[72]胸の高鳴り? *
ルクの去った広い室内は、一人欠けたことで寂しく感じられた。沈黙の漂う空間にアッシュと二人きり。とは言え、サリファはいつ目覚めるか分からないのだ。早く本題に入らないといけないとは思いつつ、あたしの中では気まずさが渦巻いていた。
「リル、ごめんね」
「え?」
そんな空気を破ってくれたのは、アッシュの謝罪だった。でも……どうして謝ったの? 一体何を謝っているの?
「ルクも僕も本来こんな状況で、こんな風にリルに気持ちを伝えたかった訳じゃなかった。特に僕は……一度諦めたのに撤回した情けない奴だからね……そんな僕からこんな形で言われても、リルだって困るのは分かっていたのに……本当に、ごめん」
──コツン。
カプセルの中で直立したまま、アッシュは謝るように下げた頭を、壁面に触れさせ静止した。見えなくなった面は今どんな表情をしているのか……あたしには分からなかったけれど、自分で自分を嘲っている気がした。
「……ううん。アッシュもルクも、あたしのこと、そんな風に大切に想ってくれているって知れて、本当に嬉しかったよ! あたしも二人のことは大好きだって思ってる! でも……あの……」
「ありがとう、リル。うん、大丈夫だよ……僕達の大好きとリルの大好きが、まだ一致するものではないことは分かっている。でもいつか……恋したいって思えた時、僕達も候補に入れてくれたら嬉しい」
「……うん。うん! あの、アッシュ……本当にありがとう!!」
再びこちらを向き直したアッシュの笑顔は晴れやかに思えて、あたしの心にも柔らかい陽差しが降り注いだ気がした。
「それからルクのことだけど……リルを大好きだって叫んだ後、一度も「どもらなかった」こと、気付いてた?」
「え? あ……そう言えば……」
今回の再会初日からずっと続いていた変などもり。確かにあんなに今までどもっていたのに、先刻のルクは昔と変わらず滑らかに話していたっけ。
「これは僕の勝手な見解だけど、リルに自分の気持ちが伝えられたことで、ルクの中で堰き止められていた流れが元に戻ったのだと思う。何て言うか……吹っ切れたっていうか? 今まで一緒に剣の稽古をしてきたルクは、感情をもっと伸びやかに表に出していた。でも今回リルが来てからずっとあの調子だったからね……ルクがリルに片想いしているの、きっとみんなにもバレちゃったね」
「えぇぇ~……」
まさかどもっていたルクがいつものルクじゃなくて、ココを去る前のハキハキしたルクが本物だったなんて!
ヴェルで今までのルクを知っているみんなだったら、さすがに鈍感なツパおばちゃんでも気付いちゃうかぁ……ルクやみんなに再会する時、あたしは一体どんな顔をしたらいいのだろう……なんて思ったら、少し気恥ずかしくなってしまった。
「あぁ……えっと、リルにプレッシャー与えるつもりだった訳じゃないのだけど……ごめんね。それよりそろそろ──」
「あ、ううん。でもあと一つだけ」
「? うん」
あたしは腰掛けていた寝台から立ち上がって、カプセルの前まで歩み寄った。
アッシュが隠さずに話してくれた胸の内だもの。今あたしに出来る唯一の応援を、ちゃんとアッシュに伝えたい。
「ご家族のこと……あたし、アッシュならきっと出来ると思ってるよ。だってアッシュは言ってくれた……『石は光があってこそ輝くんだ』って。あたしという石はパパとママだけじゃない、アッシュやルクやみんなから光をもらって輝いているのだと思う。だからきっと大丈夫だよ! アッシュはちゃんと周りの人を輝かせられる光を持っているのだから!!」
「……リル……」
驚いた顔であたしを見詰めるアッシュに、あたしはこれ以上ないっていうくらいの笑顔を向けた。
ニッと弓なりに細めた瞳に、薄っすらアッシュの笑顔も映る。それは徐々に輝きを増して、あたしという光もアッシュを輝かせているのだと気付かされた。
「ありがとう、リル」
「ううん。こちらこそありがとう、アッシュ」
透明カプセル越しにお互いの両掌を合わせる。冷たい感触が自分の熱で温かみを宿し、それは向こう側のお互いにも伝わった気がした。
「この目の前の大事件を片付けたら、両親の元へ帰ろうと思う。しっかり向き合って、しっかり話し合って……いつか本当の家族を取り戻せたその時……」
自分の手の甲に向けていた視線を、少しずつ上昇させた途中に口角を上げたアッシュの唇が見えた。
この唇が、あたしの唇右端の肌に触れたことを思い出す。途端心臓がトクンとひとたび高鳴った。そして少し前に触れた左端の肌にルクの唇。あの時は恐怖しか感じられなかったけれど、口づけがずれたのはきっとルクが避けてくれたからなんだろう。そう思えばこそ、今甦るものは不思議と高揚感に似た気持ちだった。それを思い出して、また心臓がトクンとひとたび高鳴った。
続けて見上げた視界に灰水色の瞳が映り込んだ。いつになく力強く感じたのは、前向きな自分を取り戻せたからだろうか? 叶えたいと願う熱い炎が心に灯ったから? いつかご家族の問題が解決して、アッシュに本来の自信が漲った時、この端正な姿はどれほど完璧に近付くのだろう……そんな未来を想像したら、今こんな至近距離にいるだけでもドキドキが止まらなかった。
でも──そんな未来に、あたし自身もアッシュに負けないくらい上を目指して生きていたい。一歩でも前に進んでいたい──と思った。
こんなリルに、こんなルヴィに、恋していたのかと、二人を失望させてしまうような自分でなんてありたくない! あたしを大切に想ってくれる二人と、同等な立場で隣に立てる自分でなくちゃ──!!
そのためにも今、この事態を如何にして迅速に終息させるのか──あたしは過去にもつれて絡み合った糸の束を、アッシュと共に丁寧にほどいていった。一本ずつ一本ずつ、再び紡ぐ新たな物語を、みんなと笑顔で歩むために──。
■第九章■ TO THE PAST(過去へ)! ──完──




