[48]愛のムチ? *
「アッシュ……ルク……。ルクぅ……アッシュぅ……」
四つん這いになって、掌に触れる地面を確かめながら、もう何度呼び掛けたか知れなかった。なのに一度とて返事は戻ってこない。やがてあたしはベソをかき出して、こんな泣き声じゃ見つかる者も見つかる訳がないのに、涙を止めることは出来なかった。
徐々に暗闇に慣れ始めた瞳に、周囲の様子が微かに感じ取れてきたけれど、二人の姿は何処にも見当たらなかった。でもその事実に少しばかりホッとする。だってそれは大怪我をして気を失っているとか、こんなこと考えたくもないけど……死んでしまったってことではないのだもの。
「あたし……これからどうしたらいいの……?」
両脇に膝を折り曲げて、ペタンと座り込んだあたしの声に、もちろん誰も応えてはくれない。
逃げ道は確実に一つだけ見つかっている。あたし達の落ちてきた火口の頂点。あたしはゆっくり頭をもたげ、その小さな穴を見上げた。遥か遠くに感じる切り取られた空。でも登るための手段は見つからないし、パパ達がロープを垂らしてくる様子もない。二日半も掛かって登った山だもの、何処まで落ちたのかは分からないけれど、そんな長いロープ簡単に調達出来るとは思えなかった。
「……え?」
諦めて首を下へ向け溜息をついた時、急に左眼の義眼に熱を感じた。
開いた瞼内の硝子玉に、何かがぼんやりと浮かび上がる。左側には視力は一切ある筈もないのに、何故なのかあたしには「それ」が視えた。
「パパ……?」
徐々に鮮明になる『画面』の真中に、とても辛そうな表情のパパが現れた。
でも……周りの様子はさっきまでいた山頂とは異なっている。これって室内に見えるけれど、タラお姉様の飛行船内なのかな? でも良く見れば細部が違う……ツパおばちゃんのお師匠様が、飛行船で迎えに来てくれたんだろうか?
『ユスリハちゃんの様子は?』
これは……タラお姉様の声?
お姉様らしき問い掛けに、パパの俯いた瞳が持ち上がって、あたしの見える景色から少し上を見詰めた。
『自分が名を呼んだ所為で、リルが捕まったということに気付いたみたいだ……動揺が激しくて、違うと諭しても聞ける状態じゃない。何とか鎮静剤を飲ませたから、とりあえずは眠ったよ……少し様子を看たら、ツパもこちらへ戻ると思う』
『そう……』
ママ、ごめんなさい……。
あたしは両手で自分の顔を覆った。脳裏に映る最後のママの顔、聞こえた声、触れた心。あと少しで一緒に帰れるのだと思っていたのに……今は一番遠くなってしまった。差し伸べてくれた手は、結局一度も握り返すことが出来なかった。
『タラ……』
パパのお姉様への呼び掛けに、あたしは再び瞼を開いた。その声もまたママと同じくらい苦しく思えたからだ。そして見えた頬はとても強張って……何と言って良いのか分からない、複雑な心情が滲み出ているみたいだった。
『勝手なことをしたのは分かっている。自分が動かなければ、サリファも此処まで出てこられなかったかも知れない。皆に迷惑を掛けて、本当に申し訳ないと思う……でも』
でも? パパの両腕には力が込められて、先端の拳は強く握り締められているように見えた。
『……でも、どうしてリルを山へやったんだ……君だってお腹に宿して、我が子が危険に晒される恐怖は分かっている筈だ……なのに、何で……!』
「パパ……」
伝わらないのは分かっているけど、あたしの唇は気付けばパパを呼んでいた。握り拳からまるでギリギリと音でも聞こえてきそうだ。全身から噴き出そうとする心の丈を、その一点で抑えつけて、パパはどうにか冷静を保とうとしているように思われた。
『……悪かったと思っているわ……本当にゴメンナサイ。幾らワタシが『名前の呪縛』を知らなかったとは云え、考えが浅はかだったことは認めるわ』
あたしの視界ではタラお姉様の様子は見えなかった。でもその声はいつになく悲しそうで、無念そうで……自分の選択を悔やんでいる気持ちが深く感じ取れる。お姉様も『名前の後半』のことは知らなかったんだ……それでもお姉様がそうしたのは、あたしの想いを汲んでくれたからこそだ。だから……パパ、お願いだから怒らないで! お姉様は何も悪くない!!
『だけど』
その時お姉様の唇からも否定の言葉が発せられた。グッと口元を噛み締めたパパの視線が、タラお姉様を今一度しっかり捉えたみたいだった。そして刹那──
『──っつ!!』
「パ、パパっ!!」
空気が破裂するような音が響いて、パパの左頬が思い切り叩かれていた──!!




