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叔父のストラウス伯がいる師団本部は、城から離れた王都の北の外れにある。馬を飛ばせば30分か、と中庭に面する回廊を急ぎながら算段していた。柱の影から声が掛かった。
「ヴァル姉様!」
私のことをここで姉と呼ぶのは、フェリシティしかいない。声のした方向に顔を向けると、女官見習いの制服を着たフリスが柱の影から出てきた。お互い忙しく、ほとんど交流はないが、1年ほど前から城に行儀見習いを兼ねて女官の仕事をしていると聞いていた。ここで会えるとは思いもよらなかった。
師団本部へと心が逸り、足も止めずに返事をした。
「やあ、フリス。久しぶりだな。すまんが急ぎの用の最中だ。歩きながらでいいか?」
フリスが急ぎ足で寄ってくると、いきなり私の腕を掴んで歩みを止めようとした。
「ヴァル、まさか、あの馬鹿馬鹿しい勇者とやらの仕事を請け負った訳ではないわよね?!」
私の足は止まった。
フリスの顔をまじまじと見下ろす。母に似た繊細な顔。切れ長の目は細められ、瞳がほとんど見えていない。開けば美しい銀色と紛う薄いブルーなのだが。その両眼の間の眉間には、縦に二筋、くっきりとシワが入っている。
一文字に閉じられていた薄い唇から再び声がした。
「どうなの?受けたの?」
「どうしてそれを知っている?」
時間稼ぎのために、質問を返したが、そんな手に乗るフリスではなかった。妹はどんな隠し事でもいつの間にか見つけ出し、把握している。
チッ!
舌打ちが聞こえたと思うと、腕を引っ張られて中庭の真ん中まで連れていかれる。舌打ちとは、いったいフリスの淑女教育はどうなっているのだろう。
中庭のど真ん中ならあたりに人影があればすぐに見つけられるし、声を抑えれば誰に聞かれる心配もない。おそらくそれがフリスの目的なのだろう。
隠れる藪もない、花壇の前までくると、フリスはいきなり両腕を胸前で組み、私を睨みつけた。幸い声を抑えることはしてくれる。
「受けてしまったものは仕方ない。けれど、全力で責務を果たそうなんて考えないでね。失敗前提の仕事なんだから。怪我をしない、無理をしない、適当なところで適当にやって戻ってくればいいわ。」
いや、意味がわからん。
「なんだ、その失敗前提というのは?」
「陛下を含めて、誰も貴方方が西の魔女を征伐できるとは思っていないってこと!メンバーを見れば一目瞭然よ。」
そう言いながら、フリスは腕をほどき私を指さした。
「私か?そりゃ勇者というほどではないが、騎士としての訓練は積んだぞ。命を懸けてでも殿下をお守りするのは騎士としての本望だ・・・」
「ヴァル姉様!わかってないわね。そもそも姉様は王族を直接守る近衛部隊への配属を希望してたわよね。特にあのわがまま姫たち付きを。」
私はこの不敬を聞いて思わずあたりを見回して人影がないことを確認した上で、囁いた。
「言葉に気をつけろ。配属は仕方ない、空きがなかったようだ。」
フリスがため息とともに続ける。
「空きの問題じゃないわ。わがまま姫たちも、王妃も側妃も・・・まあ、はっきり言えば、もっと見目良きものを希望したのよ。格好いい“お姉様”剣士をね!」
ドスッ!胸に矢が突き刺さった。
男性騎士と護衛される高貴な身分の女性の醜聞が何度かあったため、王族女性につけられる騎士は女性の数が増えている。だからこそ私も騎士として近衛の職を得ることを希望していたのだ。
剣の実力は誰にも劣らない・・・と思う。長く師団長を輩出してきた家柄と、身元確かな伯爵家の出であることを考えると、近衛不採用の理由はなんとなく察せられた。だが、フリスはそこを明確に指摘するつもりらしい。
覚悟していたとはいえ、なかなか腹の底に来るものがある。表情に出ていなければよいのだが。早速フリスから追撃の矢が放たれた。
「細マッチョで、可憐」
肩の筋肉の盛り上がりを考えると細くはない。数々の訓練を経て、顔より首の方が太くなったような気がする。体部に関しては脆いという評価は未だかつて受けたことがない。(もとい筋骨隆々)
「騎士の制服が凛々しいのは当たり前、ドレスを着ても似合うどころか、そのドレスのどこからか剣が出てきて一刀両断できて。」
無茶な、短剣ならまだしも、どこから剣を出すんだ・・・まあドレスは似合わんな。そもそもコルセットを締める紐をくしゃみをした際、ぶっちぎったことがある。(もとい筋肉は締まらない)
「出るとこ出て、引っ込むところは引っ込んでる、女性らしい姿で。」
胸か?あるにはあるが、筋肉だぞ。以前酷い風邪をひいて、二週間近く寝込んだことがあったが、まずまずあったはずの胸から先に落ちたな。そこから得た教訓は、胸は筋肉。鍛えなければ落ちるということだった。尻はあるが、鍛えられた太ももの上だ、出ているようには見えんだろうな。(もとい後ろ姿は逆三角形だ)
「・・・まあ、とにかく姉様の・・・精悍な顔はわがまま娘たちの好みではなかったのよ。」
精悍ね。それなりにフリスは言葉を選んでくれているが、男らしい顔なのは否めない。訓練中に何度か殴られた鼻は、その鼻っ柱の太さが幸いしてか、曲がってはいない。幼いころから食いしばって来た顎は、しっかり角張っている。肩に届かないよう短く切った髪は、本来明るいブラウンだが、油で抑えているので、むしろ黒く見える。
これが私だ。
「・・・ヴァル姉様には引き受け先がなかったの。」
ようやくフリスに反論出来る時が来たようだ。
「だが、お陰様で、リオン王子の従者として、今回は・・」
最後まで言わせてもらえなかった。
「クチナシ王子の厄介払いよ!」