3年目
「俺と共に生きてくれ、リズ。愛してる」
「テオ……」
跪いて指輪を差し出すテオドールと、そんな彼をうっとりと見つめるリーゼロッテ。
卒業式の後、校庭ではドラマチックな光景が映し出されていた。
左手の薬指に指輪をはめ、幸せそうに笑うリーゼッロッテ。
他の卒業生や式に参列した人々から拍手が贈られ、恥ずかしそうに、しかし嬉しそうにテオドールと寄り添い立っていた。
アリスはその様子を満足げに眺め、その場を後にする。二人に黙って別れようと言うわけではないのだが、おじゃま虫は静かに消えようと思ったのだ。二人の恋のメモリーはしっかりと両の眼に焼き付けた。それで十分である。
別れを惜しむ卒業生たちやお祝いの言葉を口にする在校生、若者の門出を祝福するOBOGたちの輪をくぐり抜け、寮の部屋に残していた荷物を取りに行く。
三年間ほぼ毎日歩いた林の中の遊歩道を足早に歩く。そういえばここで初めてレオナルドに会ったんだったな、などと思い出を振り返る。あの時貸してもらったランタンは借りパクしたままだ。
そうしてしばらく歩いていたが、後ろから近づく足音に気づいた。と言ってもアリスのように寮に戻ろうとしている生徒もいるだろう。特に気にせず歩みを進める。
「アリスさん」
だが、呼び止められた。その柔らかな女性の声にアリスはピクリと肩を震わせる。
「……ハンナさん。来て下さったんですか」
声の主はハンナ・ヴァイスト――いや今はハンナ・トイドール。アリスの兄テディの妻、つまりアリスの義姉にあたる人物だ。
アリスはハンナにどんな顔を見せれば良いか分からず、とりあえず笑顔を貼り付けた。
「その、結婚式、出席しなくて申し訳ありません」
そう。アリスは半年前のテディとハンナの結婚式と披露宴に参加していない。テディとの間に生じた軋轢は未だ解けることはなかった。
「大丈夫ですよ。あの方から、アリスさんのお気持ちも聞いていますから」
(私の何を知っているって言うんですかね?)
ここにいないテディに、言いようのない苛立ちが募る。アリスだってこのままではいけないと思っているのだが、心はテディを拒絶する。
黙ってしまったアリスに、ハンナは優しく微笑んだ。その笑みがどこかテディに似ていて、アリスの胸がちくりとささくれ立った。
「妹だからと言って、テディさんがあなたのことを完全に理解しているわけではないでしょう。それでもなんとか近づこうと努力なさっているんです。許しを乞うだけでは受け入れてくださらない事は分かってらっしゃるんですよ。だから……ね?」
ハンナは少し首をかしげてアリスの顔を伺った。言葉を濁してはいるが、言いたい事はこうだろう。
『さっさと仲直りしてね』
テディの伴侶ではあるが、アリスは別にハンナのことが嫌いではない。むしろ優しく淑やかで素敵な女性だと思っている。
ただ、有無を言わさぬ迫力がある人でもある。
「善処します」
思わず硬くなった声。貼り付けていた笑顔は外れ、顔も強張っているだろう。
「圧をかけるつもりは無かったの。ごめんなさいね」
アリスの様子を見て、ハンナが困ったように苦笑する。
「いえ、仰ることはわかりますから。いつまでも意地を張っている私がいけないんです。でも……もう少し時間をいただけませんか」
アリスはハンナから目を逸らし、早口で言った。それに反するように、ハンナはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もちろん、いつまでも待っています。私も、もちろんあの人も。トイドール家はあなたの帰る場所であると言うこと、忘れないでくださいね。最近輿入れしたばかりの新参者が言うことではないかもしれませんが」
「……ありがとうございます。リズさんとテオさんが広場にいらっしゃいますから。では、これで」
そう言い残し、アリスはハンナに一礼をしたのち足早に寮へ向かった。
冷たくなった心を必死で温める。せっかくの旅立ちの日の思い出を寒々しくしたくは無かった。
ハンナが学院にいると言うことは、おそらくテディと連れ立って来ているはずだ。ハンナのことだから鉢合わせるようなことのないよう配慮しているだろうが、少しの可能性も潰しておきたい。早く学院から去ったほうが得策だろう。
そうして寮に向かったアリスは、まとめてあった少しの荷物を手に持ち、三年間過ごした部屋を後にした。
このまま学院に別れを告げてもよかったのだが、ふと思い立ち、最後に思い入れのある場所を見ておこうと踵を返した。
一年生の時、何度となく通った寮の裏。レオナルドとの秘密の場所。夜中に部屋を抜け出してここに来た次の日は授業中の眠気と戦っていたことを思い出し、思わず笑みをこぼした。
「なんか面白いもんでもあったか?」
「うわっ」
誰もいないと思っていたアリスは、予期せぬ声につい悲鳴をあげる。
「よう。卒業おめでとう。首席卒業なんてやるな」
「レオン! なんでいるんですか? あと、その変なサングラスはなんです?」
「変なってなんだよ。シナリオ準拠の変装だってのに」
いつのまにかアリスの側に立っていたレオナルドは、不満そうに鼻を膨らませた。手でくるくると巻いている布を見るに、いつかの隠れ身の術をしていたのだろう。理由はわからないが。
それはそうと、アリスはレオナルドの変装姿に首をかしげた。黒髪のウィッグはいつも通りだが、その目は薄い色のサングラスで覆われている。声もどうやら薬で低くしたりしていないようだ。
「不用心じゃないですか? その姿だとバレそうですけど」
「それがなんと、『愛鍵』のシナリオではバレていないんだな。ちょっとお試しでこの姿で来てみた。道中はクラウスも一緒だったから護衛だと思えば安心だし」
もし学院内でバレても身の危険は少ないしな。レオナルドが付け足す。
「実際はバレなかったんですか?」
「広場に行っても誰にもバレなかったからいけると思ったんだけどな、テオドールにはなぜか速攻バレた」
「へえ。テオさんもやりますね」
「周りには黙っていてくれたから騒ぎにはならなかったけどな。……そういえば、リーゼロッテ嬢と二人でお前を探してたぞ」
「やっぱりそうなりますか」
アリスは少し嬉しそうにはにかむ。その反応に、レオナルドはやれやれと肩をすくめた。
「アンタ、妙なところで遠慮しいだよな。後でちゃんと挨拶しろよ。テディ達はもう帰ったから」
「あら、そうでしたか」
それならば学院でゆっくりしていても良いだろう。もう一度広場に戻ってリーゼロッテやテオドール、他の級友達と別れを惜しむのも悪くない。
そうなると今持っている荷物が邪魔になる。どうしようかと暫し思案したのち、目の前にいる人物に押し付けようと言う結論に至った。
「レオン、ちょっと――」
これお願いできません? そう言おうと思ったのだが、レオナルドに視線を向けた途端、不意に言葉が出てこなくなってしまった。
いつのまにかウィッグを外し、サングラスに手をかけていたレオナルド。惚れぼれするような銀糸の髪を背中に垂らし、紫の瞳でアリスのことを見つめていた。
「レ、レオン? どうしたんです?」
「……」
レオナルドは何か逡巡する様に拳を握り締め、ふっと息をつく。
そして、意を決して声を発した。
「俺に何か言うことがあるんじゃないのか」
「えっ……!」
いつになく真剣な顔をしたレオナルド。予期せぬ事態にアリスは狼狽する。
「二年前、なにか言いかけていただろ。忘れたとでも思ったのか」
「そ、それは……」
「クラウスからも聞いたぞ」
「ええ!?」
まさかレオナルドはあのことを知っていると言うのか。クラウスは口が硬い人物だと思っていたのだが、アテが外れてしまったようだ。
「あなたに話すのは、もう少し先にしたかったのですが」
アリスにとって、今はまだその時では無かった。何せまだ実感が湧かないのだ。じっと見つめてくるレオナルドから目を逸らし、一歩後ずさる。
しかしレオナルドはアリスを逃そうとはしなかった。勢いよくアリスとの距離を詰め、その白くしなやかな手を握る。
「俺は今聞きたい。アンタの――アリスの口から、直接」
「レオン……」
握られた手がひどく冷たい。アリスは自分の温もりが少しでも伝われば良いと、小さな力で握り返した。
「レオン、私……」
「おう」
二人の視線が絡み合う。
これを言ってしまったら、これからレオナルドはどんなふうに接してくれるのだろう。今までのような軽口を言い合う関係では無くなってしまうかも知れない。
アリスの胸をよぎる少しの不安。それを知ってか知らずか、レオナルドは引き締めていた口元を緩めた。
「大丈夫だ。言ってみろ」
「……はい。ありがとうございます」
アリスはそっと目を閉じ、大きく深呼吸した。
「レオン――いえ、レオナルド・レオン・オルネイア王太子殿下」
「ああ」
「私を――」
耳の近くで心臓の鼓動が聞こえる。レオナルドは期待に満ちた視線をアリスの口に寄せた。
ローズピンクの唇が、言葉を紡ぐ。
「私を、あなたの補佐官にして下さい!」
「ん? んん??」
ホサカン。ほさかん。HOSAKAN。
「ほ、補佐官??」
「はい! 『して下さい』とは言いましたが、先日の試験に合格して内定は頂いているので、正確には『なります』ですね」
「っちょちょ、ちょっと待て」
アリスの手を離し、よろよろと後ずさるレオナルド。顔の血色は悪くなり、まるで病人のようである。
「あの、確認するけど」
「はい」
「補佐官ってのは、その、プライベート的なものを支える、パートナー、みたいな……?」
「いえ、主に公務に関することになると思いますが」
「ぐわあああああ!!」
その場に膝から崩れ落ちるレオナルド。上等なパンツに土汚れがつくのもお構いなしである。
「どうしたんです? あ、もしかして疑ってるんですか? じゃあ見せてあげますよ。えーっと、これが一年の文化祭で貰った王妃陛下からの推薦状で、これがこの間の試験に合格して貰った内定書。頑張って勉強したんですよ?」
二枚の紙を掲げて胸を張るアリス。しかしレオナルドはそれどころでは無かった。
「いや、その、期待していただけにショックも大きいと言うか」
「期待? 何の?」
アリスはさっきからレオナルドの挙動不審さに首を傾げるばかりだ。
レオナルドはしばらくの間、がっくりと四つん這いになり地面と睨めっこをしていた。アリスはそんな彼を訳がわからないと眺めるばかりである。クラウスから聞いたと言っていたではないか。
「なんなんですか一体。ずっとそうしているならこの荷物お願いしていいですか? 補佐官の内定もらっただけでまだ就業してないからいいですよね?」
「……クラウスから、『アリスがこれからの二人について大事な話があるらしい』って聞いたんだ」
「はあ。私はそんなこと言ってないですけど、まあ間違いではないですね」
レオナルドは地を這うような低い声で語った。
「『男を見せる時だぞ』って、親指突き立てられて……」
「ほう」
「アンタは二年前に意味ありげなこと言うし」
「ほうほう」
何が言いたいのか、アリスにもなんとなくわかってきた。
「つまり、二年前の私の発言とクラウスさんの言葉で、私が告白まがいのことをするのではないかと勘違いしたと」
「言うなあああ!」
「まさか、いつもの変装じゃなくて簡易版だったのも、私の告白(笑)を本当の姿で聞けるようにするためとか」
「その通りだよチクショーーー!」
四足歩行の動物と同じ体制をしたまま地面を殴りつけるレオナルド。その姿はまさに憐れで、アリスは一国の王太子に向けるとは思えない目でレオナルドを見下ろした。
「クラウスもクラウスだ! なんであんなややこしい言い方を!」
「揶揄われたんでしょう。さすがリズさんのお兄様ですね」
「クソが!」
レオナルドは口汚く喚き散らす。その目には涙さえ浮かんでいた。
「初めて告白されると思ったのに……!」
「残念でしたね」
「いい感じにフるセリフも考えて来たのに……!」
「うわ、それはかなりムカつきます」
いつまで経ってもじめじめとナメクジの形態模写をしているレオナルドに、こんな男の元で働くのかと、アリスは早くも将来が不安になった。
とは言え流石に可哀想なので、少し元気づけてやることにする。
「安心してください。あなたのお嫁さんはすぐに見つけますから」
レオナルドのそばにしゃがみ込み、ポンポンと頭を撫でる。
「王妃陛下から、王太子妃候補を見つけることも仕事の一環だと伺っています。大船に乗った気でいてください」
「嫁が欲しかったんじゃなくて、告白されたかったんだ……」
「候補が見つかったらその方に告白していただきますから。ほら、そろそろ立ってください」
アリスに手を引っ張り上げられ、レオナルドはよろよろと立ち上がった。
「そう簡単に見つかるか? 俺は理想だけは高いぞ」
「やってみなければわかりませんよ。それに――」
アリスはレオナルドの顔を見上げ、悪戯っぽく笑った。
「いざと言うときは、私が責任を取ってあげますから」
「おお……ん? それって」
「さ、じゃあ私は広場に戻ってリズさん達にお祝いの言葉を伝えてきますね。クラウスさんも広場にいらっしゃるんですか?」
「そ、そうだと思うけど。じゃなくて――」
責任を取るってことは、つまり――
「その荷物、お願いしますね」
混乱するレオナルドをその場に残し、さっさと広場へ向かうアリス。レオナルドはその背中を呆然と見つめることしかできなかった。
王太子妃候補が見つからなかった時は責任を取る。アリスはそう言った。
『責任を取る』。実に広い意味を含んだ言葉だが、この場合はどうなるのだろうか。
「人生初の告白にカウントしていいのか……?」
いやいや、仕事を辞めるとか、そんなところだろう。多分。
浮つく気持ちをなんとか抑え込み、レオナルドはアリスに押し付けられた荷物を持ち直した。
これからどうしようか。王太子として堂々と卒業生を祝いに行くのも悪くない気がする。
「あー、膝が汚れているから無理だな。ハハッ」
ならばいっそのこと地べたに座り込み、空を見上げた。雲一つない快晴である。
これからは補佐官としてアリスが側に居る。そう思うと、これはこれで良かったのかもしれないという気になっていた。
これでこの物語は一応の完結とさせてください。
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ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
あさり




