[30]「彼」の理由? 〈L&As〉
「リル……? 眠れないの?」
それから──。
あたし達はとにかく歩き、とにかくシュクリを登り続けた。
進む東路はずっとなだらかな傾斜の森で、「これなら楽勝じゃない!」とあたしはほくそ笑んだくらいだ。あれだけ歩いたのだから相当山頂に近付けたと思っていたのに……何処まで行っても、どんなに見上げても、お山のてっぺんはまだまだ遠くて……気付けば息切らし肩で呼吸してしまう始末だった。見かねたツパおばちゃんが一休憩させてくれて、その間にどんどん登りつめたアッシュとルクがお先に野営を張り、あたしの拾った枝で火を起こしておいてくれた。お陰で二人の場所に何とか辿り着いた頃には、遅い夕食の準備も整いつつあった。
食事を済ませたあたしはバッタリとテントに倒れ込み、いつの間にか死んだように眠りこけてしまった。
サリファからの攻撃を考慮して、山頂に一番近い場所へテントを張ってもらったので、今頃はみんなもあたしの眼下で休んでいるだろう。
あたしのテントはコンパクトな一人用、ツパおばちゃんは昨夜と同じく星空の下、寝袋でアイガーと一緒に休むと言っていたっけ。アッシュとルクは二人用のテントを持っていたものの、ルクが上空から落とした際に、骨組みがかなり曲がってしまった。応急処置でどうにか一人は入れるようになったので、交代で火の見張りをすると言っていたけれど──どうやら今はアッシュがその係を務めているみたい。
「ううん……良く眠れたよ。ごめんなさい……いきなり迷惑掛けて……」
薪のぱりんと爆ぜる音でふと目覚め、外へ出たあたしに、炎に照らされた優しい笑顔が問い掛ける。申し訳なさそうに俯くあたしのへの字口も、温かな光できっと気付かれちゃっただろうな。
「道は緩やかだったけど、ツパイおばさんの歩調も速かったし、結構な距離を歩いたと思う。普通の女子だったら途中で根を上げているよ。リルは十二分に頑張ったし、数時間で起きてくるなんて凄いよ」
アッシュはそんなあたしを柔らかく見上げて、いつものように励ましてくれた。なのに隣の切り株へ腰を下ろしたあたしは、何となくアッシュの顔が見られなかった。
彼の握る枝が火を転がして、揺れる紅が力を増す。紅──サリファ。疲れてなんかいる場合じゃない……早くパパに、そしてママの許に辿り着かなくちゃ!!
「テントは寒くなかった? ブランケットは足りてる?」
何も返事をしなかったあたしの横顔に、アッシュはもう一度声を掛けた。なんか、ごめん……落ち込んでいるつもりはないけど……アッシュが優しければ優しいほど、弱音を吐いてしまいそうだよ……。
「うん……あったかいから大丈夫」
この焚き火のように、サリファの心も温かければ良かったのに。
何とか絞り出したあたしの答えに、今度はアッシュが応えなかった。再びの沈黙が気になって、見上げた彼の横顔は薄っすらと笑んで……やっぱり綺麗だった。
「あのっ……」
「んん?」
振り返るペール・ブルーグレイの瞳。火と混ざり合って、一瞬ラヴェンダー色に見える。
「アッシュ……どうしてこんなに危険な思いまでして、あたしのパパとママを助けに来てくれたの?」
ヘタをしたら死んでしまいかねないのに……幾らあたしを家族と思ってくれたとしても、他人の両親のためにこんなこと、普通だったら出来ないよ。
おもむろに枝を置いたアッシュは、あたしの真剣な瞳を真っ直ぐ見詰めた。にっこりと笑った顔は、いつも以上に優しかった。
「初めてリルに出逢った時のこと、まだリルは五歳だったから、きっと忘れていると思うけど……僕は鮮明に覚えてるんだ」
「え……?」
あたしの質問に対する返事とは思えなくて、あたしは微かに驚きの声を上げた。
それを見たアッシュはクスりと笑い、今一度燃える燈に視線を落とす。
「パパに抱っこされて、隣に寄り添ったママへ笑い掛けていたリルは、パパとママの沢山の愛情に包まれて、まるでキラキラした宝石みたいだった」
「アッシュ……?」
やっぱり意味が分からないよ。
それは自分の家族と比べていたの?
あたしは彼の名を呟きながら、少しだけ首を傾げてしまった。
「リルは二人の想いが詰まった宝石なんだよ。それは今でも変わらない。リルはちゃんとパパとママに愛されていることが分かっているし、それに応えようとしている自分がいる。だから、ね?」
「だから……??」
もう一度こちらを見詰めるアッシュ。焚き火に溶かされたみたいな潤んだ眼が、もう一度ニッと笑いかけた。
「だから君にはパパとママが必須なんだと思ったんだ。どちらが欠けても輝けなくなる。石はね、光があってこそ輝くんだよ。時に光を屈折し、反射し、吸収して……輝き続けるリルを、僕はずっと見ていたい。ただそう思っただけ」
「輝き、続ける……」
それは……それは、アッシュが両親から愛情をもらえていないと思っているからなの?
違うよ、アッシュだって……ちゃんと愛されている筈! 愛されているからこそ、アッシュだって輝いている筈!!
あたしは一瞬そんな想いを口にしてしまいそうになった。でも……タラお姉様に内緒にしてと言われたのだ。叫びたい気持ちを押し殺して、グッと一文字に唇を引き締めた。
「だ、だからアッシュは、ずっと鍛えてきてくれたの……?」
代わりに零れ出した言葉は、彼の過去に問い掛けていた。
もし本当にシアンお兄様の言った通り、宝物を守るためだとしたら──それはあたしから輝きを失わせないために、ということにも……繋がる?
「まさかこんな風に、実際役立つことになるとは思ってもみなかったけどね。少しでもリルのパパの力になれたら、僕も嬉しいよ」
「あの、ありがとう……だけど、お願いだから無理はしないで、ね」
あたしのすがるような眼差しに、アッシュは「うん」と一つ頷いてみせた。と同時にその面差しが、照れ隠しするようにはにかんだ。
「本当のことを言うとね、僕は初めラウルおじさんから剣術を学びたかったんだ」
「え? パパから??」
その時もう一つの明かされていない秘密に繋がった気がした。
もしかして……アッシュの憧れの人って──あたしのパパなの?
王宮から自宅へ立ち寄った際の、アッシュの言葉を思い出す──「僕も少なからず君のパパの過去を知っているからね。あんなに辛い人生を歩んできたのに、いつでも笑顔を忘れなかったのは、本当に強い心を持っているからだと思うよ」
確かシアンお兄様は小さい頃に両親を事故で亡くされて、アッシュのお爺様の元、アッシュのお父様と共に厳格に育てられた。そんな縛り付けられた環境から自由を手にしたお兄様を、アッシュは理想の存在に掲げたのだろうけど……それ以上に憧れる対象だとタラお姉様が言ったのは──同じく辛い過去を持つパパのこと、なんだろうか? ──だからアッシュはどんな時でも、笑顔を絶やさずにいようとしているの??
まだぼんやりとしか見えないどちらの結論も、アッシュは鮮明にするつもりはなかったみたいだ。戸惑ったままのあたしに答えることなく、「明日も早いから、もう休んだ方がいい」と戻るよう促した。
「さ……良く眠って。僕ももう少ししたらルクと交代して休むから」
「う、うん。本当にありがとう、アッシュ。あたし達のために来てくれて。あたしを連れて来てくれて」
これ以上アッシュの時間を邪魔しちゃいけない。あたしはそう思い、急いで腰を立ち上げた。お互いの目の高さがちょうど合ったその刹那──
「おやすみ、リル。また明日」
──……え?
アッシュの温かな右手があたしの左頬を包み込んで、右の頬には……柔らかな唇が僅かに触れた。
彼からの「おやすみの頬にキス」なんて、今までにもなかった訳じゃない。
でも……。
驚いてしまうくらい近かったのだ! あたしの唇の右端に!!
「……お……、おやすみ……っ!」
咄嗟にすっとんきょうな声を上げて、あたしは勢い良く身を翻した! まるで逃げるように足が勝手に動き出して……
出来るなら、すぐさま鏡で自分の顔を確認したかった……あたしの頬は、燃える炎のように赤くなってはいなかったかしら?? と──!!




