ルーン文字の授業
今日のルーン文字の授業は、『ヴィルジール』だ。
私は一年生の闇クラスで少しだけ習い、クラウス先生からも教わったけれど、ルシフェルはどうなのかな? ちょっと訊いてみると、
「やったかもしんないけど、忘れた」
とか、よくわかんない返事が帰ってきた。
まあ、どっちにしろ忘れたんなら、今日はしっかり授業を聞いておいたほうがいいだろうな。
ちなみにエミール様に訊いてみたら、
「私は、セプテントの魔法学院入学前に、既に読みました」
と、あっさり仰った。さすが編入生で王立学院トップの成績、並外れているにもほどがある。普通ルーン文字を就学前の生徒が読んだりなんて、しないと思うんだよね。
「他領地の魔法学院では、通常ではどうなのですか? ルーン文字を習い始めるのは、王立学院では一応二年生からなんですよ」
「魔法学院も二年生からですよ。一年生は、まずは通常の読み書き解釈重視みたいなところが、やはりございます」
エミール様のお話を伺っていると、そういえば日本の学校でも古典や漢文習い始めるのは中学生に入ってからなんで、そういうのと似ているのかも知れないなと思った。
「また、現在解読可能なルーン文字もそれほど多くないため、二年生からなのだとも思われます。正直今日の題材『ヴィルジール』も、子供の絵本レベルの難易度ですから」
……まあ、『ヴィルジール』のルーン文字の難易度が絵本レベルっていうのは、さすがにエミール様の物差しで難易度を測られているなあとは思うけれど、でも確かにこの『ヴィルジール』というお話、悲恋ではあるものの子供の絵本であってもおかしくないお話だなあとは思った。
ヴィルジールは雪の精霊で男性なんだけど、王女様に恋をして、失恋し、亡くなってしまう……いうならば『人魚姫』の男性バージョンみたいなお話だと思った。
私は、思わず『ヴィルジール』にイメージぴったりのエミール様を見てしまう。
「……ソフィー様、どうかされましたか?」
あ、いけない、いけない、人の顔見ながら妄想入ってた。
私は慌てて取り繕いつつ、弁解した。
「あ、すいません……いえ、似てるなあと、実は前から思っていたんです」
「……似ている? 私が?」
「はい、この物語に出てくる雪の精霊ヴィルジールにです」
すると、エミール様が少し考えられたのち、何か思いつかれたように、仰った。
「ああ……そういえば最初、ソフィー様が私をご覧になった時とても驚いていらしたように思ったのですが、ひょっとして、ヴィルジールとイメージが被ったからでしょうか」
「仰る通りです。一番最初エミール様を見たとき、この真夏にどうして雪の精霊が王立学院に迷い込んで来たのかと、本当に驚きました」
「なるほど、そういうことでしたか……確かに髪色と瞳の色は、同じですからね……私自身は、そんなに似ているとは思いませんが……まあ、少しでも印象に残ることができたのでしたら、ヴィルジールに感謝ですね」
そう、優しく微笑まれるエミール様……いや、正直エミール様を見て、なんの印象も抱かないなんて人なんて絶対いないと思うよ? だって、ちょー美しカッコよすぎるもん。
って私がエミール様に密かに見惚れていると、ルシフェルが、
「……まあ、最後、悲惨だけどな」
と、ぼそっと憎まれ口を叩いた。
……
ルシフェル……さっき『忘れた』って言っておきながら、ちゃんと結末覚えてんじゃん。
ふとエミール様のほうを見ると、困った顔していらっしゃる。
「……まあ、あのような末路は、辿りたくはないですね」
えっと、上手くは言えないんだけど、エミール様ならあのような悲劇的な結末には、ご性格上なりえないんじゃないかな?
「エミール様、ご安心下さい。エミール様の見た目はすごくヴィルジールですが、性格はヴィルジールと真反対のような気がします。少なくとも物語のヴィルジールは、人を”買収”したりはしないんで」
って私がてへって感じで笑うと、エミール様は目をぱちぱちされて、そして、ゆっくり目を閉じて、仰った。
「……確かに、物語のヴィルジールが私のようにもう少し狡猾であれば、あのような悲劇的な最後にはならなかったかも知れませんね……
私は、ヴィルジールのようにはなりませんよ。自分の未来……最後の最後まで諦めるつもりはありません。というわけですからソフィー様、お覚悟を……」
そしてエミール様は、実に色っぽい艶めかしい笑顔を、私に向けられた。
うう、ズルいよ、ステキすぎるよ……そしてなんだかよくわかんないけど、エミール様の導火線に火を点けたみたい……?
ルシフェル、たす……
……
ううん、今は、ルシフェルのことは、見れない。見ちゃいけない、助けを求めてはいけない、そんな気がした。
なので、じゃあ、どうしようか……
ああ、授業に集中すればいいんだ、そうだ、今、授業中だった。
私は慌てて顔をあげて、とにかく一心不乱気味にジョルジュ先生をガン見した。
すると、ジョルジュ先生がルシフェルのことをあてて、続きを読むように促された。
ルシフェルは席を立ち、物語の続きを朗読する。
おお、なかなかよいタイミングで空気を替えられた。ジョルジュ先生グッジョブ。
……などと考えながら、未だにジョルジュ先生をガン見してると、エミール様はクックックと笑い始められた。
「ジョルジュ先生のお顔をどんなにご覧になっても、物語の続きは書かれていませんよ」
おお、そうだった、目線は本に落とさなきゃいけないんだった……ええっと、ルシフェルが読んでるところ、どこだったっけ……
私は今ルシフェルが朗読しているところを見つけ出そうと、一所懸命教科書をパラパラしていると、エミール様が私の教科書のページを開いて、指差して教えてくれた。
「今、ここですよ」
「あ、ありがとうございます」
とお礼を言って、教科書読むのに集中しようとすると、またエミール様がクックックと声を潜めて笑い始められた。
「その今の、心ここにあらずなご様子、一番最初お会いしたとき、行き先が分からずに、固まっていらっしゃったソフィー様を、ちょっと思い出してしまいました」
……
もう、エミール様って、人をからかわずにはいられないのかな? 油断も隙もありゃしない。
「もう、いい加減、早く忘れて欲しいです。あと私、いろいろ固まるのが”趣味”なんです」
って適当に言って、私はめちゃ口を尖らせてしまう。
でも、エミール様はさらに私の”揚げ足取り”に精を出された。
「なるほど。私も記憶の固定化は”趣味”なんですよ。ですので、最初の鮮烈な印象はどうしても忘れられません。それにしてもソフィー様も”固まるのが趣味”とは、私も同じ”趣味”を持つ者として、非常に嬉しく思います」
「いえ、全然同じじゃないですよ? 私はいろいろ考えすぎると行動が思わず止まってしまうタイプですが、エミール様はそもそも記憶の固定、むしろ真逆と思います。それだけ過去のことをしっかり覚えておけるのは優れた才能のひとつで羨ましい限りですが、もう少し柔軟性を持たせ、とくにつまらないことに関しましては思い切って忘れてしまっても、よいように思います」
「なるほど。ソフィー様は、次に起こす行動を忘れてしまうほどに、思考を巡らせることがおありなのですね? 残念ながら私はまだその境地に到達しておりません。ぜひ、見習いたいものです」
と仰って、エミール様はまた声を潜めてクックックとお笑いになられた。
……もう、完全にイヤミ丸出しなんですけど。
私、さっきからずっと口を尖らせてんだけど、これ以上尖らせられないってほど、さらに口を尖らせてしまうじゃん? マジで限界に挑戦だよ、全く……
とか思いながら、私は人知れず妙な限界に挑戦していると、エミール様が、今度は妖しい目をされて、仰った。
「ソフィー様は、私に柔軟性を持たせたいようですが、ではまずソフィー様がお手本を、私に見せて頂きたいです……
私もお手伝いしますよ? そうですね、まずはソフィー様のどこを柔らかくする”お手伝い”をさせて頂きましょうか……その、可愛らしく尖っている”唇”はどうでしょう……?」
……え、今、なんて……?
私はもうめちゃ驚いて、エミール様を見た。
エミール様は、なんとも艶めかしすぎる微笑みを浮かべ、私をご覧になっている。
わ、わ、私の唇を柔らかくするとか、ど、どうやって?? エミール様がお手伝いって、い、いったい、なにをされるおつもりなんですか!?
私がまたまた思考停止で固まっていると、朗読中のはずのルシフェルが、突然教科書をバサっと下ろし、エミール様を見た。
「……お前、マジでいい加減にしろよ……」
……
突然の出来事に、教室がシーンと静まり返る。
私はルシフェルの顔を見た。本当に、めっちゃ怖い顔をしている。
これはいったい、どう収集つけるつもりだろう……??
って、私がめちゃオロオロしていると、ジョルジュ先生がルシフェルに問われた。
「……ルシフェル様、今のようなセリフは、どこにも書かれておりませんが?」
するとルシフェルは、ちょっと頭を掻きながら、ぼそっと言った。
「……ああ、なんちゅーか、この雪の精霊が不甲斐ないんで、”いい加減にしろ”って思ったら、思わず心の声が、出てしまいました」
そしてルシフェルの言葉を受けて、静寂に包まれていた教室が、一気に”どっ”っと賑やかになった。
「出た! ルシフェル殿の十八番、”オリジナルつっこみ解釈”!」
「朗読中に教科書と”会話”! ルシフェル様にしかできない、離れ技ね!」
「しまいには、ルシフェル・アレンジが効きすぎて、別の話になってたりして?」
「それあり得る! 結局魔女をやっつけて、武勇伝になってるんじゃ??」
「そうそう! で、主役もヴィルジールからルシフェルに変わってるのよね!」
「それ、物語の名前が『ヴィルジール』から『ルシフェル』に変わっちゃうじゃん!」
「言えてる! 全然あり!」
などと皆さま口々に言い合って、大笑いを始められた。
……さすがルシフェルだな……私が知らない一年生の光クラスでの様子が、手に取るようにわかる。
で、当の本人、ルシフェルはというと、ちょっと恥ずかしそうにしながら立っていた。
すると、ジョルジュ先生が、
「物語の解釈については、のちほど行いますので、まずは普通に読んで頂けますでしょうか。ですが、物語を深く読み込もうとする姿勢は、素晴らしいと思います……」
と、めちゃ無理矢理感満載のフォローを入れつつ、ルシフェルを座らせた。
すると、エミール様が挙手されて、
「続きは私が朗読しても、かまわないでしょうか?」
と仰ると、ジョルジュ先生は、「では、お願い致します」と承諾され、エミール様は席を立たれ、続きを読み始められた。
そしてそれに代わるように、ルシフェルは着席する。
エミール様の、あまりに流れるような美しい朗読っぷりに、皆さま聞き惚れていらっしゃる。
私ももちろん聞き惚れてはいるんだけど、でも私はそれよりもルシフェルのほうが気になっちゃって、ルシフェルの様子を伺った。
手には教科書が開かれているものの、視線の先は、教科書にはない。どこか一点をぼんやりと見つめている。
いつもの私なら、めちゃ爆笑をさらったルシフェルに対して、「さすがルシフェル!爆笑の渦じゃん!」とか言ってせっつき、ルシフェルも「まあ、当然かな?」とかなんとか言って、さらに大笑いするところなんだけど、さすがに今は、そんな雰囲気にはなれない。
私は教科書に視線を落とす。でも、文字を目で追う気にはなれない。
エミール様の心地よい声……エミール様は私の隣にいるはずなのに、でも、なんだかどこか遠くのほうから聞こえているような気がした。




