[67]二人の時間? *
「や……やだ……サリファ、放して……放してったら!」
鎖とルクに拘束された両手と、馬乗りされた向こうの両脚をジタバタさせて、あたしはひたすら叫んだ。
段々と言っている意味は分かってきたけれど、反比例してあたしの心は一切を断絶しようとした。
『何を言ったって無駄さ……この行為を行っているのはわれじゃない、ルノ本人だ。ルノのお前を手に入れたいという衝動が、行動に表れているだけだ……そろそろお前もルノの想いに応えてやったらどうだ?』
「ルクの……?」
あたしは横に逸らしていた顔を、少しだけ正面に戻してみた。やがて怯えて震えるあたしの右眼が、ルクの大きくまあるい翠眼に辿り着いた。口元はサリファに操られているのか、嫌みな嗤いを醸し出していたけれど、ルク本来の無垢な心は今でも瞳に宿っている気がした。
『さあて、まずは何処に触れたい? ルノ。リルヴィの頬か? 耳か? やはり唇か……?』
「いっ……いや、いやっ、やめてやめて、ルク──!!」
途端鎖が両端へ引っ張られ、あたしの両腕はピンと伸ばされた! 同時にルクの両手が離れる。これでもう自力で拘束する必要がなくなったと悟ったルクの右手は、サリファの言った順番通り、あたしの左頬を、左耳を、そして下唇をゆっくりとなぞるように触れていった。
「ルク……やめてくれ! お願いだ……ルクっ!!」
触れられた恐怖にさっと首を逸らした先には、必死に懇願し続けるアッシュの姿があった。けれどあたしの視界は暗く淀み、もう味方であるアッシュすら目に映さないよう強く閉じずにはいられなかった。
ルクが、アッシュが……あたしを「欲しい」ってどういうこと? 二人があたしを好きだと思ってくれていることは分かった……あたしだって二人のことは大好きだよ! でもあたしの好きと二人の持ってる好きはおんなじなの? 今のあたしは……こんな風に、ルクの頬に、ルクの耳に、下唇になんて触れたくない!!
『そろそろ観念して、ルノに全てを委ねるがいい』
「……ひっ、やだ……やだってば……い、いやぁっ!!」
「ルクっ!!」
ルクの両手があたしの頤を包み、無理矢理正面に顔を戻させた。徐々に近付いてくるルクの顔。迫ってきたのは純朴な瞳ではなく、いやらしさを湛えるサリファの唇だ……ルクの掌は次第に頑なに、あたしの顔はガッチリと押さえ込まれた。もう言葉にならない叫びを上げる唇のすぐ左に──以前アッシュの唇が触れたのとは真逆の場所だ──冷たく柔らかい何かが押し当てられた。そう、ルクの唇。
『フフ、さすが【薫りの民】であるユスリハの血も引く娘だ……この芳しさ……最高だねぇ。その中身もさぞや美味しいだろうて』
「きゃ──いやぁぁぁぁぁぁっ!!」
「……リル──!!」
サリファが言うや、ルクの両手があたしのシャツの襟元を掴んで、思いっきり左右に引きちぎられた。眼下に露わになるデコルテ、キャミソール、胸のふくらみ……この恐怖から逃れるのに、もう一度目を瞑っても、目の裏に、鮮明に、焼き、つく。
「お願い……もう、やめて……ルク……。こっち、み、見ないで……アッシュ」
「リル……」
あたしは涙ながらに訴えていた。涙ながら? 違う……もう涙が溢れて何も見えない。
そんな願いも虚しく、ルクの両手は今度はウエストのホックに掛けられていた。このまま何も出来ないなんて……いやだ、いやだ……パパとママがお互い愛し合ってあたしが生まれたように、お互い好きだって思ってなくちゃ、こんなこと……絶対いやだっ!!
『涙に濡れた王女様っていうのも、ういういしくて良いもんだねぇ……さぁ、お前はどんな風に抱かれたい? やっぱり初めは優しくされたいか? それとも強引に奪われたいか!? お望み通りにしてあげよう』
「……んんっ──!」
ほどかれたウエストからキャミソールの裾が抜かれ、ルクの掌があたしの鳩尾に触れた。思わず全身が強ばり身をよじる。キャミソールをたくし上げようとする手に、抵抗したくてももう力が入らない。ただひたすらすすり泣き始めたあたしの胸元に、落ちた雫はあたしの涙かと思われたけれど、瞳を向けた景色は先刻とは違っていた。
「ルク……?」
ルクの手は止められ、胸の上で硬直した顔から、ぽたぽたと涙が零れ落ちていた。ルク……きっと奥底では意識があるんだ……きっとサリファの力に抵抗しようともがいてるんだ!
『おおぅ……ルノよ、リルヴィを我が物に出来て、泣くほど嬉しいのは分かるが、手を止めていては始まらないぞ?』
サリファの嘲笑うような言葉に、ルクは涙を流しながら全身を震わせた。力の込められた手が時々あたしの肌に触れては離れ、ルクが身体の中で必死に抗っていることが感じられた。
『さぁ、お戯びはこの辺で終わりだ。ルノ、そろそろ本気を出せ……』
サリファの愉しげな口調が息を潜め、畏怖を放つ暗い声色に変わったその時──
「目を覚ませっ! 『サー・ルクアルノ』!!」
アッシュの声が、あの夜道でルクを勇気づけた騎士の呼び名を叫んだ!
途端ビクンと大きく反応し、動きを止めるルク──もしかして自分の身体を取り戻したの!?
「リル! 出来るだけ身体を丸めて──!!」
「え? あっ、うん!!」
斜め上から聞こえてきたアッシュの声に、顔すら向ける余裕もなかったけれど。言われた内容に自然と従い、あたしはルクの真下で身を縮込ませようとした。
やがて大きな衝撃音と共に右手の鎖がいきなり緩み、少しして左手の鎖も……とにかく両腕を引き寄せて、自分を抱えるように抱き締めた。
衝撃音の後に続いたのは、何かが軋む音と再びの衝撃音、それからゴンゴンと何かが床で弾んだ後に、ゴロンと転がる鈍い音……目を開けると自分の上にはあたしを守るように四つん這いで覆い被さるルクと、アッシュとは逆になる寝台のサイドに、鎖が繋がれていた筈の天蓋の支柱が、天面の布ごと転がっていた。
慌てて振り向いた先には寝台にもたれ掛かったアッシュのカプセル……きっとアッシュはあたしが襲われている間に少しずつカプセルごと支柱に近付き、カプセルごと体当たりしたんだ。倒れた支柱がもう片側の支柱を倒し、あたしを繋ぐ鎖が外れ、天蓋の布もろとも床に落ちた……と、推測された。
「ルク! リルを連れて逃げろ、ルク!!」
「え……ちょっと待って! アッシュも一緒に──」
元に戻りつつあるルクを背後に、あたしはアッシュに詰め寄った。ダメだってば! アッシュもカプセルから早く出してあげなくちゃ!!
『お前か……? お前が邪魔をしたのか? エルム……まさかお前が出てくるとはな……。早く眠れ! お前ごときが出る幕ではない!!』
アッシュを救出しようと寝台の端まで近付いた途端、天蓋のなくなった天井から怒りにまみれたサリファの声が響き渡った。と同時に、見たこともないほどの金色の光の筋が、あたし達を放射状に包み込み……そこであたしの意識は……プツリと、切れた──。




