新しい朝が来た
ふわふわとした無重力、意識はさ迷い、あたかもプランクトンのように浮き沈み。
浮遊する魂はやがて暗き虚空の彼方へと――
「はっ」
訳のわからない感覚から、いきなり現実へと引き戻される。
なんだったんだ、今の夢は。昨日――俺が幼女になった日も同じ夢を見たような……って。
俺は今どんな状態なんだ!?
がばっと布団を押し退けて上体を起こす。
下を見ると、着ているのは、ピンク地に微かに光るアニメキャラクターの描かれた女児向けパジャマ。
自分とぴったりどころかむしろ少しだけ大きめのそれは、自分の体が未だに女児であることを思い知らせる。
もしかしたら寝て起きたら戻っているかもしれないなどと一瞬でも思ってしまった自分がバカだった。
「そーいえば、おねしょ……」
口をついて出てきた言葉。昨日は思いっきりしていたが……今日は濡れている感覚がない。
もしかして、おねしょはそつぎょう!?
――一瞬でも希望を抱いてしまった自分がバカだった。
ベッドから這い出ると、なんと俺はズボンを穿いていなかった。
トレーナーの下から見えるのは……もこもこと膨らんだ、赤ちゃん用の下着。
「ふぁあ……ん……お兄ちゃ……兄貴、起きてたの?」
「うわぁっ!」
俺の寝ていたベッドから瑠璃が起き上がる。一緒に寝ていたらしい。
「兄貴ってば……夜中にもおねしょしてたんだよ? 偶然起きたから替えてあげたけど……またおねしょしてる(笑)」
「寝ぼけてても煽ることは忘れないその姿勢は正直すごいと思う」
でも、そういうことか……。夜中におむつを替えた瑠璃がズボンを穿かせ忘れてたってことか……。
ってか、二回もおねしょするとか、マジで赤ちゃんかよ……。
俺は頭を抱えた。
「はーいごろんしてねー」
「だから赤ちゃん扱いとかやめろって!」
恥ずかしい思いをしながら、リビングにて本日一度目のおむつ替え。
べりっべりっ、とマジックテープを剥がす音。前当ての部分が開かれると、今までおむつに包まれて湿っていた部分が外気に触れ。
「ひゃっ」
冷たい感覚。ちょろちょろとせせらぎの音。
「びっくりして漏らしてるのwww かわいいwww」
……どうやら、やってしまったようだ。ひやっとした感覚で簡単に漏れてしまうとは。流石に弱すぎるんじゃないだろうか俺の尿道括約筋。
お尻や股間などを拭いてもらって、さらにパンツのような形の、穿くタイプの……いわば「お姉ちゃんおむつ」に自分で足を通す。
昨日は屈辱的に感じた行為も、慣れてしまえば――というかもっと恥ずかしい記憶に上書きされてしまえば、案外恥ずかしくなくなる。
もうすでに日常生活の一部になっている感覚がある。むしろ、赤ちゃん用のテープおむつをつけられたことによるものか……このパンツおむつがちょっと誇らしいと思う自分がいる。
……俺はおかしくなってしまったのだろうか。
いやいやっ! 考えるときりがなくなるし!
とりあえず全力で首を振り、もう考えないことにする。今はこの体に慣れることに集中しよう。
意気込んでいると、おもむろに瑠璃が服を脱ぎ始めた。
「なんでこんなとこで脱いでるの!?」
「え? 制服に着替えてるだけだけど」
「あっ、そうか」
今日は月曜日である。つまり、瑠璃は学校がある。忘れそうになってたが、瑠璃は中学生なのである。
「って、なんでここで!?」
「別にいいでしょ?」
「よくないって! 仮にも俺は男だぜ? 男の前で着替えとか……」
「今は女の子だからいいでしょ?」
ぐっ、そうか。そうだったな……。
「あと、あんたを着替えさせないとだし(笑)」
「だからわざわざ笑うなっ!」
言いながら、瑠璃は紺色のセーラー服を着込み、短めのプリーツスカートを身に付ける。
そして。
「兄貴はこれねっ!」
そう言って出してきたのは、淡いブルーと白を基調とし、大量のフリルがあしらわれた、あたかも童話のお姫様が着ているような可愛らしいロリータ風ワンピース。
「……これを着ろと?」
「うん。可愛いでしょ?」
「かわいいけど……」
果たして俺に似合うのだろうか。というか、俺が着ていいものなのだろうか。いや、男としての矜持が……でも……。
“俺”を形作る男子高校生としての心と、しかしこの体になってから現れた自分の中の女の子な心がぶつかり合うが。
「それっ! ずべこべ言わずに着ろ~!」
「うわぁぁぁぁぁ!」
強制的に着せられた。
「ほらっ、どう?」
「か、かわいい……」
数分後、姿見の前に立たされた俺が見たのは、まるで一国の姫とも思えてしまうような完璧な美少女であった。
たくさんのフリル、淡いブルーに、所々にあしらわれたパステルピンク。ふわふわとした装飾が、少女の儚げな可憐さを引き出している。
あたかも肖像画のように、美しく可愛い。
彼女が自分自身だとは、とても信じられなかった。
「ね?」
ウィンクする瑠璃。本当によくできた妹だ。
しかし、一つ気になることがある。
「なぁ……俺のおむつ……」
高校は当然休むとして、瑠璃が学校に行っている間俺を見ている人が居ないのだ。
普段なら問題はない。しかし、悔しいことに、俺は一人ではおむつを替えられないのだ。
恐らく昨日のペースでいくと二時間も持たないはずだ。なるべくトイレには行くつもりだが……間に合わないことも多いだろう。
その場合、俺一人だと漏らしたおむつを半日近く穿き続けることになる。あるいは勝手におむつを脱いでノーパンになるかだが……それはやりたくない。
拭かないとおまたが悲惨なことになりかねないとか聞いた。しかし、拭き方は知らない。今まで数度のおむつ替えの時の瑠璃の手つきを真似たところで上手くいかないのは目に見えている。
すなわち。
「……俺のおむつ、誰が替えるんだ?」
それを聞いて、瑠璃はくすくすと笑った。
「心配しなくて大丈夫。ちゃんと頼んであるって」
「誰にだ?」
「今から呼ぶねー。ひすいおねーさーん」
ヒスイ? マジで誰だ?
「はーい」
玄関先から聞こえたその声に、微かな聞き覚えが……あったようななかったような気がして。
現れたその女性に、俺は驚愕した。
「この前知り合った、翡翠さん。ベビーシッターのバイトとして雇ったの」
「あおいちゃん、よろしくね」
彼女は、昨日のベビー用品店の店員であった。