[21]少年の憧れ? *
「ごめんなさい! ごめんなさいっ……お姉様!!」
あたしは目の前で急停車し、大きく振りかぶって頭を下げた。その後ろに二人も駆け寄ってきたのが感じ取れた。
「あらん……イヤあネェ~どうして謝ってるの? リルヴィちゃん?? ワタシはアシュリーが何処かでカワイコちゃんでも口説いてるんじゃないかって、心配して待っていただけヨン。まぁ~もう一人騎士が付いていてくれたみたいだから……安心したわ」
「あ……」
やっぱり……タラお姉様は、あたしを心配してココまで出てきてくれていたんだ。
「姉さん、ごめん……遅くなって」
真後ろからアッシュの申し訳なさそうな声が降ってきた。
「いいえ~お陰様でシアンの愛の深さも三人に見せつけられちゃったしー? まぁとにかく中へ入りまショ。ルクアルノ、電話貸してあげるから、今夜はアシュリーの部屋に泊まるって、親御さんを安心させなさいヨ?」
「は、はい! ありがとうございます!」
ルクがパッと明るい声で顔を上げたのが目に入った。きっとすぐ家に帰されてしまうと危惧していたのだろう。
可憐なシャンデリアが煌めくエントランスの眩しさは、タラお姉様の幸せな生活を示しているようにも思えた。
「誰からか聞いたんですか?」
「ええ。ツパイの使いだって男性が一人駆けつけてくれたわ。ツパイは明朝来るそうだから、今夜はもう寝ましょうネ。リルヴィちゃん、シアンはルクアルノと三人で、アシュリーの部屋で眠ることになったから、ワタシと一緒に休みまショ」
アッシュの問いに答えながら誘うタラお姉様に連れられて、まずはリビングのソファに腰を下ろした。ルクが自宅に電話をしている間に、洗面所を借りて着替えと支度を済ませた。
タラお姉様もシアンお兄様も、パパとママのことは一切訊いてこなかった。ツパおばちゃんの使いの人に事情を聴かされたからだろうけど、何も口に出さないのは、きっとあたしのことを想ってなんだろう。
「おやすみなさい、シアンお兄様。おやすみ、アッシュ、ルク……今日は本当にありがとう」
アッシュが使っている客室は、お姉様達の寝室と廊下を挟んで向かい合わせだ。その手前で三人におやすみの挨拶とお礼を言って、あたしはタラお姉様と部屋に入った。
クイーンサイズのベッドが半分を占める、淡いオレンジ色の洗練された空間。良く暖められているのもあるけれど、この色だけでも心が穏やかになれる気がした。
「どうしてそんな隅っこで寝ているの? 獲って喰ったりしないから安心なさい?」
「そ、そんなこと思ってませんってば!」
こんなに大きなベッドは初めてだった。身を寄せなければ落ちそうだなんて、明らかに見えないもの。極力お姉様の迷惑にならないように、との配慮のつもりだったのだけど。
「あたし、寝相悪いから、お姉様のお腹を蹴っちゃうかも知れないし……」
何しろ今朝も寝ぼけて、カプセルに頭を強打したばかりだ。
「蹴ってくれても全然問題ないわヨー。それでなくても毎日内側から蹴られまくっているのだし」
「こんな時間まで起きてたら、赤ちゃん寝不足にならないかしら? 早くお姉様眠ってあげて!」
「むしろワタシを起こしてくれるのはこの子なんだから、あんまり心配しないで大丈夫ヨ。とにかくこっちにおいでなさい」
「う、うん……」
あたしは布団をまくられ手招きをされ、はにかみながらその厚意に甘えることにした。お姉様の長い腕が、あたしの首の後ろから肩を抱いてくれた。
途端ラヴェンダーの微かな香りに、柔らかく包み込まれた気持ちがした。
「何かお話でもしましょうか? 三年振りのヴェルはどうだった?」
「うん……お土産屋さんが増えた気もするけど……他は前と変わらない感じがした」
髪を優しく撫でる仕草が、ママと一緒に眠っていた頃を思い出させた。
「あの……アッシュって、どうしてあたしがヴェルに来る時、いつもいてくれるの、かな……?」
五歳で初めて出逢った時から計四回、それが春休みでも夏休みでも、彼は必ず会いに来てくれた。
「そうネェ~でもあの子はリルヴィちゃんが来ない時でも、長いお休みにはずっと独りで遊びに来てるのヨ」
「え? 夏休みも? 冬休みも?」
知らなかった……でもどうして? 彼の家族はイギリスにいるのに。
「あの子には内緒にしてくれる?」
「う、うん!」
あたしは少し上のお姉様の瞳を見上げて、大きく相槌を打った。お姉様はちゃんと理由を知っているんだ。
「あの子の父親──シアンの従兄だけど、随分厳格な方なのヨ。アシュリーには二人お兄さんがいるのは知ってるわヨネ? そのお兄さん達も父親譲りの真面目人間みたい。アシュリーも同じ教育方針で、小さい頃から伝統的なパブリック・スクールの寮に入れられているから、普段はまったく自由がないのネ。母親は明るい方だったらしいけど……シアンが言うには、とにかく理詰めのご主人にやり込められて、口ごたえどころかまともな会話も出来なくなってしまったとかで……お休みに自宅へ帰っても、余り居心地が良くないのヨ」
「そんな……」
そんなこと、全然知らなかった……あんなににこやかで朗らかなアッシュなのに──!
「その反面、同じように厳格に育てられた筈なのに、叔従父のシアンはあんなに自由奔放に生きてきたでショ? 今でこそココに落ち着いているシアンだけど、自分の思うままに進んできた彼を、アシュリーは理想と思っているんじゃないかしら? でもネ、こんなに正反対な従兄弟同士なのに、意外に仲は悪くはないから、シアンが上手く話を纏めてくれて、今でもアシュリーは長期休暇の三分の一程を、ココで過ごすことが出来ているというワケ」
「……」
あたしは返事をすることすら出来なかった。いつも笑顔のアッシュなのだもの、きっと我が家にも負けない素敵なファミリーだと思っていたのに……。
それでもその時、一つの答えに行き当たった。ルクのお宅を離れる際に、一瞬見せた淋しそうな微笑み。あれは多分ルクのご家族を羨ましく思ったからだ。
「リルヴィちゃんは心配しなくて大丈夫ヨ。あの子にはシアン以上に憧れの存在がいるみたいだし、ココに来る目的も、ちゃんと理由があるのだから」
「憧れ? 理由??」
けれどタラお姉様は「フフフ」と笑って、その二つの答えは教えてくれなかった。「おやすみなさい、リルヴィちゃん」そう言って、あたしの髪を撫でながら、お姉様とベビちゃんとあたし、誰からともなく眠りに落ちていった。
「いったーいっ!!」
明け方。
ベビちゃんに蹴られたお姉様の叫びで、早々に起こされるまでは──!!




