14話 知的なキャラは大体眼鏡をかけている
僕の名前はエクタクト・スリーマン。
信仰の天使の神核を有する者だ。
人は僕たちを天使などと持てはやすが、特別な力を持っているだけで人間であることには変わりない。
洗面台で顔を洗い終えたところで目の前に設置されている鏡に映る自分の姿を見て、それを自覚させられる。
視界がはっきりとしすぎていて、めまいがする。
脇の棚にある眼鏡を手にとるとすぐに眼にかけた。
眼がよく見えすぎることも欠点だ。神気がもたらす力は良いことばかりではない。
周囲の神気を把握することに長けすぎた眼は、特殊な眼鏡でその力を押さえなければ脳が処理しきれず耐えられない。
再度、鏡に映る自分の姿を確認する。
短く切った金髪に目付きの悪い仏頂面をした二十代の男がそこには写っている。
悪魔と戦い疲れた人間の姿だ。
子供のときに天使の力を有して以来、僕はずっと悪魔と戦ってきた。
別に戦いたくて戦ってきたわけじゃない。
僕にその力があって周囲がそれを求めてきたから仕方なく戦ってきただけだ。
悪魔は怖かったし、襲ってきて戦うことを強いられるから憎かった。
天使だって不死身ではないのだ。死ななければ何度でも再生できるが、それは死ななければの話だ。
死ぬのが怖い。
僕は神様でも何でもないんだ。
人々が望んでいるのは僕の力であって僕ではない。僕が死ねば新たな天使にその力を求めるだけだろう。
だから僕は悪魔と戦うしかなかった。
そうしなければ僕は生きれないから。
やつらが全ていなくなれば良いと何度願ったか、数え切れない。
しかしその願望が現実になる一歩が、ようやく明日実行に移せる。
昨夜は見落としがないか最終確認の作業で徹夜してしまって、起きたときには昼過ぎになっていた。
早くしなければベルメール枢機卿との明日についての打ち合わせに間に合わない。
顔をタオルで拭いて髪を軽く整えると、棚にあるベルを手に取りそれを鳴らした。
すると部屋の扉の向こうに人の気配が現れる。
「レティア・ミーシェ、ただ今参りました。スリーマン様、お呼びでしょうか?」
少しくぐもっていて性別や年齢も分かりにくいものだが、僕には見知ったいつもの声だ。
「ああ、身支度を頼みたい。入れ」
「了解いたしました。失礼します」
レティアは一声かけて部屋の中へ入ってきて、その姿を現した。
その顔は前衛的な顔の描かれた仮面に隠れていて表情すら読み取れない。フードのついた白いローブで全身を覆い、僅かに見え隠れする手足も白い手袋やブーツで隠れているので体のラインすらよく見えない。
僕自身が高身長であるのでレティアはかなり小柄に見える。
「またその仮面か。僕しかいないときは畏まった格好をする必要はないのだぞ? それにエクタクトと呼べと言っているだろう?」
「それはたとえスリーマン様の命令であろうとも従うわけには参りません。ミーシェ一族は天使様にお仕えすることを天命としております。私が軽はずみな言動をとれば周りの者に示しがつきません」
今まで何度言ってもレティアはこの一点張りだ。
子供の頃は世話係として一緒に遊んでいたのだが、ここまで堅苦しくはなかった。
世話係に加えて正式に護衛の任についてから意識に変化があったのか、今のようになってしまった。
明日の計画が成功して悪魔がいなくなる日が来て天使に戦いが不要となれば、元の関係に戻れることもあるのだろうか。
レティアは黙々と衣装を準備し、僕を着替えさせにかかる。いつものことなので慣れたものだ。
実情としては悪魔の問題が解決したところで天使という戦力が国にとって不要となることはまずない。それは分かっているが少しでも何かが変わるのではないかという期待は消すことができなかった。
こうやってレティアが僕の身支度を行うのも、身の回りの物に危険物が仕込まれていないかをチェックする意味が大きい。
天使というのは国からすれば強大な戦力であり兵器だ。
悪魔だけじゃなく他国の人間なども、こちらの国力を割くために僕の命を狙ってくる可能性がある。
スパイの可能性を排除するためにミーシェ一族でなければ世話係や身辺護衛の任にはつけず、またその者たちの婚姻も国が管理して身元が明らかで身辺に問題のない相手が選ばれている。
合理的であるとはいえ、忌まわしいルールだ。
レティアの手伝いで公式の場に出るための衣装に僕は着替え終えた。
白いローブであることはレティアと変わらないが、その装飾は細部まできめ細かく金などが織り込まれた神々しい物となっている。背中には天使の翼を思わせるような紋章が描かれている。
秘密裏に行われる打ち合わせではあるが天使という国を守る象徴という役職である以上、下手な格好では部屋の外を歩き回れない。
戦闘を要する遠征などである場合はもう少し動きやすい衣装ではあるが、普段の活動をする上ではこの衣装が標準となっていた。
僕が今住んでいる場所は、エリストア大教会と呼ばれるこの国の最高機関が有する城のような巨大な建物にある一部の範囲の部屋である。
エリストア教を国教とするノアズアーク法聖国は悪魔を人類の敵と定め、その浄化と人類の救済を謳っている。
筆頭に立ち悪魔と戦う天使である僕は、この中で暮らすことを強制されている。
聖騎士団により常に警備されておりこの国で一番安全な場所であることは認めるが、自由はほぼないと言っていい。
これから向かう場所もエリストア大教会の一室である。
図面上には乗せられていない地下にある非公式の隠し部屋だ。スパイによる術などを用いた盗聴などを避けるために設けられ、この教会内の関係者でもごく一部しかその存在は知らされていない。
可能な限り人との接触を避けるべくレティアの誘導に従いながら通路を進み、とある部屋へと鍵を開けて入った。
二人で部屋に入り終えてから扉を再び施錠し、部屋の中を進む。部屋は豪華な調度品や家具が並べられており、その中の一つである壁に飾られた絵画の前で足を止めてそこに手をかざす。
絵画に宿された神気が僕の神気に反応して内部で神気機巧が起動する。
神気機巧とは、少量の神気により物質に流れる電気などの物理エネルギーを活性化させて効率良く機能する機械のことだ。強い神気を持たなくても人間なら誰でも利用のできる便利な技術である一方、神気や魔力を直接用いた術と比べるとその力は弱く、安定性は高いものの融通が利きにくいという一長一短がある。
神気機巧により床の一部が開いて地下への階段がその中に顔を出す。
レティアが手の中に神気の光を作り出し、それを明かりとして僕の前を先導してその階段を降りていく。
階段の途中にある開閉に巻き込まれない位置の壁に設置された絵画に、僕が再び手をかざすと神気機巧が起動してその入り口は閉じられた。
階段をしばらく降りたところで一つの扉に突き当たる。
そこでレティアがノックをして中に向けて声をかける。
「エクタクト・スリーマン様をお連れしました。入室の許可をいただけますか?」
「良かろう。入りたまえ」
「失礼します」
内側から聞こえた老人の声にレティアが返事をして、僕たちは戸を開けて中に入る。
上の部屋と比べれば簡素な棚が並び部屋も一つだけで他へ繋がる扉はない。中央には大きな会議用の円テーブルが鎮座し、その上には地図や資料などが広げられている。
円テーブルに並ぶ四つの椅子の内の二つに腰をかけている二人の男がいる。そしてその脇にそれぞれ直立している二人を合わせて四人の姿が視界に入った。
上座に腰をかけている初老の男性こそが、先ほどレティアと言葉を交わしたベルメール枢機卿である。
その頭はオールバックにして伸ばした白髪を首の後ろで束ねている。聖職者にしては可笑しな髪型だと僕は常々思っているがそれを口に出したことはない。僕と同じようなローブを纏っていてそれなりに威厳だけはある。
「本来なら僕が先に準備していなければならないところをお待たせして申し訳ありません」
正直なところまったく申し訳ないという気持ちはないが、波風を立てないために謝罪の言葉を口にしておく。
ベルメール枢機卿はそれを全く意に介した様子を見せずに、シワの多い顔に笑みを浮かべて口を開く。
「いやいや、君も明日の準備で忙しかろう。ささっ、立っておらずに座りたまえ。我々の未来について話し合おうではないか!」
大げさに両手を広げて歓迎の意を示すベルメール枢機卿だが、まったくもって胡散臭いという印象しか持てない。僕にとっては希望の計画であるはずだが、この人を相手にすると何だか憂鬱な気分にさせられる。




