わってきた。
転生してきたばかりで未だに現状を把握してないけど、それでもやっぱり、私の生い立ちや性格に難があろうとも、この人が私のことを必要としているのは、さすがに私も分かった。
誰かに手を差し伸べられたことなんてない。あまりに美しく、気品があり、そして優しさを感じる手。私はその手を取っていいのだろうか?
ふと自分の手を見た。さっき地面に手をついて魔力を奉納したのもあり、かなり汚れている。
この汚い手で、この美しい人の手を取りたくないなと思い、自分の手を見てため息をつくと、私の手にはモーゼの杖が突然現れ、光り始めた。
「それは、その杖は、モーゼの杖ではないですか!?」
クラウスさんは驚いて、私が持っている杖を見た。
いったい何故にこのタイミングでモーゼの杖?
光で行く道を示すという大天使ウリエルが私に授けたモーゼの杖、もともとちょっとぼんやり光ってるけど、この光り方は凄い強い。これは、クラウスさんと一緒に行きなさいっていうことなのかな?
「……大変申し訳ございませんが、事情は変わりました。これをお持ちとなると、遅かれ早かれ王に召しだされることでしょう。故に、これから申し上げることは王からの命令と思って下さっても結構です。また、神の御意思も同じと存じます。有無を言わせぬ形になってしまい大変申し訳ないのですが……私と一緒に、来てくださいますね?」
私はモーゼの杖を思わず強く握ってしまった。すると杖が、さらに光を放った。
……これは、やっぱり大天使ウリエルのお導きだと思う。それに、完全に見るからに平民貧民街出身であろう私に、こういう世界で王様の命令を拒否とか、できるわけないだろうし、行かないという選択肢はもう、ないのだろう。
私はそう思い、しっかりとクラウスさんの目を見て、頷いた。
神体山を下りようと来た道を見ると、来た時みたいに道が光りに照らされていなかったので、クラウスさんが「ライト」と唱えると、周りがすぐに明るくなった。
おお、便利な魔法だなと思いつつ、私はやっぱりめちゃ寒いと思ったので、来た時みたいに体を温めようと思って杖に念じてみた。すると、私は一瞬光に包まれた後、体が暖かくなった。
よし、これで門のところまで暖かくして下りれるな、って思ってたら、その様子を驚きの眼差しで見つめるクラウスさん、
「そのお歳でもう無詠唱魔法が使えるのですか? 驚きました。魔法はどなたから教わったのですか? もしくは、モーゼの杖と何か関係があるのでしょうか?」
と質問されるんで、
「実は私、モーゼの杖をさっき手にしたばかりなんですけど、手にしたとたん魔法が使えるようになっていて、モーゼの杖がここまで来るように光で指示したように思えたので、何となく雰囲気でここまで来てしまい、今に至ります」
と、自分でもホント意味不明と思いながら、答えた。
クラウスさんは、目をぱちくりされている。そりゃそうよね、私だって、意味わかんないもん。
神体山を降りながら、クラウスさんはとりあえず、モーゼの杖を手に入れた経緯から、ここに来るまでのことを私に質問してきたので、私は答えた。
母親から虐待を受けていたときに、突然母親が七大悪魔ジミマイになったこと。
ジミマイはサタンの命で、私を魔界へ連れて行こうとしたこと。
その時に何故か突然私の手にモーゼの杖が現れたこと。
モーゼの杖が現れるとジミマイは驚きまくって、モーゼの杖を奪おうと私に襲いかかってきたこと。
その時モーゼの杖が突然光り始めて、憑代母親のジミマイを倒してしまったこと。
モーゼの杖が光でこの神体山まで導いてくれたこと。
一枚岩まで着いたら岩の精霊ウルルが現れて、魔力奉納を勧められたのでしてみたら、神体山が悪魔から解放されて、神体山に魔力が少し満たされたこと。
大天使ウリエルが現れて、モーゼの杖を私に授けるみたいなことを言ってたこと……
クラウスさんは少し考えを巡らせてから、ゆっくりと口を開いた。
「あなたの母親を乗っ取ったジミマイは、確かに七大悪魔ですね。ですが、わざわざ七大悪魔が人間を乗っ取るなど……。
普通人間は、苦しみに耐えられず貪汚落ちする時は、悪魔に魂を食われるか奪われるか、悪魔に乗っ取られるかするのですが、乗っ取られたとしてもせいぜい手下の悪魔たちです。それを、七ツ山の一つを押さえていた七大悪魔のジミマイが、せっかく奪った持ち場の神体山を離れ母親を乗っ取り、サタンの命令で貴女を魔界へ連れ出そうなど……」
ウルルと言ってたことと重なるところあるなと思い、私はクラウスさんのお話を聞いていた。
やっぱりジミマイの一連の行動は、おかしいらしい。
「だが神がこれを良い機会ととらえ、ジミマイに再度乗っ取られる前に、このイラエ山を神の代わりに見守っていた大天使ウリエルに命じ、あなたにモーゼの杖を授けたのか……」
なるほど、神体山それぞれには、大天使が神の代わりに見守ってるのか。
でも、基本見守ってるだけで、悪魔の勢力が絶大で神体山を全部奪われてても、特に何かしたわけでもなさそう。
私もクラウスさんと同じように、頭の中を少し整理してみる。でもやっぱり、分からないことだらけだなって思う。
「憑依した仮の姿とはいえ、七大悪魔のひとりを一撃で倒したとなると、『救出の杖』であり『粛清の杖』と言われるモーゼの杖と、大天使ウリエルの力は本当に凄まじい……」
「それにしてもやはり、神体山解放にはモーゼの杖が必要だという言い伝えは、本当だったのか……」
眉間の皺が深くなるクラウスさん、あんまりにもひとりで没頭し、深く考え事をしているので、とても何か話しかける気にはならない。
でも、私にとっても今この現状が本当に何なのかさっぱり分からないので、何かしら現状把握されたのなら、色々教えて欲しいんだけどな。
私が隣を歩きながら、ぶつぶつ言ってるクラウスさんをぼんやり見ていると、私の視線に気づいたクラウスさんは、私をまじまじと見た。
「失礼ですが、歳をお伺いしてもよろしいですか?」
私は答えに戸惑った。前世では十三歳だったけど、現世ではどうだろうか。同じなのだろうか。
私が黙っているとクラウスさんは、さらに質問してきた。
「いえ、まずはお名前をお伺いした方がよかったですね。お名前はなんと仰いますか?」
名前なんて分かるはずない。前世では井波理代子だったけど、その名前を、この中世ヨーロッパ風の世界で言えるはずがない。もしクラウスさんの名前が”太郎”とか、日本っぽい名前だったなら、一度試しに言ってみたかも知れないけど。
私は下を向いて黙り込むと、クラウスさんは難しい顔をして言った。
「記憶喪失かも知れませんね……あれほどの傷を受けていたのですから、ショックで記憶を失うのも当然かも知れません。先ほども母親の虐待はひどいと仰いましたが、父親の酒乱は”酷そうだ”、と推量されてましたよね。記憶もとぎれとぎれなのかも知れません。
また、その記憶を忘れるほどの虐待が数年にも及び、それが日々の日常であったとするならば、どれほどの魔力を蓄えていたことか」
どうやら私の魔力量が多いのは、辛い経験を耐え抜いた賜物っていう考え方も、ひとつ、あるみたいだ。
「ただ今は体を休めることを先決にし、深く考えるのはその後にしましょう」
とクラウスさんが言うと、前方には光る凱旋門が視界に入ってきた。
私たちは神体山の入り口にある光る凱旋門にところまで辿り着いた。山道の光はなくなってしまったけど、この門は、常に光っているみたいだ。
クラウスさんが両手をかざすと、地面には転移陣を浮かび上がってきた。
「こちらは転移陣。さきほど魔力奉納で一枚岩に浮かび上がってきた魔法陣とは別のものです。こちらで王宮まで転移し、あなたを宮殿までお連れします。色々お話したいことは山々ですが、まずはお体を休めましょうね」
そう言って、私を転移陣の中央に促しながら、クラウスさんは優しく微笑んだ。
さっきの眉間に皺がよった横顔も、憂いある表情で美しかったけど、やっぱり笑顔も美しいな……
と、思わず見惚れてしまう。
私は顔が赤くなってきたのが分かり、ヤバいと思ってすかさず俯きモーゼの杖を片付けた。
「モーゼの杖を片付けたので、急に寒くなってしまい、すいません」
私がしどろもどろ言うと、
「大丈夫ですよ、お気遣いありがとうございます」
と言って、また微笑まれた。
う、美しすぎて、言葉が出ない……
あまりに恥ずかしいなと思ったので思わず目を逸らしたら、その時視界がグニャリと歪み、目の前が真っ暗になった。