少女たちのエクソダス
集団自殺という行為は人間特有のものだ。今では動物の集団自殺はほぼ否定されている。レミングが海に飛び込んで自殺するというのは単純に食料に対して増えすぎたために別の移住場所を探して海に飛び込んで移動するということにすぎない。ディズニーのドキュメンタリーは間違っていたのだ。
対して、人間の集団自殺は例にいとまがない。宗教絡みのこともあれば、政治絡みのこともある。ガイアナの人民寺院で毒のスープを赤子に飲ませたように、沖縄で多数が自決したように。
「人間はね、セカイを持ってるんだよ。宗教なんかがわかりやすい例。各々の独自のセカイに 入り込んで世界の出来事に理由付けをしようとするの。国も街も家族も、全部同じ。セカイを持ってるの。
そして、そのセカイが壊されそうになったときに耐えきれなくなって自殺する」
目の前で少女が語る。黒髪を風に靡かせながら私にさまざまな自殺を教えてきた少女が。そして、今まさに集団自殺しようとするメンバーが集まったのだ。
「最初から、ログを見てみない?今やこれが私たちの聖書なの」
出会いはインターネットだった。今やインターネットというだけではどのインターネットを指しているかが分からないくらいにインターネットは拡大しているが、インターネットでも奥のほうだ。限られた人しかアクセスできないようなプラットフォーム。招待されないと入ってこれないために社会から隔離された空間。社会に嫌気が差している人々にとっては夢のような空間。
>骨格模型 『よろしくお願いします、レミングさん』
>レミング 『こちらこそよろしくお願いします、骨格模型さん』
最初はこんな会話だった。けれど、社会からの圧力に耐えかねて深いインターネットまで潜るようになった私たちに社会の圧力から嫌気を吐き出せる場所を見つけたためか、次第に会話は暗いものが増えていく。友人の愚痴、先生の愚痴、親の愚痴。
>骨格模型『今日も私の親はパチンコしてきて、しかもいつも家で喧嘩してるからうるさい』
>レミング『そうなの。私の先生も将来のことをどう考えているのかとか、いろいろうるさくて』
>カタコンベ『私も』
>ヘールボップ『私も』
このように愚痴を吐き出すだけの場所ならまだよかったのかもしれない。なぜなら、この場所が愚痴の掃き溜め以上の意味を持たず、ここでのつながりが同じ場所に愚痴を捨てに来ている以上の意味を持たなかったからだ。しかし、いつも暗い話題というわけではなく、手にしたデバイスは娯楽も提供してくれている。
>骨格模型 『このゲーム面白いよ、みんなもやってみて~!』
>ヘールボップ 『いいじゃん。骨格模型のお勧めするゲーム、外れないんだよね。銃で撃ちあうゲームばっかりだけど(笑)』
>カタコンベ 『あ、マルチプレイもやってみない?ボイチャ繋いでさ』
>骨格模型 『@カタコンベ いいねそれ、今度やろ~!』
ゲームの話題で仲良くなったりもした。面白い動画を見て笑ったりもした。食べ物の話をしたり、時には同じものに対して文句を言いあったりして、仲良くなっていった。
>骨格模型 『今度のアプデで新しい武器来るんだってさー』
>ヘールボップ 『そうなんだー、個人的にはいろんなバグ直してからにしてほしいけどねー』
>骨格模型 『わかるー』
>ヘールボップ 『ところでさ、最近嫌なことが多くて、ここに入り浸りになっちゃうんだよね』
>骨格模型 『わかるー。外に出たくないのに外に出ろとか、もっと頑張りなさいとか』
>ヘールボップ 『私も。彼氏が暴力ふるって来たりとかさ。でも外面いいから自分のこと誰も信用してくれないんだよ』
>レミング 『それはひどいわね……。私も将来のことを考えなさいとか言われて嫌になるわ』
このコミュニティに所属してから一カ月近く経過すると次第に現実よりこちらの方が楽に思えてくる。私と同じ人間しかいない。現実の教室とは違って暗い話をしても誰も嫌な顔したり、先生などに言ったりしない。社会に嫌気がさしている人間の集まり。そこでだけ私は私で居られるような気がした。物理的制約が解き放たれて、同じ苦しみを持った人々の空間にいるときだけが私なのだ、と。
「まったく、何度言えばわかるの!!??」
「将来にはこの社会を支える一員になるんだぞー」
「みんなでダンスでもしてTikTokにあげようよ」
うるさい。現実世界の一日は騒音ばかりだ。私を怒る言葉は当然として、私を励ます言葉、友人たちの遊びの提案でさえ煩わしく思う。それに、今日の中で一番煩わしいのは将来には社会を支える一員になるということだ。みんな当然の顔をして受け入れているように見えるけれど、私はまっぴらだ。社会というものに最適化されてその社会の一員として正しいふるまいをする。社会の一員として要求されるより前に行動する。社会の一員として正しいユーモアにだけ笑う。そんな風に最適化された一員になることはまっぴらなのだ。周りの友人はそんなことを気にも留めていない。いつしかこの子たちは私より優れた製品としてこの教育という工場を通じて出荷されていくのだろう。社会から要求された寸法から誤差プラスマイナス1パーセントの人格的ずれ。その範囲内に収まるように調整されて、もしくは自ら形を変えて、出荷されていくのだ。就職試験という誤差試験をくぐり抜けて。
私はその誤差試験を突破できる気がしなかったし、同時に社会から要求された寸法というのもまっぴらごめんだ。あなたが思うより健康ではないのだ、私の精神は。
家に帰ってスマホからいつもの場所にアクセスする。ダークモードの暗い背景に今の心はぴったりだ。
>骨格模型 『ねえ、みんな。自分の将来について考えたことある?私、今日の授業の社会を支える一員になれっていうのが嫌でさ』
>レミング 『私は……将来なんて来てほしくないかしら。辛いこと、悲しいことしか来ないもの。皆、大人も子供も陰口ばかりで、嫌になるわ』
>ヘールボップ 『自分もだよ。将来なんて考えたくもねえ。彼氏はどんどんエスカレートしてきてるからよ。一年後とか殺されてそうだぜ』
>カタコンベ 『わたしも。受験とかしたくないのに、親とか先生とかが勝手にレールに乗せてきて』
>骨格模型 『みんなそうなんだ。安心した』
>ヘールボップ 『そうだぜ。生きていてもしょうがないんだよ、自分たちは。そう思ってないとやってられねえ』
>レミング 『そうね。生きていても、とは思うわ』
ベッドの上で一人ごろごろとチャットの文章を打ち込みながら私は安堵していた。人生が嫌だという人は私だけではないのだと。将来が来てほしくない人は私だけではないのだと。そうならば、私たちはなぜ生きているのだろう。肉体が生きようとするからなのだろうか。そうだとしたらとんだ迷惑だ。勝手にソフトウェアである精神に逆らって生きようとしないでほしい。ソフトウェアがシャットダウンしようとしたのなら、ハードウェアのほうも電源が切れてほしい。
ただ、今のところは誰も死のうなんて言葉をコミュニティでは発していない。みんな、将来に絶望はしているが、死のうという言葉は発してしまうと取り返しがつかないのかもしれない。私も、『なら、死んじゃう?』という言葉をタイピングしたところで送信ボタンを押せていない。将来を悲観するにつれて死という言葉は軽々しく口に出せなくなる。実行してしまいそうになるから。
でも、彼女は違った。
>レミング 『なら、みんなで逃げちゃわないかしら』
>骨格模型 『逃げるって、どういうこと?』
わかっていた。けれど、わからないふりをしたかった。
>レミング 『天国に。みんなで脱出するの』
>ヘールボップ 『おいおい……マジ?』
>カタコンベ 『でも、それしかないのかな、逃げるためには』
>レミング 『多分。社会が無い場所に行ければいいのだけれど、そんな場所では電気も水道もないだろうし。そんな場所で私たちが生きていけるとは思えない』
>骨格模型 『たしかに……』
>ヘールボップ 『まあ、ちょっと待たないか?死ぬのはまだ早いと思うし』
>レミング 『そうね。確かに、まだ私も少しの自由時間はあるから。まだ早いかもしれないわね』
>カタコンベ 『そうだね、来週あたりにゲームのアプデがあるし』
「ふぅー……」
焦った。レミングさんは厭世的なところがある。死んじゃう?というメッセージを送信できなかった私と違って一歩先に行ってしまっているのだろうか。もしくは、軽々しく命を捨てるなんてことを言える段階の、私より何歩も後ろにいるのだろうか。おそらくは前者だろう。死ぬという言葉を使わずに、逃げるという言葉を使うのは彼女が行こうとしているから。死ぬというネガティブな言葉ではなく、脱出というポジティブな言葉で言い換えているのは、きっとそうなのだろう。
「ユダヤの人々は住み慣れたエジプトからの亡命をExileではなく、Exodusと呼んだ。それは特別性のあることだから。ヘブライ語でもこの二つは別のものとして扱われている。住んでいた人々は死ぬのかもしれないのに急いで脱出した。パンを発酵させずに食べて。
それは、集団自殺とどう違うのかしらね。成功したか、失敗したかの違いでしかないと私は思うの」
そうかもしれない。もしかしたらヘヴンズ・ゲートも私たちの目から見えてないだけで彗星に乗ってきたUFOが彼らの魂だけを持っていったのかも。
「ふふっ。そうね。もしかしたら、私たちの試みも成功するのかもしれないわね」
ガソリンの匂いが鼻の中に広がる。私たちが私たちであったもの……財布や身分証明書、鞄などにガソリンをひと回し、ふた回し。私たちが脱出したときにこれらも一緒に連れていく目的だ。もしかしたら、逃げた先で必要になるかもしれないから。
>カタコンベ 『今日のアプデ、なんか微妙だったね。バランスの調整といいながらナーフばっかりで』
>レミング 『ゲームには詳しくないのだけれど……それじゃ、ダメなのかしら?』
>骨格模型 『結局使われてない武器は使われないままだから、あまり改善になってないし、その割に爽快感がなくなるんだよね』
>レミング 『そうなのね。ゲームも奥深いわね』
この頃のログはいつも通りのたわいもない話をしている。まるで、この間レミングが集団自殺――彼女風に言うならば集団脱出――を提案したのとは対照に、アプデに対する文句で埋まっていた。この頃は現実から逃げるようにいつもゲームをしていたと思う。寸法通りの社会的人間になるのを嫌がって、家で、ファミレスで、公園で、ゲームをしていたと思う。現実に逃げられる場所は無かった。私たちが共有している将来への絶望から逃げられる場所は現実には無かったのだ。私たちの身体は成長するし、それに伴って社会的責任も増える。
甘えと言われたらそうかもしれない。あなたに投資しているんだから返しなさいはそうかもしれない。無責任。そうかもしれない。だけれども、社会さんサイドにも多少の問題はある気がする。あなた達が描いてた夢の未来が来なかったからといって私たちにもその夢を追わせ続けるのはどうかと思う。
「ねえ。君一人?」
「大丈夫?」
「困ってたらここに電話して」
うるさい。公園でゲームしてて話しかけられるよりうっとうしいことは無い。自殺者相談窓口というチラシや、困ったらここに連絡というチラシを貰う。だけれど、これも結局は社会に引き戻すための仕組みだ。どんな精神障害と診断されたとしても最後は労働ができるように調整されてしまうのだ。私はそれが嫌だから逃げようとしているのだ。この少し太っちょな、いかにも人助けをして自己肯定感をバイト代にもらっているような女性の話なんか聞いてやるものか。
>ヘールボップ 『死にたい』
>ヘールボップ 『妊娠した』
>ヘールボップ 『彼氏はどこかに行った』
ああ。時が来たんだ。私はこの文章を見た時にそう悟った。言うなればどこにでもある悲劇。妊娠だけさせて逃げられるという悲劇なのだけれど、私たちを確信させるには十分だった。もう脱出しようか、と。
>レミング 『わかったわ。逃げましょう。こんな世界から。私たちを守るために』
>骨格模型 『やっぱり、それしかないよね』
>カタコンベ 『でも、どうやってみんなで逃げるの?』
>レミング 『みんなで集まって、苦しまない方法で。それが、みんなで逃げられる確実な方法だと思うから』
>骨格模型 『どうやって集まろうか』
>レミング 『……みんな、どこに住んでいるの?』
>ヘールボップ 『さいたま』
>骨格模型 『横浜の川崎』
>カタコンベ 『……私は大阪なんだよねー』
>レミング 『大丈夫、私がみんなを迎えに行くから。車を持ってるの』
そして、初めて私たちは顔を合わせた。リアルの、肉に縛られた存在の顔を。
レミングは黒髪な深窓のお嬢様のような感じで、ヘールボップは少し髪を染めている今どきのギャルという感じだった。私は、特に変哲もない黒髪の女子高校生だ。こうしてみると、奇妙な組み合わせだ。外見的には。内面的にはこの世界に深く絶望して、そして一緒にゲームもして心を通わせた仲だ。
「こんばんは、私がレミングです」
「自分がヘールボップだ」
よろしくお願いします。と頭を下げようとすると、よく知った仲ですし大丈夫ですよ、と言われて。外見で見るのは初めてだけれど、内面をよく見てきたのだから、確かによく知った仲だ。もしかしたら、外見を通して付き合ってきた誰よりも。
大阪に行くまでの道のりは何もなかった。ここでの何もなかったは、本当に何もなかったということだ。会話も、感情の噴出もなかった。出発時間が遅かったのもあるが、皆寝てしまっていた。少なくとも、運転手のレミング以外のヘールボップと私は寝てしまっていた。カタコンベとの待ち合わせ場所である、大阪駅を少し行ったところでそれらしい人を見かける。中学生くらいの、まだ未来がありそうなと言われそうな子だ。それでも、疑う余地なく私たちと同じ絶望を持っている。
そうして、今に至る。放棄されたキャンプ場に乗り込んだ私たちは車の中で少し準備をしていた。私とレミングは身分証などを燃やしていた。ヘールボップとカタコンベが車の中を目張りする係。
ガソリンの火は私たちが私たちであったことを燃やしつくす。レミングは本を取り出していた。白い表紙の本を。だけれど、それも火の中に落とす。
「……この本があったらきっと私は行けないと思うから。この本の自殺した子も同じことを言っているわ」
「そうなんだ。その本の名前は?」
「ふふっ。これから行くのに本の名前が気になるのね」
「うん。脱出した先で読めるかもしれないでしょ?」
「『ハーモニー』よ。これも社会に絶望した女の子たちの話なの。私は好きだから、物理的なものを捨てて、この本の内容だけ覚えて連れていくわ」
「うん、いいね」
様々なものを燃やして出るダイオキシンや一酸化炭素などの黒い煙を浴びないように風上に移動しながら私たちが私たちであった焚火を眺める。話し合った結果、スマホは置いていこうとなった。燃やしても残ってしまうだろうから、それならば綺麗な状態で置いておこうと。私たちを記念する聖書ということもあって。
「目張り、終わったよー」
ゲーム中によくボイスチャットで話していた高い声で、カタコンベが私たちを呼びに来る。こうして声を聞いているとただゲーム中のミッションが終わったようにしか聞こえないほど落ち着いている。私も同じく落ち着いている。いや、深くリラックスできていると言っていい。これは死ぬというより、全ての物質からの脱出なのだ。そう言っていたレミングも同じく落ち着いた様子で車に向かう。
車のトランクには大量のドライアイスが用意されていた。これを目張りした車内に持ち込めば私たちはもう目覚めることはなく、二酸化炭素中毒によって死亡する。……やっと楽になれる。そう安堵しつつ、目張りされた車に乗り込む。各々が睡眠薬を飲み、二酸化炭素濃度の上昇と合わせて意識がもうろうとなったころ、スマホの通知が来る。
>レミング 『@みんな ありがとう』
>ヘールボップ 『ありがとう』
>カタコンベ 『ありがとう』
>骨格模型 『ありがとう』
打ち終えて送信したとたん、私は意識を失った。最後に残ったのは精神の恍惚感と呼吸器からの苦しみ、そして死を紛らわせるアドレナリンの快楽だった。