47話 バフは加算ではなく乗算が強い
僕はどこで間違った?
カーイルを戦いに行かせたことか?
僕がここで集中して神気を操らねば結界を維持できない。国を覆う結界を解除しない限り僕は戦えないのだ。カーイルを行かせて対処する以外に手はなかった。
あれを放置すれば、身動きが取れないこちらへ攻撃してくる危険性があったからだ。
遠方からでもカーイルが何者かにやられたのは見て分かった。
正体は分からないが天使に相当する神気を持っており、その神気の質はカーイルのものに酷似していた。
デシオンが作り出した何かか?
こちらへと向かってくるのかと思いきやデタラメに結界の上を走り始めた。
直接狙われなかったことに僕が一瞬安堵したことは確かだ。だがその目的が結界の破壊だとすぐに分かって僕は動揺を隠せないでいた。
一人では魔力の炎に対抗しながら結界を維持するのがやっとだというのに、それを外側から攻撃されてはたまらない。
カーイルがやられた相手に団員たちを向かわせたところで止められるわけがない。
結界が崩壊を始めて炎に呑まれ始める。
「撤退だ! 撤退するぞ! カーイルを回収して総員、船へ乗り込め!」
僕はそう叫んだが、それに従う者はいなかった。
違和感を覚えて、僕は辺りを見渡す。
従わないのは当然だ。
団員たちは持ち場に着いたまま、そこで倒れて全員死亡していた。
感じ取れる神気の気配から、すでに生きていないことが明白だった。
「一体、何が……?」
あの謎の神気の化け物が殺したのか? いや、そんな気配はなかった。
それにあまりに手際が良すぎる。
僕があの化け物に気をとられている少しの間に全員を殺したことになる。
「もしかしたらお前たちなら憤怒の悪魔を倒してくれるかと期待して、泳がせておいたのだが買いかぶりすぎたようだな」
そう告げた男が僕の背後にいた。
見知った声。見知った顔。
レティアの父でベルメール枢機卿の護衛を務める男。クレアーゴ・ミーシェの姿がそこにあった。
彼は短剣を振るって僕へと接近する。
結界による防御どころか回避も間に合わない。
確実に僕の心臓と神核を狙った一撃が迫る。
ぐちゅり……。
肉をえぐり血が染み出す嫌な音がした。
僕をかばって胸を刺されたレティアの姿がそこにはあった。
レティアの仮面が床に落ちて乾いた音を立てる。久しぶりに見るレティアは中性的な顔つきで、美しい黒髪を頭の後ろで束ねていた。そしてその口からは一筋の血が流れ落ちている。
「何をしているんだぁあああああ!!!」
僕は思わず叫びながらも、僕とレティアを中心に球状の防御結界を作り出した。
クレアーゴがそれに巻き込まれればその体が結界で分断される位置にいたはずだが、その姿は消えていた。
倒れるレティアの体を僕は両手で受け止めると、その場に膝を突いて姿勢を楽にさせる。仰向けで上半身だけ持ち上げた状態のレティアに向けて、治癒結界を発動する。だが傷口が塞がっても神気の流出が止まらない。
少し離れた場所にクレアーゴがその姿を見せた。
「回復は無駄だ。神核を確実に貫いた。レティアは死ぬ。愚かな子だ。護衛であると共に護衛対象の天使が裏切ったときに始末を付けるが我らの役目。それすら果たそうとせずにお前をかばって命を落とすとはな」
「黙れ! 黙れよ!」
態度では僕は取り乱しつつも、心のどこかで冷静になっていた。
そうしなければここで僕らは死ぬかもしれない。生存本能がそう叫んでいた。
こいつの目的は僕たちの抹殺か? だがその理由よりもどうやったかという手段の方が差し迫った問題だ。方法は分からないが団員を殺したのは間違いなくこいつだろう。
「安心しろ。すぐにお前も同じところへ連れって行ってやる」
そう言うとクレアーゴの姿が消えて、僕の背後に姿を現した。それも入れないはずの結界の円の内側にだ。
咄嗟にレティアと僕だけを包み込むように密着する形で発動していた治癒結界を、転移結界へと切り変えて発動させる。短剣が触れるぎりぎりのところで上空へと瞬間移動して難を逃れた。
クレアーゴが箱船から、こちらを見上げている。
僕はこいつを見下ろしながら口を開く。
「一体どういうわけだ!? その能力……自在にどんな場所へでも瞬間移動できたという希望の天使の力か?」
「さてな?」
何日もかかるだろうこの場所へ、こいつはいつどうやってやってきたのか。
箱船に隠れていた可能性もあるが、国からの出発の際と天使奪還に失敗した際に何かが侵入していないか、船内は僕がしっかりと調べていた。だからここにいるわけがない。
僕の転移結界でも移動できる距離は百メートル程度が限界であるし、消費が大きいので連発して移動するなら走った方が速いので効率が悪い。それに他人が張っている結界の中に移動するなど普通はできないのだ。
それが神気でできるとしたら規格外の能力を持つ天使たちだけだ。
イグス・ガランディアに殺されたと考えられている先代の希望の天使だが、その能力の調査資料に僕も目を通したことがあった。
どんな長距離でも遮断された空間へでも移動できる転移能力。
その力を偶然この男が手にしたのか、誰かによる必然なのか、それともイグスに殺されたように偽装した本人であるのかは分からない。だがそれを持っていると考えて対処しなければやられる。
「スリーマン様……。私を捨ててお逃げください。お一人であれば逃げ様はあるはず……」
レティアが消え入りそうな声でそうつぶやく。
「そんなことができるか! どうするか考えているんだ。お前は大人しく寝ていろ」
僕はクレアーゴを凝視し続ける。やつが転移でこちらへ飛んだ瞬間に合わせて、こちらも位置を転移結界で移動する。それしか対処法はない。
思った通りクレアーゴは転移で接近し、僕はそれに合わせて移動する。いたちごっこの始まりだ。
クレアーゴが死角へ隠れてタイミングを計らせないように転移もしてくる。それでも何とかその行動を予測して回避を続けた。
だがこれにも限界がある。僕は結界でその体を包んでいる間は再臨ができない。再臨しようとすればその隙をクレアーゴは絶対に逃さないだろう。
それに対してクレアーゴは好きなタイミングに、安全な距離をとって隠れながら再臨ができる。僕の方だけ神気が減り続ける圧倒的に不利な状況だ。
「私は……もう死にます。これ以上スリーマン様の迷惑にはなりたくない。でもどうしても私を捨てたくないというのであれば、お願いを一つだけ聞いてください」
「何だ?」
クレアーゴの攻撃から逃げ続けながら、僕はレティアと言葉を交す。とは言ってもあまりこちらから話せるほどの余裕はないが。
「私をあなたの中にずっと居させてください。エクタクト……」
レティアはそう言って身を起こすと僕と唇を重ねた。
こんな状況であるにも関わらず、仮面を被る前のレティアに戻ったようで僕は嬉しかった。
「愚かなり」
僕の視界が塞がるその瞬間をクレアーゴが見逃すはずもなく、瞬時に背後へと移動すると僕の背中へと向けて短剣を突き刺した。短剣はクレアーゴの神気を帯びており、強度重視の結界でなければ易々と貫く。
「レティア……役割も果たせぬ不出来な子とはいえ、最後に役に立ったな」
クレアーゴが勝ちを確信した瞬間、僕とレティアの体は崩れて消える。
「何!? これはもしや、虚像結界か!?」
その通り。僕は隙を見て用意した虚像と入れ替わっておいたのさ。実物を虚像として投影したのでキスをされたのは本当だけど。
本物の僕たちはクレアーゴの背後にいる。
「分かったよ。レティア、君の望むとおりに……」
「ありがとう……」
借価献物を“制限解除”して発動。
レティアの体が光の粒子となって消える。
「今、何をした?」
クレアーゴが不思議なものを見るような目をこちらへ向ける。
そんな反応をするのも仕方のないことだろう。
まともに使ったことのないこの能力を知るのは、僕とレティアくらいのものだ。
「取り込んだのさ。レティアを僕のものに」
他人の神気を借りるのは借価献物の能力のほんの一端にすぎない。
その能力の本質は、合意した者の存在をその身に取り込む力だ。
文字通り存在そのものを取り込む。その記憶も心も能力も。
他人の心を自分の中に住まわせるなど考えられなかった僕は、この能力を理解はしていても使うことはなかった。
だがレティアならばそれを許そう。
君であれば僕と共にあることを望もう。
もう誰も君を僕から奪わせはしない。
「それがお前の真の能力と言ったところか? だが不出来な者など取り込んだところで何も変わりはしない」
「レティアは有能だよ。僕がそれを証明しよう」
僕はこちらから結界で転移して、クレアーゴへと攻撃するべく迫る。
だが相手もそれを予見していたのか、僕の背後へと転移して短剣を振りかざしてくる。
(エクタクト、左手に防御結界をお願いします)
レティアの声が内側から聞こえて、僕はそれに従う。
相手の攻撃は僕の視界からはそれは見えない。
だが僕の体は防御結界を部分的に張った左手で短剣を受け止めると、即座に身を翻して回し蹴りをクレアーゴの腹に入れる。そしてそのままの勢いでクレアーゴは後方へと飛んでいく。
「僕は接近戦が苦手だから助かるよ」
(お任せを)
僕にしか見えない陽炎のようなレティアがにっこりと笑う。レティアは僕に寄り添うように共にある。
結界は僕が張ってそれを盾にも武器にもする。
体はレティアが操ってその体術を存分に発揮する。
今の僕らは無敵だ。
クレアーゴがどんな天使だろうと負ける気はしない。




