[79]愛の証(あかし)? 〈L&El〉
サリファの言葉が聞こえているのかいないのか、エルムはしばらく微動だにしなかった。
あたしのおでこに自分のそれを触れさせたまま、ひたすら何かを呟いている。もしかして……リトスから告げられたことを忘れないように復唱しているの? エルムは『ラヴェンダー・ジュエル』と会話が出来る!?
宿すあたしですらヴィジョンで導かれることはあっても、『ジュエル』の声を聞けたことなどないのに……そこはやっぱり天使さまなのだろうか!?
『今更抵抗しても無駄だ! エルム、お前はまもなく用済みとなるが、愛するシュクリとリトスと居たいのだろう? リルヴィと共に『軸』となって回るが良い』
反応しないあたし達を見下ろすサリファは、苛立ったように赤い触手を伸ばしてきた。抵抗しても無駄だと言われたって、抵抗しないでいるわけがない! あたし達に今出来ること──それは絶対諦めないこと! あたしは動こうとしないエルムを抱き締め、何とか持ち上げてもう一度浮上した。火口内をグルグルと旋回し、霧状の触手をかわし続けた。
(うん、分かった。何とかやってみる!)
(エルム……リトスの言うことが分かるの!?)
小声でリトスに呟いたエルムは、あたしの問いかけに無言で目配せしてみせた。一体どういうやり取りが行われたのか……一刻も早く聴きたいのに、サリファの邪魔は益々激しくなってゆく!
「わわっ、あぶない~!!」
『いい加減諦めよ。シュクリも大人しくお前達を待っているではないか……ずっと封じ込めてきたわれの分身が、世界へ放出される様を神も見てみたいのさ! さぁ、われの許に寄れ。火口から一気に……──なっ、なにっ!?』
──!?
よもや間一髪というほど至近に迫っていた霧の触手が、突然の震動に慄き止められた。サリファの独りよがりな解説を遮るように、シュクリの轟音が再び響き渡ったのだ。先程までと同じように地響きは明らかにシュクリが「動いている」ことを示していた。我が家の屋根はあっという間にヴィジョンの端へ遠ざかってしまい……でもサリファが驚いたということは、サリファの意志じゃないということだ! シュクリは一体何処へ行こうというの?
『何故だ……シュクリはもはやわれの手の内の筈! シュクリの意識が覚醒したというのか……? いや、まさか、そんな筈は……』
サリファが動揺している内に、あたしは急いで火口底に着地した。おでこを触れ合わせたり、また抱き締めて飛び回ったり、エルムを愛するシュクリの逆鱗に触れてしまったのではないかと心配になったのだ。
けれどエルムは至極落ち着いていて、混乱に蠢きまくるサリファを静かに見上げていた。
「ね、エルム。シュクリ、どうしちゃったの!?」
上に向かっていた可愛い鼻先が、ゆっくりとこちらを向いた。その下の小さなピンク色の唇は、うっすらと口角を上げていた。
「うん……リトスに教えてもらったの。シュクリは操られてなんていなかったんだ! ある人との約束を果たすために、アタシにも内緒にしてずっとこの時を待っていたんだって。サリファを……永遠に封じ込めるために」
「ある人? ねっ、それって誰なの!?」
エルムのつぶらな瞳が急に潤んだ。言葉にしようとする口元が、泣くのを我慢するように震えた。そして……あたしの質問の答えは、本当に意外な人物の名前だった。
「……ウェスティ、だよ」
「──え?」
サリファの亡き息子──ウェスティ!?
パパの先代の王様の息子。パパの従兄でツパイおばちゃんの従弟。タラお姉様の昔の恋人で、許婚だったウェスティが? 何故?? どうして!?
だってサリファのために、王家やあたし達の親族を殺したのはウェスティじゃない! シュクリをこんな目に遭わせたのも……いえ、サリファはヴェルを「空の国」に戻すと言ったのに、シュクリしか浮かび上がらなかったのは、もしかしてウェスティの仕業なの??
「リトス──ジュエルが、ウェスティの右眼として捕えられていた時、ジュエルはウェスティの苦悩を知ったのだって……これ以上母親の言いなりになるのはやめたいって。ウェスティはもう誰も殺したくなかった。誰も、悲しませたくなかった。だって……ウェスティは本当にタランティーナを愛していたから」
「えっ……タラお姉様を? パパを殺そうとして、お姉様に抵抗されたその後も!?」
エルムの泣きそうな顔がコクンと一つ頷いて、リトスが推察したウェスティの気持ちを代弁した。
ウェスティがタラお姉様をずっと愛していたと思われる証拠──それは二十年前にタラお姉様と再会し、パパやママやお姉様達の手で葬られるその直前まで、タラお姉様を後半の名「ティーナ」と決して呼ばなかったからだと云う。確かにパパは後半の名「ウル」と呼ばれ、実際一度ウェスティかサリファに操られたことがあった。でもタラお姉様は……死ぬ間際までその愛称を呼ばれることはなかったのだ。それはお姉様を母親に操られたくなかったからに違いない。逆を言えば、ウェスティは最期の最後に伝えたかったのかも知れない。「ティーナ」と呼ぶことで、自分がまだタラお姉様を愛しているということを。
あたしはその想いに信憑性を感じた。ツパおばちゃんが言いかけた言葉を思い出す──「ここからは私の推測に過ぎませんが、現状ラヴェルやタラが操られていないことから見ても、サリファがその力を発動するには、彼女自身に実体が必要なのかも知れません。もしくはウェスティのような「名の許可を得た人物」に、サリファが力を与えることによって実行していた、という可能性もないとは限りませんが。二十年前、ユスリハと旅していたラヴェルの肉体を、ウェスティが一度乗っ取ったことがありました。その要因がもし後者であるとすれば、実際その力を保持しているのはサリファのみ、ということにもなりますね。だからこそウェスティは──……、……ああ……いえ」
そう、ツパおばちゃんは知っていたんだ。
『だからこそウェスティは──タラを「ティーナ」と呼ばなかった』のだと!!
ウェスティはあの頃もずっとタラお姉様を愛していた。だからサリファに乗っ取られたくなかった。
でもあの場であたし達にその話をしたら、いつかお姉様にも伝わってしまうかも知れない。シアンお兄様とこれから生まれてくるベビちゃんという「別の幸せ」に包まれたタラお姉様に──ツパおばちゃんはそれを危惧して話を濁したんだ……そうよ、これでようやく話が繋がった!
ウェスティが自分のことを後半の名「スティ」と二人に呼ばせたのも、そうしたヒントを与えていたつもりだったのかも知れない……もしくはツパおばちゃんのように、ウェスティもその名を切り離したいと主張していたのか……今となっては知る由もないけれど、ウェスティが両方の意味を込めて、自分の愛称を作っていたのだとしたら。
なんて哀しい人なんだろう……タラお姉様と一緒にいた日々が幸せだった分、別れざるを得なかった後半の人生はとても淋し過ぎて……そんなウェスティのためにあたし達に内緒して、シュクリとリトスは水面下で動いていた。
でも、二人の気持ち……今のあたしならきっと分かるよ。
二度の町狩りでヴェルが全てを失おうとした時、二人は襲ってきた狩人達すら救おうとした。人を憎むことなく、ただひたすら悪を憎んで……だから同じように悪意に従うしか出来ずにいたウェスティを……二人は赦したんだ。
「リルヴィとアタシって……ナイショを打ち明けられても、ヒミツにしておけなさそうだもんね。だからシュクリとリトスは……」
目尻に涙をたっぷり溜めたエルムが、あたしに向かって微笑んでいた。
「確かにそうだね」── 一緒に笑ったあたしの右眼からも、スルりと涙が落ちていった。
お互いの泣き顔が映った瞳を、同時に真上のサリファへと向ける。
さぁ、もうこんな茶番は終わりにしよう──二千六百年前の「悪意のかたまり」サリファさん。
■第十章■ TO THE SKY(空へ)! ──完──
※事件が起こる以前のタラとウェスティの様子は、前作『ラヴェンダー・ジュエルの瞳』の78話──エピソード短編集の[α]Tarantina & Westyにございます。タラがウェスティを葬り、哀しみの果てに巡り会ったシアンとの始まりは、81話からの【Prelude to 『Ash or Rukh』】~続編に続くひとひらの物語~にございます。宜しかったらお目通しください。




