[78]あたし達の出来ること? *
ママとあたしの生まれ育った家。パパが二年近く眠り続けていた家。
周りは果樹園や牧草地、お隣さんもずーっと離れた片田舎の我が家になんて、サリファにどんな用があるというのか?
『手始めにヨーロッパを掌握したいのさ。お前の家はまさしくその中心だ。お前にとっても好都合ではないか? 飛行船に乗らずとも我が家へ帰れるなんて……自宅の上空で『ジュエル』と共に、われとジュエルの集めた『悪意』を、ヨーロッパ中に撒き散らす『軸』となれるだなんて……今から愉しみで仕方がないであろう!?』
嘲笑の止まらないサリファに、あたしは悔し紛れに唇を噛んだ。
確かにみんなが口々に自慢するほど、我が町はヨーロッパのド真ん中らしいけど!
シュクリを人質に取られたも同然のこの状況、このまま成す術もなくサリファの僕になり下がるなんて……あーもうっ、何か手立てはないのかしら!?
あたしは疲れたようにゆっくりと下降し、火口底の岩場に着地した。逃げ場がないのは分かっているので、サリファは火口付近でご機嫌宜しく今でもゆうらり揺れている。
「ごめんね、リルヴィ……やっぱりアタシがいけなかったの。アタシがお姉ちゃん達みたいにもっとしっかりしていたら、こんなことにはならなかったのに……」
「ううん! そんなに自分を責めないで、エルム……だってあの頃エルムはあたしと同じ十四歳で……ん? あれ? ──んん??」
「どうしたの? リルヴィ?」
あたしはエルムの言葉に、ふとデジャヴを感じた。えーと、何処でだろ? どの言葉だろ? エルムの台詞を頭の中で反芻する。『やっぱりアタシがいけなかったの。アタシがお姉ちゃん達みたいに……!?
──アタシがお姉ちゃん達みたいに、もっとしっかりしていたら』………!!
シュクリ山で二手に別れる前の、ツパおばちゃんの話とリンクしたのだ──「まだサリファが先代王の妃として王宮に暮らしていた頃、彼女は私の前で悔しそうに呟いたことがあるのです。「わたしが『彼女達』と同じように成人し、もっと身体が大きければ」と」
「あれって、サリファじゃなくて、エルムの言葉だったってことよね!?」
「あー……うん、多分。サリファは『悪い心の集まり』って言ったでしょ? だからあの中には色んな悪意が混在しているの。代表してサリファの声がアタシ達に話しかけてくるけど、内部は凄く混沌としているから、本当に時々だけどアタシが「出てくる」ことも出来て、ツパイはそれを聞いたのだと思う」
「そうなんだ……」
確かにあの言葉を聞いたから、ツパおばちゃんはサリファと名もなき少女を同一人物だと勘違いしたのだ。そして乗っ取ったのが十四歳のエルムだったから、サリファが他にも誰かを乗っ取るには、十四歳以上の肉体が必要だったのだろう……名前の後半で人を操るのも、『シュクリエルム』の後半『エルム』を与えられた彼女だったからに違いない。
「ごめんね、リルヴィ。アタシもう一つ謝りたいことがあるの……ヴェルが空に浮かんでから、みんなに生まれた悪意はジュエルが抜き取っていたって、サリファが話していたでしょ?」
「あ……うん」
ヴェルの平和がジュエルによって保たれてきたことは、もちろんあたしも小さい頃から知っていた。けれどそれはジュエルがパパと一緒に眠りについてしまった前までのことなので、具体的なことは一切明かされていなかったのだ。だからまさかジュエルが国民の悪意を抜き取っていたなんて……それでもそれが本当だとすれば、納得がいかないわけじゃない。現実とは思えないほど穏やかだった世界。空の上で雲に隠されていた昔のヴェルが、おとぎ話に出てくる架空の国みたいに絵本に描かれていたのもそういうことだ。
──『遠い遠い西の果て、小さな小さな島国ヴェル。一年中ラヴェンダーの花畑に囲まれた芳しい平和な国。他の国の民は誰一人足を踏み入れたことはなく、王国ヴェルからは誰一人として出たことがない。西の海の何処に存在して、どうやったら行けるのか。誰も知らない、けれど平和で幸せな国と云われる伝説の王国』──と。
「リトスは二度目の町狩りで、悲しいことはもう二度と起きてほしくないって、本当の本当に心から願ったの。だから『ラヴェンダー・ジュエル』になってヴェルを守りながら、全ての悪意を消し去ろうとした。リトスは優しいから、これ以上シュクリに負担を掛けたくなかったのだと思う。自分独りでどうにかしようとして……でも二千六百年も抱え込んだら、リトスもとうとう全部は難しくなっちゃった……だから、ね……リルヴィのパパがずっと辛い想いをしてきたのは、リトスが抱えきれなくなったからなの。アタシが半人前だからなの……シュクリもリトスもこんなに頑張ってきたのに、アタシだけがずっと足手まといで……アタシがもっと大人だったら、みんなを悲しませずに済んだのに……!!」
「エルム……」
目の前でしくしくと泣き始めたエルムは、まるで鏡に映った自分のようだった。あたしもずっと非力で何も出来なくて……でもそんなあたしをみんなは見捨てずに、ずっと見守ってくれていた。きっとあたしが前を向き続けたから。たとえ今は出来なくても、いつか実になる日のために「今出来ること」をやめなかったから。
いよいよ泣き出したエルムの正面に立って、あたしは両手を彼女の両肩に載せた。ハッと息を止めてあたしを見詰めるエルムに、ニッコリ大きく微笑んだ。
「エルム、リトスはもう大丈夫だよ。悲しみを知ったパパだからこそ、リトスを止めることが出来たのだと思う。辛いことは自分自身で乗り越えなくちゃいけないって、乗り越えた先に本当の幸せが待っているんだって、パパが身をもって証明してみせたから! だからリトスはヴェルを手放したんだよ。そしてそれから十七年経った今も、ヴェルのみんなは楽しく暮らしてる。辛いことがあっても、自分達で乗り越えて元気に笑ってる。エルムも言ったよね、シュクリをこれ以上哀しませたくないって。そうやって家族を想いやっているエルムだもの、足手まといなんてことないよ! エルムだってあたしだって、きっと今出来ることはやれてる筈! だから、諦めないでもっと探そ? あたし達の……今出来ること!!」
「今、出来ること……?」
「そう! 出来ること!!」
「今……出来る……出来る、こと! え~と……出来ることね!? 今出来ること!!」
「エルム??」
泣きやんだエルムは突然興奮したようにあたしの言葉を反復し、その瞳は徐々に輝きを取り戻していった。まるで「今出来ること」を探すみたいに四方八方へ視界を巡らせて、「ついに見つけた!!」とばかりにあたしの顔を静かに見上げる。焦点を集めたのは、あたしの──瞳? あたしの……左眼、ラヴェンダー・ジュエル??
「リトス、教えて! アタシに……アタシとリルヴィに今出来ること!!」
「エルム!?」
エルムの左手がフワッとあたしの前髪を掻き上げた。と思うや否や丸みのある可愛いおでこが近付いてきて、お互いの額が温かく触れ合った。
──リトス……リトス……見つけた! お願い、教えて……
エルムの心の声が脳内に響き渡る。あたしの体内を勢い良く駆け巡る。やがて胸の奥から込み上げてくる熱を感じて──
『さぁて、無事にご帰還だよ。ジュエル、リルヴィ、ついに出番が来たぞ……!』
サリファの声で意識を引き戻されたあたしの脳裏に、上空から真下を見下ろすヴィジョンが現れた。そしてそこには「我が家の屋根」がバッチリ映し出されていた──!!




