失望の赤子
鋼鉄の外装に異質な刻印。
この世界に生まれ落ちた時、私が最初に気が付いたものはそれだった。
左腕に赤赤と刻まれた39という数字が示す意味も分からず、私は他のパーツを見渡す。
対となって在るはずの右腕は欠け、腰から下は外装が未装着だった。
この身体は造られた義体だというのに、設計者は何を考えたのだろう。
…目覚めたばかりの私には、分かるはずもない。
ふと誰かに見られている気がして、反射的に辺りを見渡すとそこは瓦礫の山積する灰色の一室だった。
薄暗く、時折壁に嵌め込まれたモニターが何も映さぬままチカチカと点滅を繰り返している。
誰かがいる気配もなく、気味の悪さを感じながらも私は体を起こし、ぎこちなく立ち上がった。
バランスが悪く二足歩行は覚束なかったが、3時間ほどの調整を経て私は歩けるようになった。
ごちゃついた回路が剥き出しとなったままの足では危険と判断し、近くにあった布を腰に巻き付ける。
ついでに右腕の代わりになるものを探したが、何も見つける事はできなかった。
私は記憶がない。
言語機能や思考機能、基本的な世界の知識は備わっているが、
この場所も、私の造られた経緯も、何一つ知らなかった。
だから右腕を探すついでに、この世界を見て回ろうと、私は歩き出した。
扉を開けると目の前には柵があり、吹き抜けがあって、下を覗くと見果てぬ深淵が広がっていた。
左右には扉が並び、壁沿いにぐるりと廊下が渡っている。どうやらこの建物は部屋以外の仕切りを持たない直方体の構造らしい。
廊下の一角には、無限に伸びる螺旋階段が備わってた。
退廃的な病棟。囚われの実験場。凄惨な研究所。
それがこの数か月、私が歩き続けて得た印象であった。
割れたグラスには黒くこびり付いた何かが蠢いていた。腐敗した書架が軋み臓物を零すように書物を辺りへと散らしていた。コンクリートからは、血の匂いがした。
どれほど歩き回れど、何度確かめど、私の目覚めた世界は、最悪で絶望的だった。
人もない。明るさもない。希望も、ない。
廃墟と化した牢獄で、私は嗚咽した。
けれど私には時間による制約はなく、この度には終わりもない。
階段を幾つも降りて、無残な研究跡を目の当たりにしながら彷徨っていると、
とある一室で大きなビーカーに浮かぶ胎児と目が合った。
それは初めて生物と邂逅した瞬間でもあった。
ラベルに記載された"哀れな未熟児"の名を持つその個体を、私は何時間も眺めていたように思う。
何かを考え、迷い、逡巡した挙句に、私は彼を連れて外の世界を目指す事にした。
彼の背丈は1mに満たず、自然私が手を引く形となった。私は標準的な人間のサイズである160㎝程の身長がある。手を引くと、よたよたと瞼のない目で私を見つめながら歩いてくる彼を眺め、私は自分の行動の善悪を自問自答した。
私は彼を助けたつもりはない。ただ……ただ私は……。
私は私の思考の追及を止め、別の事を考える事とした。
声帯を持つ私が、彼を呼ぶ際の名前を付けてみるとか。
私は彼を『0r1』と名付けた。
それと同時に、私自身にも名前がない事に気が付いた。
悩みあぐねた私は60階層の降下時間を経て、『XP39』と名乗る事とした。
どれほどの期間を経ただろうか。
ようやく私たちは開けた空間に降り立った。見上げれば天高くそびえる螺旋階段と、壁に沿って無数に並ぶ扉と柵がどこまでも見えた。
正面には大きな扉が待ち構えている。重厚な扉の隙間からは、外界の光が指している。
私は0r1を連れ、扉の向こうを目指した。