[37]祖国の始まり?
「あ、あ、あ、ありがとう……アイガー……」
見える空は、既に靄も晴れて青かった。そう、あたしは今、大地を背にして横たわっている。
ツパおばちゃんとアイガーには、見事にお披露目してしまったに違いないけれど。パパとアッシュがあたしの叫びに振り向く前には、きっとあたしの全裸はアイガーに遮られて、間一髪守られたと思う。いや、そうであることをひたすらに祈りたい。
アイガーは叫びと同時にジャンプして、あたしの前半身を覆い隠してくれた。でもそのまま飛び掛かられたあたしは後ろに倒れ、つまり現状アイガーに押し倒されているという訳だ。
隠せたのは良かったけど、髪も身体ももう一度洗わないとなぁ……。
「ラヴェル、アシュリー……ルクアルノは失神しているからともかくとして……二人共、何も見なかったでしょうね? リルヴィももう十四歳です。父親にも見られたくないものだと思いますよ」
「「見てません! 見てません!」」
ツパおばちゃんの幽かにドスの効いた質問に、パパとアッシュは慌てて否定し頭を振った。おばちゃんの言う通りだよ……そして本当に見てないでしょうねぇ!?
「ラヴェル、貴方も娘のこととは云え、動揺し過ぎです。いい加減剣を収めてください」
「……ごめん、ツパ」
パパは反省するように小声で謝り、剣を元に戻した。
それから急いで湯を沸かし直してもらい、あたしはもう一度簡単に湯浴みを済ませた。その間にルクは目を覚ましたみたいだけど、あたしが現れた際に、案の定顔を真っ赤にしてみせた……。
少し遅くなってしまった朝食を、ピータン以外の全員で忙しなく掻き込む。当のピータンはと言うと、登山中ずっと夜の見張りをしてくれたそうで、パパの胸ポケットの中で熟睡し、覗いても目覚める様子はなかった。
「では……そろそろ明かさねばなりませんね」
パパはアッシュから全てを聞いて、あたし達がココにいる理由も経緯も既に分かっていた。と言っても、理解はすれども納得はしていないらしい。お陰で輪状に並んだあたしの隣、パパは時々こちらに目をやっては、あからさまに大きな溜息をついてみせた。
ツパおばちゃんが追いかけてきたことには薄々勘付いていたらしかった。だからこそパパは山頂を目指すところを横に逸れて、先にこちらと合流したのだ。その追いかけてきた原因を、あたし達にも教えてくれるのだろう、ツパおばちゃんが神妙に言葉を紡ぎ始めた。
「時は、二千六百年前に遡ります」
やっぱり出てきた。一つ目のキーワード──『二千六百年』。
そんな大昔に一体何が起きて、この国の歴史が動き出したというのだろう?
パパはもうこの辺りのお話を知っているようで、アッシュとルクとあたしの三人だけが、ゴクリと固唾を呑んで頷いた。
「ヴェルの起源はその頃より始まります。かつてこの地は、空にも浮かばず島国でもありませんでした。ヨーロッパ大陸の西、大西洋に突き出た小さな半島に過ぎなかったのです」
ええ~? そんなの初耳!
みんなの緊張した面持ちが、理解したことを示すように再び頷く。慌ててあたしも首を上下させた。まさかココが大きな陸地の一部だったなんて……。
「その頃大陸では多くの民族がせめぎあい、ありとあらゆる地域で戦いが行なわれていました。穏やかな港町であった筈のヴェルも例外ではなく、内陸で強大化した武装勢力の襲来によって……僅か一日で、ほぼ殲滅に到りました」
「え……?」
悲しみを滲ませたツパおばちゃんの言葉の最後に、あたしは思わず驚きの声を上げていた。ほぼ殲滅って……ほとんど殺されてしまったって意味、だよね?
「家々は焼かれ、荒れ野と化した戦場に、残されたのはただ無惨に横たわる男達の屍骸……子供も老人も情けなど掛けられることなく斬り裂かれ、若い女性は欲望のままに攫われました。……が、戦士としてこの地を守ろうとした青年の一人が、がれきの中から唯一発見されました」
ふとツパおばちゃんの面が、正面のパパを見上げる。その青年ってもしかして、王家アイフェンマイアに繋がる人なのかな?
「彼を見つけたのは、町外れ密かに身を隠していた少女達でした。辺りがやっと静けさを迎えた夕暮れ、戻った少女達は焼け野原と崩れた家々を巡り、ひたすら生存者を探し求めたそうです。そして……ついに彼を見つけ出しました。その少女達というのが、リルヴィ……貴女とユスリハの祖先である【薫りの民】ミュールレインの娘と、タラの祖先である【彩りの民】ハイデンベルクの娘、ルクアルノと私の祖先【癒しの民】ユングフラウの娘……そしてもう一人、名もなき娘の四名でした」(註1)
「名もなき?」
アッシュが訝し気に疑問を投げた。そうよ……どうして一人だけが分からないの?
「実際以上のことは、私が王家の図書室の奥の奥、たった一冊の文献から得た情報です。遥か古のことですから、私達三家系の娘の名も記されてはいませんでした。四人目の娘の素性が知れないのは、彼女の家系が潰えてしまったからでしょう。つまり……名も知れぬ娘は、子を産むことなく亡くなってしまった……ということです」
……なるほど。でもこの戦いで滅ぼされた「ヴェルの素」らしき町のお話から、一体何が見えてくるというのだろう?
ツパおばちゃんは物語を整理するように、深く長い息を吐き出した。眼下に伸ばした足先を臨む赤い瞳が、続きを語り出すためにゆっくりと持ち上げられた。
「残念ながら唯一の文献にも、『彼女』についてそれ以上のことは描かれていません。ですが……私は『彼女』こそが、サリファであると推測しています」
「「「ええっ!?」」」
そんな大昔からサリファは生きていた!?
余りに突拍子もないおばちゃんの考えに、三人の大声が森の繁みに反響した──!!
[註1]三家系が持つ【 】の名の意味:二話先にて説明が入りますので、前作をお読みでない方は暫くお待ちくださいませ。




