24話 闇堕ちヒロインってありですか?
ルリはでちおんのところに早く行かないとまずいのに、かーいるたちが邪魔してくる。
でちおんのところにいるのは筋肉ムキムキのグラングランだ。ルリがそう呼ぶといつも笑って応えてくれるおじさんだったけど、今はルリたちを捕まえにきたみたい。
グラングランが天使になったのは和平協定のあとだし、ビクトア王国の人だから実際に戦うところをルリは見たことがない。でもすっごく強そうなのは神気を見れば分かる。
でちおんがきっと殺されちゃう。
かーいるたちはルリが悪魔に騙されてるとばかり言う。
確かにルリは騙されやすいとは“私”でも思う。
でも相手が悪い人かどうかは目を見れば分かる。
今まで出会った悪魔は人間を食べ物のように見てた。他の天使よりも長く生きてきたからそれはルリが一番よく知ってると思う。
人間たちも皆、ルリに優しくしてくれるし良い人が多いけど、皆どこかでルリを恐れるような目で見ている。天使は強い力を持つし、ルリの場合は年すらとらない。怖がる理由は分かる。
ルリは……“私”はそんな視線を見たくなかった。
だから心が成長した“私”を封印した。
幼く何も知らないようなルリでいることで、そんな視線を見ないふりした。
“ルリータ・アスクトという私”は心の奥底に閉じ込めたのだ。
ルリで生きていけば何も考えなくていい。悩まなくていい。
そんな中で永遠に生き続けることに自覚的になるというのは地獄なのだ。
ルリを犠牲にして魔界に結界を張るという話を聞いたとき、私は安堵した。
やっとこの視線たちから解放されるのかと。
本当は悪魔がいてもいなくても私にはどうでもいいことなんだ。皆の平和のために犠牲になる。そうすれば視線からも逃げられるし、皆が私への恐怖など忘れて感謝してくれる。それがルリの奥底に眠る私の本心だ。
でもデシオンと出会ってしまった。
彼は歪んではいたが、ルリを心から想っているのが目から伝わってきた。
私の嫌いな目ではない、私の知らない目だった。
たぶんそれは私が本当に欲していたもので、封印したはずの私が希望を持ってしまったのだ。
ルリが騙されてるだけと他の誰から思われてもいい。
私がデシオンと共にいたいだけの口実に過ぎないから。
でも本当に世界が平和になって他の誰もが天使を必要としなくなったら、デシオンの側にずっといられるのだろうか? 彼の優しい視線をずっと見ていたい。
そんな期待を抱いてしまった。
一度抱いた希望は簡単には捨てられない。手放したくない。
かーいるたちはルリより弱いのに、こっちの攻撃を上手く凌いで思うとおりに倒されてはくれない。
ルリが殺さないように手加減しているのを知っていて、絶妙なコンビネーションと合わせて嫌がらせしてくるのだ。
ルリが人を殺したら優しいルリじゃなくなる。そしたらでちおんに嫌われちゃうかもしれない。それは嫌だ。
またルリの攻撃を避けられた。
このままじゃ本当にでちおんが死んじゃう。
本当に鬱陶しい!!!
あれ?
おかしいよ?
でちおんがあっちで倒れてる。
結界があるせいであっちの魔力の流れが分からない。
ただのワンちゃんの姿で転がってる。
グラングランがそこから離れてこっちへ向かってる。
まさか本当に死んだの?
殺したの?
嘘だよね!
嘘に決まってるよね!
“私”は信じない!
「私とデシオンの邪魔をするお前らが……
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!」
「天使様、今何と……?」
カーイルが私の豹変に困惑の色を隠せない。
「どけ」
そしては私はその隙を突いてカーイルの腹に強烈な右ストレートを叩き込んだ。
特製の強固な鎧が砕け散り、カーイルが仲間を巻き込んで吹き飛ばされる。
こいつが死のうが生きていようがもうどうでもいい。
デシオンと私の間を阻む結界の壁に向かって全力で走る。
体がどうなってもいい。全力の神気を込めて体当たりをする。
攻撃にすべて神気を振るので、体は耐えきれずぐちゃぐちゃになるかもしれない。
どうせ神核が壊れない限り死なないし、すぐに再生する。痛みなんか今はどうだっていいんだ。
私の体当たりの衝撃を吸収しようと限界まで結界が伸びたが、流石に耐えきれずに突き破れた。
血塗れになった私の体はその勢いのまま転がるが、すぐに再生して起き上がりそのまま走り続ける。
私が身に付けている法衣は神獣ユニコーンのたてがみで編まれている。それは私の神気と連動しているためにすぐに再生してその血や土汚れすらもはね除けて綺麗な状態に戻った。
グランクスもこちらの行動を見て一瞬だけ驚いた様子だったが、すぐに好戦的な笑顔を浮かべると私の前に立ちはだかった。
「お前も邪魔だ! どけぇえええええ!!!」
私のパンチを受け止める気か躱す気かは知らないが、私の身長に合わせてグランクスが低く構える。
だが私は元よりこいつに攻撃することが目的じゃない。
グランクスを殴るふりをして、私は矛先を地面へと変えて強力な一撃を叩き込む。その衝撃を利用して相手を飛び越えるほど高くジャンプして、グランクスの背後へと着地した。そしてそのままデシオンに向かって走り出す。
グランクスにとって戦いに発展しなかったことは拍子抜けだったようだが、知ったことじゃない。
相手は一応同格の天使だ。倒れてくれるまで相手をしている暇はない。
私はデシオンへと駆け寄って、膝をついてその体を抱き起こす。
やはり魔力の反応はまったくない。
だがまだ生きている可能性はゼロじゃない。
私の神気を送り込んでグランクスがつけた神気を払いのけていく。
魔核が無事ならば悪魔は死なない。奇跡的に核が傷つく前に神気を取り去れば助かるかもしれない。
魔核そのものは魔力の高密度の塊で、他者からは魔力を検知することはできない。魔力が切れてるだけで魔核が無事ということもありえるのだ。
すべての神気を払いのけても魔力がデシオンに集まる気配はない。魔核が生きていれば神気の邪魔がない限り勝手に魔力が集まるはずなのに!
「嘘! 嘘よ! 死んでるはずがない!」
私はまだ見逃している神気があるんじゃないかと必死に探す。
「無理じゃよ。もう死んでおる。たとえ相手が七凶悪魔でも、魔核ごと浄化するのに十分な神気を送ったのじゃ」
私の後方でグランクスがただ哀れむように佇んで、そう声をかけてきた。
「うるさい! 黙れ!」
まだ何か方法はないのか?
神気では生きている者の傷は癒やせても、死者を蘇らせることはできない。
魔力が使えたとしても魔力で蘇った者は、術者のイメージと損傷していない体の部位から得られる情報によって再構築された紛い物になったゾンビだ。
それに失われた魔核や神核と完全に同じものを再現することはできない。核自体を生み出すことは不可能ではないが、そこに宿る記憶がないのでは同じものにはならない。
よく見るとそのオオカミの体は綺麗で、傷一つない。
魔力で作り替えられたり欠損した肉体でも、神気で浄化された際の副作用としてその肉体は本来の姿で再生される。たとえそれが死体であってもだ。
しかし見た目だけ綺麗でも、その体は冷たく鼓動もない。魂のない肉体だ。
「そんな……そんな……お願い。帰ってきてよ……」
私はただただデシオンだったものを抱きしめて泣くしかなかった。
「何じゃ? これは?」
私の背後でグランクスがぽつりと漏らした一言。
それにつられて彼がやっていると同様に上空をふと見上げた。
そこには天を覆うほどの莫大な神気が渦巻いていた。
これから何が起ころうとしているのか、ここにいる誰も知るよしはなかった。




