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「リズさん! ご婚約おめでとうございます!」
夏休みがもうじき終わるある日。学院の寮に帰ってきたリーゼロッテは、部屋に入るなり飛んできた声に腰を抜かしそうになった。
「アリス! 今までどこにいたの!? みんな心配してたのよ!」
「ご心配おかけしました。すでにテディさんからこっぴどく叱られているので、これ以上攻撃しないでくれると嬉しいです」
「それは別にいいけれど……今までどこで何をしてたの?」
「とあるお方のお屋敷で働かせていただいてました……どこかは、言えません」
迷惑になっちゃいますから。そう言ってぱちりとウインクをするアリス。確かに、家出した伯爵家の令嬢を無断で雇ったとなれば、とあるお方が非難を浴びてもおかしくない。
リーゼロッテはそのとあるお方が誰か知ったところで吹聴するつもりもないが、アリスの少しでも危険を冒したくないという気持ちもわかるので、大人しくそれ以上聞くことはしなかった。
少し前の猫かぶり令嬢リーゼロッテならば、そして秘密を抱えているのがアリスでないならば、リーゼロッテは容易に秘密を聞き出せていただろう。思えば、アリスは一学期からずっとリーゼロッテに隠していることがあるようだった。人から舐められたくない――どんなひとにとっても都合の良い存在になんかなりたくないと心のどこかで思っていたリーゼロッテにとって、それはずいぶんと心地良いものだった。だからアリスとも仲良くなれたのかもしれない。
そうぼんやりと考えていたリーゼロッテに、アリスは辛抱たまらんと言った体で飛びついてきた。
「そんなことよりも!」
「うわっ」
突然肩をつかまれ、思わずアリスの手首を固めようとしてしまうのを何とかこらえた。これが他の男どもならば一発で極める自信があるが、相手は女子である。細い手首を赤くはらすことはあってはならない。
相手によって条件反射を意のままにできる女、リーゼロッテ。その最たる例がテオドールである。彼にいきなり迫られてもリーゼロッテは技を出そうとはしなかった。結局そのあと堪えきれずに投げ飛ばしはしたのだが。
「アリス、どうしたのよ? そんなに興奮しちゃって」
「どうしたもこうしたもないです! リズさんとテオさんが婚約したと聞いて、私がどれだけ嬉しかったか!」
「そ、そうなの……」
そうなんです! と鼻息を荒くするアリス。その勢いに流石のリーゼロッテも若干引き気味である。
友人が自分の婚約を祝福してくれるのは素直にうれしい。だがしかし、今のリーゼロッテにとってはアリスに対して申し訳ない気持ちになる一方だった。
「あのね、アリス」
「はい」
「私とテオ、もう何日も話してないのよ」
思いもしない告白に、アリスは目を丸くした。
新学期を迎えたシャラマイユ学院は、大物カップルの婚約の話でもちきりだった。
次期宰相とうたわれるアレキサンド公爵令息であるテオドールと誰もがうらやむ美貌のマグロス侯爵令嬢リーゼロッテ。二人の仲が密接であるのは学院内では常識だったので意外性はなかったが、それはそれとして特大ニュースなのに変わりはなかった。
また、それに付随するようにテオドールの従者であったテディの生い立ちもまた広く知れ渡るようになった。優秀な成績と年齢などが考慮され、二学期からは第三学年として学院に籍を置くようになるらしい。ハンナと同じクラスになれたと嬉しそうに話していた。
そんなテディを前にして、数か月ぶりにいつものベンチに集まった面々はあいまいに返事をするにとどまった。
特にリーゼロッテとテオドールは会話らしい会話をしていない。少しでも目が合うと気まずそうに下を向いたりそっぽを向いたり、かなりよそよそしくなっている。
気まずい雰囲気に耐えかねたアリスは、自分の兄に声を絞って話しかけた。
「テディさん、お二人はどうしちゃったんですか。さっきから目も合わせようとしてないじゃないですか」
「普段のテオ様ならこんなにリズ様との会話をしてなかったら慌てふためくはずなんですけどねぇ」
テディもアリスに合わせて小声で答える。のろけ話ばかりで場の空気など気にしていないようだったが、流石に気まずいとは思っていたらしい。
「これからの学園生活が思いやられます」
「僕はもう一緒のクラスにはいられませんから、アリスさん、頼みますよ」
「任せてください……と言いたいところですが、正直自信はないです」
テディの二人との付き合いの長さと比べると、アリスはせいぜい半年である。しかも夏休みのあいだは失踪していてほとんど会っていない。長い間ずっと一緒にいた二人が仲たがいをした理由もわからずに、仲を取り持つのは至難の業としか言いようがない。
「ええと……とりあえず、リズさんに話を聞いてみます」
あの日テオドールと口をきいていないと語った後、リーゼロッテは黙りこくってしまっていた。聞き出すのは容易ではないかもしれないが、それでもアリスはこうなってしまった理由を聞きたかった。
――せっかく王城で一役買ったのだから、そのくらい良いですよね。
その後、気まずいベンチから腰を上げ、寮へ帰ったリーゼロッテはアリスの謎の威圧感に負けて重い口を開くことになった。
「自分でもわからないのよ。どうしてもテオの顔が見られないの」
「リズさんがそうなったらテオさんが黙ってないでしょうに、どうして今回は何も言わないんでしょう?」
「そんなのこっちが聞きたいわ」
ツンと唇を尖らせたリーゼロッテは、アリスの淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。今までも何回か飲んだことがあるが、今回は一段とおいしい気がする。
「茶葉を変えたの?」
「いえ、いつも通りですよ――って、そんなことはどうでも良くて!」
アリスは身を乗り出して、向かいに座っていたリーゼロッテの目を覗き込んだ。猫目がさらに吊り上がっている。
「私の学園生活のためにも、お二人には仲良くしてもらわないと気まずいんですよ!」
「そんなぁ……」
「テオさんと会うと、どんな気持ちになるんですか?」
「どんなって……」
「じゃあ、今まではどんな気持ちになってたんですか?」
アリスの問いにはぐらかすようにあいまいな受け答えをしていたリーゼロッテが、ふと押し黙った。少し考えるように宙を見つめる。コトバにならない感覚をなんとか具体化しようとしているようだ。
「安心……かしら」
絞り出した言葉はリーゼロッテの胸にすとんと落ち、溶けた。
「そうだわ。私、テオと一緒にいると安心するの。ホッとするっていうか……。ちょっとだけ甘えていたのかもしれないわ」
「テオさんに? リズさんが?」
「テオは優しいから。素の私でも許してくれるのよ」
少し口角が緩んだリーゼロッテは、また一口紅茶を飲んだ。やはり、前よりもおいしくなっている。茶葉も前のままだというのなら、単純にアリスの腕が上がったのだろう。
「やっぱりおいしいわ」
「それはありがとうございます。で、話を戻しますけど、前までは安心できたのに今は違うという事は、今のテオさんは優しくなくなったってことですか?」
「そんなわけないじゃない。テオは優しいままよ」
「じゃあ、今のこの状態はどうして起きてしまっているのでしょう?」
首をひねったアリスは、何か思い当たることがあったのかヒョイと眉毛を上げた。
「リズさんは、テオさんが好きなんですよね?」
「そうね。前にも話した通りよ」
「じゃあ――」
ごそごそとリーゼロッテのベットの下を探ったアリスは、お目当てのものを手にしてリーゼロッテに見せた。
「こういう事、テオさんとしたいってことですか?」
アリスの手にあるのは、テオドールとテディに似た人たちの恋愛を描いた、ちょっと大人向けの小説。少し過激で、でも面白いと一部で大人気の作品である。
「な、なななに言ってるのよ!」
「したくないんですか?」
「わかんないわよ!」
顔を真っ赤にしたリーゼロッテ。そんな友人をにし、アリスは少しだけ事の真相に近づいた気がした。
「リズさん、もしかして――」
「何よ!」
「テオさんを本当の意味で男性として意識してこなかったんじゃないですか?」
それで、婚約してから意識し始めて恥ずかしくなっちゃったんでしょ?
アリスの言葉に、リーゼロッテはなすすべなく首を垂れた。




