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リーゼロッテとテオドールがやって来たのは、中心街のはずれの林の中にある小さな広場だった。地元でもあまり知られていない子供達の秘密の遊び場である。
幸い今は子供達がいないので、二人きりでピクニックをすることができる。もし先客がいたら、一緒に遊んだのだろう。それもまた楽しかったと思うが、せっかくのデートなのだから二人きりになることができてよかったとリーゼロッテは胸を躍らせた。
ちょうどよく二つ並んでいた切り株に腰を下ろし、テオドールが用意したお弁当のバスケットを開く。
「「いただきます」」
二人同時にサンドイッチにかぶりついた。リーゼロッテのパンから飛び出したトマトをテオドールがキャッチする。とっさの出来事に二人で顔を合わせて笑った。
持ってきていた食料は二人の胃にするすると流れ込み、気づいた時にはバスケットの中には飲み物のビンが一本入っているだけになっていた。
「無くなっちゃったわ」
「もう少し多めに詰めて貰えば良かったな」
とは言え空きっ腹に何かを入れることができたことで、だいぶ空腹感は落ち着いた。
広場の周りは木々で覆われている。二人が座る切り株の上にも影が降り、夏の暑さを感じさせない爽やかな風が吹いていた。
「……ん」
「眠いの?」
隣で頭をもたげたテオドールに、リーゼロッテが優しく話しかける。テオドールはふるふると頭を振ったが、涼しげなそよ風とリーゼロッテの柔らかな声の心地よさに抗うことができず緩やかに目を閉じた。
リーゼロッテはそんなテオドールの頭をそっと自分の体にもたれ掛けさせた。背もたれもない切り株で居眠りをしたら、体が痛くなってしまうだろう。
普段はそんなことは絶対にしない。なにせ、恥ずかしいからだ。だが今は違った。テオドールがこのピクニックをデートだと言ってくれた。いつもはリーゼロッテを恋愛に絡めて見てくれないテオドールが、だ。
二人並んで手を繋いで、人気の無い街路を歩くということが、あんなに幸せな気持ちにさせてくれるなんて、リーゼロッテは初めて知った。
そして今、自分の胸の中で眠るテオドールのあどけない顔を見て、その幸せな気持ちが溢れ出てしまいそうになっている。
せっかくの幸せを溢れこぼすなんて、とんでもない。リーゼロッテは胸にいっぱいな気持ちを抑え込み、テオドールの髪を撫でた。
さらりと音を立てて紺色の髪が揺れる。日に温められてほのかに熱を持った髪は心地よく、リーゼロッテはしばらくそのまま撫で続けていた。
幸せな時間は、日が傾き始めてテオドールが目を覚ますまで続いた。
「……って事が! あったんだよ!」
領主の館に遊びに来ていた男の子の一人が、庭仕事を終えて一息ついていたテディに耳打ちをした。傍には悪いことをしているかのように不安そうな表情をした女の子がもじもじと立っている。
太陽が沈み始めた夕方のことである。もう少しで夜がやってくる、そんなタイミングだった。
「ねぇ……やめようよ。言っちゃダメだよ」
「なんでだよ。テディはテオドール様の友達だろ?」
半袖のシャツを控えめに引っ張る女の子の名前はサラ、それを邪険に扱う悪ガキ然とした男の子はルイだ。二人とも屋敷の使用人の子供で、遊んでいる姿はいじめっ子といじめられっ子にしか見えないが実際はとても仲がいい幼馴染というやつである。
「テディには伝えといたほうがいいだろ。テオドール様があのおとこ女と良い雰囲気だったんだぞ」
「リズはおとこ女じゃないよお……」
「俺、あいつにひねり倒されて高笑いされたんだぜ」
目線の下で可愛い口喧嘩をされて、テディは困り顔である。二人がお互いを想い合っていることは前からよく知っていたし、何も問題はないのだが……。子供達にとっては大問題だろう。
なにせ、テオドールは公爵家の後継ぎ、『リズ』はただの平民の娘である。身分差の恋というわけだ。
親が仕えている領主の息子の人知れない恋を知ってしまい、どうすれば良いのかわからなくなってしまったのだろう。テオドールと仲が良く、大人でもないテディなら味方であると判断して相談したのだ。
「リズはおとこ女だから、愛人とか妾みたいなタマじゃないだろ。テオドール様、結婚してあげないと刺されちゃうよ」
「リズはそんなことしないよ」
可愛らしい子供達の口喧嘩にテディは口元を緩めた。リズの慕われ具合と子供達の愛らしさで図らずも癒されてしまった。
「大丈夫ですよ。お二人とも凄い強いんですから、何をしてでも幸せになろうとしますよ」
子供達の肩に手をかけ、テディが笑いかける。人の良さが前面に出た細い目と優しげな女顔は子供達を安心させ、相談した相手が正しかったことを悟らせた。
「でも、そうですか。あの二人がそんな良い雰囲気を作り出していたとは、驚きです」
「なんせ髪を撫でてたからな! 髪!」
ルイが興奮して(ただし内緒話なので小声で)話す隣で、サラもこくこくと頷いた。子供たちの中で、髪を撫でるという行為がどれほどの親密さを表すものになっているのだろうか。
「僕からするとリズ様……じゃない、リズさんが自らテオ様に胸を差し出したことの方が衝撃ですよ」
「そうなのか? でも母さんが言ってたぞ。『愛する人に触れたい時、心から愛していたのなら髪を触るのよ』って」
「私のママも、『体じゃ、真の満足は得られない』って言ってた」
使用人の間で大流行中の不倫小説『夏の香』の影響だろう。不倫というドロドロした題材でプラトニックラブをテーマにしており、はるか昔の青春に想いを馳せていた元乙女たちに絶大な人気を誇っている。『あなたのその髪に触れることを許されるのなら、僕は他に何もいらない』というヒーローの台詞を知らない者は館にいないだろう。
ちなみに作者は新進気鋭の若手作家、星空きららだ。リーゼロッテはもちろん、テオドールやテディ、アリスにも馴染み深い作家である。幅広い作風で創作意欲も高く、月に一冊は新刊を出している。
「髪を触ったんだから、リズのテオドール様への愛は本物だな」
「うん。帰ってきてからも、すごい幸せオーラだったし」
子供達だけで完結したようだ。かなり独特な判断基準だとテディは思ったが、事実ではあるので黙っておくことにする。
テディが同意したと判断したルイは真剣な顔でテディとサラの顔を見た。
「誰にも内緒だからな!」
しかし、顔を付き合わせて内緒話に集中していた三人は、後ろから近づく人影に気づくことができなかった。
「何が内緒なんですか?」
聞きなれぬ声に慌てたルイとサラが勢いよく振り向いた。
だんだんと暗くなる空の下、深紅の髪が目の前に広がる。白い肌に映える真っ赤な唇で弧を描き、吊り上がった目をした舞台女優ばりの美貌を持つ大人びた少女が、そこにいた。
もちろんアリスである。
ナイスタイミングなアリスの登場に、ルイが身構える。さりげなくサラを背に回しているのを見て、テディは顔のにやけを隠すことが出来なかった。
「お前、今日来たばかりの新入りだな!?」
「はい。アリスといいます」
ニッコリと笑いかけるが、ルイとその後ろのサラは警戒心を強めるだけだ。こういう時、リーゼロッテのような可愛らしい見た目であれば少しは対応が変わるのだろうなとアリスは思った。
「楽しそうだったもので、つい」
「楽しくなんかない! 大事な話をしていたんだ!」
「そうですか」
ニコニコと笑顔を崩さないアリスに対し、ルイは目を三角にして威嚇し続ける。サラはおどおどと二人を交互に見るばかりだ。
そしてテディは
「テオ様とリズさんが良い雰囲気でデートしてたって話ですよ」
あっさりとルイを裏切った。
「テディ!」
「大丈夫ですよ。アリスさんはリズさんの数少ない友達ですから」
噛み付くルイを軽くいなし、テディがアリスに笑いかける。アリスは苦笑いを浮かべた。『数少ない友達』とは、なかなか悲しいことをいう。ここにいる子供達以外にリーゼロッテが本音で話せる人はたしかに少ないので、本当のことなのがまた哀愁のある話だ。
そういえば、そんな人がもう一人いるなとアリスは銀髪の彼を思い浮かべたが、ここで話すことでもないので記憶の彼方に追いやった。
「リズさんとテオ……テオドール様がデートをすることはあらかじめ知ってました。うまく言ったのなら良かったです」
あとで根掘り葉掘り聞き出さないといけませんね。そう楽しそうに話すアリスの顔を見、テディの言っていたことが正しいのではないかと思い始めたルイは、一応、アリスを内緒話の仲間に入れる事にした。
「信用したわけじゃないからな! まだ試用期間だぞ」
「はい。本採用されるように頑張りますね」
腰を屈めてルイと顔を同じ高さにし、アリスがもう一度微笑みかける。最初は威圧感のある顔だと感じたが、少しして見慣れるとただただ美人の笑顔だ。思わず赤面したルイとサラに、アリスはますます笑みを深めた。
「小さい頃を思い出します。私、あなた達のような可愛らしい弟か妹が欲しかったんです」
右手でルイの、左手でサラの頭を撫でる。顔を赤くして振り払われるか、俯くかすると思っていたアリスは、子供達の反応に面食らう事になる。
「ダメだぞ! そんな簡単に髪に触ったら!」
「そうだよ。大切な人だけにしないと」
ずっと大人しくしていたサラにまで叱られ、アリスは目をぱちくりするばかりである。そんなにおかしなことをしただろうかと自分の行動を思い返すが、頭を撫でただけだ。
怪訝な表情を浮かべるアリスに助け舟を出したのは、もちろんテディだった。
「子供達の親……つまり使用人の間で、恋愛小説が流行ってるんです。その中で、髪に触れるという行為が重要視されているようで」
「なるほど」
その小説ならアリスも読んだことがあった。リーゼロッテに勧められたのだ。
「ですから子供達は、髪に触れた相手のことを愛していると、そう解釈するわけです」
「それは、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです」
アリスがすぐに二人に謝ることで、その場は収まった。違う価値観の人もいるのだと、子供達のいい社会経験になったはずだと思う事にする。
「じゃあ、秘密だからな! 絶対だからな!」
「承知しました」
ルイがテディとアリスに念を押し、サラの手を引いてその場を離れていく。もうすぐ夕食の時間である。子供達は、皿を運んだりカラトリーを並べたりといったお手伝いをしないといけないのだ。
それを微笑ましく見送り、アリスも何か屋敷の手伝いがないか探しに行こうかと考え始めた。正直、ただ夕飯ができるのを待つだけなのは性に合わない。
そこで早速テディに手伝えることを聞こうとした矢先、テディの方から話しかけられた。
「アリスさん」
「はい」
なんだろうと思いつつ、アリスは素直に返事をした。まだ数ヶ月の付き合いだが、なんとなくテディの糸目で表現されるわかりにくい表情が読めるようになってきた。
今は、なんだかイタズラを思いついたような、面白いことをしようと企んでいる顔をしている。リーゼロッテと一緒にテオドールをからかっている時の顔だ。
「髪を触った相手は、特別な存在なんですよね」
「そうみたいですね」
「じゃあ僕も、アリスさんの特別ですね」
「へ!?」
突然の事にアリスは素っ頓狂な声を出してしまった。テディはニヤニヤと笑いながら続ける。
「あの時、僕の髪をずっと触っていたじゃないですか」
「え、いつ、いつですか」
「劇の練習をしていた時です」
アリスは思い出した。そういえば、テディが女装していた時に、髪を弄って遊んだことがあった。
「あれはウィッグでしたよね!? ノーカンです」
「そうですか?」
「ノーカンですよ!」
思いもしないテディの発言に顔を少し赤らめながらも、アリスはきっぱりと否定した。
「私は、何があっても、テディさんのことは好きになりません!」
「ひどいなあ」
相変わらずニヤニヤしているテディに、アリスは念を押した。
「好きになっちゃ、いけない人ですから」
少しうつむきながら、小さな、しかししっかりと聞こえる声でアリスが言う。その真剣な物言いに、テディもつられて笑みを収めた。アリスはさらに続ける。
「なんとなく、そんな予感がするだけです。でも、多分、そのうち、明らかになります」
「アリスさん?」
「テディさんは、」
アリスは顔を上げ、少し緊張した面持ちでテディの顔を見つめた。喉が乾く。カラカラになった唇を舌で舐めて湿らした。
レオンにも言っていない、小さな予感。それを口に出すのは、今が初めてだった。
「テディさんは、私の血の繋がった兄なんです。きっと」
アリスの簡潔な、しかし大きな衝撃をもたらす言葉。テディは息を呑んでアリスの吊り上がった目を見つめた。アリスも見つめ返してくる。
いつもはなるべく見せないようにしていた目を、無意識のうちに見開いていた。
宵口の月の下、深紅の瞳が煌々と輝いた。




