62話 潜入調査は大体失敗する
僕ことエクタクト・スリーマンが、ノアズアーク法聖国の結界を通るのに何の問題もなかった。
当然だ。この国の結界は僕が張った物なのだから、僕には何の障害になりはしない。
箱船は国の外の上空に結界で固定し、虚像結界をさらにかけて隠蔽してある。
神気の気配を抑えつつ、虚像結界を顔に施して顔を別人に見えるように変えて潜り込む。そして国の者にさりげなく話しかけて聞き込みを行った。
僕はすでに裏切りの天使としてお尋ね者になっているらしい。
わざわざ危険を冒してこの国へ戻ってきたのは、知らねばならぬことがあったからだ。
レティア・ミーシェの父親であるクレアーゴ・ミーシェのことについてだ。
ミーシェ一族はその徹底した管理により、身元が明白な者しか存在しない。
つまり他国の者がミーシェ一族に入り込むなど不可能なのだ。
それにレティアの記憶が確かなら、クレアーゴはミーシェ一族の直系であり紛れ込んだ線は皆無だ。
だがクレアーゴが持ってた能力は、ビクトア王国に仕えていた希望の天使のものとみて間違いない。
この大陸に存在する人間の数を考えると、偶然その能力が宿った確率は限りなく低い。元から国の中枢に関わる者に宿るなど、あまりに都合が良い話しすぎるのだ。
偶然と考えるより何かの必然と疑うべきだろう。
一番考え得るのは、前の希望の天使からクレアーゴが能力の譲渡を受けた可能性だ。
それが誰の意思によって行われたのかによって、意味合いが大きく変わってくる。
何らかの手段で脅迫して奪ったわけではなくても、受け取ったその事実を隠蔽してビクトア王国から天使の力を秘密裏に奪った事実は変わらない。
だがそれ以外にもう一つの可能性がある。
クレアーゴがビクトア王国側のスパイである可能性だ。
何らかの方法でクレアーゴを懐柔し、天使の能力を与えてノアズアーク法聖国へ潜ませていてもおかしくはない。
いずれにしてもクレアーゴの転移能力は驚異だ。
僕はノアズアーク法聖国から離れて姿を隠して生きることも考えたが、いつクレアーゴに見つかり命を狙われるか分からない生活をするのはごめんだ。
それならばクレアーゴの秘密を暴いて、可能であればそれを切り札にノアズアーク法聖国の天使として返り咲く道を探す。
それができない場合でも、クレアーゴだけは殺しておかなければ安心はできない。
それにやつはレティアの仇なのだ。
レティアの魂は僕の中に宿っているとはいえ、殺されたことに怒りがないわけがない。
国民に聞き込んで得られる情報は限られている。
やはり重要な情報を得るには、クレアーゴがいるはずのエリストア大教会に忍び込むしかない。
警備は厳重だが僕にとってここは、実家の庭のようなものだ。
虚像結界により上手く姿を隠しつつ、いくつもの警備システムを回避して教会内へ侵入を果たした。
向かう場所はベルメール枢機卿の個室だ。
クレアーゴはベルメール枢機卿の専属の護衛をしている。
最もいる可能性が高いのはそこだ。
それにベルメール枢機卿がクレアーゴを裏で操っている可能性もある。
逆にベルメール枢機卿がクレアーゴの傀儡である可能性もまたあるが、どちらにしてもベルメール枢機卿の個室ならば何らかの情報を得られるかもしれない。
ベルメール枢機卿の個室の前まで来た僕は、その壁に張り付くように密着する。
この建物の壁には盗聴防止の結界が施されているが、僕の手にかかればそれは薄い木板と変わらない。
結界に手を加えて、逆に僕の元に部屋の中の音がはっきりと届くように改造を施す。
どうやら部屋の中に人がいるらしく、声が聞こえてくる。
「……の消息は依然不明です。子飼いの部下にも情報を集めさせていますが、上手く隠れているようですね」
「エクタクト・スリーマンの件はもう良い。やつならいずれこちらへ自らやってくるか、関わらぬように姿を隠しているかのどちらかだろう。やつが本気で隠れれば見つけるのも難しかろう。放置してかまわん」
「ですがやつの力は脅威です。早急に対処しておいた方が良いかと」
「それは合理的に考えての判断か? それとも撤退させられたことへの私怨による執着ではあるまいな?」
「いえ、そのようなことは……。ベルメール枢機卿がそのように仰るのであれば、私はその命に従います」
「分かれば良いのだ。それよりもこの国の情勢は悪化する一途だ。いつ、ビクトア王国と戦争になってもおかしくはない。我らも逃げる算段を考えねばなるまいな」
「この国を出ることに遺存はございません。ですが例の悪魔は放置したままでよろしいのですか?」
「生命の樹を遠隔で操り情報を得ようとしたが、何者かの邪魔が入ったようだ。あの悪魔が我らが求める物であるかはまだ分からん。今はこちらも余裕が少ない以上、泳がせるしかないが監視を怠るな」
「御意。報告と質問は以上となります」
「ああ、もう下がって良いぞ。引き続き任務に当たれ」
「それでは失礼します」
内容のすべてが理解できたわけではないが、ベルメール枢機卿とクレアーゴが話していたのは間違いない。そしてベルメール枢機卿がクレアーゴに指示を出していたことは疑いようがなかった。
一人が部屋から出てくる。
もちろんそれはクレアーゴだった。
姿を隠しているのでバレはしないはずだが、僕は緊張した面持ちで息を潜める。
クレアーゴは僕には気づかず、廊下を歩いてこの場を離れていく。
その姿を無事に見送って安心したとき、レティアが心の中で声を上げた。
(避けて!)
壁や結界を突き抜けて背後から飛び出してきた腕が僕の首を締め上げる。
その腕は壁から生えるように出現していた。
「ぐぅ……!」
首を絞められているせいで声が出せない。
「やっぱり来ると思っていたよ。それに話を聞かれてしまったようだね?」
僕の首を締め上げたまま、壁をすり抜けて姿を現したのはベルメール枢機卿だった。
これは何の能力だ?!
神気も魔力もまったく感じない。
僕は様々な結界を発動させたり腕や足でベルメール枢機卿へと攻撃を加えるが、そのすべてがすり抜けてまったくダメージを与えることができない。
ベルメール枢機卿が一方的に僕の首を締め上げる。
「無駄だよ。どんな攻撃も私に触れることを許可していないからね。さてさて、どうしようかな~? 君の神核を破壊して殺すのは簡単だが、それではその力がもったいない」
余裕の笑みを浮かべながらも、ベルメール枢機卿はどうするべきか悩んでいるようだ。
こちらは脱出の手立てを考えて実行に移しても、すべてが失敗する。
転移結界で僕だけを飛ばすことも試したが、結界が僕を補足できずに結界だけが転移した。
結界が僕にすら干渉できないようだ。
建物への攻撃も試みたが、僕の結界は建物にすら干渉できずにすり抜けた。
首を絞める力は普通の人間のそれではない。
僕だって天使である以上、普通の人間よりかなり力が強いはずだ。
だがそれを圧倒してなお余裕のある力で締め上げてくるので、振りほどくなどできるはずがない。
化け物め……!
声に出せないので心の中で罵倒するしかない。
「そうだ! その体だけ頂こうかな。少し危険だから試したことはなかったんだが、良い機会だからね」
嫌な予感しかしない。
ベルメール枢機卿に何かをされて僕の意識は闇へと落ちた。
いつ目覚めるとも分からない暗い闇の底へ。




