[39]名前の意味?
「原型って……『ジュエル』は人間だったというのですか!?」
ルクとあたしは唖然と口を開け、声の出し方も忘れてしまいそうだった。アッシュだけが何とか質問を続けたけれど、それは随分と戸惑いを含んだ声色だった。
「ええ。ですがもちろん普通の人間が、魔法石に変わるなどということは有り得ません。その経緯にはラヴェンダーの力と、このシュクリが関係しているのだと文献にはありました」
「この山が??」
やっと発したルクの問いに引っ張られるように、あたし達の目線は山頂へ上げられた。ヴェルの人々を優しく見守るが如く、高く聳えるこの静かな山が、一体どんな風に関わっているというのだろう?
「前述しました通り、この四人の少女の内三人は、ラヴェンダーを生業としている一族の娘です。この時未だジュエルの力は存在しておりませんので、ラヴェンダーと言っても通常の色素・香料・薬効を利用していたのみの筈ですが……三家系の少女達はこの力で、生死を彷徨う青年の命と心を癒したのでしょう。意識を取り戻し回復した彼と少女達は、やがて家々を修復し、同じく町を追われ逃げ延びてきた人々に、分け隔てなく食料と住居を与えました」
一度全てを滅ぼされた町が、彼らと、そして集まった人達の手によって復興を遂げた。
相当な苦難の果てであっただろうけれど、そこにどうしてシュクリ山が登場し、『ラヴェンダー・ジュエル』の生まれる物語となるのだろう?
「残念ながら文献はこの辺りより、虫食いだらけで正確には把握出来ておりません。ですが再び『町狩り』に襲われたこの地に、シュクリからの恵みが降り注ぎ、ラヴェンダー・ジュエルと化した青年の力によって救われた、という大筋は何とか読み取ることが出来ています」
「再び……」
……襲われてしまったんだ。
あたしはさっきのヴィジョンに現れた、町を焼き尽くす炎を思い出して身震いした。あんな怖しい想いを二度も味わった人達は、どれだけ心を潰されただろう。そんな目に遭ってしまったなら……そんな時に人々を救うことの出来る大きな力があったなら──あたしもジュエルのように地を浮かべて、空へ逃げたくなるに違いない。
「この歴史によって名も知れぬ娘がどのような影響を受け、何を目的として現代に甦ったのかは知れません。が、時の流れの中で彼女の存在が闇へと消え、ジュエルと敵対する立場になったことは確かだと思われます」
「敵……対」
ヴィジョンの彼女はあたしよりもずっと幼く見えるほど、童顔で華奢で可愛らしい小鳥のようだった。そんな彼女がどうして──?
「少々話が長くなってしまいましたね。この件はこれくらいにして、もう一つの話に参りましょう。私が……サリファから「ノーム」と呼ばれたことについてです」
おばちゃんは一呼吸置き、手元のお茶を一口飲んで唇を引き結んだ。急に話題を変えようとしたのは、山頂へ向かう時間を考えてのことなんだろう。ツパおばちゃんが「ノーム」と呼ばれた理由。緊張の走るその表情に、あたし達は今一度息を呑んだ。
「……ご存知の通り「現在のサリファ」は私の叔母、私の母の妹として生まれました。彼女はのちに伴侶となる王の誕生二ヶ月後に生を受け、年齢の近いことを優先させるヴェルでは、つまり妃の第一候補として、生まれる前から注目を集める存在となりました」
長い人生を添い遂げるため──確かにそんな伝統が、ヴェルには残っていると云う。
「彼女は美しく聡明で、周りの期待通り王のお眼鏡に叶ったそうです。王家へ嫁ぐ日取りが決まり、ユングフラウの一族が慌ただしく準備を整える中、彼女の姉である母から私が生まれました」
一区切りをつけた唇に、再びお茶が注がれていく。おばちゃんが生まれるまで、叔母であるサリファは素晴らしい女性であったように思われた。
「母と叔母は仲の良い姉妹だったと云います。これから妃となる幸運に恵まれた妹から、姉である母は祝福を受けたかったのでしょう。私の名付け親になることを求め、サリファも快く応じたそうです。そうして授けられた名、それが──ツパイ……ノーム、でした」
「ツパ……ノーム!?」
ツパイノーム=ヴェル=ユングフラウ。
ツパおばちゃんの本当の名前は、ツパイではなくて……ツパイノーム??
「それから彼女は私を好んで「ノーム」と呼ぶようになりました。只、其処には意図があったのです。リルヴィ、貴女はジュエルより過去の幾つかを教えられていますね? サリファの息子であったウェスティが、ラヴェルを本名ラウルの「ウル」と呼び、タラを本名タランティーナから「ティーナ」と呼んでいたのはご存知ですか?」
「え……あ、はい」
突如掬い上げられた過去に、あたしは途切れながらも返事をした。ジュエルが以前見せてくれた昔のヴィジョン……確かにパパはウェスティから「ウル」と、タラお姉様も「ティーナ」と愛称を与えられていた。
「サリファとその息子ウェスティは……名前の一部を呼ぶ許可を得ることにより、その与えた者を操り……時に乗っ取る能力を有していたのです。理由は分かりませんが、彼らは常に名の後半を獲得してきました。ですからラヴェルもタラも、幼き頃からウェスティと過ごすことに疑問を持たず、彼が王位を継承する際も、何の反旗も翻さぬよう、彼らの思い通りに育てられたのです」
「う……うそっ──!」
パパが……伯母と従兄に操られていたなんて!?
あたしは勢い良くパパの横顔へ振り向いた。
視線に気付いているのに、パパはあたしと目を合わせなかった。
話を止めた正面のツパおばちゃんをひたすら見詰めて……その口元は何も語ろうとせず、ただ引き締められていた。
「ここからは私の推測に過ぎませんが、現状ラヴェルやタラが操られていないことから見ても、サリファがその力を発動するには、彼女自身に実体が必要なのかも知れません。もしくはウェスティのような「名の許可を得た人物」に、サリファが力を与えることによって実行していた、という可能性もないとは限りませんが。二十年前、ユスリハと旅していたラヴェルの肉体を、ウェスティが一度乗っ取ったことがありました。その要因がもし後者であるとすれば、実際その力を保持しているのはサリファのみ、ということにもなりますね。だからこそウェスティは──……、……ああ……いえ」
「??」
突如言葉を濁して口ごもったおばちゃんに、途端周りの空気が滞った気がした。
おばちゃん? 今、何を言おうとしたの??
「……すみません、これは後に回しましょう。ともかく……二人と同じく私の名も、後半の名「ノーム」をサリファに捕えられてしまった訳です。何よりその名を授けたのがサリファ自身でした。私は……つまり、彼女の奴隷となるべくして生まれたのです」
「奴、隷……」
アッシュなのか、ルクなのか……誰かの声が呆然としながら繰り返した。
驚きで震えるあたしの唇からは、それすらも発することは出来なかった──。




