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【3】

『いやまじ勘弁してくださいよ。おれあいつとはなんも関係ないんですから。騙されたんですおれは。

 あいつ――今日は大丈夫な日だから、っておれに迫ったんです。

 あの見た目の女に欲情するとかそっちのがありえないでしょう? 刑事さんも男なら分かりますよね。女なら誰でも抱きたい夜があるって。勿論、バックですよ。顔見るとかまじ無理ですから。

 出来た、っつわれてんで、責任があるんで一緒にはなりましたけど。

 んでも聞いてませんよ。あいつ――妊婦様様に絡まれて、向こうから吹っ掛けられて、暴言が酷くってやり返したって言ってました。聞く限りでは正当防衛でした。あいつ、メンヘラだから散々いやな思いしてきたみたいで、おれ、同情してたんです。

 んでも、あいつの入院中、調べてみたんです。――あいつの言っていたことが、真っ赤な嘘だったってことが。

 絶望しましたよ。誰があんな女とこれ以上一緒にいたいと思います?

 もう、帰ってくれませんか刑事さん。もうあの女のことなんか思いだしたくないんです。愚息が結婚するんでね、忙しいんで――』


 * * *


『あの子にはひどいことをしたと思っています。ひどいという言葉では片づけられないことをわたしはしました。

 ただ、……分かって頂きたいのは。母親には人権があります。子どもが生まれるまで、食事に生活に気を遣い、生活のこまごまとしたことに神経をすり減らし、いざ生まれれば子どものことにかかりきりとなる。自分の子とは一の次二の次どころか百の次くらいに後回しにして。

 それが、どんなに辛いことなのか、分かりますか?

 あの子は――普通の子ではなかった。

 わたしには理解出来ません。何故、世の中の主婦の皆様が平常心であの偉業を成し遂げているのかが。特に、日本の子育ては極端ですよね。母親に求めるものが多すぎます。常に、母親であれ。亭主の教育をせよ。子を、周りに迷惑をかけぬ正しき人間に育てよ――と。子どもがなにかやらかせば父親ではない、たちまち母親が糾弾される。母親はなにをしていたのだ――いつも頭を下げるのは母親です。父親ではありません。

 わたしは、間違ったことをしたとまでは思っていません。あの子は、産まれるべくして産まれたのです。

 聞けば、相手の女は暴言を吐いたというではありませんか。

 所詮、出産を経験せぬ女とは、そのようなものなのですね。

 わたしが、どんな思いをして、精神疾患を持つあの子を育て上げたのか――あの女、尼岸綾子は、ちっとも分かろうとしていなかったのです。精神障害を持つ人間をキチガイ扱いするあの女は、罰せられるべくして罰せられたのだとわたしは――思います』


 * * *


『傍から見るとあんなことするひとには見えなかったですけどね……怖いです。人間不信になっちゃいそうです。

 そうですね。富山さん――ご結婚されてるんでしたっけ? 富山さんがうちの会社に勤めていたのは夏から……決算期の前でしたから、そうですね、九月末までだったと思います。

 いま思えば、誰ともつるむ様子がなく、お昼に誘っても無反応だったんです、

 感じ悪くないですか? せっかくこっちが気を遣ってお昼どうです? って声かけてんのに、……無視ですよ無視。なにか言葉返すとか、頭下げてありがとうございますって礼くらい言うじゃないですか普通。

 普通じゃなかったんですね、あのひと、やっぱり。

 足に変な傷ついてるのにひざ丈のスカート履いてて、後ろから見ててすっごく気持ち悪かったです。美意識の低い人間てやっぱ、異常なんですね。ひとと関わるときは先ず服装見るようにします。わたし』


 * * *


『そりゃあ、確かに、落ち込んでる様子はありましたよ。

 だって子どもを殺されたのに、普通にしてろってほうが無茶じゃないですか。

 みんな言わないだけで、流産とか死産とかみんないっぱい経験してますよ? 不育症の友達だっています。

 せっかく授かった大切な命に、暴力を振るわれ、殺された挙句、犯人は殺人罪でも殺人未遂罪でもない、暴力罪で起訴されただなんて……日本の法律に呆れて言葉も出ません。

 どうして、胎児には人権が認められてないんですかね?

 子どもを守るのは国の義務じゃないんですか?

 誰がなんと言おうとも、わたしは綾子を支持します。綾子のしたことは正しいと、親友として断言します。

 綾子がしないのなら、むしろわたしが殺したいくらいですね……その、篠崎数見って女。

 いえわたしは子どもがいるので本当は出来ませんけど。すみませんね』


 * * *


『そうですね……親として、あの子の様子がどうなのか心配しましたが。

 でも、あの子。ある時点から生まれ変わったように生き生きとして。なにか、生き甲斐を見つけたんでしょうね。わたしが、被害者の会を見つけたのがよかったのかしら……あの子、昔っから秘密主義で、肝心なことはなにも教えてくれないんです。

 事件のことすら、わたしは紙面を通してしか知りません。昔っからひとりで抱え込む子で……本当に。

 正しいことは正しいと主張して頑として譲れない子でした。それが、いけなかったのかもしれませんね。

 でも、あの子が妊婦として世間の偏見に晒されていたのは事実です。あの女の偏見に反論する、それだけで大切な命が失われるだなんてそんなこと……許されるべきなのでしょうか?

 わたしは、孫を、失いました。

 洋二ようじさんとも別れましたし、あの子は、……あの事件で、大切な人間からの信頼も失ってしまったのですね。可哀想に。

 曽根本そねもとさん? あはい、存じ上げております。ええ。小学校から一緒のお友達で、ずっと綾子にはよくしてくれています。事件の直後も励ましてくれたようで……ええ。

 ――え? そうなのですか? 嘘でしょう? 信じられませんが……そんな大切なことを、なんの報告もしないだなんて。あの子、――狂っているのかしら。

 年賀状もよこさないのよあの子。ああ、ご迷惑をおかけしていないかしら……ああ、曽根本さんのご家族にも、申し訳ないわ……』


 * * *


『かずちゃん。そっかあ……そうなんだ。そうなんですね。

 だったら考えられる可能性はひとつじゃありません? ……実は刑事さん、わたし、……かずちゃんに頼まれて、手紙を渡すように言われていたんです。そう、十年前……ちょうどかずちゃんが入院していた頃です。

 いま思えば、かずちゃんは、分かっていたんですね。どうなるのかを。だから、わたしに――託した。

 手紙ですか? 渡しましたよ。確か名前はそう――』


 *

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